アテネの民主政完成のプロセスを論ぜよ[世界史3]

2017-02-16 10:34:05 | 日記
ペイシストラトスらの僭主政治の反省を踏まえ、独裁者が出ないよう紀元前508年クレイステネスが陶片追放の制度を設けた。
その後、紀元前500年ペルシア戦争がはじまり、マラトンの戦い・サラミスの海戦などで平民が活躍し発言権を増していった。
アテネはペルシアの再度の侵攻に備えたデロス同盟の盟主となり、民会での合議による直接民主政が確立し、ペリクレスによる黄金時代を迎える。
但し、アテネの直接民主政は女性や奴隷に参政権を認めないなどの問題も孕んでいた。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いがあるかも。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポリスについて論ぜよ[世界史2] | トップ | 共和政ローマの民主化プロセ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事