一か月くらい前に、知人が入院していると聞いて、チョボラの合間を縫って部屋を見舞った。
はじめは周りに黙って小さな内視鏡手術をするための入院だった。
内視鏡手術はすぐにはしてもらえない。
検査も済み、順番がやっと回ってきての手術だったそうです。
しばらくICUにいて順調に回復…のはずが、高熱が出て意識が無くなった。
時々は何かふと気が付いたが、あとで聞いたら10数日間、意識不明だったのだそうです。
奥さんは実家に子供さんを二人預けてつきっきりだったらしい。
どうにか意識は戻り、熱が下がり、一般病棟に移れたが、身体からは管が出て24時間点滴が続く。
後で病名の説明を受けて本人もびっくりしたそうな。
本人は、「早く家へ帰りたい。」「普通の食事の有難さがわかった。」とも言う。
また一週間後部屋へ行ってみる。
外は毎日最高気温の更新したりしている最中に、ベッドで大きな布団をこっとり着てその下からそーっと目だけで挨拶。
またまた40℃の発熱だそうです。
言葉もかけられずに早々に退散した。
また一週間後に覗くと、看護師さんがベッド横にしゃがんで何か作業中だった。
後で知り合いに聞いたら「チューブがとれた」のだそうで、好かった良かったと思った。
また一週間後。ベッドは空だった。 同室の方が、「リハビリや」と教えて下さった。
その又一週間後に行くと、またベッドは空。
「今日は午前中だけ外出された。」とまたまた同室の方。
これまた偶然だが、その日に、奥さんの運転で助手席に座った「満面に笑みをたたえた。彼に合ったよ~」と知人が教えたくれた。
おしまいには冗談交じりに言えたが、
「臨死体験した?
「向こう岸で誰かがおいでおいでしなかった?」
「でも後ろで大きな声で呼んでいる声につられて振り向いたでしょう?」
「呼んでいた声は誰だった?」 なんてね。
でも峠を越えてからの回復はやはり、普段の体力のたまものかもしれない。
何しろ一週間ごとの回復は著しかったもの。
今日は千葉に住む娘が12時小松着の飛行機で帰省しました。
空港直通の高速バスで、30数分で、駅西口に着きましたので、ほとんど待たずに車で拾って帰りました。
お昼は軽く、めぎすの素焼き煮・丸ごとトマト・つる豆と五郎島金時の煮物・なすびのぬか漬けカリモリきゅうり付き生野菜・・・
お婿さんは目をシロクロしていましたが、実は娘の好物なんです。
今日の写真・・・「あ~したてんきおにな~~れ」