壁のポートレート

道端の壁が気になって写真を撮り続けています。
でもオーロラやら植物・風景などが最近多いですね。

なかへち美術館

2020年11月13日 | 美術館

 田辺市美術館の分館である、なかへち美術館に初めて行ってきました。存在は知っていましたが中に入るのは初めてです。企画展の「版画の表現」ということで地元ゆかりの版画や、版画家の作品を展示しているとのこと。 展示室が1室のみの簡素な美術館ですが、丁度いまの季節、秋の深まりを感じる山あいの風景にしっかり溶け込んだ建物は、入る前から気分を和ませてくれます。

 出展数は多くありませんが、紀南の各温泉地を題材にした前川千帆さんのシリーズは、いまはもう観光地化してしまった各温泉地の鄙びた風情を感じさせてくれて懐かしい気分にさせてくれました。「越の湯」温泉なんて地元県民でも知らない人が多いだろうなぁ…。あとは、浜口陽三さんの作品が多く展示されていました。和歌山県出身は知っていましたが、「稲村の火」の濱口梧陵のひ孫というのは説明書きを見て知りました。カラーメゾチントで有名な、僕の好きな版画家さんですが、親近感がわきます。

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秋野不矩展再び

2019年02月25日 | 美術館

 田辺市美術館で2月9日から3月24日まで開催中の秋野不矩展に行ってきました。不矩さんは2001年に93歳で亡くなる直前まで日本画を描き続けた女性画家で、インドやパキスタンに何度も通い風景を描いています。彼女の絵に初めて接したのは2003年に神戸で開催された展覧会でした。初めて見たそれらの絵の色合いや造形の瑞々しさに魅了されました。実は展覧会は遺作展だったのですが、予備知識なしに行ったので、彼女が既に亡くなっていること、50歳を過ぎてからインドなどアジアの国々に出かけその風景を書き始めたこと、をその時初めて知ったのでした。
 今回も出展されている、水牛の群れが大河を渡る風景を描いた「渡河」は代表作の一つですが、1992年作とありますから描いたときは80歳を超えていたわけです。黄金色に染まった川面を頭だけをあげて悠々と泳いでいる水牛たちの光景は、恐らく不矩さんが現実に見た情景であると同時に、千年前から同じ光景が繰り返されてきたんだろうインドの悠久の時間を感じさせ、時空がオーバーラップします。それを描き出す不矩さんの感性のなんて若々しいこと。本当に明治生まれの女性なの。驚かされました。
 綺麗な水色が印象的な「ブラーミンの家」、雄大な大地と泉を俯瞰して描いた「カミの泉Ⅱ」、土埃の匂いを感じる「土の祈り」、ナギニー女神(蛇の神?)の石像を描いた「石柱」など、彼女ならではの感性で場面を切り取って柔らかな光景に描き出しています。現地の子供たちを描いた「糸」や「村童」からは彼女の優しいまなざしが想像されます。15年ぶりに不矩さんの絵に再び出会えて本当に良かった。まさか地元で再会できるとは。前期後期で一部絵の入れ替えもあるようなので、是非もう一度逢いに出かけようと思っています。

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プラド美術館展

2018年09月17日 | 美術館

 神戸で開催中のプラド美術館展に行ってきました。この夏から秋にかけて行ってみたい展覧会は3つあって、その一つの大阪のプーシキン美術館展は先月行ってきたので、今回は神戸です。車で行ったのですが、美術館の駐車場は満車で入れませんでした。すぐ脇の別の駐車場には駐めることができたのですが、やばい、混んでるかも。

 チケットを買って入場すると、意外と空いています。もちろんガラガラというわけではありませんが、無理をしないでも前の方に行ってじっくりと詳細を観察することができますし、連休中ということを考えるととてもラッキーでした。さて、お目当てはもちろんベラスケス。今回の目玉「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」はよかったのですが、イメージではもう少し鮮やかだったので、もう一つかな。そのかわり、と言ってはなんですが、「メニッポス」や「バリューカスの少年」等の肖像画はさすがですね。ベラスケスに限らずスペインの画家が描く肖像画は、その人物の内面まで描かれているように感じることが多いように思います。

 ベラスケス以外で気に入った絵は「小鳥のいる聖家族」。作者はと見るとムリーリョでした。さすが。あと、ワタシ的にはスペイン宗教画と言えば期待してしまう、女性らしい天使、も数枚に登場します。ジョゼペ・デ・リベーラによる「聖ペテロの解放」の天使は知的な美人だし、アロンソ・カーノ「天使に支えられる死せるキリスト」の天使は母性を感じます。天使やキリストさえ人間的に描いてしまうスペイン絵画はすごい。

 さて、行ってみたい美術展の残るは、京都で開催中の東山魁夷展です。これは絶対、混む。京都の人たちの日本画好きは半端ないから…。仕事をさぼって平日に行くことを考えないと。

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エルミタージュ美術館展に行ってきました

2017年12月16日 | 美術館

 前々から行きたかったエルミタージュ美術館展に行ってきました。今回初めて車で行ったんだけれど、湾岸線を使えば、2時間弱。思ったよりもずっと近くて、電車よりも楽ちんでした。少し心配だった美術館地下の駐車場もすいていたし、何よりも、人が少なくてびっくり。会期が比較的長いので来場者が分散したのだと思いますが、ゆっくりと間近に見られて、うれしい驚きでした。

 さすがエルミタージュ美術館の収蔵品だけあって、華やかな絵画が多いですね。17世紀を中心としたオールドマスター達が次々と現れます。僕の一番気に入ったのは、スペインの画家ムリーリョ。3枚出展されていましたが、宗教画なのにどの絵も人物の表情が豊かで現代的。受胎告知の大天使ガブリエルなんかは高校生の女の子みたい(かわいい!)で、親しみを感じてしまいました。

 そのほか、ルーカス・クラナッハが1枚。いかにもクラナッハ。ティツィアーノやテニールスもよかった。ついでに美術館裏手のSunSisterも写真に撮ってきました。

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クラナッハの微笑

2017年03月05日 | 美術館

 ルーカス・クラナッハ展に行ってきました。クラナッハは過去の美術展で何回か見かけたことはあるけれども、今回のようにまとまって見るのは初めて。だから、宮廷に仕えた当時から超有名人であったとか、一大工房を構えていたとか、デューラーのライバルであったとか、ルターと親友だったとか、今回の展覧会を見て初めて知りました。それまでの知識と言ったら、青池保子さんの漫画で「パリスの審判」に出てたなとか、山本容子さんの愛犬だったルーカス君の名前は彼から採った(超マニアックな知識ですが、ルーカス君が大好きで版画も1枚持ってるので…)とか、およそ本題とは離れたことしか知りませんでした。

 で、本物を見た感想はというと、やっぱり、心を乱すエロチシズムを感じさせる女性の裸体画が一番印象に残りますねー。少女のような小ぶりの胸とふくよかな腹部から臀部、スラリとした姿態、そして不思議な微笑。軽く閉じた口元の両端を心持ちきゅっと上げた感じは、微笑というよりも、見方によれば冷笑? まなざしは優しいのに表情には少し硬さがある。決して不機嫌な表情じゃないけれど笑っているのでもない。彼女の表情は、見る人によってどのようにも感じられます。

 クラナッハは16世紀の画家ですから、ざっと500年前の絵ですよね。500年前の絵の女性が、彼女をながめる今現在の自分に感情や想いを起こさせている…。こうやって絵を見ていると時の隔たりなんか簡単に超えてしまう、そのことこそが本当に不思議な気持ちにさせられます。

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宮川香山展

2016年07月30日 | 美術館

 もう間もなく会期末ということで、前から気になっていた宮川香山の美術展に行ってきました。一言で言うなら「すさまじい!!」。香炉の上の愛らしい猫には目を近づけてやっと分かるほど細かな舌や歯。これほど薄くできるのかと思う尖った花びら。柔らかそうとしか言いようのない山鴫のつややかな羽毛。展示されている高浮彫の数々は、人の手による技術や、陶器として焼成可能な物理的な限界やら、そんな制約を飛び越えていて、現にここに存在していることが不思議なほど、すさまじい。
 疑問がある。こんなすさまじい技術を駆使して、香山は何を目的としてこれらを作ったのだろうか。陶器であるからには、一つの完成品の裏にはそれこそ無数の試行錯誤と失敗と偶然がある。芸術家としてなら、自らの感性の発露として造形の美を目指すなら、彫刻等の他の方法を採る方が遙かに確実だ。本来陶芸は、全体としての形の優美さや、釉薬による色彩の美しさを追求するものだから、香山がやったような細かな造形には、圧倒的に向いていない。
 疑問の2つめは、なぜベースが壷なのか。置物やら皿でなく壷にこだわった理由が分からない。壷の胴の部分を凹ませてというかくり抜いて、熊やらカエルやらを配置していたりする。実用性全く無視。そこまでしたら、もはや壷じゃないでしょ、と突っ込みを入れたくもなる。代表作のカニの高浮彫り(これは壷ではなく花瓶ですが)はあえて全体を押しつぶして凹ませたところにカニを配置している。このこだわりは何なの?
 疑問の3つめ。そのカニの高浮彫は2つあって、一つは明治14年の作。二つめは大正5年に、最初と全く同じ意匠で色鮮やかな釉薬を掛けた物。大正5年は香山が無くなった年であり、年表によると前年には、博物館に収められていた一作目のカニの補修をしている。なぜ、同じ意匠で、色違いを作ったのか?  素直に考えれば、久しぶりに昔の作品を間近に見て、死を間近にしてやり残した技術の粋を掛けてみたくなった…となるが、そう単純ではなさそうに思える。
 疑問はすべて、本人に聞かねば分からない。そして最大の疑問は、香山ってどんな人だったのだろう?ということ。 一大工房を率いているので単なる偏屈親父ではありえないし、かといってあれらのこだわりようはとても常人とは思えない。取りあえずは、すさまじい人、と言うしかないか。

 

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されどルノアール

2016年05月07日 | 美術館

 京都市美術館へルノアール展とモネ展を見に行ってきました。本当は昨日行く予定だったのだけれど、なんと、電車がストップ。やむなく一日ずらして今日になりました。今日の方が天気はいいし結果的に好かったかな…、でも今日は土曜日だし混んでいるかも…。と心配しながらやってくると、あら、以外と空いてるじゃない。両方とも待ち時間無しで入れそうです。前回は大分待たされたなーと考えながら、まずは、ルノアールの方へ。

 正直、ルノアールって美術愛好家の入門編みたいな感じで、綺麗だけれどそれだけみたいな、あまり期待してなかったんですけど、でも、改めて見るとやっぱり綺麗な色使いですね…。晩年の裸婦なんかは色が濁って綺麗じゃないけど、1870年代ぐらいの絵はいいですね。パンフ表紙にもなっている「昼食後」のほか、僕がいいなと思った「うちわを持つ女」、「猫を抱く女」(猫がかわいい)は、全部70年代です。やっぱり馬鹿にはできないルノアール。

 もう一方のモネ展も入りましたが、あまり綺麗な絵は少なかったように思います。「睡蓮」の絵もありましたけど綺麗じゃない。モネは睡蓮をドッサリ描いてるから、「モネ」の名前だけで評価されている「睡蓮」も多いでしょうね。昔々、エルミタージュで見た「睡蓮」は綺麗だったけど…。まあでも、「テュイルリー公園」と「オランダのチューリップ畑」は綺麗でした。

 写真は、ついでに足を伸ばした(といっても隣ですが)平安神宮の神苑です。睡蓮と杜若が綺麗。

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マグリット展とルーブル展

2015年09月20日 | 美術館

 京都市美術館で開催中のマグリット展とルーブル美術館展に行ってきました。連休中だから人がいっぱいかなーと心配していたのですが、やはり…混んでました。ルーブルの方は入場制限しているようなので、マグリットの方から見ることにしました。

 うーん、いかにも彼らしい絵が続きます。余談ですが、僕は随分長い間、マグリットを女性だと思っていました。名前の語感のせいか、初めて見た「レディメイドの花束」(今回も出展されてましたが)を女性的と感じたのか、定かではありません。まあ、でも、絵が中性的な感じなのは間違いないように思います。パンフレットによる「大回顧展」は嘘ではなく、「レディメイド…」を始め、「大家族」「白紙委任状」等の代表作も出展されていましたが、改めて感じるのは、現実感のある緻密な風景の中にシュールな物体が同居するというギャップの面白さです。対比の妙は他のシュールリアリズムの画家の中でも抜きん出ている気がします。そういう意味では、お城が建つ巨大な岩石が空中に浮遊する「ピレネーの城」(「ラピュタ」そのものですが勿論こっちが本家)はインパクトがありますね。見ている内に現実の風景のように思えてきました。

