小雑記

大好きって,ふたりだけの歌があること
~Charles.M.Schulz~

紀伊半島大水害を綴る(51)

2012-10-22 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月16日 災害派遣初日(4)>

10時20分過ぎ,私達は川上村に差し掛かりました。

山の天気は変わりやすいものですが,先ほどまでの重い雲がなくなって,時折陽射しがみられました。重い気分になっていた車中にもほっとした空気が漂った…その矢先のことでした。

普段はとても快適なドライブを楽しめる国道169号ですが,通行止めになっていました。迂回指示の看板が出ていて,かなりの時間待たされることになりました。

長い長い信号が変わって,一方通行の細い迂回路を走る私たちの目に飛び込んできた光景は,あまりにも衝撃的で,車内の空気が一瞬にして凍りつきました。

「やばい…」

川上村役場やホテル杉の湯などがある迫集落のすぐそばをかすめるようにして山が崩落し,国道が跡形もなく削り取られていました。

「もし,集落を直撃していたら,ひとたまりもないよな…」

私の心の中にあったどこか観光気分のような浮かれた気持ちは,ここで完全に消え失せました。もしかすると,大袈裟だと思っていた母の心配以上のことを体験することがあるのかも知れないという不安が頭をよぎりました。そこから先も,あちらこちらで山の崩落がみられました。そのうち強い雨が降りはじめました。

同乗していたうちの二人は,知り合いだったようで,

「そう言えば,あの時も大変でしたよね…」

と思い出を語り始めました。あの時というのは,数年前に県内で高病原性鳥インフルエンザが発生した時のことでした。鶏の殺処分に当たっては,今回と同じように県庁各部署から職員が集められ,大変な思いをしたようです。聞いているだけでも辛くなってくる赤裸々な内容でしたが,二人の会話はどこまでも明るいのです。決してふざけていたり物事を軽々しく受け止めたりしているのではありません。

これが若さなんです。

今回の派遣も,体力があって使い勝手のいい若い輩に任せようということで,年齢の上限を設けていると思いますが,実は,そういうことも含めて,どこまでも前向きに明るくエネルギッシュに頑張ることができる若さに頼っているということなのでしょう。

走れば走るほど,周囲の状況がどんどん厳しくなっていく中で,車内は逆にどんどん明るさを増していくように感じました。



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「紀伊半島大水害を綴る」
(登場する人物は仮名です。)
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紀伊半島大水害を綴る(50)

2012-10-21 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月16日 災害派遣初日(3)>

桜井から談山神社へ向かう細い峠道をのぼり,新鹿路トンネルを走り抜けて,吉野川沿いに出ました。


「たぶんここが最後のコンビニだと思いますので,寄りましょう。」


サンクス吉野リバーサイド店に車を駐めて,昼食を調達することにしました。先に出発していた公用車が1台駐まっていました。


「何台か先に行きましたよ。自分たちで考えて自由に現地へ向かうようにと言われましたけど,県庁からだったらこのルートになりますよね。」


空を覆う雲はとても低く,目の前を流れる吉野川の水はたっぷりと土を含んだ濃い茶色をしていました。通行する車両もまばらです。静かな山間に,増水した川の音だけが響いていました。

ここで,一人目の運転手を交代することにしました。「山道を運転する自信がないので道が平坦なところを運転させてほしい」と申し出る人がいたので,下北山村までの運転を任せることにしました。

この先は,とてもケータイがつながるとは思えないので,最後のつもりでメールチェックをしました。私を心配しているメールが数件届いていました。一人暮らしの老いた母は,今回の災害派遣を少々大げさにとらえているようで,メールには重々しい内容が綴られていました。


「自らの身の危険をかえりみないでたぶん志願でもして十津川村の救助に行くのでしょう。命を粗末に扱ってもらうためにあなたを産んだのではないので。人助けは大切なことだけど決して危険には近づかないように。無事に帰れ。人にほめられるような無理なんてしなくてよい。自分のできることをしっかりと。どんな状況になっても疲れて面倒でも連絡を何度でもすること。たくさんの人が心配していることを忘れないようにすること。(メール引用原文ママ)」


どのメールも私の身を案じてくれているものばかりで,すべてのメールに返信しておきたいと思いましたが,まだ出発したばかりの現状で返信するよりも,現地の様子が少しでもわかってから報告を兼ねて感謝の気持ちを伝えたほうがよいと思い,返信はやめておくことにしました。

現地に着いてしまえば,おそらく個別に返信する余裕はないかも知れません。私の様子を知ってもらうための方法として,TwitterやFacebookも考えましたが,アカウント登録をしないと見てもらえませんので,心配している多くの人に見てもらうためにブログを活用することにしました。

以下が最初の書き込みです。

~雲行きが怪しい~
本日から、十津川村現地災害対策本部の職員としての勤務を命じられ、今、現地に向かう車中です。たくさんの方にかなり心配していただいているようなのでときどき情報発信します。吉野川畔、ここが最後のコンビニ。さっそく今朝の地震で野迫川村に避難勧告が発令されたという連絡あり。台風が近づき、空も真っ暗なのでまもなく強い雨も降る。身の引き締まる思い。(2011-09-16 09:50:54)

