風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

2005-09-13 | 風屋日記
幼稚園から小学校の頃。
社会は高度経済成長まっただ中。
東京オリンピックから大阪万博、そして岩手国体。
毎日何かしら新しく、周囲ではマイカーを持つ家が増えていった。
何となく漠然とした希望を持ち、未来は輝いて見えた。
70年安保闘争や反戦運動、ヒッピー文化もカッコイイものだった。
当時の私の夢はプロ野球選手か外交官。
ルパン全集にハマっていたのでフランスに憧れていた。

中学校の頃。
ドルショックとオイルショックで経済成長にかげりが出てきた頃。
それでも市内の商店街は活気があり、
忙しい部活の合間には本屋を中心としてぶらつくのが好きだった。
自分の将来について確たるものが分からず、
とにかく色んなことを知りたくて手当りしだいに本を読んだ。

高校生の頃。
社会は右傾化の様相を見せ始め、
経団連会長の「徴兵制復活」発言が問題になったのもこの頃。
サルトルやカミュに憧れ、デフォーやボードレールにかぶれ、
ペンが持つ力を信じてモノ書きを目指そうと思った。
思いきってカミングアウトすると、
当時の日本で詩でメシを食っていたのは谷川俊太郎や田村隆一など一握り。
自分もその仲間入りがしたかった。
ランボーやラディゲが10代で有名になったことを意識してあせったりもしていた。

大学時代。
中曽根首相のレーガン大統領に向けた「浮沈空母」発言に危機感を感じていた。
円高不況で就職は厳しかったが、
後から考えてみると、時代はバブル経済を呼んだプラザ合意前夜。
都会の繁華街はどこか浮ついた空気が流れていたように思う。
私はといえば、モノ書きを目指したものの中途半端。
無頼派にもなれず、自分の筆力にも自信が持てず、それでも「表現」を捨てられず、
何となく毎日をイラつきながら、気ばかりあせりながら生きていた。
自分が何ものになろうとしているのか、自分でも皆目検討がつかなかった。

夢破れ、都落ちの心境で帰郷~地元での就職。
まだ何ものにかなろうとしていた私にとって、せっかく拾ってくれた会社も、
何となく「今」を過ごす腰かけでしかなかったように思う。

結婚のあとは忙しい子育ての期間が長く続く。
・・・が、この18年間が今の私を形作ってくれた。
子ども達と過ごす毎日が楽しかった。
どんなに仕事が忙しくても、幼い子ども達が寝る前の帰宅を心掛けた。
楽しくて、楽しくて・・・これがいつまでも続くと思っていた。

子ども達には「社会を見ろ。夢を追え」と教えてきた。
それぞれが自分の夢に向かって自分の足で1歩踏み出した今。
私達の未来は何となく漠然とした不安に被われている。
(芥川龍之介の遺書みたいな表現だけど 笑)
それでも社会を見据え、足を地につけ、自分の考えを強く持って、
どんなに大きくてもいい、自分の夢をおい続けて欲しいと思う。

さて、改めて考える。
今の私の夢は?
平凡に、ささやかに、何ごともなく過ごせる毎日だろうな。

欲を言えば、
老後はどこか東南アジアの片隅の田舎で暮らしたい。
何かの役に立ちながら、妻と2人で。
コメント (5)
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