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<改訂版>憲法とは何か? 古事記と藤原京と憲法 (上)

2010年03月07日 12時10分55秒 | 日々感じたこととか

古事記と藤原京と憲法。この三題話しを書く。戦後、日本に繁栄と安定をもたらした自民党政権が、その成功の代償たる経済社会の閉塞状況の中で瓦解した姿に、なにほどか壬申の乱に至る政治の流れと似たものを私が感じているからです。それもあり、最近、改めて大化の改新から白村江の敗戦、そして、壬申の乱を経た藤原京から「あおによし奈良の都は、咲く花の匂うがごとく今盛りなり」の平城京までの歴史を反芻しいています。

神話・都市・法典と並べれば、「それ上山春平先生の二番煎じですか」と感じる向きもあると思う。その通りです。この記事の枠組みは上山先生からの全くの借用。

蓋し、上山先生の主張、(甲)現在に続く日本国の国家デザインは藤原不比等(とスポンサーの持統天皇)が行なった;(乙)そして、その国家デザインの手法は、 (1)日本風にアレンジした支那の「法制度=律令」であり、(2)国家体制確立をヴィジュアルに示すためのこれまた支那風の大規模な「都城=藤原京」、および、(3)国家権力の正当性をアピールし国民に日本人としてのプライドとアイデンティティを与える「歴史と神話の体系=記紀」である、との立論に私は原則同意します(尚、本稿では些かマニアックな記述はすべて「★」印の註で論じています。御用とお急ぎの向きは註を飛ばして読んでいただければと思います)。

「持統天皇の御世になされた国家デザインの中で、はじめて日本と日本人なるものも成立した」とする上山説をベースキャンプにしながら、憲法に焦点をあてることで<不比等による日本国家デザイン説>を敷衍したい(★)。もって、早晩訪れるであろう、保守改革派の政権下でこの国をもう一度「咲く花の匂うがごとく」するための思索の嚆矢としたい、と私は思っています。

而して、本稿の論点も結論もシンプル。本稿の論点は『古事記』(★)を編纂したと言われる「太安万侶の時代にはたして日本に憲法があったのか」であり、結論は、「太安万侶の時代の日本にも憲法はあった。私はその証人を知っている」ということです。畢竟、本稿は、古事記と藤原京と律令を補助線に使ってする憲法の本性の考究;特に、現代に生きる我々日本人と日本市民にとっての憲法の内容を考える試みです。

★註:不比等による日本国家デザイン説
私が<不比等による日本国家デザイン説>と名づける上山説については下記を参照いただきたい。上山春平『神々の体系』(中公新書・1972年7月)、『続・神々の体系』(中公新書・1975年4月)、および、『日本の国家デザイン 天皇制の創出』(日本放送出版協会・1992年4月)。

★註:古事記偽書説
私は「古事記偽書説」が一定の説得力を持つことを否定できないと考えています。よって、本稿では『古事記』を「国家権力の正当性をアピールし国民にアイデンティティの根拠を与える「歴史-神話体系」」という意味で使用しています。



◆憲法の定義
憲法とは何か。これはどの憲法の教科書にも書いてある。それらによれば、この辞書的定義とも言うべき憲法の意味は(イ)形式的意味の憲法:『日本国憲法』とか "The Constitution of the United States of America" のように「憲法」という文字が法律の標題に含まれている憲法典の意味。および、(ロ)実質的意味の憲法:「憲法」という文字が名称に含まれているかどうかは問わず、国家権力の所在と正当性の根拠、権力行使のルールや権力を行使する官僚・公務員の責務と権限の範囲、ならびに、国民の権利と義務(あるいは臣民の分限)を規定する法という意味の両者ということ(★)。

辞書的定義としての「憲法」の意味は大きくこの二つに分けられる。そして、実質的な意味の憲法は、成文の形態を取ることもあるけれども多くの場合それは書かれていない法(=慣習)として存在する。例えば、(現在、彼の地では成文憲法典の立案が模索されているのですが)立憲主義の母国の一つ英国には「憲法典」は存在しない。つまり、英国は形式的意味の憲法はないが実質的意味の憲法を持つ国なのです。

★註:憲法の意味
形式的意味の憲法と実質的な意味の憲法については、例えば、芦部信喜『憲法第三版』(岩波書店・2002年9月)の第1章第2節(4-5頁)参照。但し、もっと本格的に憲法の意味を知りたいという向きにはやはり、カール・シュミット『憲法論』(みすず書房・1974年5月)の第1編の熟読をお勧めします。


ところで、「国家あるところ憲法あり」とはシバシバ聞く命題ではないでしょうか。邪馬台国でも21世紀初頭の北朝鮮でも、そこに国家があれば憲法もそこにある。これは「憲法」の意味を実質的な意味の憲法と考えれば間違いではないと思います。

大東亜戦争後に猖獗を極め跳梁跋扈した戦後民主主義を信奉する憲法研究者の中には、しかし、実質的な意味の憲法を「立憲主義が組込まれているか否か」を基準にして更に二分し、国家権力を制限する立憲主義的な(実質的な意味の)憲法だけが<憲法>であると考える方もおられる。権力分立と人権規定が備わっている実質的な意味の憲法だけが<憲法>の名に値する、と。

このような論者にとっては、例えば、北朝鮮などは「憲法典は持っているものの憲法を持たない国」ということになるのでしょう。尚、私は、立憲主義の有無というよりも、数年間で自国民の1~2割を餓死せしめるような政治体制を近代的な意味での「国家」とは呼べないと考えていますけれども。