まさに泣きっ面に蜂とはこのことか。こんな状況で,地震,そして戦後最大級の台風が来襲とは。




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「紀伊半島大水害を綴る」
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紀伊半島大水害を綴る(49)

2012-10-20 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月16日 災害派遣初日(2)>

出発式。

台風が接近していることを感じさせない,白い雲の間から青空が垣間見えるいい天気でした。

県庁内のたくさんの方々が仕事の手を休めて,中庭に出てきてくれました。私の職場の人たちも,電話対応の人以外,全員で見送ってくれました。

出発式が始まる前,気分はとても落ち着いていましたし,状況も十分把握できていたのに,なぜか夢心地で,現実の世界にいる気がしませんでした。自覚できていないだけで,実はとても緊張していたのかも知れません。たくさんの人が集まった騒々しい雰囲気の中で,帽子を目深に被り,真新しい長袖の作業服に身を包んで立っていると,自分が思っている以上に大変なところに行くんだという実感がじわっと湧いてきました。もしかすると,戦場に向かうときは,こんな気分なのかも知れない,と思いました。

公用車に荷物を積み込みましたが,同乗する4人の中で,荷物を一番たくさん持ち込んだのが私でした。半分以上が例の同僚からの差し入れです。車の後部トランクの半分以上を私の荷物が占めてしまったので,トランクに入りきらなかった他の人の荷物は,車内の人が抱えることになりました。


「整列!」


号令と共にこんなにピシッと並んだのは,小学校の運動会以来かも知れません。挨拶を聞いている間,帽子を被ったままだということにも違和感がありました。副知事の激励の挨拶をはじめとして,とても盛大な見送りでした。

車に乗り込む前に,同僚が集まってくれている辺りに近づいて,改めて挨拶をしました。


「体に気をつけて!」
「無理をしないで。」
「危なくなったらすぐ逃げや!」


さすがに,この場面ではいつもの軽口はありませんでした。

私が乗るのは最後尾の7号車。後部座席に乗り込んで荷物を抱えました。1号車が動き始めると同時に,一斉に拍手が沸き起こりました。見送りの人たちの中に手を振ってくださる人もいたので,窓から手を振り返そうとしましたが,照れくさくて,なんとなく頭を下げるだけになりました。


「派手な見送りですね…」
「なんか戦場に向かうみたいな感じですね…」


車内のみんなは,やっぱり同じことを感じているようでした。車に乗っているのは,お互い全くの初対面のメンバーです。やはりここでも,私が一番年長でした。

奈良公園を南下しながら,これからどうするかを話し合いました。

運転は4等分して4人で交代しよう。
もし他の車がいてもペースを合わせることなく,運転者のマイペースで走ろう。
桜井から談山神社を抜けて,下北山村からR436を通ることにしよう。
当座の食べ物は,持参したものには手をつけずに,吉野のコンビニで調達しよう。
現地に着くまで,できるだけ楽しい話をしよう。

自己紹介しながら車を走らせました。車窓から見える空に急に雲が広がり出しました。桜井に入って箸中の三輪素麺山本の看板を過ぎ,大きな鳥居が見えた辺りから,ぽつぽつと雨が降り出しました。


(嫌な雨だ…)


抱えている荷物をぎゅっと握りしめました。





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紀伊半島大水害を綴る(48)

2012-10-19 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月16日 災害派遣初日(1)>

いよいよ出発当日の朝を迎えました。台風の接近でかなり暗い空ですが,まだ雨は降っていません。

8:45。

全員が紺色の防災作業服を着用して集合しました。

「奈良県にとって,100年に一度の甚大な災害です。みなさんには,この危機的状況を身をもって支えてもらうことになります。組織の一員として指示されたことをやり遂げることはもちろん,状況をみて自ら気づいたことは,その場で責任をもって判断してもらわなければならないこともあると思います。どうぞよろしくお願いします。あと,決して無理をしないことを心がけてください。過酷な状況の中で心身のバランスを崩してしまいそうになることもあるかも知れませんが,ほんの少し無理をしたことで,後々大きな迷惑をかけてしまうことになっては本末転倒です。くれぐれも自分の体調管理をまず第一に,職務を全うしてほしいと思います。」

「さっそくですが,1つとても大きな問題が発生しています。台風のことです。状況を確認させてもらいます。」

「現在,台風15号が南大東島を西北西に進んでおり,台風の北東側の湿った気流が近畿地方に入りやすくなる見込みです。このため,奈良県では,今日16日の昼過ぎから,南部地域を中心に雷を伴った激しい雨が降り,大雨となる恐れがあります。台風12号による記録的な大雨により災害の発生した地域では,新たな土砂災害が発生する恐れがあります。これからみなさんに通っていただく道は,すでに災害によって崩れた箇所を仮復旧した道ですので,かなり危険であることは間違いありません。」

