六地蔵越しに望む、本堂
案内板等によれば、
知足院は、竜谷山弥勒寺と号し、古くは京都御室の仁和寺の末寺であったが、現在は、真言宗智山派に属している。
開基の詳細は不明だが、天正年間に武田信玄が再興したとも伝えられている。
整備された境内の観音堂脇には、盛典の墓所がある。「無縫塔」と云われる卵形で、東を向いている。
盛典(1662~1747)は、現在の騎西町の生まれ、市内光照寺を経て、奈良の長谷寺、京都の智積院などで修行を積み、元禄10年(1697)に知足院の住職となる。
梵語は仏教の原典にあたり、盛典は梵語の研究において名高い学僧で、知足院の観音堂を一番札所として、足立坂東霊場三十三ケ所の創設をするなど、多くの功績を残したと言われる。
案内板をクリックしますと拡大します。 駐車場:あり(無料)
梵語学者 盛典の墓所
観音堂(足立坂東霊場第1番札所)と墓所 知足院 本堂
境内は整然と整備されている
参道を埋める百地蔵
知足院 地図
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