南瓜頭

入る帽子がない南瓜のあたまでっかち日記です。
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古い町並み・群馬県小幡(おばた)

2016年07月17日 | 写真撮影・古い街並み

最近有名な「コンニャクパーク」や富岡製糸場からも近い場所にある。

織田信長の死後、次男・信雄が所領として与えられ、その後四男・信良が
初代藩主となり転封されるまで7代まで大名となった織田家の嫡流(他に
3家ある)の続いた場所、織田家ゆかりの地・小幡藩へ到着した。

撮影隊一行は上州福島駅から歩いて、まず雄川堰とその街並みに
迎えられる。

 

 

※コシナ・フォクトレンダー15㎜を使用したため周辺減光が・・・すごい

堰を流れる水は藩が水奉行をおいて生活用水路として使っていた
もので昭和60年ごろ名水100選に選ばれているらしい。

この用水路は街中を歩くと至る所まで行き渡り水が流れる音が
聞こえてきて夏の暑い盛りにはいいかもな~と思わさせられた。

 

街のほうへさらに進むと小幡八幡神社参道が現れ、小山を登り
頂上でひと休憩をとる。



見晴よく当日は風もありゆったりとした時間を過ごし体力を回復
させる。

※神社内、山頂へ向かう道にて。縁結びの神社でもあり、奉納
植樹などが多く見受けられた。



※山頂付近

 

その後、甘楽町歴史民俗資料館を経由して群馬県内唯一の大名庭園である
楽山園へ向かう。



※向かうと途中で通った小幡陣屋跡周辺。喰い違い郭や武家の庭など
(現在も居住されておりご厚意であると注意書きあり、ちなみにチャイム
が鳴るので驚いた)

さて、庭園は入口付近でみると広く大きな庭園に見えるのだが、
西や南の山々を借景として広がりを出しているので案外まわりやすい。
また
写真の腰掛茶屋は座ることができゆったりした時間を過ごせる。

もうひとつ、内部は建物の配置関係がわかるように地面を色分けしてある。
(再現したところで維持も大変だろうし。)

 

松浦氏武家屋敷は工事中のため見学できず、さっと街を一回りして
近くの道の駅で食事をし撮影を終了とした。

 

 


古い町並み・群馬県小幡(上州福島駅→現地まで)

2016年05月07日 | 写真撮影・古い街並み
水の城下町小幡を撮影。
高崎駅より上信電鉄にて上州福島駅下車。
駅より徒歩約3キロの道のり

駅前、確かに駅前なのだが静かなる駅前
の周りから早くも昭和な雰囲気漂う一角。

なんとなくだが眼鏡をかけたロボットの
女の子の雰囲気というか影響を受けた
飲食店を撮影しつつ、地元の方以外は
普段通ることのない街中を南進する。





やがて通りに出ると変形十字交差点が
あり緩い長い坂道が行く手に現れる。

セブンイレブン

JA

ジョイピック

町役場
※なかなかの昭和な役場感。




こんにゃくパーク。(町役場の裏側)

※帰り道に寄ったので別記事にて


上信越道をくぐる。

すると、、、
左手に羊が何故かいる光景が現れ、
これに少し足を止めさせられる。



尚、この道は交通量が多いので
羊に気をとられると危険である。

さらに歩くとやがて街並みが急に
変わり始めて緑の多い道になる。





蔵と菜の花畑が目に入れば到着
である。

古い町並み 茨城県石岡

2015年10月11日 | 写真撮影・古い街並み

古い建築物と昭和チックな建築物が残る石岡を街歩き。

おおまかな情報--------------------------------------------------

石岡駅:JR常磐線「石岡駅」
     特急ときわ(上野駅発)で約1時間

 常陸国国府がおかれ古くから開かれていた地。水運で(霞ヶ浦と利根
川系水運)の拠点町としてそして醸造業(酒・醤油)栄えた。

 その後近代に入ると鉄道網の整備に伴い流通に転機が訪れ他の
停泊拠点地が衰退していくなかも発展を継続していた。

 昭和初期に街の大半を焼く大火に遭ったが復興し、戦後は工業団地を
造成し京浜地域に供給する機械金属工業や縫業、酒造が産業の中心と
なり栄えるが、最近は郊外店のチェーン系出店により駅前商店街の衰退
が続いている。
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※石岡駅前(西口)


※西口前から伸びる277号線、大火復興時に整備されたらしい

いつもの土蔵や漆喰壁などはないが、どことなく懐かしくなる町並み。


※277号線に交わる355号線、T字路になる。

駅前では石岡観光Mapのようなものを入手し街内にある古い
建築物の所在を知る手掛かりとなった。

われわれ一行はT字路を左に曲がる

 

表通り沿いにいくつか建っていて現役である。

次は道を一本ずつ入っていきローラー掛けのように街歩きを続ける

 

 

 


元自転車屋、、バイク?

 


こちらは現在も営業しているようだが開いてなかった。

 

 


ペットショップの様だ、その奥の屋上には鳩小屋が見える。
茨城県南部競翔(鳩レース)に関する事務所らしい(だった
らしい?)

普通に歩けば次々に被写体が現れる町並み。週末ともあり
昼の食事に困ったが(駅前の食堂でインドラーメンなるものを
食べてみた。唐辛子で赤いラーメン。)

 

一日歩いてもっとも存在感のあったのがこの看板。目が・・・
某漫画を思い出す。

正味3時間位西側を歩き回り、少し時間が余ったので東側にも
足を延すが、東側は普通の街並みが広がっていた。

 

こうして撮影を終えた。

 

 

 

 


古い街並み 埼玉県本庄

2014年04月26日 | 写真撮影・古い街並み

 今回はJR高崎線本庄駅周辺を散策撮影してみました。

簡単ながら、本庄宿として江戸時代中山道の大宿として
繁栄し、近代になっては養蚕が盛んになり養蚕の街として
知られるようになって、今日に至っている。

当時の写真は本庄市役所歴史民俗資料館で見ることが
できる。


(歴史民俗資料館)
元々は警察署で当時、用のある人は門前待合場で順番を待っていたとの
ことで待合場も残っている。

尚現在は資料館、また敷地には農具の展示物もあり実際に触れて体験す
ることができる。

では駅前北口に降り立つとそこは、コンビニ・セーブオンが一軒営業、目の
前には大きなマンションの光景からスタート。



もう一つ店舗があったような建物があったが既に退去した跡で
ネットなどで数年前の写真撮影後見るとかつては大手ドーナッ
ツチェーンが営業していたようだ。

一行は線路沿いに歩き町名銀座に歩を向ける、そこが栄えて
てた様で大正期には本庄電気軌道なる鉄道も線路に沿って
走り銀座辺りで国道に抜けていったそうだが詳細は不明。

 


※駅近くにあった煉瓦壁の家屋。今も現役。綺麗にされている。

途中、名車トヨペットクラウンを遠目に見つつ、長くやっていそ
うな中華屋を横目に歩くこと5分程度で交通量の多い道にぶ
つかる。右方向に進路をとるとだんだんと商家が並ぶ街並み
が広がってきた。





↑随分と年季の入った看板、もうやってないのかな?看板を
みると大正12年創業とある絹産業が盛んだったころになる。


(洋品店)
長らくやってた様子を色剥げた看板からうかがえる。

 

 

 


(旧本庄商業銀行レンガ倉庫)
明治29年築で担保とした繭の保管場所として最近までは約30年近く
洋菓子店が営まれていたらしい。その後市の所有物となって都内の
大学と保存活用を促そうとしているらしい。


(取り壊し中の蔵)

本庄が宿場町として栄えた頃に蔵は火災時の防火壁と
しての役割をもっていたそうで、幾度かの火災ににも
見舞われたことから近世建築物が少ないらしい。

この蔵がどの時代のものか?知ることもできぬが、
取り壊し中に目にしたのも何かの縁だろうか?

その縁とはまた別に話好きの地元商店主の話を聞く
機会があったが戦後~高度成長期頃は駅前はじめ
その周辺の空き地の多さが今は目立つ者の当時は
ほとんどなかったこと。銀座町がにぎやかだったこと
をうかがうことができた。

町も生き物で、時代とともに変わって行くのだろうが、
その変化の速さについていくことの大変さを思うとこ
ろがあった。

 

 

 

 

 

 


写真撮影 古い街並み 熊谷市

2014年03月23日 | 写真撮影・古い街並み

日本一暑い!ということを競ってる熊谷へ先日の大雪の影
というか形が残ってる時に友人を訪問する傍、真冬に撮影
してみました。

使用機材 SONY・α7(デジカメ)
       エルマー35㎜/f3.5
       レオノン50㎜/f2

熊谷駅から17号線と高崎線の線路で挟まれたエリアを中
心に歩き始めた。

最初は筑波・弥生町から地図で見ると大きく時計回りに
歩みを進めていくとそこは長く連なる飲屋街、雪も高く夜なら
演歌のイメージ映像が似合いそうな雰囲気だった。

次いで星川に沿ってジグザクに進んでいく、星川の通りは
綺麗に整備され所々に像が置かれているなど手が入っていた



↑ 熊谷市では多くの像を見かけたが・・・。正面から撮るのは
ちょっとためらいたくなるようなものも。


↑17号線沿い



意外と古い街並みは少なく所々に遺ってるのを見つけて行く
撮影。



↑先日の大雪でアーケードの一部が壊れてた。写真にも雪が多く残っている
景色が広がっているがこれでも一週過ぎててまだこれだけ残ってた。

 

