大抵の場合、人にはいくつかの顔があると思う。
その顔がチェンジするのは、その人のその時向き合う人間関係によるのだろう。
仕事をしている時の顔、親といる時の顔、子といる時の顔、友人といる時の顔、パートナーといる時の顔・・・などなど。
普段はあまり変わることはないけど、私にもいくつか顔がある。
講師としての顔、親としての顔、自分の親と向き合う時の顔、グループの中でのリーダーの顔、
それらはそれ程の差がない。
ひとつだけ大きく変化するのは、地元の幼馴染達と会うときだ。
彼らは、私の激しくやんちゃだった青春時代を全部知っている。逆に今私がどんな仕事をしているのか、大して分かっていない。
人と会う中で、私の仕事においての技能を引き出そうとしない唯一の人たちでもある。
まもなく、私が7年ぶりに東京に戻ることで地元の友人達は大いに盛り上がってくれている。
久しぶりに地元の友人たちと、ある程度の人数で集まった時、やっぱり思い出話で盛り上がった。
私の青春時代に抱えていた心の問題には、自分なりに向き合い消化してきていたつもりでいた。
が、その頃にまっすぐスポットライトを当てると、まだ持っている。それを、友人たちと楽しい時間を過ごし、帰ってきた後にまじまじと感じた。
数日後、姉から私が東京に戻る事を聞いた母が電話をしてきた。
本当に嬉しそうにはしゃいでいて、かわいかった。
今度、私が居を構える事になった不動前には、彼女の青春時代の思い出があることを初めて聞き、その内容に、そんな話はじめて聞いた!と、とても驚いたのと同時に初めて母に親近感を覚えた。それで彼女という人は形成されたのか・・・これは、私にとってとっても大きな出来事だった。
また、今度は私の方の青春時代の頃のことについて、はじめて触れた。と言っても、話の流れでの軽い調子のものだった。
今までその時代の事は、家族の中で触れてはいけない見てはいけないものだった。
私は何を未だに抱えていたかって、その事だった。問題に対して、触れない観ないという姿勢。これが、私の中で納得のいかない事だったらしい。
初めて、その時のことについて一方的でも対抗的でもなく、心の疎通を保ちながら数言、対話をした。事実を事実としてそのままを対話した。これ以上話を進めれば、彼女がついてこれなくなる事は分かっていた。それでも、たった数言でも、消化が終わったのを感じた。
人間関係において、不快なことを避けようとする、自分の感情を切り捨てたり、真実を言わなかったり、本当の意図を自分にも人にも隠したりしてやり過ごそうとする体験は、実に多く経験されている事だと思う。
人の意識というのは、表面だけの顕在的に出てきているものだけではない。自分でなぜだか分からないけど、いらいらする、悲しくなるなどといったことは、よくある事だろうと思う。
常に意識がクリアであることの安心感は、不快な状況を避けて通ろうとしていると得られる事はない。
もしも、人間関係において(人にも自分にも)明確で誠実で率直であることを徹底すれば、なぜだか分からない場面はなくなる。
結果、不快が大した不快なものではなく、爽快さへの通過点である事を知ることになる。
人間関係においての、率直さは思った以上に重要なのものなのである。
http://kalapana.jp
その顔がチェンジするのは、その人のその時向き合う人間関係によるのだろう。
仕事をしている時の顔、親といる時の顔、子といる時の顔、友人といる時の顔、パートナーといる時の顔・・・などなど。
普段はあまり変わることはないけど、私にもいくつか顔がある。
講師としての顔、親としての顔、自分の親と向き合う時の顔、グループの中でのリーダーの顔、
それらはそれ程の差がない。
ひとつだけ大きく変化するのは、地元の幼馴染達と会うときだ。
彼らは、私の激しくやんちゃだった青春時代を全部知っている。逆に今私がどんな仕事をしているのか、大して分かっていない。
人と会う中で、私の仕事においての技能を引き出そうとしない唯一の人たちでもある。
まもなく、私が7年ぶりに東京に戻ることで地元の友人達は大いに盛り上がってくれている。
久しぶりに地元の友人たちと、ある程度の人数で集まった時、やっぱり思い出話で盛り上がった。
私の青春時代に抱えていた心の問題には、自分なりに向き合い消化してきていたつもりでいた。
が、その頃にまっすぐスポットライトを当てると、まだ持っている。それを、友人たちと楽しい時間を過ごし、帰ってきた後にまじまじと感じた。
数日後、姉から私が東京に戻る事を聞いた母が電話をしてきた。
本当に嬉しそうにはしゃいでいて、かわいかった。
今度、私が居を構える事になった不動前には、彼女の青春時代の思い出があることを初めて聞き、その内容に、そんな話はじめて聞いた!と、とても驚いたのと同時に初めて母に親近感を覚えた。それで彼女という人は形成されたのか・・・これは、私にとってとっても大きな出来事だった。
また、今度は私の方の青春時代の頃のことについて、はじめて触れた。と言っても、話の流れでの軽い調子のものだった。
今までその時代の事は、家族の中で触れてはいけない見てはいけないものだった。
私は何を未だに抱えていたかって、その事だった。問題に対して、触れない観ないという姿勢。これが、私の中で納得のいかない事だったらしい。
初めて、その時のことについて一方的でも対抗的でもなく、心の疎通を保ちながら数言、対話をした。事実を事実としてそのままを対話した。これ以上話を進めれば、彼女がついてこれなくなる事は分かっていた。それでも、たった数言でも、消化が終わったのを感じた。
人間関係において、不快なことを避けようとする、自分の感情を切り捨てたり、真実を言わなかったり、本当の意図を自分にも人にも隠したりしてやり過ごそうとする体験は、実に多く経験されている事だと思う。
人の意識というのは、表面だけの顕在的に出てきているものだけではない。自分でなぜだか分からないけど、いらいらする、悲しくなるなどといったことは、よくある事だろうと思う。
常に意識がクリアであることの安心感は、不快な状況を避けて通ろうとしていると得られる事はない。
もしも、人間関係において(人にも自分にも)明確で誠実で率直であることを徹底すれば、なぜだか分からない場面はなくなる。
結果、不快が大した不快なものではなく、爽快さへの通過点である事を知ることになる。
人間関係においての、率直さは思った以上に重要なのものなのである。
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