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東日本大震災被災者詩集☆温度差が埋まらない

2011年04月20日 15時40分53秒 | Weblog


福島第一原子力発電所のお膝元、福島県浜通り浪江町から無能な民主党政権が頼りになるはずもなく放射能に追われて、現在は北関東に避難しておられるブログ友のnanaさんの<詩>を五たび紹介させていただきます。蓋し、例えば、カフカ『断食芸人』に端的なように、すべてのコミュニケーションにはなんらかのバグがありギャップが伴うもの。けれども、本稿で紹介した<詩>に込められている、憤りはそういう一般論では語られるものではない。

政府・マスメディアの発表や報道、そして、放射能の脅威を煽る反原発論者の流す風評。それらと、被災者・避難者との間に横たわるコミュニケーションギャップを巡るnanaさんの憤りは、すべてのコミュニケーションにおいて誰しもが抱く共通の憤慨でありながら、同時に、岩手・宮城・福島の被災者・避難者の方々、そして、東日本大震災の<被災者>としての日本国民全体が渇望している情報と、それらとの間の乖離が帯びている、2011年のこの日本社会に歴史的に特殊なあるタイプの歪さを告発している。と、そう私は考えています。

畢竟、民主党政権やマスメディア、そして、リベラル派が発信する情報が孕んでいる問題は何か?
nanaさんの洞察はそれを、タイムラグであると規定します。以下、<詩>の紹介。






温度差が埋まらない


ネット環境にいないんですが、政府というか、メディアというか…
現場との温度差…


冷暖房完備で、空調設備の整った部屋から、
節電を心がけましょうなんて、言葉…どれだけのひとに、
事の深刻さを伝えることが出来るんでしょうね

同じように
どこのおえらいさんが、
(一応、国の代表格)
記者会見しても
事の深刻さも、信憑性も感じられないんですよ

被災地におけるネットワーク情報と、報道の虚偽…というか風評ふくめて、
タイムラグ有り過ぎ

(2011/4/19(火) 午後 9:10頑張れ東北)   


http://blogs.yahoo.co.jp/nana7pannda8/37919586.html







昔、はぐれ狼的な英国の哲学者、マクタガート(1866-1925)は「時間」の観念には、

①無限の過去から無限の未来に続く時の流れ
②具体的な事柄や事象の前後関係


という二つの異質な契機が潜んでいると語りました。マクタガートの著作は、六法全書や最高裁判例集を読むのが大好きな私のような者にとっても、そう、東京都の電話帳を読むような無味乾燥なものですが(途中の論理展開をすっ飛ばせば)そう言えると私は理解しています。

ニュートンとライプニッツが確立した、均一で無限な時間の流れという①の時間観を当然のものとして育ってきた近代以降の人間にとって、しかし、このマクタガートの時間の二元論は、ある種、衒学的なものと感じられなくもない。要は、後者の②の時間観念は前者①の時間観念の一部、あるいは、構成要素にすぎないじゃん、と。ならば、なんでわざわざ二つに時間の観念を区分する必要があんねん、と。要は、そんな議論は哲学者の暇潰しではなかとですか、と。このシニカルなマクタガート批判は、もちろん、人間が経験可能な時間を巡る事柄と、(『純粋理性批判』(先験的弁証論)のアンチノミー表による)カントの形而上学批判を持ち出すまでもなく、論理的には人間が経験不可能で単に思念するしかない時間観念を混同している。だから、この批判はその初手の段階で所謂「憲法無効論」の如く、あるいは、所謂「バーク保守主義なるものの法の支配理解」の如く破綻したものではあります。しかし、「無駄じゃんね」という感覚は根強かったのでしょうか、マクタガートの主張は長らく敬して遠ざけられる嘲笑の対象でした。

而して、それから幾星霜。
マクタガートの逆襲が起こった。



すなわち、

前者の①「無限の過去から無限の未来に続く時の流れ」という時間の観念が(ビックバン理論の通説化によって、直線ではなく、一方の端がビックバンに固定された半直線的なタイプに変容したことは些細なこととしても)、実は、量子物理学的な知見からは、当然のもの、百歩譲っても<人類>にとって唯一のものではありえないことが判明してきたこと。

また、科学史・宗教社会学の知見によれば、<人類>の抱く①系列の時間観のタイプには、古代ギリシア流の円形の循環史観、キリスト教あるいはマルクス主義的な始点も終点も固定している線分史観、そして、①を欠落している、すなわち、歴史哲学を欠く、支那の時間観念なき歴史観等々の様々なメニューがあることが明らかにされてきたこと。

加えて、現代の最先端の哲学、というか唯一の哲学たる分析哲学と(解釈学を含む)現象学の思索は、実は、後者②の「具体的な事柄や事象の前後関係」という時間観念こそ<人間の現存在>にとって本質的であることを論理的に解明したこと。