 



↑時折街角で見かける乾電池の自販機。残念ながら稼働してなかった
電池は赤と黒(NEOの銘がある)で、おもちゃとか買ってもらうときまっ
て赤電池(黒・赤ともにマンガン、赤のほうは玩具向けで黒いのは長
持ちするように改良したものらしい)



↑この日はよく晴れていた白い建物にスリット模様がワンポイントで
綺麗に写せた。

 


↑ α7+レオノン50㎜

熊谷市、当然ながら大きい街なのでマンションが多く立ち並んで
現代的な街並みが多かったその中でもまだ残っているものもあった。

最後は地元デパート八木橋を訪問、デパート食堂で食べる機会を
逃しつつ(地元中華店に入った、そこは昭和の中華屋の味がした)
小物を買い帰宅。

 


写真撮影 古い街並み 深谷・煉瓦と酒蔵の街

2014年03月10日 | 写真撮影・古い街並み

 古い街並みが遺る場所を求める撮影で今回はレンガの街
として銘打ってる深谷市を訪れてみた。
※この話は2回訪れており写真は2回分で構成されてます。
 
 尚、深谷市はJR高崎線で上野から80分くらい、時間によっ
ては快速アロー号(普通切符で乗れる)を利用することでもう
少し早くアクセスが可能。

早速駅舎から始まる外壁レンガ作り、東京駅を思わせる。

 


そして駅前のカラクリ時計、ゆるキャラで人気が高いフッカーが
回転台に乗ってのお出迎え。ある時刻になるとフッカが一旦
下がり、ゆかりの偉人渋沢栄一の像が出てくる。
なかなか凝ったつくりなのだが最初これ誰?と思った。

ひとまず駅を背にして西側方向からぐるりと楕円を描くように
歩き出す。

 

さすがに煉瓦の街と銘打ってるだけあって蔵もレンガ作り。古い街並みには、
蔵が付き物なのだが、深谷に至っては少し勝手が違う、レンガが外壁に使
われている。全部煉瓦で覆っているものもあれば漆喰との組み合わせも
あり意外だった。



↑ 味のある銭湯。看板文字の擦れ具合と錆がいい。

こうして歩いていると北方向に煉瓦の煙突がチラホラ見えてきた。
最初は煉瓦工場だろうかと思ってたのだが・・一本の立派な煙突が
見え始めた時それが違うことに気づかされる。

 

酒蔵だったのだ。それにしても立派だ・・・・。
残念ながらその場で調べてみると酒蔵見学は予約制と
HPに書いてあったので外観撮影を行う。

この煙突含めて三軒あったのだが酒造の中でもこの
菊泉酒造の煙突は赤煉瓦に白煉瓦で文字をとり、飾り
傘が付いて立派。

夜になるとライトアップもされてるらしいが、滞在時間の
制限から昼間の撮影になった。

初回の時は曇り天が幸いして昼間でも北側からも光が
よく回ってきて撮影出来た。

2回目の時は晴天になったため、南側からは青空に堂々
たる姿を収められたが北側は逆光で15時くらいまで厳し
かった。



尚余談だが。初回の時はここの売場で生酒を2本買い求
めた。これが旨く再度買いついでにと2回目の時は純米酒
を購入した。純米もいいが生酒が美味い。まだ高いのも
あったが後日また買い求めに行こうかと撮影仲間と話しつつ
日本酒をしょって撮影を続行した。(初回の時、話好きな
酒蔵の男性が煙突について教えてもらったのがいい思い出笑)

こうしてレンガだけではなく酒造の街でもあることを知り、歩き続
けると。2軒目の酒蔵が見えてきた。

 

今度のは随分と・・・痛みが・・・というのもここの酒造はもうやってなく
映画館とか古本屋や喫茶店等でリメイク中だった(中に入れる)



旧街道にでると入口があり深谷本舗と看板が立つ。内装工事中
ではあったがすでに開業営業している店がある。

 



初回の時はまだ工事中!という感じがあったが一か月後の2回目の
ときはだいぶ片付いて綺麗になってた。当時の面影がのこるものは・・
ということで電源ブレーカーにシャッターを向けてみた。

 



