一日として無駄な日など無く

素のままの日々を綴る
私の記録の閲覧所

父の看護記録〜15

2008年09月20日 00時41分34秒 | 父の看護
7月初旬−退院4日目

朝母に起こされる。父の様子が変だということ。起きていくとすでに母が呼んだ看護師さんが来てくれていた。
呼びかけても起きない。喉の奥でずっとごろごろと痰が絡んで苦しそうではあるが、とにかく目を覚まさない。
看護師さんの判断。今救急車を呼んだ方が良いとのこと。タイミングを逃すと搬送してもらえなくなるとのこと。
119に電話。あたふたと話す母を見かねて看護師さんが代わって状況を伝えてくれる。搬送先が決まっていないと運んでくれないという話を聞いたことがあるので、私はきっぱりと大学病院で受け入れてくれます!と伝える。
しばらくして救急車到着。私が付き添うことにして出掛ける準備をさっと済ませて外で待つも中々出てこない。搬送できるかどうかの診断だったのだろうか。とにかくしばし待たされてやっと運び出された。救急車内では簡単に患者の名前や同行者の名前などを指定の用紙に記入。車内でも搬送先の大学病院と待機している医師の確認が頻繁になされる。
物凄いスピードで搬送され、わずかな時間で大学病院に到着。
救急に運び込まれ、私は中に入らず待合で待機。しばらくするとすぐ元主治医の医師が来てくれた。
無理な延命はしないことを口頭で確認。ベッドをなんとか空けてもらって個室へ。
酸素を入れて、血痰を取り除いてもらって、徐々に呼吸が落ち着いてくる。
医師に釘を刺しておいてよかった。勿論主治医の先生も戻ってくることは想定していたことと思う。
この病院に帰って来ることができたことに心から感謝する。
救急車を呼ぶ判断と手伝いをしてくれた看護師さんと、受け入れて下さった大学病院の医師のみなさんとに大きな感謝を。

翌日、父は千の風となる。

父の看護記録〜14

2008年09月20日 00時34分33秒 | 父の看護
7月初旬−退院3日目

翌朝、看護師さんが午前中に来てくれて、えいやっと父をベッドに引き上げて下さる。父も心底ほっとした表情。よく我慢してくれた。(我慢するしかなかったのだが)しかし看護師さんは凄い。女性一人の力で重い父を持ち上げてしまった。看護師さんの身体(腰)も心配である。
朝一で介護レンタルの業者さんに電話をして事情を話し、早めに柵を取り付けたいと要請すると、その日の午後に来て下さった。業者さんが来る間にもまた足を下ろしてベッドから降りようとする父を制して足を元に戻し、ついでにベッドのリクライニングにもたれかかっているとどんどんずり落ちていくので、ベッドの上にのって父の脇を持って上にずり上げてやる、ということを繰り返す。
この日、張るモルヒネを張り替えたのでもしかしたら気分がハイになっていたのかもしれない。何をどうしたいのか?と本人に聞いてもちゃんとした言葉としてかえってこない。しかし何かが気になるようで目があちこちに泳いでいる。自分の部屋に戻れば、それはそれで心配事がたくさん見えてくるのかもしれない。病院という聖域から出てしまったのだ。ここには雑念がたくさん満ちている。この点でも、病院と家と、どちらが良いのか、決めることはできないと思った。
柵を追加し、隙間を無くして、これでもう落ちる心配は無い。
熱が少しあるようなので看護師のアドバイスで用意しておいた氷枕をあてる。
前日眠れなかったということなので眠剤を飲ませて早めに落ち着いてもらう。
落ちる心配は無いとは思ったが、念のためベッドの下に布団を敷き詰めて、万が一に備えて自分も就寝する。

