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KABU&元KABUのブログ

愛国心-郷土愛:”祖国とは・・・・” (追補あり)

2017年05月16日 07時44分14秒 | 徒然日記

 

この記事(↓)を読んで感じたこと。

・祖国とは・・・・
 http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12275080365.html

 

愛国心も郷土愛も、実は、そう自然なものではありません。民族だってそうです。
逆に、その国やその土地にうまれたがゆえに、その国やその土地を憎む人達が
--朝日新聞の記者さんや民進党の議員さんを見ればよくわかるように--
うまれることもありうるのですからね。次のゲルナーの認識は一面的にせよ間違い
ではないでしょうから。

民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。(中略)

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
  引用は同書(岩波書店・2000年12月)pp.95-96】 

・定義集-「国家」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/11e73438ed3c960be96ce179877bd1a7

 

而して、「愛国心」は、その人がその社会で生きていくために身に着けるべき
マナーであり<言語-文法>なのだと思います。速攻で補足。よく朝日新聞などが
言う「愛国心は大切にせよ、国の愛し方は多様であっていいのではないか」などは、
ある許容値の範囲内の<多様性>についてはそうだとしても、例えば、日の丸や君が代、
皇室の尊重の否定などは<多様性>の許容値を超えるものだろうということ。もちろん、
その<許容値>は時代とともに揺れ動く--単線的に「地球市民」的なるものに親しい
ものに移行するのではなく、逆に、<国風尊重>に戻ることもありうるような、そんな--
ものなのでしょうけれども。そう、それでいいではないですか。

・風景が<伝統>に分節される構図(及びこの続編)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3

このブログでもしばしば書くことですけれども。

畢竟、リベラル派がしばしば(念仏のように?)口にする所謂「多様性」なるものの価値や素晴らしさを保守派も必ずしも否定はしないでしょう。わが国も、古来、数多の「帰化人」の方々を<新しい仲間>として受け入れてきたし、日本の文化伝統なるものの多くは彼等とのコラボレーションの果実であることを否定するような向きは「保守」などではなく、単なる「無知」なのだと思います。 

しかし、「多様性」なるものを具現する道のりやスタイルは、リベラル派がしばしばそう口にするように、別に、すべての国が「その市民社会を<地球市民的>なる無国籍の色合いに染める」ものばかりではないのではなかろうか。個々の国家が、各々、独自の文化と伝統を競いあうことによって、世界の総体としては百花繚乱・千紫万紅の<コラージュ>状況を現出する道のりもありはしないか。而して、保守主義に親和性のある「多様性」は間違いなく後者のスタイルであろうと思います。蓋し、これは、ボーヴォワールが『第二の性』で放った箴言「人は女に生まれない、女になるのだ」と通底する<真理>、鴨。 

いずれにせよ、そのマナーに従い、その言語を話す大多数の--朝日新聞の記者さんや民進党の議員さん以外の、普通の庶民や市民にとって--、その後天的に身に着けた美意識や価値観は謂わば「第二の本能」になるのだと思います。

私は、九州が京都が、神奈川が岩手が福島が北海道が、大好きです。
そして、日本が大好きです。 

>民進党殲滅
>占領憲法の改正/占領憲法の破棄
>共に闘わん

・<アーカイブ>国を愛することは恋愛ではなく人としての嗜みである
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/647f17ce7df77f9756d60b01f81758e7 

・再論☆国を愛することは恋愛ではなく人としての嗜みである
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ede324a23a12bcb7953ab9bca71a309c 

・再論☆愛国心教育などは愛されるに値する国になってから言いなさい?
  https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12113083159.html

<追補>

あるブログ仲間から頂いたコメントへのレスを記しておきます。

それは、

「私の場合は愛郷心が基礎となっていますね。
日本の風土・文化・そこに住む人たちが好きです。
そして、そこさえしっかりしていたら国の思い方は人それぞれだと考えています。 」

というコメント。

===

>私の場合は愛郷心が基礎となっていますね

朝日新聞の記者さんとかの特例を除けば普通そうなのだと思います。

而して、私の議論は「ゼロベース」から説き起こすもので、例えば、

>不法入国者の子女ではあるが会津若松に30年暮らした方の

「愛国心」や「郷土愛」はどう考えるのか? という論点をもにらんだものです。その「愛国心」や「郷土愛」は尊重されるべきかもしれないが、やはり、主権国家=民族国家としては彼等は容認できないだろう。ならば、その「尊重」と「原則」との間でその会津若松の外国人子女だった方の法的処遇は考えなければならないだろう。と、そのような理路に結びつくもの、鴨です。今後ともよろしくです。

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