↑ もう一軒の酒蔵、綺麗な販売所もあった。一本裏道から入り
玄関付近までいくと煙突の全景が撮影できた。なお南西向きに
なるから晴れると逆光かな・・・。

さて、見所というと失礼かもしれないが、旧中仙道沿いに歩くのがよかった。
ガイドブックではないが宿場町を歩く時は旧街道に歴史在りは過言では無く、
新街道は現役過ぎてチェーン看板が軒を連ねてどこにもある景色になる。
半世紀も経てばそれもひとつの景観になるのかもしれないけど、その時は
撮影をしているかな・・・



また17号線を超えると新しい街並みと、大きな農家が混合する。題目の
古い街並み撮影やレンガ、酒蔵は17号線より駅側のエリアで旧中仙道
付近にある。




↑ 袖を持つ旧家屋。川越でもみられたが煉瓦によるものは珍しい。

途中で深谷ベースなるものがあった。旧街道に沿った空き地にベース、
すなわち基地と称するものがある、綺麗な佇まいでトイレも綺麗であっ
たが、イマイチ此処がなんなのか?

二回とも人が集まりなにか話してるのだが、ガラスの向こうの言葉は
聴こえるわけもないし・・・。


↑深谷ベースに駐車していたトラック。フッカちゃんはじめ
農業畜産をPRしているのだろうか


さて、煉瓦に関連して地元偉人の渋沢栄一関連については徒歩で向かったが、
駅から歩いては遠い。(;^_^Aタクシーを使うのがいいようだ。2回とも縁がな
かった。南瓜はゆかりの地まで歩こうとしたが半分辺りで時間切れを察知して
引き返した、観光図だと近いのになあ、ネットで改めて見たら遠いのね・・・。

こうして古い街並みを満喫し撮影を終えた。

 最後に一言。ゆるキャラが注目を浴びて久しい中で深谷のフッカーちゃんに
関するグッツをお土産に入手できず残念。

また深谷葱も何処かで手にはいるかと思えば販売にでくわせず、帰宅してから
近くのスーパーで深谷葱を買うというオチ。調べると随分と幅広なきしめんもどき
のウドンとかあるみたいだし、まだまだ見るとこはあるようだ。


【写真撮影・古い街並み】 行田市・忍城

2013年12月08日 | 写真撮影・古い街並み

古い街並みを求めて行田市・忍城とその周辺を散策
してみました。

JR高崎線・行田駅から
→忍城までは距離があるが駅前の観光協会の貸自転車が
借りられるので15分位で到着できる。

秩父鉄道・行田市駅から
→忍城にこちらのほうが近い。市街地にすぐ入るので徒歩
でも行ける。

まずは忍城、資料を基に模擬復興されたとかいてある、中は資料館
になっていて、当時の浮き城を知ることができる。現存のは広い公園
にぽつんと建っている感だが、当時は広く大きな城だったことがうか
がうことができた。

とせっかくなので城門(土塁などは一部残存しているらしい)前で記念
撮影していると、なにやら・・・ゆるキャラが・・・。Σ('ω')

 

B級グルメで有名らしいゼリーフライ(銭が訛ってゼリーになったとかでゼリーを
揚げたものではない、最初は本気でゼリーの揚げ物?と思った笑)とフライの
キャラらしい。気さくに記念撮影に応じて頂けた。また火縄銃を持った人も
現れパフォーマンスを披露していた。

ちなみに城門から出てくるとき大変そうだった。お疲れ様です。

 

と資料館を見て早速そのゼニーフライを食べに行こうということで近くのお店
へ寄らせてもらい(メディアで紹介されているらしく切り抜きが貼ってあった。)

食してみる。おからに人参などの野菜を混ぜてコロッケ上に揚げたものにソース
(ウスターソース)をつけたもので、意外とおいしかった。

さて、古い街並みを求めて忍城をあとにして、忍・天満・旭町を散策
地元商店街が大きな通りを十字に広がっている。

通り沿いは昭和のアーケード商店街そのものでなんとなく懐かしい
感が漂っている。ただ流れている音楽がどことなく哀愁を漂わせる
もので買い物気分とは違和感を感じた。



↑ 休日ともあり?閉まっている店もあるのだがどこなく懐かしい



通りが十字に交わるところには銀行、これは建物に時代を
感じる。尚行田市は足袋に生産が盛んだったところでそれが
基となって繊維産業が今も盛んらしい。

 

一方で一本道に入ると昭和な感じから少し時代が古くなった建物が
現れ始める。

 

