KADOMIUMTANK ソフビブログ

ヘミングウェイの詩にこんなのがある。
「人生は素晴らしい 戦う価値がある」
後の方は賛成だ byモーガン・フリーマン

特殊観光2/中野棄境

2013年02月01日 | ジャンク





さすらいビトの荒野・中野棄境。。。
逢魔が刻の中野、建物が消えては建ち、建っては所有者が変更されて
存在の帰属が常に書き換えられる、解体と再生とがめまぐるしく行われ
姿を変える町。
いつか見た風景を消滅する前に忘れないよう網膜に焼き付けて
記憶しておかなくてはならない。



手描きの海賊船団が描かれた飲み屋ストリートのカンバン。
何か絵の内容に由来はあるのだろうか。
下の3時を指した時計やケーキとの関連は描いた本人以外には不明なあたりが
下町の自由気ままさをそのまま表現しているかのようだ。



再々開発で消えゆく通り。消えゆく大蜘蛛タランテラの根城。
タランテラも既にこの地を後にしているようだ。
ヒトビトは自分だけの隠れ家,シェルターを求めて爆心地のような場所を漂う。
あたかも自分の夜のあいだ、つかのまの帰属を搜し求めるかのように。



何処から届いた郵送物が地図にない家の紅いポストを満たす。
しかしすでに主は居らず、灯りが灯されることはなく、
家もただ生命力を失ったいきものののように解体の刻まで沈黙している。
中野無常。



解体が終わった更地の真ん中に踏みとどまっている錆に覆われ朽ち果てた家。
元はここも商店だったのだろうか。





再々開発で囲みの塀ができた、なんとも潤いのない通り。
長い通路をまっすぐ歩いて行ってももはや店を選択する余地がなく、
果てにぽつんと立っている一軒の店?に入るしかない。
純粋飲食街、これは定義するなら一種の路上観察物件、トマソンと呼んでいいだろう。





「私は猫ストーカー」という映画があったが、上の純粋飲食ストリートに
佇んでいた猫を追けてみた。
彼の寝床はどうやらここらしい。昔飼っていた猫に、猫の会議が
深夜に行われるか人間は決して覗いたりしてはいけない、と教えられたのを思い出した。








夕刻になるとサブカル系の若者グループがよく吸い込まれていく雑居ビル。
最近アニメカラオケのお店ができて盛況らしい。
古い歓楽ビルも若者向けのコンテンツが入るとにわかに建物全体が活気を帯びるものだ。





この町は雑多なカルチャーが流入しているがゆえ、
昼間から初音ミクの金属的な歌声が流れてくるアニメカラオケと
昭和スタイルの営業である、八代亜紀そっくりのママが居る店も
時には客を取り合うことになる。
さらに中野監督の怪獣が接客する店、大怪獣サロンや
アキバ大手チェーンからの中野エリア前線基地となるメイド喫茶なども
この戦線に加わる、ここは夜の社交の激戦区。
少し前にはジオン軍御用達のコスプレ喫茶もあった。



レコードコレクターの修羅場が見れる場所。ここはソフビではない
もうひとつのVINYL JUNKIEたちの戦場。







昭和的な金物屋の軒先。モルタルの灰色の背景にポリ容器の発色が美しい風景。





中野ブロードウェイの脇の道路で写真を撮っていたら、
路上観察系なのだろう、フットワークの軽そうな元気のいいアンチャンに
「本当に楽しそうに撮ってますね!」と感心された。

彼が「せっかくだからちょっとうんちくたれますよ!」と教えて
くれたところによると、このあたりは
戦後すぐは連れ込み宿が多かったらしい。たしかにそんな色使いの淫靡な
佇まいでヒトの目を引き寄せる、二階建て洋風建築の店が多い。
建物の造りがトタテグモの巣の入口のように近づく虫たちをほのかに誘い込む、
建物としてのフェロモンのようなもの、独特の媚態を放っているのだ。
横浜の有名な黄金町の通りと同じで、下で飲み、
上に客を連れ込んでいたすようなシステムの店が昔は多かった、
その名残りなのだろう。



白昼堂々、緊縛されたアダルトショップの看板。



この町の逢魔が刻に、通りに出されるガチャポンは大人にしか見えない!



