社長のブログ

ルイール社長/長沼賢一のひとりごと

映画「東映」・・・②大川橋蔵

2006-11-17 12:22:50 | Weblog
大川橋蔵といえば、これぞいい男の代名詞、と言っていいでしょう。確かに男から見てもいい男でした。昨日ご紹介した中村錦之助が爽やかないいおとことすれば、大川橋蔵は甘いマスクの二枚目とでもいったらいいのでしょうか。欠点は、いい男過ぎて二枚目の役しかできないのが、悩みといえば悩みといえます。
橋蔵も錦ちゃんと同じく、歌舞伎の出で、男女丸の名前で初舞台を踏み、その後すぐに、六代目菊五郎の養子になり、大川橋蔵になります。歌舞伎界に飽き足りずに映画界に転進したのも、全く錦ちゃんと同じで、しかも同じ東映に入社します。二人の仲はあまりよくなかったようです。その頃は、ライバル同士とは競い合う気持ちが強く、今のようになあなあではなかったのです。それだけに演技での妥協がなく、素晴らしい映画を作り出していったのです。今の役者もぜひ見習っていただきたいことです。
橋蔵の初出演映画は「笛吹若武者」で、美空ひばりと大友柳太郎との共演ですから、東映が橋蔵にかける期待が感じられます。丘さとみと里見浩太郎との第二作「月形半平太」でも、二枚目の役を好演しています。いい男はそこにいるだけで様(さま)になります。それから後も「忠臣蔵」の浅野内匠頭など、様々なやくをしていますが、大川橋蔵の名前を大きく売り出したのは、なんと言っても、「新吾十番勝負」の葵新吾役ではないでしょうか。父親役が大友柳太郎(徳川吉宗)、母親役が長谷川裕美子(二時間ドラマの帝王、船越英一郎さんの実母)、敵役に月形龍之介さんという布陣で作られたのですが、あまりに評判が良く、十番勝負が終った後には、続いて二十番勝負が作られたほどです。
昭和30年代後半には映画が廃れ始め、東映もやくざ路線に変わっていきます。そんなこともあってか、橋蔵はテレビに転進します。他の時代劇俳優が銀幕にこだわり、なかなかテレビに出ようとしない中、橋蔵は敢然と新しい道に挑戦したのです。昭和41年のテレビ初出演が、今も有名なフジテレビでの「銭形平次」です。野村胡堂の小説が原作で、女房お静役に香山美子、がらっぱちの八五郎役に林家珍平(林家三平の弟子)でした。橋蔵の神田明神下の親分役は、初めから大当たりでした。もしここで失敗したら、とも考えたでしょうが、映画ファンは、茶の間で銀幕のスターが見れる、というので大喜びでした。それ以後、映画スターのテレビ出演が増えていったのです。
ドラマもヒットしましたが、舟木一夫の主題歌も大ヒットをしました。この歌は覚えている人も多いと思いますが、下記にしるして置きます。
男だったら 一つにかける かけてもつれた 謎を解く
誰が呼んだか 誰が呼んだか 銭形平次
花のお江戸は八百八丁 今日もきめての 今日もきめての 銭が飛ぶ
橋蔵はいい男だけに、ずいぶんと浮名を流しています。一番有名なのは、朝丘雪路さんとの大恋愛でしょうか。舞台での共演でも、ずいぶんと熱い演技をみせてくれたものですが、残念ながらこの恋は実ることはありませんでした。結局橋蔵の心を射止めたのは、京都の芸妓で、本名を沢村真理子という女性だったのです。でもこの恋は芸妓界からは大ブーイングでしたが、真理子は女の意地で結婚という結果を手に入れたのです。こどもができたことが決め手となったようです。いわゆる今でいう、できちゃった結婚の初めと言えます。お子さんの一人はフジテレビのプロデューサーをなさっていますが、これも「銭形平次」のご縁なのでしょうね。
橋蔵は霊感が前から強かったようで、昭和59年に55歳で他界しますが、亡くなる3日前の12月4日に、「俺の命はあと3日だ」と言い、事実12月7日の午前1時にあの世へと旅立ったのです。

1 コメント

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Unknown (沢村真理子大嫌い)
2021-01-21 05:01:11
朝丘雪路さんが本当に可哀想です。でき婚、寝とりだなんてやはり芸者上がりですね。