そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

中山神社(中氷川神社 埼玉・さいたま市)

2014年11月30日 | Weblog

中山神社 社殿

 中山神社(通称、中氷川神社)を訪ねた。ウィキペディアによれば、
 中山神社は、埼玉県さいたま市見沼区中川にある神社。旧社格は村社。
 別称として中氷川神社とも呼ばれる。氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに一体の氷川神社を形成していたという説がある。
 崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられ、氷川女體神社と同年代の創建となる。「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたという。社伝では、鎮火祭(後述)の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされる。
 天正19年(1591年)徳川家康から社領15石の朱印を受けた。
 明治40年(1907年)周辺の神社を神社合祀し、鎮座地の中川の「中」と、江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを深めてきた上山口新田の「山」を合わせて、中氷川神社から中山神社へ改称した。
 当社は氷川神社と氷川女体神社の直線上にあり、広大な見沼を挟んでちょうど中間に位置する。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。
 これらから、3社で一体の氷川神社を形成し見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある。
 なお、本殿裏に立つ旧本殿は、二間社流造柿葺、安土桃山時代。見世棚造から流造に発展していく過渡期の建造物と考えられている。(さいたま市指定文化財)
 また、伝統の神事として鎮火祭 (12月8日)が行われる。
 炭火の上を素足で渡って無病息災と火除を祈願する。かつては、薪を平年は12段、閏年は13段積み上げて夜通し焚き、炭を神前に供えていたという。古くから伝わる伝統の神事だが、鎮火祭を行ってきた講の跡継ぎがいなくなったことや、薪にするアカマツの入手が周辺で困難になったことなどから、1981年を最後に中断していたが2007年より再開している。等々と、記されている。
 

  駐車場:有(有料)

 
第二産業道路から続く参道       社殿側から見た参道


阿吽の狛犬と社叢に覆われた境内

 
伝統の神事、鎮火祭が行われる  本殿裏に立つ旧本殿(説明は画像をクリック) 

中山神社 地図

(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)



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