1年の厄災=鬼を除けるべく、恵方巻を嗜む季節になりました。

















魔境に相応しく、中野ブロードウェイ2階で「ベルセルク」劇場版公開記念
イベント開催中。










特殊観光/早稲田奇景

2013年01月31日 | ジャンク



「しーらない町を~歩いてみたい~どこか遠くへ 行きたい~(おんぷ)」

そんなわけでRAMPAGE TOYSさんのOPENしたスタジオと鬼子母神にお参りに行くため
雑司が谷に。そして都電の始発駅である早稲田界隈もブラブラ。
この辺りは仕事で通ることも多く、タコの徘徊ルートdeath。
昼前から2時頃までの日中なら外を歩いていても、
ぽかぽかと暖かいですね。

新宿花園神社、浅草浅草寺、そして雑司が谷の鬼子母神、
ソフビ関係の探訪と絡めて都内を廻ってきたが、次はどこの神社に行こうか。
今日で1月も終わり。





タコは都内で消滅した建物の遺品(残骸)を持ち帰ることがある。
これは2006年にアキバに集まるヒトビトから惜しまれつつも閉鎖、
その後解体された「アキハバラデパート」社員通用口のカンバン。
当時ビルの解体時にブラブラしてて破砕機に入る前のを発見して
現場のヒトにお願いしたらいただけることになりタコの所有物に。

アキバデパートはアキバ者にとって、なんでも安く食べれて居心地良かったな~。
独特のざわざわした庶民ムードがたまらない、再々開発前のアキバを
いかにも象徴する憩いの場所だったのだが。
カンバンは何年も知人の倉庫に預けてもらってたのだけど
もう置き場所がない、なんとかせいよと言われてこの日、あわてて
実家に持ち帰ることに。
(ていうかこれを抱えて半日あちこち都内を歩いてたのdeath.
一体全体なんのプレーじゃろう)
個人価値の極私的な名所を巡る今回の特殊観光は
名所の残骸を携えて行われることになった。





早稲田といえば強烈な存在感を放つのがガウディマンション。
別にガウディが設計したというのでなく、スペインの某寺院をイメージして
製作された個人のテナントマンション。90年代のフギアブームの頃は
ここの一階にスポーン系フギア~のショップが入居していて
時々遊びに行ったのも懐かしい思ひ出。



このガウディマンションですが、とにかく内装がスバラシイバロック感。
郵便受けなんか動物を象っており、こんなだし。



エントランスゲートなんか華麗に舞う蝶の形です。



「プロメテウス」の探検隊になって、奇怪な宇宙船内の胎内洞窟を歩いてるみたいな
気分になる廊下。





エレベーターホールです。シュールレアリズムの極地ですネ。
ダリオ・アルジェントの映画でよくかかるゴブリンサウンドがルーム内の
バックグラウンドミュージックに流れそうです。



これが学生通り側から見たビルの外観。アシンメトリーで多様な彫刻に
彩られた美しくもカオスな建物。早稲田に行くたびに立ち寄っている個人的名所。







石井聡互監督のサイコサスペンス映画「エンジェル・ダスト」で最初の殺人が
起きたシーンを撮ったロケ地のコインランドリー?
劇中でもニュースのシーンで「鶴巻町」と書いてあった。たぶんここじゃないカナ?




カッコイイグリフォン。ガウディビルと別の建物で発見。



雑司が谷で、建物の周りにやたら「立ちションするな」とか「車停めるな」
とか但し書きやカンバンが多い場所があったので、なんとなく観察していたら
何者かの目線を感じ振り向いたらそこにトラが鎮座してた!
大地震のさいに動物園から逃げ出した巨大な虎が生存者を襲って街で
生きながらえている、漫画「サバイバル」の1シーンみたいですね。
とにかく誰かにどんなことをされるのも嫌みたいだ。
見張りのトラも雨ざらしなのか、表面がささくれだっていました。



「声優になりたい!」
早稲田にある謎のアニメスタジオ。何年もここの前を仕事で通っているけど
一度もボイストレーニングとかやっているような声も物音もしていません。
何か過去(90年代中頃)にアニメを製作していたみたいですが、
テレビでオンエアされていた気配がないんです。たぶん企画過程で
未完になったのだろう。
もし観たことがあるならそれこそ幻のアニメではないか。



棄郷

2010年08月12日 | ジャンク


このとんでもない暑さがまだまだ続くんでしょうか?

…などと書き出そうと思っていたら
台風の影響か急に天気がぐずついて涼し気味になってきましたね(関東圏視点)。
といってもあいかわらず基本、ねばっこい陽気ではあります。

ここんとこ仕事でも使ってるDVDレコーダーのリモコンが急に動かなくなり、
レコのHDはというとデータ満タン。いつもの録画設定通りに動いたらあっという間に
データパンクやないかと思いつつ
仕事場近くの家電チェーンに新規のリモコン発注しようとしてたら、なんとなく直ってたり。

このほかにも仕事場の電話が鳴らず→社のおねいさんがコードのよじれを解いてったら直った、
クーラーから水が漏る→何日か前の日記で前述ですが自力で直した、
パソコンがガラガラ言い出した→クーラーの修理に伴い鳴らなくなった、と
なんだかマシン系の夏のトラブルでヒヤヒヤしながら生活してましたが
暑いときって必ず何かしら壊れたり予期せぬトラブルが起きますよね。
これがまた盆休みに入ってサポセンも営業がとまってる頃におきるから怖い。
やはり人間のみならず機械にもお盆休みが必要なんですね。



自分は打ち棄てられたような光景、モノが元の所有者を離れかけているような
状態にある風景、または提案した人が目指している本来の使用目的からブレたような
状態になっている場所を見るのが好きです。
どんなものかというと、VOWとか超芸術トマソンとかいうものとも
ちょっと違うんですよね。

このお店はオープン当初、右の「地獄ラーメン」というカンバンを掲げて
街道を走る車にものすごい味であることをアジっていたのですが、
店内を遠目で見るといつもお客がいませんでした。
どうもお客がビビって近寄らなかった
みたいです。しばらくしてこの地獄ラーメンのカンバンは撤去されて
普通のラーメンやになったのですが、その後は出入りしているお客を見かけます。
常連も付きそこそこ繁盛しているみたいです。

きっと店主が開店当初、自分のやりたかったこと?
はこの撤去された、にじり寄るようなカンバンにあたかもこもっていたような気がします。
ハードな展開で注目を集めようとしたらお客が引いてしまい
路線変更したテレビ番組、みたいなものでしょうか。

「地獄ラーメン」のカンバンがまた出たら今度は食べにいってみたいと思ってます。




上写真の廃屋のアパートは残念ながら自分が撮ったものではありません。
6年くらい前だったと思いますが
ネットの写真掲示板で「ショッカーのアジト」と説明が書かれて
掲示されていたものです。このままネットの海の果てに
流れて消えていくのには惜しいのでこのブログにサルベージしときます。
崩れっぷりがあたかも地形が隆起したかのようで
これは廃墟として天然の美しさに満ちみちています。



下の鉄くず工場は昔、よく泊めてもらってたヒトの家の近所にあった場所です。
いつ行っても冷蔵庫とか車がぺしゃんこにつぶされたりしてます。

モノの一生がここで終わるというデッドテック&ノーフューチャーな場所としての
空気が横溢してて、ものすごく空疎でさびしい
気持ちに襲われるのがたまらなくきもちイイので
宿のヒトと夕方になるとふらふらと蹉跌が磁石にひきよせられるように
遊びに行ってぼーっとモノが解体されるのを眺めてました。
夜になると廃物を掃討するマシーンのコロシアムがところどころチープな電飾で
ドレスアップされ、あたかも「地獄の黙示録」のドランの橋や
「マッドマックス2」の製油所みたいなディストピア感がたまらんでした。