もちろん、「憲法」という言葉で何を意味させようがそれは論者の勝手です。それは文字通り言葉の問題にすぎない。しかし、ある政治体制がどのような規範に従って組織され、その組織がどのようなルールに従い動いているか、他方、その時代と社会で生きていた人は公民としてのどんなアイデンティティとプライドを持ち、どのような政治的な社会統合作用の渦の中で生きていたのかを問うに際しては、立憲主義がビルトインされた憲法だけが<憲法>だとの立場からはほとんど何も解答できないことは確かでしょう。

「国家あるところ憲法あり」。親鸞上人が法然上人の教えだけを根拠に西方浄土の存在を確信した故事に習い、私も、「国家あるところ憲法あり」→「太安万侶の時代には国家があった」→「ゆえに、太安万侶の時代にも憲法はあった」というシンプルな理路で「太安万侶の時代に日本にも憲法があったのか」について「肯」と答えようか。

しかし、こんな子供騙しの理屈で納得する読者はそう多くないでしょう。そのような<注文の多い読者>からは次のような問いが投げかけられるに違いない。では、「国家とは何か」あるいは「太安万侶の時代の憲法はどんな内容の憲法だったのか」、と。親鸞上人ほどの方だからこそ、「私には西方浄土が存在するかどうかは解りません。ただ、私は法然上人のお教えを信じるだけです」との言葉に世間は納得したのでしょうから。

論証過程は割愛しますが、「歴史的-社会思想的」な知見に頼ることなく「国家あるところ憲法あり」という命題だけを頼りに憲法や国家の定義を求めることは無益です。なぜならば、「国家とは何か」の問いと「憲法とは何か」の問いはこの文脈では同値だから(これは、x + y = 5, 3x + 3y = 15が解けないのと同様:未知数2個、式が実質1個の見かけ上の二元二式の連立方程式が解答不能であるのと同じです)。すなわち、「憲法」の意味を希求するに際して「国家あるところ憲法あり」の命題は何の助けにもならないということ。では、憲法とは何か? 辞書的定義を離れて言葉の経験分析からこの問いにタックルすることにします(★)。

★註:定義論
「言葉を定義する」ということについて確認しておきます。要は、メタ言語領域の「定義の定義」。畢竟、どのような言葉にも唯一絶対の意味はない。而して、「個々の言葉には各々唯一の指示対象がある」という考えがプラトン以来の西洋哲学の伝統的考え方なのですが、それはなりたちません。

意味とは言葉が指し示す事柄のこと。ソシュールは、言葉が指し示す事柄のことを「指示対象」や「記号内容:所記」(sinifie)と呼び、指示対象を指し示す言葉を「記号表現:能記」(signifiant)と言っています。そして、プラトン以来の「個々の言葉には各々唯一の指示対象がある」という考え方を「概念実在論:実念論」(realism)、それに対して実在するのは個々の物事や事物だけであり、そんな物事や事物の名前、すなわち、言葉とは単なる社会的な約束事や慣習にすぎない。つまり、「個々の言葉には各々唯一絶対の指示対象はない」という考え方を「唯名論」(nominalism)と呼びます。而して、中世以来、概念実在論と唯名論の間で戦わされた論争(「中世普遍論争」)は、20世紀に唯名論の後身たる分析哲学によって最終的に唯名論の勝利、概念実在論の後身としてのヘーゲル哲学・マルクス主義の敗北で終った。

どのような言葉にも唯一絶対の意味はない。けれども、実際は、多くの言葉はかなりの程度決まった特定の意味を持つものとして使われている。この現象をどう考えればいいのでしょうか。

結論はコロンブスの玉子。畢竟、言語とその意味の恣意性は、しかし、個々の言葉とその意味の関係が「無政府状態」あるいは「万人の万人に対する戦い状態」であることを意味しない。要は、中世の唯名論がすでに指摘していたように、個々の言葉とその意味の間には規約・慣習により<自然法則>ではないけれど、法や道徳の如き<社会規範>が成立している。よって、現実的にはある言葉はかなり限定された固有と言ってよい指示対象を持ちうる。逆に言えば、言語と意味を巡るルールは<自然法則>ではなく<社会規範>の一種であるから、そのルールの内容(個々の言語とその意味の関係)は時間とともに変化しうる。こう考えれば、「キリギリス」と「コオロギ」の語義が藤原京の時代は現在と反対であった経緯も自ずと納得ができるというものです。

而して、個々の言葉とその指示対象との関係をこのように理解するとき、「語の定義:意味を巡る言語使用のルール」や言語行為のマナーについては次のように言えると私は考えています。すなわち、①どの言葉をどのような意味に使おうがそれは論者の勝手で。しかし、②その論者が自己の言説を他者に理解してもらいたいのであれば、一般的に使用されているその言語使用のルールを参照するか(その言葉が専門用語である場合には、専門家のコミュニティーの内部で確立している言語使用のルールを参照するか)、そうしないのであれば個々の言葉の定義を明示すべきである、と。

これら①②の前提からは「定義」には大きく3個の種差があることが了解できるでしょう。分析哲学的な定義論が区別する、規約定義・辞書的定義、そして、言語の経験分析の三者です。この三者は、(1)規約定義:その語彙自体を話者がどのような意味内容を運ぶための言明として使用したのか、(2)辞書的定義:その命題で使われる語彙が一般的にはどのような意味として使用されてきたのか、加えて、(3)それらの語彙が通常の人間の経験分析からはどういう内包と外延を持つものかということ。すなわち、機能的・慣習的・経験的な観点から総合的かつ間主観的、そして、漸進的に語の意味は確定されるしかないということです。


<続く>

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