みんなの顔が少し緊張したように感じました。

「さらに悪いことに,続いて台風16号が発生して南鳥島近海にあるため,台風15号は勢力を増しているようです。何度も繰り返しますが,道中,十分に気をつけてください。では,この後,中庭で出発式を行い,そのまま現地に向かいますので,忘れ物のないように集合してください。」

荷物の確認のために,自分の職場に戻りました。同僚は,防災作業服を着た私を見て,どう声をかけてよいものか困っているようでした。

「では,みなさん,しばらく職場を空けてご迷惑をおかけいたしますが,行ってまいります。」

全員が席から立ちあがって,笑顔で見送ってくれました。これから何が起こるかわからないけれどやるしかない,という妙に清々しい気分でした。

重い荷物を背負って,中庭に向かいました。中庭には,公用車がずらりと並んでいました。




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紀伊半島大水害を綴る(47)

2012-10-18 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月15日 出発前日(8)>

奈良の街の空は,台風の接近が感じられる曇天でした。晴れていれば西の空に沈む夕日が見える頃でしたが,分厚い黒い雲が,かなりの速さで流れていく…そんな空模様でした。

私は,買い物をしながら時々空を仰いで,明日からのことを多少なりとも想像してみようと試みましたが,頭に浮かんでくるのは,あの晴れ渡った美しい緑に包まれた十津川村の風景だけでした。先日,天川村で目の当たりにした忌まわしい光景と重ね合わせてみようとしましたが,どうしても無理でした。

奈良市内のどこを歩いていても,ごく普通の日常があるだけでした。同じ県内に,今も孤立したまま土砂ダムの決壊に怯えている集落がある…なんてことは微塵も感じられません。電気店やショッピングモールにあるテレビからは,台風が来る前とは何も変わらない楽しい笑い声が聞こえてきます。ただ,ニュースの時間になると,台風情報と十津川村の話題が冒頭で扱われている…それだけが,非日常を感じさせてくれるものでした。

(明日の今頃は,ここにいるんだ…)

そんなことを思いながら,十津川村からのテレビ中継をぼーっと眺めたりしていました。

ひと通り必要なものを買い揃えて,車で帰路につくと,まだ新装オープンしたばかりの新しいauショップが目に入りました。

(十津川村はケータイは使えるのかな?店で訊いてみよう…)

そんな思いつきで店に立ち寄りましたが,もう閉店時間になっていたようで,店員さんたちが看板などを片づけ始めていました。


「もう閉店ですか?」

「はい。」

「じゃあ,また来ます。」

「大丈夫ですよ。表は閉めますけど,どうぞ中にお入りください。」


たいした用事でもないのに,店内に案内されてしまうことに多少気が引けました。


「実は,ちょっとお尋ねしたいんですけど,十津川村ってケータイつながってますか?」

「十津川村ですか?それはちょっとわからないですね。」

「調べてもらうことってできますか?」

「少々お待ちください…」


若くて愛想のいい店員さんでしたが,私がなぜそんなことを質問するのかわからないといった体で,怪訝そうにカウンターの中に入っていきました。待っている間,私は,店内にあったタブレットを触っていました。

しばらくして,店員さんが戻ってきました。


「よくわからないんですが,不通になっているという情報はないので,たぶんつながっているんだと思いますけど。」

「実は,私,明日から十津川村に行くんです。結局,つながっているかどうかははっきりわからない,ってことですよね。」

「申し訳ございません。でも,今,十津川村って大変なんですよね。もしかしたら,せっかくの温泉も休んでるんじゃないですか?」


やはり,一般の人にとっては,同じ県内の災害であっても他人事でしかありませんでした。店員さんは,私が観光で十津川村に行くものだと思い込んでいるようでした。

私だってきっと,十津川村に災害派遣で向かうという特別な事情がなければ,十津川村でケータイがつながるかどうかなんて,全くどうでもいいことだったはずです。そのことは十分わかっていても,人々のあまりの無関心さにもどかしさを感じてしまいます。

閉店時間を過ぎていたので,そのまますぐに店を出ようと思いましたが,待っている間に触っていたタブレットについて,ちょっとだけ質問してみました。


「これ,どうやって使うんですか?」

「Wi-Fiルータといって,電波を受ける機器とセットで使うんです。だいたいケータイが使えるところなら電波は大丈夫です。今,ちょうどキャンペーンをやっていまして,1回線ご契約いただいたら,Wi-Fiルータとタブレットがセットになって0円ですよ。どうですか?」

「つまり,基本料金だけ支払えば,ルータもタブレットも無料でもらえて,ネットが使い放題になるんですか?」


これは,十津川村で使えるかも知れないと思いました。もし役に立たなくても,帰ってきてからの利用価値はありそうです。

(究極の衝動買いだな…)

とは思いましたが,最近流行のタブレットが欲しいと思いながら購入するきっかけにがなかった私にとっては,まさに渡りに船でした。

閉店時間をとっくに過ぎたauショップから出てきた私は,Wi-FiルータとAndroidタブレットをにこやかに抱えて,さぞかし嬉しそうにしていたんじゃないかなと思います。


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「紀伊半島大水害を綴る」
(登場する人物は仮名です。)
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