父の看護記録〜13

2008年09月20日 00時18分12秒 | 父の看護
7月初旬−退院2日目

新しい往診と訪問看護スタート。
まずは訪問看護が先に到着。
新しい訪問看護への反応は果たしてどうかと思ったが、身体を拭いてもらったりして気持ちよさそう。大丈夫そうか。
今度の訪問の方々も穏やかで良さそうだ。
訪問の看護師と契約書を交わしながら、父のひどく痰が絡む咳について話す。煙草は吸っていましたか?との質問。60歳くらいまでは吸っていたようですと言うと、煙草を吸う人は歳をとると痰がよりたくさん出るので、お父さんは多分吸っていたと想像できました、との答え。煙草がこんなことにも影響することを初めて知る。
次に往診の医師と病院の看護師さんが到着。こちらもまた別に契約書を交わす。
往診の医師との顔合わせも穏やかに終了。よかった。
点滴を嫌がる傾向対策として、1日おきに2本ずつやっていきましょうということになる。
その日は退院後初の点滴ではあったが、医師が1本で良いとの判断。
点滴の落ちるスピードが気になり、大学病院では「3秒に1滴が目安」と言われたことを告げるが、往診病院ではスピードは速くても遅くてもよい、といった感じの対応。では大学病院と同じスピードでということになる。計算すると約5時間とのことだったが、4時間半くらいで終了。(不安なので少し残した状態で止めることにしている)
医師が帰った後、母より、1日以上点滴をしていないので心配だからもう1本やったらどうかとの意見。往診ドクターに電話で確認し、続けてもう1本つなげる。
3時間後に残量を見ると半分残っている。しかし、夜ももう遅い時間なので終了にしようとふと父を見ると・・・ベッドから降りて(落ちて?)ベッドに寄りかかって座り込んでいる。「落ちたの?降りたの?」「歩こうとしたの?」と聞いても答えず。ベッドに戻るか?と聞いたら、戻るとのことではあったが、自力では立つことができない。父が両手を持ってくれれば立ち上がるとの素振りをしたので向かい合ってそれぞれの両手を握り、私が引っ張り上げて、その勢いで父が立ち上がろうとしても立ち上がれない。何度か奮闘した末、すでに就寝中の母を起こして「どうしよう?」と声をかける。ふたりがかりで抱えてもダメ。とにかく重い。仕方がないので訪問看護の緊急用の番号に電話。娘が後ろから抱えて(羽交い絞めなイメージ)母が足を持ち上げるという方法を試してみてくれと言われるも、無理。2度目に電話すると「そのまま下に布団敷いて寝かせて下さい。明日様子を見に行きます」とのこと。布団一枚も敷けないスペースだったが仕方がないので何とか仰向けに寝られる形にする。下に布団を敷こうと思っても、とにかく重くて持ち上げられないので、きちんとした形で寝かせてあげることができずにかわいそうであったが、翌朝まで我慢してもらう。
ベッドには上半分しか柵を取り付けてなかったので、下半分も取り付けて落ちないようにしなければならない。歩行訓練などしていたから、本人は歩けると思ってしまっているのかもしれない。心のアンバランスさは問題である。
深夜の格闘に母も私もぐったり。
ただこの時、初めて父の足を触り、その浮腫みのひどさに驚いた。足を掴むとスポンジのようにしぼむ。大学病院の医師が点滴(水分)も入れすぎても気持ち悪くなってしまうから、毎日きっちりの分量で、などと考えなくてもいいと言っていたのを思い出す。これについては改めて医師・看護師と相談しようと思う。

父の看護記録〜12

2008年09月07日 00時42分30秒 | 父の看護
6月4週目−2

退院後、家族が対処できるように、点滴の指導を受ける。何を何回実践したか、ということが病院にとって大切らしい。決まった回数の指導を受けに毎日時間を決めて赴く。腕などに刺しておく留置針ではなく、簡単な手術で胸に埋め込まれたポートに針を刺す。針を刺すのは医師で長い方のチューブの抜き差しと点滴パックのセットや交換など、家族がやるべきことは基本的には前回と変わらない。針を抜くのも、つまんで抜くと同時に針がプラスチックのつまみの中に自動的に納まり安全に廃棄できるようになっているので、以前より楽。ただ皮下に埋めてあるので、刺す度に薄皮一枚とはいえ皮膚に刺さるので、見ている方が痛々しい。数日交換しなくても良いところを練習のために毎日抜き差ししているので、「痛そうなので、何度も抜く練習をしなくてもいいのでは?」と尋ねると医師や看護師は「痛くないですよ」。後で本人に聞いたら「痛い」と答えたので、これにもまた憮然となる。とにかく決められた日数をこなさないといけないらしい。周到である。
点滴の落ちる速度は入院中は機械制御であったのだが、これもまたアナログに戻るので3秒に1滴という滴速の目安を教えてもらう。
貼るタイプの痛み止めを貼る練習もする。貼る場所はどこでも良いらしい。毎回同じ場所ではなく、違うところに貼るようにする。お腹の辺り、脂肪のある辺りが良いらしいが特にこだわらなくても良いとのこと。3日に1回交換。はがしたものも、自分で触れないようにきちんと密閉して廃棄すること。

