風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「発達障害」

2017-07-01 | 読書


ADHDやアスペルガーの存在が知られるようになり
「もしかしたら自分も」と検査を受ける
「自分は発達障がいかもしれない症候群」が増えているという。
社会的にはまだまだ誤解も多く
(「育て方が悪い」とか前時代的なことを言う政治家もいた)
その症状や彼らが抱える課題、
そして社会の対応法などをきちんと説明してくれる
正しい知識が書かれたこんな本が待たれていた。

しかし、読んでみると
こういう人たちは昔からたくさんいて
周囲はそういう個性だと認識しつつ付き合っていたように思う。
今の時代に始まったり増えてきたりしたわけじゃない。
中には一定の能力がダントツに高い人たちもいたし
(アインシュタインも発達障がいだったのではないかと言われている)
そういう人たちは社会の懐の中にちゃんと居場所があった。
現代社会において問題となりつつあるのは
障がいが原因というよりも
急速に狭矮になりつつある社会の方なのではないかと思ったりもする。
社会のレールから外れ、他人とうまくコミュニケーションが取れないと
それだけで排除対象になったりする社会はバッファが少なく
障がいを持っていなくても生きにくい。
かつて→こんなこと を書いた。
『「自分の価値観(モノサシ)から外れたものを容認できない大衆」
 そしてその各自のモノサシも、自分自身で考え得たものではなく
 どこかにマニユアルを求めているのではないか?』

発達障がいばかりじゃないけど、
障がいなのか個性なのか、明確なボーダーはないんじゃないかと思う。
少なくとも社会の中に存在する上で、違いは気付かない。
ということは、とりもなおさず
障外を持っていなくても生きにくい社会であるということ。
「ねばならない」「こうしないとおかしい」と
他人の目ばかりを気にし、自由に手足を動かせない人たちが
現代社会の中にいかに多いか。
もっと社会にバッファがあり、様々な生き方があり、
多様な人々を許容する社会であれば
発達障がいのことなどそれほど問題にはならないはずだ。

ところで本書を読み
それぞれの症状を詳しく知ると同時に
実は自分もADHDなのではないかという気持ちになってきた。
少なくとも子どもの頃のことを思い出すと
思い当たるフシがたくさんある。
もし仮に自分がADHDだと今診断されても「そうなのか」と思うだけで
別に気にしないし、今まで通り生きていくだけだけど、
もしかしたら社会の中にはもっともっと潜在的に
そういう診断される人たちが多いんじゃないかなぁ。
「じゃないか症候群」の気持ちもわかるなぁ。

「発達障害」岩波 明:著 文春文庫
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ちょっと一服 | トップ | 料理 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事