しかしこの場所があまりにも気に入ってしまい、このままでは
自分たちもジャンクになりそうな気がした瞬間があり
ある時期から近づかなくなりました。

どうやら工場自体もやがて廃棄されてしまったのかもしれません。その後
足を踏み入れていない場所です。われわれのそのときの気分で見えていた場所なのかも。



これも資料写真を撮ったものですが、昭和の頃の東京のゴミ工場です。
変な意味ではなく、この威容はワイルドでしびれます。
日本が高度経済成長期のさなかで熱にうなされたかのように
モノを作っては廃棄する、まさに怪獣そのものだった時代の風景ですね。
逆柱いみり先生の描く異郷を描いた漫画の風景を思わせますが
こういう風景は昭和の日本にはそこいらに実在したのです。
気が付くと便利になったり清潔にはなりそれはいいことなのですが、
日本は全国が平坦化、均一化し、洗練と引き換えに
好き者がぶらぶら見て廻るほどに面白くない、まったく別な異国になりつつある。

すでに異形の風景はそれを知る者のココロの中にしか存在しないのかもしれない。









たまたま通りかかった町でお祭りがあり撮った写真。
得体の知れない業者が適当にテレビに映っているマンガや怪獣番組の
キャラクターを模倣してパチおもちゃを作り、屋台で適当な当てくじの景品にしたり
適当なセールストークに載せて売りさばく場所。
夜店の翌日になると所有者の子供にもすっかりそんなモノを
買ったことも忘れられ、おもちゃ箱にポイッと投げ込まれて
忘却されかねない、そんなパチおもちゃたちの生存のゲーム。
発電機がうなりを上げ、裸電球がちらつく下で繰り広げられる、
パチおもちゃたちのあたかもはかなげな桧舞台。



近郊の街道沿いを仕事が終わってから夕陽が沈む時間にとぼとぼ歩いていると
時々そんな場所に出会う。
普通のヒトならそんなことは思わないのでしょうが
自分は妙に逢魔ヶ刻独特の空気にわくわくしてきます。
やがて街道沿いに見えてくる灯、ホコリをかぶったようなプラモ店、
誰も借りなくなったVHSがワゴンで詰まれた
レンタル流れの中古ビデオソフト店、オーナーがほとんど顔を出さない
所有権が半ば放棄されかけた委託のリサイクルショップ…。

最近のおもちゃ屋はシーズンで最新のTV番組のおもちゃが供給されると同時に
過去のおもちゃはバーゲンでさっさと存在の痕跡を消されるかのように店頭から
撤去されてしまうのでこういう所有権がタイトロープな感じの風景は
なかなか現出しません。

昭和のおもちゃ屋は一般の支持を得られなかった変なおもちゃが
あたかも誰にも身受けされることのない恥辱にまみれているかのように売り場に放逐され
店主にも販売の意思を放棄されているような状態に出くわすことができました。
できました、ってそんなのは付加価値ではないが、その物悲しさの加わった
生存の刹那感もおもちゃのもつ負のミリキであるような気がします。
その負のミリキをもったおもちゃが後年、マニアと称される人々の心を
時に、大いにものぐるほしくさせる。
古モノのおもちゃに得もいえぬミリキを得られる方はまさに
その放棄されかけたおもちゃの息吹に感応できる人なのでしょう。

昭和のおもちゃ屋は、モノの消えかけている刹那を読み取れる場所だった。、
廃棄されかけて最後の息吹を上げているモノとヒトが
一瞬つながり言霊が得られる、そこは不思議な感応力が働く
空間だったのかもしれません。



企業キャラクター?の手の曲がり方がものすごく怖い銀行のカンバン。
台風が迫っていて竜巻も発生しバスの停留所の小屋がめりめり飛んでいったりして
脱出できない状態で、不安な気持ちでとぼとぼ漁村の町を歩いているときに撮りました。

自分にとってはこういった打ち棄てられた光景こそが
いうなれば子供のときにもっていたソフビと同じーー
かつて失った、いうなれば魂のふるさと、
「棄郷」とでも呼ぶべき心の風景なのです。