古い街並みシリーズお馴染みの蔵もいくつか見られ
地元ボランティアが団体さんを案内していた。

大体一周で3時間くらいでゆっくり見て回れる。
行くまで少々大変だが街並みが残っているので
面白かった。

足袋は時間を逃してしまい見ることはできなかった
のが唯一の心残り。

余談だが・・・
昭和な感じの商店街ってなぜ思ったのか?と帰り道に
考えていたが、勝手ながら大きくふたつ。

まず
1.看板の文字。大きく太くで丸字にを狭い幅で囲む。
2.入ると店主が近い。('ω')ノ(^^ゞ

特に2.入口入って店の人がいるのは当たり前なのだが
その距離が絶対的に近く、興味あって入りたくても冷や
かしになったら申し訳ないなあ~という雰囲気。

日常では近所の魚屋に入って買いたくても、ほしい魚が
なかったりした場合の冷やかしになるのが悪いのと、
ほしいものを上手く伝えられなかったりとか、話しかけら
れてやりとりが面倒で足が遠のいてしまう。

気が弱いのかもしれないが、笑。

でも昔はそれが当たり前だったのにいつの間にかそうい
う雰囲気ができなくなってたのだと気付いた。
そしてそれがかつての子供のころの記憶を呼んだのだろう。

だからといって個人商店に大手のような杓子定規の接客を
求めるのも酷だし、それでは画一的で面白くもないことも
一言付け加えておきたい。


 


【写真撮影・古い街並み】 茨城県真壁町 02

2013年03月17日 | 写真撮影・古い街並み

続き

一行はこの後に廃線となった真壁駅に向かう。想像していたのは
苔の生えたプラットホームに線路は撤去されたもののその跡が
残るというもの・・・だがホーム後は綺麗に(あまり面影も無い)
その立体感は維持し、線路の跡は広域のサイクリングコースに
整備されていた。

ただ駅前の建物が時代の時を被っており、その隙間から商の文字が見えていたのは
ちょっとさびしさを感じるのであった。

その後は再び中心地に歩を進める。

 

これだけ古い街並みだと、さぞ写真撮りに来ているかと思うが案外少なく
絵を描く方々が多かった。

 

 

 



佐原もそうだったが電線の張り様はバリバリきいてて、昭和と思えば
これも当たり前かと思うのか?心でのいい訳か?

 



↑チイ散歩でも訪れた様で、そのコロッケを食べる。アツアツで旨かった。

こうして古い街並みを楽しみつつも、酒蔵があるということで歩を進める
酒蔵を訪れるのは初めて。

村井醸造を訪問。

 

 

大分大規模な屋根の工事中だったが、入口では酒の試飲と販売を
行っており、仕込み水も試すことが出来る。

私は運転の身なので試飲はできなかったが、同行者は運転しない
ので同行者の試飲による感想を参考に、自分用と土産として計2本
を購入する。(1500円くらいのだったはず)

            = 飲酒運転は厳禁 =

やはり・・・電車とかバスで来たいよな~苦笑


※後日談だが、スッキリとした味わい刺身を肴に楽しんでいる。勧め
  られた大吟醸+酒粕の合わせ呑み・・・ずいぶんこころ惹かれたが、
  懐が心許なかったので今回は断念した。旨そうだったが・・・・※

もう一箇所醤油の醸造所もあったが、休憩中の札が下がってて入れず、
小売しているかも不明だが、料理をよくやるので地場醤油に関心があっ
ただけに残念。(売ってくれるかもわからないけど)

 

とこのように一行は街並みを拝見しつつ1周を3時間くらいで終えた。
途中で知ったゆるキャラの”いしおさん"。実に可愛いので土産でひとつ
買えないかと思ってたが売ってなく残念。

頭の帽子(傘)の頂点角が鋭角だったり鈍角だったり…個人的には
鈍角の方が好みなのだが・・・ないのは仕方がない。

 

こうして家路に着くのであった。途中埴輪が並ぶ家が・・・・あったりも
したが・・・(^^ゞ

スル―する。色々とあるなこの街。

 

 

 


【写真撮影・古い街並み】 茨城県真壁町 01

2013年03月16日 | 写真撮影・古い街並み

観光登山でも知られる筑波山の北部に位置し、国の登録有形文化財建造物の数が100を超える
古き街並みが残すとともに2003年から雛祭りを町おこしとして行っていることで知られている町、
真壁町に写真撮影に行く。

なお上記の雛祭り期間中であれば、つくばエクスプレス線「つくば」駅からシャトルバスが運行され
て都内からは電車で行くことが可能だが、期間外は電車はすでに廃線、日常のバスも廃止されて
おりアクセスは車で行く以外に方法がない。

なお、駐車場は公的施設伝承館のところはダメと説明をうけて近隣の駐車場(有料)に停めての
撮影に臨む。

 


