相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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「大横綱」の名が泣く…

2018-01-01 21:38:18 | 日記
 昭和五十九年正月場所における8勝
7敗の幕内力士→春…の地位検証。

横綱 北の湖→言語道断
前七 蔵 間→前一
 〃 板 井→前二
同九 大 徹→前四
同十 鳳 凰→前六
同十一 魁 輝→前八
同十三 隆三杉→前十

 当場所、惜しくも負越しの7勝…は
平幕中位に1人だけ。
 殆んど平幕下位に8─7が集中しており、
誰の眼だって“不自然”に映るであろう。

 「大横綱」だったら、如何に不調な場合
でも、がたがたに崩れるはずがない。
上記北の湖8勝のなかに「不戦勝」が…。
 彼を大鵬や千代の富士より“格上”とは
思えないのである。
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1 コメント

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やはり「大横綱」 (shin2)
2018-01-01 23:54:12
昭和52~54年の北の湖は最強だった。白鵬と取っても互角か、それ以上だっただろう。
北の湖は昭和56年九州場所、初土俵以来初めて休場して以来、一気に衰えた。昭和57年から昭和60年初場所の両国国技館のこけら落としで引退するまでは、別人と言ってよい。
なぜ両国国技館の土俵に上がることに拘ったのか。当時の春日野理事長の命令もあったと言われるが、個人的にはこの8勝7敗の前年=昭和58年で引退したほうが良かったと思う。

大鵬は拳銃密輸発覚→書類送検→略式起訴処分(現在の日馬富士と、事件発覚後の流れは同じだ)直後の昭和40年夏場所は9勝6敗(千秋楽不戦敗)だった。相撲協会からは譴責処分に留まったが、平成30年ならどうなったか。
千代の富士は横綱に10年近く在位したが、年に1場所は全休や序盤戦で途中休場していた。現役中は要領が良かったが、引退後は不遇だった。

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