Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

気力と体力のこと。

2016-11-28 15:02:12 | 随想・・・。

 八段審査会の余韻もまだ続くなか、その時感じたこと、少し書いてみようと思いました。

第一会場から第八会場まで年齢順に分けられ審査が行われるのですが、特に午前中の部は最年少の第一会場の46才から第八会場の62才までと受審者にそこそこの年齢の開きがあります。勿論午後の部も62才くらいから後は80代の方まで(さすがに90歳代というのは聞いたことありませんが・・・)という開きがあります(こっちの方がその差が大きく思えますね)

  今更ではありませんがゆっくり各会場を見渡していると気づきます。

第一から第四会場辺りまではそうでもないのですが、それより年齢が高くなるにつれて明らかに会場に響く踏み込む足の音が変わってくるのです。もちろんスピード感も違ってきます。

じゃ、だからといって午後の八会場でやっている人が午前の一会場でやっている人にはまったく歯が立たないかと云えば、決してそうではありません。

全員とは言いませんがそこそこ力のる人なら一会場の連中と稽古しても対等どころか優勢にやれる人もいます。稽古においてはまったく遜色なくにやれます、というかそう簡単には打たれないでしょう。

まぁ、これが剣道の剣道たる所以なのですが・・・。

  そこでです、午前の部でも午後の部でも後半の組になるにつれ、見ていて「身体が気持ちについていってないなぁ・・」と云うような印象をもったり、そういった現象がいたるところで見受けられます。自分の脚力や瞬発力などを含め筋肉のみならず体力全体が落ちてしまっていて、それが全般的に同じようなレベルの中ではそうも目立たないのですが、若い人達の会場などと比較することさらに良ーく判ります。

  ですので、その同じくらいの年齢の中でも特に眼を見張るような動きや踏み込み、そして反応を見せた者だけが目立ち、そこで更に的確な良いところを打てれば間違いなく評価され一次審査は通過していくのです。

よく「四人一組の中で頭一つ抜け出て目立たないとダメで、横並びでただ打ち合うだけでは決して評価されない」と云われていますが、これは正しくそう云うことであり、それ故に厳しいとも云えるのです。

  ただ、旺盛な気迫、気力がいくら充実していても、ここぞの時にそれに対応できる身体=筋力が弱っていたのでは何にもできません。

※このことはあくまで現代剣道の世界における比喩です。殺し合いを前提とした古来の剣術とは意味が異なります。「柳生兵庫助」     という小説の中で、自分を訪ねてきた兵庫助に年老いた疋田文五郎が「今、試合となれば遅れを取ろうが、殺し合いならばわからんぞ・・・」と云う、確かこんな場面がありました。

 今の武道においては「強靱な体力にこそ旺盛な気力がついてくる」このような構図かも知れません。おそらく年齢がいけば、その筋力の旺盛な人とそうでない一般的な年齢相応の人との間には相当な個人差が現れてくるのだろうと思います。

結論。

「やっぱり鍛錬だ!」「剣道をこのまま続けてやって行く以上はこれは絶対である」とまぁ、こんな結論に落ち着いた訳です。

大東流の佐川幸義師範は「透明な力」という彼の弟子の著作の中で「精神は技術を通して生きてくる・・技ができなくては心だってダメだ・・」「武道家はいくつになっても鍛えなくちゃだめだ・・」等々の他、誠に武道哲学の神髄をよく言い当ててくれていますが、要は「最後は魂と魂の戦いだ・・が、そこには絶対的な技術が要るのだ精神だけではダメなんだ・・・」このようなことも同事に言っています。

  今の剣道の世界は佐川先生の武術感とはほど遠いのかも知れませんが「身体の強さとか技術の確かさがあってこそ精神が生きるのだ」的なこの考え、参考になるどころか僕的には心に沁みるのですよ。

「頭脳とてからだの一部、身体が弱まると頭脳も弱まってしまう」

  身体を鍛えるという本当の重要性は、僕にとって「ことは剣道」という媒体を用いた本当の意味の「心身とも無限の向上」というものなのかも知れません。

と云うことで、そんなことにまで考えが飛躍してしまいました。

悪しからず。

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心と身体に関わる「字」の変遷について少し・・。

2016-11-28 14:45:48 | 随想・・・。

「体」という字、戦前は「體」・・骨に豊かですよ。明らかに重み意味合いにおいて違いますよね。今は人偏に木、本‥ですよ。

更に例えば現代の「気」と云う字・・中は〆です。なんか沸いてくるもんありませんねぇ。

戦前は「氣」中はこれ米ではなく点が四方に発しているというような意味だそうです。これですよね本来・・・。

身体も「體」と書きました。

特にこの「氣」や「體」のこと気になりませんか?

