『経験』は、とても大切なものだと思う。
ただ一口に『経験する』と言っても、その人の受け取り方、価値観、洞察力など、どこにポイントを置き「どこを見ているのか」によって、その深みは変わってくるのだろうと思う。
私は、どこまでも深くその経験を自分に刻みたいと思っている。
そうすることによって、同じ経験を何度もする必要がなく、長引かせる必要もない。
それが いい・わるい ではなく、深く経験することによって繰り返したり長引いたりしないという結果が、ただある。
物事の本質を見ることに価値を置いているので、そこに付随している細かなことを気にしないという結果もある。
先日、久しぶりに魂レベルからの震えるほどの嗚咽があった。
それは歓喜からだった。
今まで黙々とひとりでやり続けてきたことが、やっと報われる時が来たという歓喜だった。
顕在意識では、それを感じてはいなくて、ただ目の前にあるやるべきことをとにかくひたすらやってきて、今でもそれを続けているという感覚でしかなかったが、魂レベルではもう少し広い視野から今の状況を眺めているようだった。
この、魂レベルからの強い震えを最後に感じたのは、2年前オーストラリアを後にする時だった。
あの時は虚しさからだった。
今まで黙々とひとりでやり続けてきたことが、全面否定されたことへの虚しさだった。
顕在意識では、ただ元気が出なく落ち込んでいる程度のものだったけれど、魂レベルでは強くその状況を嘆いているようだった。
今、その両方を眺めてみて、私はいい『経験』ができたと思う。
この6年間、色々なことがあったけれど、苦しいことばかりではなく楽しいこともいっぱいあった。
そして何より、その時の自分にとって、その時してきたことは、それが自分にできる精一杯だった。
それを心から認め、受け止めることで、この6年間が私の中で実のあるものとして統合され、修了した。
先日、認定ヒーラーとなった生徒が、何かアチューメントやイニシエーションをしないとヒーラーにはなれないのかと思った。
と言っていた。
イニシエーションなんて全く必要ない。
生きているだけで、日々がイニシエーションになる。
そこで培われた『経験』こそがアチューメントになる。
『経験』に勝るものはない。
ただ、経験するその人が、どこにポイントを置き「どこを見ているのか」によって、経験はその深さを変える。
http://kalapana.jp
ただ一口に『経験する』と言っても、その人の受け取り方、価値観、洞察力など、どこにポイントを置き「どこを見ているのか」によって、その深みは変わってくるのだろうと思う。
私は、どこまでも深くその経験を自分に刻みたいと思っている。
そうすることによって、同じ経験を何度もする必要がなく、長引かせる必要もない。
それが いい・わるい ではなく、深く経験することによって繰り返したり長引いたりしないという結果が、ただある。
物事の本質を見ることに価値を置いているので、そこに付随している細かなことを気にしないという結果もある。
先日、久しぶりに魂レベルからの震えるほどの嗚咽があった。
それは歓喜からだった。
今まで黙々とひとりでやり続けてきたことが、やっと報われる時が来たという歓喜だった。
顕在意識では、それを感じてはいなくて、ただ目の前にあるやるべきことをとにかくひたすらやってきて、今でもそれを続けているという感覚でしかなかったが、魂レベルではもう少し広い視野から今の状況を眺めているようだった。
この、魂レベルからの強い震えを最後に感じたのは、2年前オーストラリアを後にする時だった。
あの時は虚しさからだった。
今まで黙々とひとりでやり続けてきたことが、全面否定されたことへの虚しさだった。
顕在意識では、ただ元気が出なく落ち込んでいる程度のものだったけれど、魂レベルでは強くその状況を嘆いているようだった。
今、その両方を眺めてみて、私はいい『経験』ができたと思う。
この6年間、色々なことがあったけれど、苦しいことばかりではなく楽しいこともいっぱいあった。
そして何より、その時の自分にとって、その時してきたことは、それが自分にできる精一杯だった。
それを心から認め、受け止めることで、この6年間が私の中で実のあるものとして統合され、修了した。
先日、認定ヒーラーとなった生徒が、何かアチューメントやイニシエーションをしないとヒーラーにはなれないのかと思った。
と言っていた。
イニシエーションなんて全く必要ない。
生きているだけで、日々がイニシエーションになる。
そこで培われた『経験』こそがアチューメントになる。
『経験』に勝るものはない。
ただ、経験するその人が、どこにポイントを置き「どこを見ているのか」によって、経験はその深さを変える。
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