氷川女體神社 拝殿
秋が深まる中、さいたま市緑区にある“氷川女體神社(ひかわにょたいじんじゃ)”を訪ねた。
ウィキペディアによれば、
主祭神は、奇稲田姫命:須佐之男命の妻。大宮(さいたま市大宮区)の氷川神社(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたる。
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。本殿は寛文7年(1667年)、4代将軍徳川家綱による再建。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである。
見沼周辺の氷川三社について
元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。
これらから、3社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある
境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」がある。元々、氷川女体神社で最も重要な祭祀は、見沼で行われていた御船祭であった。しかし、享保12年(1727年)に見沼が干拓され、見沼での御船祭が行えなくなった。そこで、見沼の一部であった場所に、池の中に丸い島を築いた祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐船祭」を行うこととなった。磐船祭は明治初年には行われなくなったが、その遺跡が良い保存状態で残されている。等々と、記されている。
さいたま観光国際協会公式ホームページ 駐車場:有(無料)
氷川女體神社社叢 (クリックすると案内が見られます) 「武蔵国一宮」の扁額
広々とした氷川女體神社境内
埼玉県指定有形文化財の社殿 (クリックすると案内が見られます)
境内前の御幸道のつき当たりには「磐船祭祭祀遺跡」が保存されている
氷川女體神社 地図
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