歌舞伎蔵(かぶきぐら)

歌舞伎を題材にした小説、歴史的時代背景を主に、観劇記録、読書ノート、随想などを適宜、掲載する。

般若楼66

2017-05-16 09:03:00 | 女歌舞伎襤褸鑑2

 「長介のことをお知りになりたいとか」
 離れの茶室ではすでに又一郎どのが茶を立てておられた。幾度もお顔を会わせたことはあったが、ついことばをかわすこともなくすれ違ってばかりいたお方であった。いつものごとく眉間には深い縦皺が刻まれていたが、近くで顔を会わせれば意外なほど穏やかな表情をされていた。
 おれは長介が殺され処罰を受けたことを話したが、又一郎どのはすでにそのこともご存知であった。あまり詳しくはお話しになられなかったが、代官所との交渉など多くのことは、布袋屋から依頼を受けた又一郎どのがなされたようだった。
 「左近どのがさほど長介とおなじみとは存知ませなんだ」
 おれは又一郎どのにいかほどまで話しをしてよいものやらわからなかった。はたしてクルスのごときものを見せてもよいものか、とりとめもなく長介の思い出ばなしのようなものを始めていた。伏見で初めて会った時のことから、枚方でなじんだ頃の夢の話しまで、又一郎どのの様子をさぐるようにして語った。
 「実はかようなものをあずかっております」
 おれは意を決してクルスをお見せした。又一郎どのはため息をつかれながら、手に取ってご覧になられた。
 「父は長介がいつか切支丹として捕えられるのではないかと始終案じておりました。転ばぬ切支丹が、いかな残酷な拷問を受けておることはご存じでござりましょう」
 切支丹探索は年々きびしさをましてゆき、特に長崎辺りでは俵に切支丹を詰めて火をかけるとか、地獄とか申す熱湯の中に切支丹を放り込むとか、さまざまな噂を耳にするようになっていた。都でもすでに幾度か切支丹の火あぶりの刑がおこなわれ、女子どもの別なく泣き叫ぶものに火をくべるなどという非道なことがなされていた。切支丹探索はもはや伴天蓮ばかりでなく、百姓町人の取り締まりにまでおよび、改宗させることよりも処刑でのぞむようになってきた。それでも一向に切支丹の数は減らないばかりか、ますます増える一方であるとの噂もあった。

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