 一旦外に出てルーブル展に並びます。50分待ち!です、と係員が叫んでいます。ようやく中に入っても、大混雑。まともに展示物に近づけません。こら、あかんわ、と戦意喪失しそうでしたが、中の方に進んでいくと多少マシになりました。局地的混んでいるところと、空いているところがあって、うまく立ち回れば、悲惨な状況は回避できそうです。出展作品はさすがルーブルということで、ティツィアーノ、レンブラント、プーシェ、ミレー、コロー、トロワイヨン等の有名どころが並びます。案内パンフを飾るフェルメールの「天文学者」は、少しぼやけた感じがして、僕としてはいまいちかな。プーシェは大好きです。トロワイヨンも一点だけでしたが良いですね。知らない画家では、ニコラ・ベルナール・レピシエの「素描する少年」が落ち着いた色調の柔らかな描写が好印象でした。その他全体としてはいいのですが、さすがに時代がばらけすぎ。展覧会の範囲はもう少しテーマや時代を絞ってくれる方が、作品世界に没頭しやすい気がしました。

 写真は、行列をしている間真夏のように照りつける太陽、京都市美術館の垂れ幕、美術館横のヒガンバナ、白川の風景、帰りの車窓から見た夕焼けです。

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堀文子展

2015年04月19日 | 美術館

 久しぶりに兵庫県立美術館まで、昨日から開催されている堀文子展を見に行って来ました。大雨なら来週に延ばそうと思っていたのですが、大丈夫そうです。美術館に近づくと、「月と猫」がお出迎えしてくれました。実はこの猫君に会うのは2回目です。堀文子展の告知に使われているのを見て、見たことあるな思い、本棚に入りきらずに部屋の床に乱雑に積んでいた昔の図録を探してみると、ありました。2007年に大阪で開催された堀文子展でも出展されていました。渦巻き模様のおなかがキュートな猫君はまっすぐこちらを見る視線が印象的です。

 彼女の絵の魅力は何でしょうね。色合いがカラフルって言う人も多いと思いますが、僕も色好きとしては、彼女のビリジアンが気に入ってます。初期の作品では割とストレートに出てて、力強いタッチとも相まってルソーやゴーギャンを思い出させます。ビリジアンは後期に描かれる、草木画や風景画でも効果的に使われていて、本当に綺麗です。

 今回の一番のお気に入りは、「春の来る路」。うねりながら真っ直ぐ続く道とキブシとハクモクレン。キブシはもちろんビリジアン。早春の静かな風景が心に染み入ります。そのほか、多数の草木画が綺麗です。彼女の描く植物は、ボタニカルアートのような詳細は抜きで、色と形だけで描かれますが、でもちゃんとそれぞれの植物の特徴が出ているのはすごいですね。

 前回も見た絵では、先の「月と猫」のほか、落ち葉や花を燃やす「秋炎」、樹氷の綺麗な「離山凍る」、賑やかな「冬野の詩」、ブルーが印象的な「アフガンの王女」、クレーを思わせる絵本くるみ割り人形原画から「ネズミの王との戦い」(のシーン。絵に名前は付いていない。)などが今回も見飽きません。今回は出品数もボリュームがあり、彼女の世界に浸るにはもってこいの展覧会でお薦めです。

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バルテュス展・京都

2014年08月19日 | 美術館

 久しぶりに美術展に行ってきました。バルテュス展が京都でやっているのは知って居ましたが、行くかどうか迷っていました。そんなに好きな画家でもないし…。でも気になる画家ではあります。最初にバルテュスを知ったのは朝日新聞社の「世界名画の旅」というブックレットです。発行日を見ると1989年5月となっていますから25年前。「コルメス・サンタンドレ小路」というシュールな絵に引き込まれました。実際にパリにある小路を描いているそうですが、心象風景のような、どこがと言われても困るがどこかおかしい、今から思えばいかにもバルテュスらしい絵が紹介されていました。
 今回の展覧会でも「オデオン広場」等が同じようなイメージですね。バルテュスと言えばエロティックなポーズの少女達が目立ちますが、絵から受ける感覚は似ています。イメージはあるんだけれど共感できない。表現できない不安。人の気配はするけれども何かはぐらかされているような。画風は違うけれど、キリコの絵から受ける印象と似ていて、もっと生々しい。キリコの絵は過去、バルテュスは現在を描いているようにも感じられます。
 写真は、美術館を出たときに綺麗な雲が出ていたので写してみました。あとは白川疎水。暑いので入ってみたくなりました。図録と「世界名画の旅2」、芸術新潮2001年6月号(バルテュス特集)、ポストカード(地中海の猫)。

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