これらの知見により、例えば、「今度の土曜日は娘の高校の入学式だからそれまでに栃木県の避難所から高校のある仙台に行かなきゃ」とか「中学2年の娘もあと2~3年もすれば彼氏を家につれてくるかもしれない。そのときくらいまでには、放射能問題も治まり秋田の避難先から南相馬市の自宅に戻れているかな」とか「我が栄光の東京消防庁精鋭部隊は、なにがなんでも、あと3時間以内に使用済核燃料プールへの放水を完了させる! 海江田経産相、地獄へ落ちろ! 石原都知事に栄えあれ!」等々、意味と価値が、情念とプライドがてんこ盛山盛りの、非対称的ではあるが間主観的な時間のイメージとしての<時間>の観念が20世紀半ばまでには確立されたのです。

尚、この帰結は、人類全体における先天的認識能力の共通性という前提、逆に言えば、物自体と人間の現象に対する認識の間の整合性という前提を放棄するならば、要は、マクタガートもその確立に風車の弥七的に渋い貢献をした現代の<時間>観念とは、カントが先天的直観形式として先験論的に定式化したものとほぼ同様のものであることを意味している。そう私は考えています。   

而して、(実は、<空間>もなのですが)すべての<時間>は究極的には主観的なものであり、よって、ならば、「放射能なんざ正露丸を飲んでいれば大丈夫。と、思っていれば大丈夫」と言えるようになったというわけではありませんが、少なくとも、20世紀後半以降は、哲学的と物理学的にはこの<時間>観念が唯一の論理的正当性を持つ時間に関するイメージになったと言ってもそう大きな間違いではないと思います。閑話休題。




これ以降の哲学領域の議論は別稿に引き取らせるとして、畢竟、nanaさんの<詩>を紹介して私は何が言いたかったのか。単にnanaさんの記事にかこつけて知識自慢をしたかったのか。ひょっとしたら、深層心理的にはそうかもしれません。けれども、多分、そうではない。蓋し、<時間>観念から見える、現下の民主党政権やマスメディアと被災者・避難者、そして、<被災者>とのコミュニケーションギャップが生起する風景。その風景の源泉。このことを私は俎上に載せたいと思ったのです。

而して、そのことを記して本稿を閉じたいと思います。
而して、その結論は? 

б(≧◇≦)ノ ・・・結論はシンプル!


被災者・避難者、そして、<被災者>の時間は、<私>にとってだけの意味と価値に満ちている。而して、非対称的ではあるが間主観的な<時間>と<空間>を<我々>は不ぞろいの林檎として生きている。それに対して、民主党政権のお偉方やマスメディア、そして、都会の快適な住居にひき籠もって反原発を論じているホワイトカラーのインテリな人々は、いまだに、均一な住民や均一な地域によって形成されている国民や国土を想定しており、そして、同じく均一に流れている無機質な時間の中で呼吸しいる。彼等はそんな空虚なニュートン・ライプニッツ的な時間や空間の中で、東日本大震災や福島第一原子力発電所の事象に好意的に言えば必死にアプローチしている。

ならば、そこにタイムラグが生起するのは理の当然ではないか。

重装備の枝野官房長官が飯館村を訪れても合計5分間しか車外に出なかったというのは、蓋し、この時間観念自体の齟齬の象徴である。彼が被災者・避難者と時間観念を共有していない以上、たとえ、空間を移動すると言う意味で物理的に東京から飯館村に行こうが南相馬市に行こうが、彼の目には現地に流れている時間、その時間に流れ込んでいる被災者・避難者の思いや情念、野心や叫びは到底映ることはなかっただろうから。ならば、彼にとっては5分間でさえも過分な時間ではなかったか。    


nanaさんの<詩>を読んで私はこのように考えました。
しかし、『論語』に曰く、「苛政は虎よりも猛」、と。

苛政は虎よりも猛
民主党政権の害悪は地震よりも津波よりも原子力発電所よりも大きい


蓋し、<被災者たる国民>と時間の観念を共有できない政権は福島第一原発よりも有害なの、鴨。そして、放射能は目にも見えず無味無臭だけれど、国民から遊離して腐敗した民主党政権とマスメディア、および、福島県浜通りの被災者・避難者の辛苦に便乗して(被災者・避難者の<時間>と<空間>に土足で踏み入ろうとする)、正に、啓蟄の蟲の如く跋扈し始めた、『週刊金曜日』や朝日新聞に屯している、さもしい原発反対論者の腐臭は、福島第一原発の放射能よりもこの国の広範囲に亘り腐臭を漂わせ害を及ぼし始めているの、鴨。ならば、我々はそういう腐敗した者達とは闘わねばならない。そう私は考えています。


б(≧◇≦)ノ ・・・頑張ろう東北!
б(≧◇≦)ノ ・・・君は一人/独りじゃない!
б(≧◇≦)ノ ・・・共に闘わん!






<参考記事>

・哀しいほど軽い菅首相の言葉
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60407871.html

・東日本大震災被災者詩集☆いま、茨城県にいます
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60394895.html

・東日本大震災被災者詩集☆くつろぎの…
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60382875.html

・東日本大震災後の<風景>☆野菜と放射能と行政の脳死状態と
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60399054.html

・東日本大震災後の日本☆平成の「米騒動」は深く静かに浸透する
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60370361.html

・震災と復興を貫いて流れる<時空>の表裏と内外
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/60409473.html


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