風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ちょっと考えてみた

2011-03-20 | 世界・平和
今回の地震は、青森から東京までが広く被災地。
津波被災地はもちろんのこと、
岩手も、宮城も、福島も、茨城も千葉も、そして東京も、
それぞれ不自由な生活を強いられている。
しかし、例えば花巻では
店から食料品が姿を消したといってもみんなに深刻さはない。
買い占めも起きていないし、選ばなければ何かはある。
燃料は絶対的に不足しているが、
一般の人達はみんか歩いたり、自転車でニコニコ。
一方の東京は、伝え聞くところによると、
落ち着かず、焦っての買い占めが問題らしい。
原発、計画停電などなど・・・
不安要素はたくさんあろうが、その状況はみな同じようなものだろう。
それではどうして首都圏だけで買い占め騒動になるのか。

地域をはじめとしたコミュニティーの違いだと思う。
花巻では停電の間も、その後物資が入って来なくても、
みんなでいろいろ分け合った。
米やら野菜やら卵やら灯油やら・・・。
近所や親戚同士で持ち寄ることで
少しでも不自由を賄いあった。
一方の東京はどうか。
ひとりひとりが自分で自分を守らなくてはいけない。
それぞれが自分の備えを考えると・・・
当然モノはなくなる。
不安と流言蜚語が群集心理をかきたて、更に輪がかかる。
コミュニティーの違いがそこにあるのではないか?

陸前高田に母親がひとり住むという社員がウチの会社にいる。
津波後連絡がつかず、地震後2日目に行ってみたらしい。
自宅は残っており、母親も避難所で無事だったらしい。
ところが盛岡に母親を連れ帰ろうとするその社員に
母親は避難所にそのままいると告げたらしい。
「近所の人達がみな一緒だからここの方が落ち着く」と。
電気も水も来てない状況の中の選択だ。

我が家の後ろの家は大槌出身のひとり暮らしのおばあさん。
今回の津波で生まれ故郷に住む兄夫婦が行方不明とのこと。
隣町に住む娘さんもガソリンが無くて来られない。
バスが不通だから買い物にも行けない。
そんな中、食料品店に勤める隣家の奥さんが
店からめぼしい食料を買ってきて毎日届けているとのこと。
そのおかげでおばあさんは毎日を過ごせている。

普段は濃い人間関係が敬遠されがちな田舎のコミュニティーだが、
イザという時は安心できる集団になる。
(東京でも下町ならコミュニティーがあるね)
原発事故でも、福島からの避難民は
地域ごとでまとまっているらしい。
仮設住宅でも、元々のご近所さんたちが周囲にいると
トラブルが少なくて済むし、精神的にも安心できると聞いた。


これからの日本の災害への備えにおいて
地域や血縁などのコミュニティーは
もしかしたらとても大事なものかも知れない。
コメント
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