恐るべきものを秘めていた日本人の身体文化、戦後骨抜きにされちゃいましたが、昨今やっと見直す動きがごく一部で現れてきたようです。

字の持つ力とその意味のこと・・・。

 

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東京審査会始末。

2016-11-24 08:08:34 | 随想・・・。

  21日に東京での八段審査会に出向きました。

結果は二次で撃沈・・・。

一次審査は自分なりにも良い出来で「これなら合格だろう」と思っていました。

ほとんどの知人が「間違いない」と太鼓判を押してくれてはいたものの中には辛口の批評をする人もいて、ここは自分の感覚を信じるしかないと思っていましたが「えーーっ!」と思うことが起こるのがこの八段審査の厳しさで、僕としても一抹の不安があったのは事実です。

ただ、これでダメだったら混乱してしまいそうでした。で、まぁ結果は合格でしたが・・・。

  僕の審査会場は午前中15組(4人1組)60人の内4人が合格しました。相変わらず厳しいですがここはなんとかクリアーし、いよいよ本番二次審査を待つわけです。11時頃には結果が判っていた僕にとってここから夕方までが長いのですよ。

僕は自分なりに集中力を切らさず静かにいましたが、普通に弁当も食べ適当に暇つぶしもしていました。

よく、「一次を突破したら誰とも話すな、一人で静かに徹底的に集中しろ!」などと云われるのですが、僕の性格上そんなことはどうでもよくて、それよりも「しっかりと切り替えが肝心」と思っていますから・・・と云うことで二次の開始まで5時間ほどとにかく自分なりに待ちました。

  京都の稽古会でよく手合わせお願いする奈良の松山さんも同じ審査場で合格していました。でも彼はほとんど僕にを見向きもしてくれません(苦笑)顔を合わせたらニャッとするだけで・・厳しいですね。相当意識していましたし集中もしていたみたいです。

僕は僕で、まず彼とは同い年であり生まれ月も近いことと云う以外にも何か因縁めいたものを感じていて、絶対二次で彼と立ち合うことになるだろうと確信していました。

  集中する中、瞑想しながら「あいつの面か俺の胴か、ここが勝負やな」とそればっかり考えていました、と同事に「今度は必ず八段ものにしたるわい」という強い思いが湧いてきていましたね。(瞑想は本来何も考えないということなのですが・・・邪念わきました・・) 

二次審査の時の日本武道館の雰囲気は一種独特なものがあります。静まりかえった会場全体にピリピリしたものが漂っています。

で、呼び出し。案の定、彼と同じ組で隣に座ることになりました。勿論お互い見向きもしません。

ただ、予想通りの展開でメチャ気合いが入りましたね。

  一人目は鋭い動きの比較的小柄な方でしたが、聞くところによると何度も一次合格しているらしく中々簡単にはいきません、が、僕はとにかく二人目の松山さんとの立合に集中してしまっていたので、まぁそこそここなせたから良いかなぁなどと云う、今考えれば相当甘い考えでで終えました。(しっかりと打ち切っていなければ評価されません、そんな甘いものではないのですよ・・・これも要因。松山氏をしっかり打てれば必ず評価されるはずだという気持ちが強かったですね)

  松山さんは大柄で何度も一次を受かっている元自衛隊の猛者です。(知らない人は彼の真剣な顔は相当怖いと思いますよ^^^)

そして立合・・・。お互いしっかりと攻め合って「ここぞっ!」と云うその刹那、彼は得意の面にきませんでした。咄嗟に攻めあぐねていると感じた僕は満を辞して逆に自ら面に打ち込みました。

「バクっ!」というまさしく強烈そのものの衝撃が小手に走りました・・打たれてしまいました(ガクッ・・・です)

  瞬間心が折れそうになりました。が、折れませんでした。(僕は自分で云うのもなんですが「私諦めないんで・・・」と云うことで、要は図々しいのですよ)

  その後はしっかりと盛り返すつもりで僅かな時間せめぎ合いました。 

僕はその立合を終えた後、彼の二人目の立合を見ていましたがかなり上手くこなしているように見えました。僕はそれを見て彼の八段合格を確信しましたね。

彼自身もも「今までの二次審査の中では一番手応えを感じています」と言っていました。正直「あの小手かよ」と思いましたけどね。僕は最後の発表を見て彼とお祝いの握手をしてから帰ろうと思って一緒に発表を待っていました。

いよいよ発表の合格者番号を載せた紙が・・・うーーんありません・・・。

第一審査会場36人のうち3人、その中に彼の番号も、むろん奇跡は起こらず僕の番号もありませんでした。

  僕は別れ際「めげんなよ」と声を掛けてあげるのが精一杯でした。好漢松山氏は、それに応えて「またよろしくお願いします」って云ってくれました。できてるなぁ・・・。

  僕は僕で心の底では「相手を通らせてしまうという屈辱だけは避けられたなぁ」という安堵の気持ちもよぎりましたね。

とまぁ、こんな始末でした。

  日本武道館を出た頃は外はすっかり暗くなっていました。尾鷲に帰り着く為の東京最終が17時50分ですから・・・30分程しか時間がありません。

  まぁ、この時間までここに残れた、という自負の気持ちを頼りに小雨の中、東京駅までのタクシーを拾う為、九段下の交差点までダッシュしました。

興奮していたのか全然疲れありません。間に合いました。

汗びっしょり・・・。アドレナリン出まくり・・。

 

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稽古のこと。

2016-11-14 14:05:16 | 随想・・・。

  先日、しばらく京都にいたので火曜日の夜間稽古にお邪魔しました。(京都は日曜日以外毎日稽古があります)

僕は京都にいるときは必ず週に1、2度は夜間稽古にお邪魔しますが、火曜日は本当に久し振りでこの日当番の草木先生との稽古が目的で楽しみに出向きました。

この火曜日はいつもの武徳殿ではなく武道センターの方で行われます。

  いつものように名簿に記帳しお金を納め、ふと奥の方を見るとなんと高橋範士が座っているじゃないですか、隣には西出範士までお見えになっています。

この瞬間、僕の心に一気に緊張感が走りました。

  高橋先生は僕がずっと若い頃から追い求めて稽古をお願いしてきた先生で、最近になって自分の剣道を見直したとき、この先生に何度も稽古をお願いしてきたことの影響がとても大きいと云うことに気づいてきました。

それは「攻め、胆」の強さ、迫力・・このことを嫌と云うほどに思い知らされ、その経験が今の自分の剣道を支えていると言っても過言ではないからです。

早速に挨拶をし、今や全日本チームの総監督まで務められている存在で、相当多忙な中、久し振りにここに顔を出されたらしく「おー、久し振りやのぉ、元気かぁ」見たいな感じで気さくに話をしてくれていましたが・・・僕の方は「さて、今晩の稽古、どうなるものやら・・」で、身震いするほど気合いをいれて稽古開始すぐに先生の元に並びました。

先に予約のM先生がいつものように掛かって行く稽古を見ていてつくずく感じるものがありましたね。

やはり皆怖いのです・・彼が、と云うよりその半端ない迫力と圧力そのものの稽古が・・・。

その為、敢えて果敢に打ち込んで行くのです、先生が中心を取って強烈な牙城を構築しているにも関わらずです。

先生はそうして打ってくる相手をまるでネコでもいたぶるみたいにヘトヘトになるまで、突き上げ、いなし、体当たりでよろめかせ、引っかけたりするのですが、僕的に見ればその肉体的な恐怖は裏返せば相手への甘えであり、逃げなんですねやっぱり・・・。

僕はそんな稽古は極力しません。しっかりと先生と対峙して気持ちを胆をぶっつけていきます。

この精神的な苦しさは並大抵ではありません。肉体的な苦しさの方がよっぽどましです。

僕から見るとそれの方がずっと楽です。

それにしても蹲踞から立ち上がって対峙した後の先生の圧力や攻気・・まるで巨大な釣鐘がそのまま迫って来るようで・・。

だから、ここで普通は皆怖いから敢えて打ち込んでいくのです。要するにその圧力から逃げたいのです。

更にこの先生、その圧力と気迫で相手の「気を折る」これがもう得意で、相手はもう仕方なく打ち込み稽古に逃避せざるを得なくなってしまうのですね。

  今回の稽古、僕は先生が攻め入り打とうとするまで我慢してちょっとでもその兆しを感じた時に思い切って打ち込んでいく、このことを意識してお願いしました。

突き上げられることもなく、気が折れることもなく無事・・?潔くしっかり打たれて終われました。

正直ほっとしますよ。

とまぁ、こんな稽古も滅多にできません、本当に良い稽古ができました。

東京審査も近づいてきました。左の膝裏を少々痛めてしまい何かの拍子にカクっときます。

自己流の方法で処置しています。かなり良くなってきましたが、今は無理はできません。

心を引き締めて、久し振りに写経をしてみたり瞑想にふけったりしています。

  「やるときはやる!」この気構えでいつもいます。

 

 

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ヒラリーの演説。

2016-11-11 10:07:42 | 随想・・・。

  僕の知っている限り彼女の敗北宣言に伴うあの特に若者に向けた演説は珠玉ではなかったでしょうか。

僕は感動しました。

同時にああ云うことを言える彼女に対し「あー、やっぱちょっともったいなかったかなぁヒラリー・・」とそんな気持ちになりました。

ヒラリーが好きになりました。あの潔さも見事でした。(拍手)

  それにしても、選挙中前代未聞の罵り合いを演じた彼らが、勝敗が決するや否やもう何事も無かったかのように相手を讃え、協力するとまで言う・・・様々な思惑や裏事情があるとしても「すごいなぁ・・よくやるよなぁ、これって」と思うのは僕だけではないでしょう。

あのオバマ大統領など、選挙中あれだけトランプを批判しておきながら何食わぬ顔で早速に彼をホワイトハウスに招待しているんですから・・(笑)

トランプもトランプで神妙な態度でそれに臨む・・・なんか皆んなで騒ぎ、騒がれ、乗せられ、終わればこれですもの、まるでおもしろ芝居を見せられたようで、可笑しいやら、やっぱりなぁ・・やらで、このへんがどうもとてつもなく単純でありながら裏があり更に奥が深いのだろうなぁ、とまぁそんな感覚におこたりました。

この辺りが実は単純にアメリカ的というのかも知れない・・・などと思ってしまいましたね。

参ったなぁ、もう・・・。

 

 

 

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