AVENON21mm + GXR

まずは立派な蔵に出会う。なまこ壁(壁面に平瓦を並べて貼り、目地に漆喰をかまぼこ型に
盛り付けて塗る工法。その目地がナマコに似ていることから呼ばれ、防火、防水などの目的
を持つらしい、もう少し詳細に書くと、屋根の軒下が短い事からはじまる。これは火災時におい
て最も延焼につながりやすい屋根の下部分を短くすることで延焼防止を図るものなのだが、
反面として雨などの気象の影響を壁が受ける事になる。そこで壁に瓦を巻き、それを漆喰で
幾層にも塗り重ねては固めることで劣化を防いでいる。しいては防火・防水目的につながる)

がしっかりしていて蔵!という堂々ぶりにシャッターを幾つか切る。手入れも大変だろう・・・な。

 


余談だが、この扉も幾層にもなっている理由は扉を閉めるとこの段々が窓枠の段々にはまり
シッカリとした密封性を発揮でき、火災時の火の粉が蔵内に入ることを防ぐ役割を果たす。

 


石臼のようなものが並ぶ・・なんだろう?

 


最近はあまり見なくなったH字型の煙突。外風が強い時などではストレート型は
風の逆流を呼ぶ為、室内に冷気が入りやすくなるのをT字やH字にすることで
それを防ぐそうだ。

さてここで真壁の街並みについて、道割が江戸時代のモノからと明治以降のモノと
説明書きがあり古の道をそのままに古と昭和ものとが混じったどこか懐かしさの残
る風景が広がっている。

たださきの蔵は綺麗だったが、至ることで大掛かりな修理などが行われている様を
みかけた一昨年の大震災によるものだろうか?と確認を取る事までは出来なかっ
たが痛々しいのを感じる。

そして先日佐原の街が震災の影響を受けた特集を観たおりにこの様な古い景観を
残すのは補助金あっても至極大変であることレポートされていたのを思い出した。

さて、一行は強風が吹く中にめげず撮影を続行する。


元郵便局。現在は案内所のような感じになっている。

 


DP2

 

↑この郵便局外観が一見の価値があると個人的には思うのだが・・・
中に入ると



こういう窓口だけ残っている。机とかはもう取り払ってた様で、役場の
広報の方がパンフレットを並べて色々と観光客相手に応対している様
だった。

ないものはしょうがないけど、机とか残しておくと雰囲気出るのにな~。

 


DP2

当然?古い家屋だからといってそのままではない?というのか
木造住宅の壁には電線の様なものが壁を這うようにつたっている
ところもまた面白い。防火水そうの文字がしっかりサビで覆われ
色の落ちた感がマッチしている。

 

つづく

 

 

 

 

 


【写真撮影・古い街並み】 小江戸川越

2012年12月30日 | 写真撮影・古い街並み

今年の下半期は蔵に縁が多かったので、蔵の街撮影で締め
ようということで川越へ。

西武新宿線「本川越」駅より出発、有名な街並みは拡張工事
中の一本道を抜けていけば5分程度の距離。

今回は喜多院をまずは目指しつつ、メイン通りより中の細道を
辿ってのコース取りとした。

今回の使用機材はNikon・D300



道一本入ると地元商店街、住宅街を抜けるコースになった、小江戸から昭和商店街の
様な個人商店がポツポツと残っている。一方で跡だけはのこしつつ消えていった家屋も。

 



喜多院では正月を前にした初詣参道の支度に追われているようで
札売り場ではバイトさんの研修らしきような事が行われており、また
お焚火に達磨さんが集められるなど年の瀬があちらこちらで見かけ
られ一年がこうして締っていくのかとあらためてかんじさせられるの
であった。

 



この辺は初詣のお決まりメニュー。

参拝を済ませて、いよいよ定番のエリアへ歩を進めるのだが、メインのとこを往復しても
いつもの事になってしまうので、一本位外側の道を散策するようにする。

 

すると地元商店が広がるところで映画館か?ゲーセンか?空き店舗が・・・なんとなく
映画館の様に感じる(写真右奥の掲出箇所や左の壁の窓が券売所にみえる)のだが
確たる証拠もみつからずとりあえず写真に収める。 逆さになっているが1984という文字
がなんなんだろう?