介護認定の判定には時間がかかると思っていたが、区の対応が驚くほど早く、来月に持ち越されるであろうと思っていた判定結果の通知が6月中に届いた。「要介護5」という一番高いレベルの判定である。これでやっと介護用品を安くレンタルできることが決定する。点滴台も追加でレンタルすることにする。風呂場で使用する椅子なども検討。

6月最終日に退院が決まる。心配していた介護タクシーもソーシャルワーカーさんが手配してくれるとのこと。首が安定するタイプの車椅子ごと移動できるタクシーを頼むことにする。

退院日。介護タクシーの方が病室まで迎えに来てくれる。自力で立てない父。看護師さんに車椅子に乗せてもらい出発。車での道中気分が悪そうだったがなんとか到着。家の前の階段に車椅子が上がらないので頑張って歩かせようとするが、やはり歩けない。介助してもらいようやくベッドへ。
1ヶ月ぶりの我が家。
この日だけは点滴もなく、ベッドに固定されることもなく、とにかく楽な姿勢でくつろいでもらうこととする。
夜眠れるようにと病院から眠剤を処方されていたが、母が夜中に痰が詰まって自力で出せなくなると心配だからというので、その日は眠剤を夕方飲ませて早い時間にうとうととしてもらうことにする。私が遅くまで起きているのでそれまで様子を見て、朝早くに起きる母に後は任せることにする。それでも夜の間ずっと誰かが見ていることはやはり無理。ナースコールのようなものが必要だろうかと思案。

父の看護記録〜11

2008年09月07日 00時21分32秒 | 父の看護
6月4週目−1

新しい往診病院へ相談に行く。まずは看護師さんと面接。また一からの説明。
後日担当の医師と改めて面接になるそうだ。
この時、看護師さんに「ご本人も含めてターミナルケアについて話し合われたことはありますか?」と聞かれ、改めて考えてみると、そんな機会は無かったように思えた。とにかく家族は日々、発生することに対処し続ける毎日。本人もわかっているのかいないのか。病人は痛み止めと水分コントロールと適度な歩行だけの日々である。病院も看護師も本人には敢えて詳しいことは話さないように見受けられる。そして家族も毎日とにかく父がなるべく楽でいられるよう、余計なことは言わずにフォローし続ける。「ターミナル」という言葉を本人の耳に入れないような空気の中で、やり過ごしているような日々なのだ。

ソーシャルワーカーさんに担当してくれる看護師さんの名前を教えるとすぐさま連絡を取ってくれた。大学病院からの情報提供書も速攻で作って新しい病院にFAXで伝わった模様。大変素早い。そしてそれを元に往診担当の医師と面接。無事新しい往診・訪問看護体制となる。果たして父の反応は如何に。

この頃は暑い盛りだったので、外での散歩(小さな屋上庭園がある)は諦め、病院のフロアを車椅子を押して一巡する、というのが日課となっていた。ついぐんぐん押すと「気持ち悪い」と父。日々、車椅子を押す速度がゆっくりになっていく。光が満ちて明るく清潔な病院から狭くて陽の当たらない自宅に帰ることを思うとかわいそうな気持ちになる。家に帰ることが父にとって良いことなのかどうなのか、自分にはわからなかったが、とにかく決まったことに善処していくしかない。ここでの入院の継続は叶わない。ソーシャルワーカーにもここはそういう病院ではないとはっきり言われた。ネットで検索してもホスピス病床のある病院はとても少ない。ターミナルを在宅でしている人が多数のように思われる。
病院側の「自宅が一番ですよね」というセリフに無責任さすら感じる。
でも仕方がないのだ。
その代わり、何かあったら必ずまた面倒を見てくれるようにと主治医に何度も釘を刺した。主治医もそれに対して、何度も頷いてくれ、それだけが心の拠り所となった。

父の看護記録〜10

2008年09月06日 23時42分42秒 | 父の看護
6月3週目

退院予定の週に入ったのに、具体的な日程が決まらない。リクライニングのベッドも準備OKだが。
区の認定調査の予約も迫っているのに、と焦り始めた頃に、ソーシャルワーカーさんから電話。
医師・看護師の見解から、往診の医師と訪問看護を変更した方がベストではないかとの相談。今から別の病院をあたるなんて・・・と思ったが、疼痛ケアも安定し、精神も安定しているところに、また嫌な思い出のある訪問看護を入れると折角の帰宅も悪い結果になるであろうという意見。これは家族も内心心配していたことなので、仕方なく別の病院をあたることにする。近所で看板を見て往診をしている病院があったので、そこに相談に行くことになる。
ただ一度決めた地域病院と訪問看護には何と説明すればいいのか?と尋ねると、ソーシャルワーカーさんが直接連絡を取り、事情を話してくれるとのこと。実際すぐに連絡を取って頂き、先方もわかってくれた模様。別病院が決まれば、解約の手続きをしなければならない。
ケアマネージャーにも連絡して事情を説明。元々地域病院で紹介してもらった手前、どうなるのかと思ったが、続けて担当してもらえるとのことでホッとする。
区役所の窓口にも連絡。日程をまた延ばしたいというと病院はどちらになりますか?と尋ねられ、所在地を告げると、そのくらいの場所なら伺えますよ、と言って下さり、認定調査の方がわざわざ大学病院まで来て下さった。やっと面接!まずは母とふたりで病気の発覚から現在の状況までの説明、現在の病人の状況を話す。介護認定なので歩行はどの程度自力でできるのか、などの細かい質問項目が多数。そしてやっと本人との面接。思ったよりも私たちの面接時間が長かったので待ちくたびれたようだ。簡単な質問に答えられる範囲で答える。本人面接が一番心配だったが、なんとか穏やかに終了。次に看護師さんへのヒアリング。こちらは家族抜きだが、廊下でのヒアリングが聴こえてくる。調査員に「歩行はどうか」と聞かれ、間髪入れずに「歩けますよ!」と自信満々に答える看護師。そんなに簡単に答えないでくれ・・・私は思わず心でかちんときた。日々動きが衰えているのは明白だ。なのに病院側はとにかく家に帰したいから、そんなことを言う。介護認定のためのヒアリングなのだから、もっと慎重に答えてもらうべきである。介護認定が降りなければ、病人により快適な介護をも提供できないのだ。「歩けるようにして帰してみせる」という病院の姿勢をただ息巻いて話しているだけのようなその発言に病院の本音を見たような気がした。

父の看護記録〜9

2008年09月06日 23時31分43秒 | 父の看護
6月2週目

あと3日くらいで、と言われながらも10日以上生きている。家族は皆今日が最後かもしれないと思いながら病院へ赴く毎日。
しかし足が萎えないようにとつかまり歩きをする歩行器を使って歩行訓練なども毎日軽くしているようだ。そんなことをしているせいか、入院時、あんなに辛そうだったのに、本人はもう帰れるなどと思っているらしい。見舞いの家族がこの辺りから戸惑い始める。
周囲の患者さんを見ていると、手術の翌日にはもう歩く訓練をしているような人もいて驚く。とにかく早く退院させようという職員の努力があるようだ。病床数には限りがある。特に外科病棟は順番待ちが大勢いる。
明らかにモルヒネの影響で、意識はここにいるのかいないのか、ひどい時は私と母がわからない時もあり、精神状態がとても不安定。しかし気持ちはとにかく明るいらしく、医師に家に帰る?と聞かれると、帰りますと答えている模様。
それに乗じて病院側も帰す方向でいるらしい。
帰れるような状態なのか?
一旦退院となると、問題は父が拒否した地域病院である。我々のいないところでその病院の悪口を言いまくっているらしい。主治医にも言うらしい。大学病院の治療方針を必ず引き継いでくれるように依頼するから大丈夫、と本人にも説明するが、釈然としない様子。しかし本当に退院するとなれば引き続き頼むしかない。
そして、翌週には退院の方向で、という話が具体的に出た。
改めて区の介護認定調査を依頼。退院後の家での面接を再度申し込む。ケアマネージャーさんにもようやく具体的に相談ができ、認定を待たずしてとりあえずは介護ベッド(リクライニングベッド)のレンタルを要請する。認定が降りれば何割かの負担で済む。ケアセンターと介護用品の業者との改めての契約。病院、訪問看護、ケアマネ、レンタル業者・・・ここのところ何度も同じような契約書にどんどんと署名・捺印している。一々の説明も聞き逃さないようにしているとこれはこれで疲労の種になる。
主治医から大学病院内のソーシャルワーカーに話を通してもらい、予約して面談をする。このソーシャルワーカーさんが優秀な人!看護師でもあるので知識も豊富。この方には本当にお世話になった。大学病院、地域病院、訪問看護ステーション、すべてがスムーズに運ぶよう、中心となってすべてに素早い対応・連絡・情報提供をして頂いた。
モルヒネを肌に貼り付けるタイプのものに変更して、家でも疼痛管理がしやすいようにする。自分で立ち上がったり、歩いたりが辛そうだが、できる範囲での歩行練習を続ける。多分トイレなどにはバーをつけるなどのリフォームが必要であろう。杖も必要。車椅子が置けるような広い家ではないので、ベッドから移りやすく、座りやすい椅子などを用意して気分転換ができるようにもしたい。諸々工夫が必要である。

父の看護記録〜8

2008年09月06日 23時14分37秒 | 父の看護
6月1週目

入院最初の夜にまたどたばたがあった模様。これ以降、就寝時は腰にベルトをされ、ベッドに固定されるので、夜間落ちることはない。このベルトがとにかくうっとおしいと毎日訴えるが仕方がない。(日中は外している)
段々しゃべるのが億劫になってきた模様。
訪問看護の方に伺ったのだが、しゃべらなくなっても耳は聴こえているものらしい。私たちが何を言っても頷くか首を横に振るか、あるいは短い言葉で会話を終わらせる。一度、何を言っても反応がないので、お父さん、答えるのが面倒くさいんでしょ?と問いかけたら、間髪いれず、うん、と頷いた。やっぱり聴こえてるんじゃん!と笑う。
入院してすぐの時に、父が母に、葬儀のことはまだ決めてないのか!ダメじゃないか!と言ったらしい。それを受けて私がひとりで近所の葬祭場に赴き、事前見積もりを取ってもらう。とにかく冠婚葬祭が苦手。我が家は親戚関係が希薄なので、自分もあまりこういった場に積極的に参加してこなかった。しかし、こんな時に常識を問われることになるのである。葬儀屋さんにひとつひとつ伺いながら、父の希望である家族葬(密葬)のプランを立て、見積もりを出してもらう。相場であろうという金額。安い会費を払って会員になれば、優先的に葬儀を進めるとのことだったので、会員になる。これはいつでも解約・返金できるらしい。帰り道、道端に咲く花を眺めて歩きながら、一体自分は今何について話してきたのだろうとぽかんと考える。父の葬儀。父が亡くなるということだ。やはり全く実感が沸かない。

父の看護記録〜7

2008年08月17日 22時24分44秒 | 父の看護
5月28日

やや興奮気味の父。
要介護認定のための認定調査員が自宅に来る予定であったがキャンセルをする。
認定の申請の必須事項の中に「本人との面接」がある。その本人は昨日の今日でとても冷静に面接を受ける状態ではない。朝一番にキャンセル。
訪問看護もこの日はキャンセルする。
区役所に認定申請をしてから、面接の予約はすぐに取れるものではなく、2週間ほど前に予約を取った日にちである。この先の予定が未定となったので、区の窓口の方に事情を説明し、後日改めて面接希望日を連絡することを告げる。認定が降りるまでにかなりの時間がかかると聞いていたので、頭を抱える。
父の言動に不穏な点が多くなってきた。薬の副作用であろうか。それともただストレスが溜まっているだけであろうか。
これもまた薬の副作用かもしれないが、食欲が全く無くなり、口からは水分もあまり取らなくなる。

5月29日

朝一番で大学病院へ。母が付き添い元主治医と面談。後から聞いた話によると、父はかなり具合が悪そうなのに、医師に呼ばれて母が付き添って入ろうとした途端、手で母を振り払ったそうである。しかし、すぐに医師が母を呼び入れ、本人が何を言っているのかわからないので説明して下さいと言われたらしい。
この頃には少し歩くだけでも呼吸が苦しくなり、タクシーで病院までは行ったとしても、入口から外来まで歩くだけで息切れし、またうまく口が回らないようで、本人からはうまく説明できなかったらしい。母が経緯を説明し、その場で入院。後から私が到着すると、母が医師から、あと3日くらいで、と言われたと言う。あと3日くらいの命、ということだ。
母は着替えを取ってくるため一旦帰宅。その間、ベッドの用意ができるまで私が待機。外来の仮ベッドに横たわった父は、家を出るまでとは打って変わって満面の笑顔。あれだけ飲みたがらなかった水も、飲みたいと言って、運んできだ水をごくごく飲む。
看護師に改めて今までの経緯を聞かれる。ここに来たら態度が一変しましたと言うと、看護師さんが笑う。父はこの大学病院に職員として定年まで勤めていた。とにかくこの病院が好きで、信頼している。よっぽどここが好きなんですね、と看護師さんが言い、私もそれに頷いて、二人で呆れたように微笑みあう。
20年前はここで胃癌の手術もしている。とにかく知合いもいて、勝手がわかっていて、様子がわかっていて、安心できるのであろう。地域病院に対するアレルギーの反動もありか。
病室は2人部屋。場合によっては個室へ移しますとのこと。
母が来るまでふたりで少し話す。相続するものについて簡単に。しきりに相続税について心配していたようだが、私がうちには相続税を取られる程の財産はないと断言すると、心からほっとした様子。もっと肝心なことを話したかったのだが、面倒くさい話になると聴こえないふり。とにかくすべて私が引き継いでやっていけばいいのですね?ということだけしか確認できず。昨日から今朝にかけて元気がなかったのが一転、まったく気持ち悪くも痛くもないという実に快適そうな顔。この人のどこがあと数日の命なのだろうと、全く実感が沸かず。
この日から食事については絶食となる。点滴のみ。
食欲はないがチューブ式の栄養補助食と水くらいなら摂取できるらしいので、病院内のコンビニで買い置きをしておく。

父の看護記録〜6

2008年08月07日 15時04分53秒 | 父の看護
5月27日

最初の医師往診日までまだ2日もある。看護師ばかりがやって来て、医師が来ないことに父が腹を立てる。看護師が先生に状況を必ず伝えていると説明しても納得するはずもなく。
この日やって来てくれたのはステーションの所長さん。いつもの血圧チェック、触診など。しかし、触診をしようとする看護師の手を、父は振り払って拒否をする。唖然。点滴も拒否の父をベッドに残し、隣の部屋にて母も交えて3人でお話。
ここまでの不安やターミナルケアに関する知識不足による悩みを聞いて頂く。
するとターミナルや在宅看護についてはケースバイケースなので、無理に知識を得ようとしなくても、ただ患者さんが望むことをしてあげれば大丈夫、との心強いお言葉を頂く。何かあったらその時に善処すればいいと。
看護に絡んだ話の流れで、看護師さんと母とで共通した経験についての話題になり、話が盛り上がる。母は友達が少なく、私以外の人と話をする機会がほとんど無いので、ふたりが笑いながら話に花を咲かせることがとても助かり、うれしかった。母にも息抜きが必要である。しかし、隣の部屋で寝ている御仁が気になり・・・
我らが盛り上がっている途中、部屋から出てきてトイレへ向かう父。私たちをきつく睨んで無言。女性たちが家の中で騒がしいのはきっと嫌なはず・・・と思ったら、案の定ご機嫌を損ねられてしまった。
その日の夕方、訪問看護について父がついに爆発。看護師ばかりで医師が来ない。(いくら日にちが決まっていると説明しても聞かず)挙句に看護師がべらべら長い時間しゃべってばかりいる。(小1時間話をしたのはこの日だけ。後は契約や診療方針などの説明を聞いていただけ。家族の話を聞くことなども看護師さんによる家族ケアの一部である、などという精神論など受け付けてくれるはずもなく)
外来から入院、訪問看護まで、地域病院の何かがお気に召さなかったらしい。家族から見れば親切にどの看護師さんもやって下さっている。
大学病院に自ら電話して元の主治医に予約を取る。その先生に言われて決めたことであるのに。電話で、今かかっている病院がおかしい、変だ、頼りにならない、といったようなことを訴えている様子。
とにかく強引な人なので、翌々日に予約を取る。朝一番で大学病院に付き添うことにする。
ターミナルに際して母と決めたことがある。人が良かれと思ってすること・言うこと、すべて否定して自分が一番正しいと思うような父親であるからして、とにかく本人の良いように、思うようにさせてやろうと。勿論間違いがないよう、父に気づかれないところでの善処を常に心がけての話だ。このバランスを取るための気配りにより、これから先、残りの家族の神経が疲労することとなる。