はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

初夏の淀川をぶらり

2016-05-31 20:15:20 | 淀川散歩
久しぶりに淀川をぶらりとしました。季節は、確実に夏に向かっているようです。



梅田方面を見るたびにビルが増えているような感じがします。



毎度おなじみの赤川鉄橋です。複線になって、大阪東線?の開業を待つばかりです。



土手には雑草が。この風景がいいんです。



秋のコスモス畑には、早くもコスモス?が咲いていました。



ふと見見ると、フジが咲いているではありませんか。調べてもらうと「クサフジ」でした。(たかさんいつもありがとう)



赤川鉄橋の橋脚です。



機関車が2両走っていきました。



土手を、おっさんが自転車で走ります。

淀川は今日も平和でした。




六甲高山植物園の可憐な花々(その3)

2016-05-30 21:15:00 | 花めぐり
六甲高山植物園の可憐な花々めぐりも、やっと「クリンソウ」に行き着くことができました。

 (クリンソウ)

花の付き方が、仏塔の屋根の「九輪」に似ていることから名前がついたそうです。美しい花です。しかし、ほとんどが一番上の段にしか花はありませんでした。下の段から咲くそうなので、もう終盤ということでしょうか。



清流に沿って「クリンソウ」が群生していました。木道を進んでいきます。



ピンクに混じって白色の花もありました。




少し休憩して、再び花をめぐりましょう。



 (…)

 (ヒメサユリ)

最後は「アツモリソウ」でしめくくりです。「アツモリソウ」の名は、一の谷の合戦で源氏に討たれた平氏の若き将、平敦盛に由来するそうです。あの「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」です。

 (アツモリソウ)

「アツモリソウ」は乱獲されることが多く、「特定国内希少野生動植物種」に指定されているそうです。はずかしい話ですね。

 (アツモリソウ)


以上、3回に分けて六甲高山植物園の可憐な花々をお伝えしました。(完)

六甲高山植物園の可憐な花々(その2)

2016-05-29 19:05:56 | 花めぐり
1枚目は「高山植物の女王」といわれる「コマクサ」です。アルプスに行かないと見ることができない花ですが、こんなところでお目にかかれるとは嬉しいことです。山で「コマクサ」に出合うと、いっぺんに疲れも吹っ飛んでしまいます。

 (コマクサ)

突然ですが、以前の登山で出合った「コマクサ」です。

 (乗鞍岳のコマクサ)

六甲山に戻りましょう。あいかわらず雨が降っています。天気予報では雨のマークは無かったのですが…。やっぱり山の天気なのでしょう。花も咲いていますが、傘の花も咲いていました。

 (イブキトラノオ)

さて、六甲高山植物園で見たかった花に「エーデルワイス」があります。そう、あの映画『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われていた花です。

 (エーデルワイス)

 (同じく)

私にも名前がわかる花々でしたが、まだまだ可憐な花々が咲いています。ちょっと名前が…。(一応調べたんですが)

 (…)

 (…)

今回、ここの目玉となっていたのが「ヒマラヤの青いケシ」です。テレビでも紹介されたようで、人が多かったのはそのせいですね。
「ヒマラヤの青いケシ」とは、ケシ科メコノプシス属の仲間をまとめた言い方だそうで、その仲間は約50種、そのすべてがヒマラヤや中国奥地の高山帯に咲き、日本にはないそうです。

 (ヒマラヤの青いケシ)

 (同じく)

こうして、高山植物を見ていると、ここが六甲山だということを忘れてしまいそうです。

今日もまた時間が来てしまいました。「クリンソウ」は、明日お届けします。(どこまでひっぱるねん!)

六甲高山植物園の可憐な花々(その1)

2016-05-28 21:31:03 | 花めぐり
六甲高山植物園は海抜865メートルにあるということで、北海道南部に相当する恵まれた気候を利用して、高山植物などが栽培されているそうです。アルプスまで行かなくても「コマクサ」や「チングルマ」などの高山植物が見ることができました。

ゲートをくぐって、まず目に飛び込んできたのが「ニッコウキスゲ」の群落です。

 (ニッコウキスゲ)



10時半ごろに現地に着いたのですが、曇り空から雨が落ちだしてきました。カメラにビニル袋をかぶせての撮影となりました。交換レンズも持っていったのですが、雨の中では濡れるのがいやなので同じレンズで通しました。

 (サラサドウダン)

大きなスイレン池がありますが、スイレンはまだでしたが、黄色い花は「コウホネ」というらしいです。

 (スイレン池)

高地ということもあり涼しいのですが、雨も降っているので、肌寒く感じます。下界は蒸し暑いことと思います。

 (ヒメサユリ)

 (ベニドウダン)

ところで、六甲高山植物園には、六甲最高峰から摩耶山に縦走する時に何回も近くを通っているのですが、入ったのは今回がはじめてなのです。

 (タカネマツムシソウ)

「チングルマ」もありましたが、早くも羽毛状になっていました。

 (チングルマ)

 (タテヤマウツボグサ)

 (アケボノフウロ?)

まだまだ、高山植物の女王「コマクサ」や「エーデルワイス」、「クリンソウ」などが咲いていましたが、それらは明日のお楽しみということに。(ひっぱりますね)

能勢街道を歩く~都会の中に残る旧街道 3~

2016-05-27 22:58:15 | 街道歩き
梅田は、今でこそ都会のど真ん中ですが、江戸時代は菜の花畑が広がる田園地帯でした。梅田という地名も元々は、低湿地だったところを埋め立てて田畑にしたのが「埋田」の地名となったというのが定説です。その後、美称されて「梅田」になったということです。


古地図を見ると、「梅田墓」というのが見えます。大阪七墓のひとつだったようです。墓地のあった場所は、梅田北ヤードのあたりだったようです。


NU茶屋町を過ぎても街道風の道は続きます。江戸時代は、このあたりも、まだ大阪の中心地ではありませんでした。


間もなく、JR東海道線のガードが表れます。ガードの下はエストです。ここで、再び能勢街道は途切れてしまいます。


しかし、安心してください。環状線のガードをくぐったら、また旧街道はつづいていました。


環状線をくぐったら、細い道を斜めに進みます。


大きな通りに出ました。(左に大東洋があります)更に斜めに進んでいきます。


やがて、旧街道は綱島天神社の前に出てきます。この神社は、太宰府に左遷された菅原道真が、ここを通った時に、座布団の代わりに漁具の綱を使ったところからきているそうです。大阪には菅原道真が立ち寄ったといわれる神社がたくさんあります。


扇町線を越えます。右手には太融寺があります。


やがて、道路の中にイチョウの木がある「竜王大神」にやってきました。能勢街道ももう少しつづくのですが、今回はここで終了とします。


能勢街道を旅する人も、旅してきた人も、ここで旅の安全を祈願したのでしょうか。

※今回は、大阪市内に残る「能勢街道」を歩きましたが、『史跡をたずねて 能勢街道の風景』(瀧健三編著)を参考にさせてもらいました。