 

蔵街に限らず一本入るとそこは昭和の名残が多少ある。これも一興かと思う。

 

やがてメインに入ってしまい、撮影が急に進み始める。

 

 


↑銀行

 

 

そしてやがて時計台に辿りつく。この日は午後から曇るという
予報であったが幸いにも青空のままであった。

 

 

菓子屋街にまで足を運んだが、年末年始が忙しいためか?
休日の店舗が多く見かけられた。なつかしい駄菓子と、ふ菓子
を購入し、このころになるとくもり空に居なってしまったので帰路
につく。

途中、お寺に寄って荷物を少し整理していたら猫が一匹寄って
きてこちらを見るので、呼んでみたら飼い猫でもあるせいか、
スーッと寄ってきてゴロンと腹を見せる。

かるく撫でてやると、ゴロゴロしだす(笑

ならば!すかさず一枚撮影・・・・とおもったら大アクビしながら片側がえりされて
しまった。

そういやー今年亡くなった愛猫もこんなんだったな―と思い出す。
ポケットに何か入っていればあげられたんだが、酢昆布しかなく、食べるわけもないし
食べさせるのも良くないので(うちの猫は梅干しとかも食べた変わった猫だったが・・・)
撫でるだけにした。

元気でな~と分かれて家路につく。

 

 

本年の撮影予定はすべて終了した。

 

 

 

 

 


【写真撮影】 土蔵の街 栃木

2012年11月01日 | 写真撮影・古い街並み

東武日光線の栃木駅(JR両毛線の駅でもある)より土蔵の街
栃木を撮影ということでやってきた。

※この記事はNIKON D300で撮影したものです。

土蔵の街・・・というので土蔵ばかりを意識していたのだが、
駅から散策マップを片手に移動するとそこは残された昭和風景
も広がっており、まだ地元商店街がしっかりと残っていた。

※一部寂しい感じになっているところもあり、時間と共にどうな
  るか?考えさせらる。



昔はメガネ屋にこういう看板多かったよなー。いまや眼鏡も価格破壊で
安くなった。1万円だせば買える、むかしはその3~5倍とか平気でしたし

リーディング眼鏡が欲しくてメガネ屋で当時度数下げてくれと言ったら
絶対だめみたいに言われたが今ではリーディング眼鏡が普通に買える。

とか昔の事を思い出させる。

 

恒例ともいうべきトタン壁の家。見事な青一色に3連屋根。そして
窓の形状からトイレの位置が何となくわかる。昔の爺さんの家が
こう言う感じだった。



アーケードが道に沿って延びる商店街。これぞ昭和の商店街!とも
行っても過言でないような光景。両端に道を挟んで延びていた。

余談だが、あまりの昭和にフイルムカメラのシャッター数(M3)が順調に
伸びたために予備のフイルムを購入するべく写真店に入ったら、逆に
カメラをみてスライドカメラのお客さん久しぶりだよ!と声をかけられる。

 



こういう古い建築物や外観構造的にも興味深い建物が多く
そして殆ど現役で使われている事にちょっと興奮気味。

なお土蔵も多くある。

 

 

 


↑なんか昔話に出てきそうな典型的な形状

一般的な観光客は土蔵を狙って撮影
しているのだが、我々一行は昭和狙い(笑)

これ東京たてもの園とかの移築園がそのまま現役でいる
と表現すると的確かもしれない。

 



気付くと陽が斜めになってきたのでちょっと急ぎ足で街散策。

 


↑役所

 


↑ 役所の裏

 

 


↑よくパンフで出るシーン。

 

偶然だが、この↑川のとこでは小舟に芸者さんが乗っているイベントが
あったようで撮影の方々が多くいた。年配の人が多かったが殆どが
デジタル一眼・・・。まー時代なんだろうな。

ところでこの街、撮影中に商店で買い物や食事をしたが、基本おおらか
というかユッタリモードのようで、茶碗を買い求めようとしたら店主を
呼べど呼べど出てこない。

かといって現金だけ置いていくわけもいかず、掛けてある鈴を鳴らしたら
ようやくでてきた・・・(笑

また、食事処も案外少なく混んでる。よさげな店があったが、そのなかで
ビジネスホテル脇に古い家屋ながらも内装をモダンにした小洒落た店に
はいって鮫の揚げ物を食した。あっさりした鶏肉の様な味。

なお、駅前にコンビニがあったが、街中にはなく(個人商店はある)気付
くとこれも昔は当たり前が、今の当たり前にいつしか馴染んでたのだと
感じる事もあった。

都心から1時間くらい(東武の特急スペーシアならもう少し早いかもしれ
ないが、ぜひ!きりふり号に乗って頂きたい。この急行は懐かしさある
古い車両でリクライニングも出来ない絵にかいたような電車だ。)で
これだけ楽しめればよいのではないだろうか。

先の佐原といいここといい、妙に観光地化せずに現役で土蔵や家屋が
使われているのがいいのだろう。

 

 

 

 

 


【写真撮影】 土蔵の街 佐原

2012年10月29日 | 写真撮影・古い街並み

さて、佐原は古い街並みが残っている事で有名でまたその家屋が
今も現役で使われている。

今回祭りで街全体を余り撮影できなかったが回れた範囲でのもの
からおってみていくとまず一枚目は御用・測量方とある、佐原には
測量で有名な伊能忠敬が婿養子(18歳時)に入った商家があり、
ゆかりの地となっている。(余談だが、墓は東京都台東区にある、
写真は記念館ではなく食事処)

尚、撮影は全てNIKON D300によるもの

 

所々で修復している家屋があったが、通行人の話からだと先の
震災による痛みの修復作業と言う事である。保存への取り組み
がしっかりしていると感じる。

 



街並みのをうたって観光地化している場所は幾つかあるが、
佐原の場合、現役使用なので観光の店というものにはならず
にいることでより景観が守られている感がある。

 



惜しむらくは町中に電柱と電線がズバッと!通っている事。山車
を撮影している時も電線が気になることが多かったが・・いつかは
この電線と言うモノが残っている事が珍しくなることもあるのだろ
うか?という問いもでてきた。



↑ どことなく横浜にある似たような建物を思い出させる
てっぺんは歴史博物館のものとのミックスさせた感じで
歴史を調べたらつながったりしそうで面白そうだ。

 

 

 

 土蔵や古い家屋の集まりは、駅の方にも続き、撮影ポイントになる
建物、景観が広がっている。今回はたまたま祭りにぶつかってしまっ
たので撮影出来なかったが、時期をみて今度は街並み撮影としようか
と考えるのであった。

 

 

 

 


【写真撮影】 佐原の祭り 

2012年10月21日 | 写真撮影・古い街並み

天気もいい事だし、どっか遠くに撮影に行こうという事と、
ここのところ久しくデジタル一眼レフを使ってないでいた
ので持ち出してみた。
目的地は佐原、蔵の街撮影!

 

到着!・・・・・・・・・・・・・ Σ(@_@)?
「 なんで?こんなに人がいるの?音が鳴ってるん
だろう??(@_@)?? 」

駅に着くまで、なぜかローカル線に乗ってくるルート
を採ったのに混みあう車内に蔵の景色を撮影する
人ってこんなにいるのか?写真ジャンルでメジャー
だったか???と思ってたのだが、実はこの日は
秋の祭りで関東3大山車祭りのひとつといわれている
その日当日だったそうです・・・(;一_一)
ちなみに300年近い歴史があるそうで・・・御縁ですね

なので街は駅前から祭り一色、カメラマン多数という
状況でのスタート。

 

ひとまず蔵のある方向へ足をすすめると大きなスー
パーがあったという空きテナントがデーンと現れる

通りすがりの親子が「〇〇ちゃんが生まれる数年前
に閉じちゃったんだよ」と話していたので、5年~くらい
前なのだろうか?けっこうイイ感じにワビサビが効き
始めている

 

祭り会場の広場にたまたま出くわすと、間もなく大
通りに山車が集合するとのことで、少し寄り道して
みようと道を変えるとそこに一台の山車が待機して
いた。なかなかデカイ。


※一部顔にモザイク処理しています。

進行に連れて大通りまで出ると歴史上の人物を
乗せた山車が10数台待機して、練り回し時刻を
待っている、その間にアナウンスが流れてそれぞ
れの山車に乗る人形の由来について説明がされ
る、どうやら有名な人形師によるものらしい。

 

そのアナウンスの中でカメラマンが人形にレンズを
向け、祭り関係者が準備して、観光客団体が見学
してと大混雑・・・(@_@)スゲーヒトヒトヒト!

 

 

 

その説明云々や準備等で練り回しまで1時間近く
あったのでその間に蔵街を撮影に(練り回しコース
は蔵街に通じるが一部はかからない様子)いき
時間を過ごすことに。

そして、一通りの撮影を終えたら、練り回しの撮影
をこのさいいい機会として行うべく移動。段々とより
人の集まりは多くなり、道は人の頭でうまる。

そして練り回しスタート!警察官や祭り関係者の制御の
もとに山車が動き始める。

 

 

山車の前方から子供、男・女衆が縄で引っ張り、
後ろからは押す!山車にはお囃子衆が鼓をうち・
笛を鳴らし、山車の頂上では人形を守りつつ、
(狭い道に入るので飾りの衝突を防ぐ役割をする)
それを載せた台車を二本の太い柱を威勢のいい
男衆が上下にふり(ブレーキをかけて進行方向を
制御する)

次々にやってきては辻を曲がっていく。申し訳な
いが撮影はこういうカーブの困難なところを通過
する際のがいいのが撮れたりする。

ひとしきり興奮しつつ撮影しビールをのみつつ
疲れを癒す。祭りの撮影もいいものだなー

でも人混み苦手なんだよな~。