風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

地方大学の生き残り

2006-04-11 | 風屋日記
岩手県内に本拠を持つ4年制大学は
国立大学法人岩手大学、岩手県立大学の他
私立では文学部の単科大学の盛岡大学と経済学部だけの富士大学。
これら4つが盛岡周辺と花巻だけにある。

児童教育学科での小学校教員養成の実績が輝かしい盛岡大学も
他の日本文学科、英米文学科は苦戦中とのこと。
富士大に至っては定員割れの年が続いている。
少子化と大学新設が続いたためどこの大学も学生確保に必死だから、
ましてこんな地方の大学の経営は大変だ。

全国どこにでもある経済学部や日本文学科、英米文学科じゃ
「なぜそこで学ぶのか」という意味付けがよくわからない。
素人考えだけど、
やっぱり「なぜそこで学ぶのか」という意味付けが大事じゃないか?
例えば単科大学では拡がりにかけるため
盛岡大学と富士大学を統合し、文学部、教育学部、経済学部、法学部の
私立文系総合大学を目指す。
それも全国一律の一般的な学問を学ぶのではなくて
日本文学科ならせっかく石川啄木、宮沢賢治の故里である特徴を生かし、
「啄木を(賢治を)学ぶならココ」というコンセプトを持せ、
それなりの環境と教員を配置する。
経済学部も地域経済、農協経済といったピンポイントの教育を目指す。
「どんな学問ができるのか」「どんな人間を育てるのか」
という、漠然とではない確たる教育目標を持つことが
この先生き残る唯一の道ではないのか

そしてそれは私立ばかりじゃない。
かつては国立一期校であり、高等農林、師範学校と
明治期からの長い歴史を誇る岩手大学も
弘前大、秋田大との統合・整理が取りざたされる時代になった。
教育学部をはじめとして一通りの学部を取り揃える国立大も全国各県にある。
工学部や農学部は評価も高いが、教育学部、人文社会学部に関しては
岩手県内の学生を集めるだけじゃ学問的拡がりが持てないし、
第一全国平均以上に少子化が進んでいるため
学生数も先細りでレベルも下がってきてしまう。

例えば教育学部。
教員供給率が大きく下がり、盛岡大学にすら負けそう。
基本的に教員そのものが少なくなってきているので、
「教員養成」という看板にばかりしがみついていても仕方がない。
各県の国立大学の教育学部は社会教育に活路を見い出しているらしいが、
じゃあそういう人材を大量に受け入れる器があるかといえば
それはそれで自治体に予算がなくて無理。
だったら企業のニーズに照らし合わせた上で
企業における「人材教育」理論の勉強はできないものか。
日本には人事担当者、労務担当者を育てる大学は皆無。
最初にツバをつけるのもひとつの手だ。

今後、各大学には様々な工夫が要求される。
そしてそれは、たぶん学内だけで考えていてはピントはずれになる。
地域がどのような人材を求めているのか。
まずは地域そのものに耳を傾けるところから始めるべきだろう。


・・・ということを、
現在岩手大学に社会人学生として在籍している
サロン・アーチのご主人と話してきた。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする