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重文《不忍池図》を観る - 小田野直武と秋田蘭画(サントリー美術館)

2016年11月26日 | 展覧会(日本美術)

世界に挑んだ7年
小田野直武と秋田蘭画
2016年11月16日~17年1月9日
サントリー美術館

 

7年とは?


   本展の主人公は、秋田藩士である小田野直武(1749年生)。
   1773年、平賀源内(1728年生~1779年没)が鉱山調査で秋田藩を来訪したことをきっかけとして江戸へ上る。源内のネットワークを通じて蘭学者に出会う。1774年、『解体新書』の挿絵を担当する。西洋の美と東洋の美を融合させた新しい表現を目指す。1779年、突然の謹慎を申し渡され角館へ帰る。その翌年の1780年、数え年32歳で急死する。

   7年とは、江戸に上る1773年から亡くなる1780年まで、直武が秋田蘭画に取り組んだ7年間である。

 

重文《不忍池図》


   私の目当て作品は、初見となる小田野直武の重文《不忍池図》。秋田蘭画そのものにも興味大。


   私が秋田蘭画に興味を持ったのは、おそらく、府中市美恒例の「春の江戸絵画まつり」にて、司馬江漢や亜欧堂田善の近くに並ぶ、秋田蘭画の作品を見たからであろう。ちょっと不思議な空間表現。「秋田」と「西洋」という組合せにも失礼ながら意外感があった。

   《不忍池図》が「春の江戸絵画まつり」に登場したことは多分ないと思うが、2014年のサントリー美の「のぞいてびっくり江戸絵画」展に期間限定展示されていて、私が気づいたときには展示期間が過ぎていて、展覧会自体は大変面白くて、それで秋田蘭画の代表作が 《不忍池図》であるらしいことを認識して、いつか観たいと思っていたところ。


   秋田蘭画を対象とした展覧会は、東京では、2000年の板橋区立美「秋田蘭画~憧憬の阿蘭陀~」展以来16年ぶりとのことだが、そんな貴重な展覧会において、重文《不忍池図》を、同じく重文の佐竹曙山《松に唐鳥図》(この2点は公的には秋田蘭画のツートップか)を隣りに置いて、観るとは、初見の場としてはこれ以上望めない環境だろう。

 

   その《不忍池図》の第一印象は「でかいなあ」。絵柄から、小さな作品だと勝手にイメージしていたので、目の前に現れてもすぐにそれと分からないほど。この大きさが他の直武作品を差し置いて、重文指定の決め手となったのかなあ。

   ところで、企画者は「蟻」にこだわりがあるらしい。《不忍池図》に蟻が描かれていることを強調するだけでなく、他作品に描かれた蟻も強調する。さらに、直武による秋田蘭画の主要作に対して、キャプションの出品番号の横に小さい蟻マークをつけている。

 

 

   以下、本展の章だてに沿って、特に楽しんだ作品を挙げる。
   なお、挙げた作品の殆どは、前期(〜12/12)までの展示。12/5までの作品もある。

 

第1章   蘭画前夜


   1749年、秋田藩角館城代の槍術指南役の第4子として生まれた直武。武家のたしなみとして書画を学んだ直武は、若い頃より画才を示し、秋田藩のお抱え絵師である武田円碩から狩野派を学ぶ。

   本章では、直武が江戸に上る以前、秋田蘭画を描く以前の、初期作品が展示される。

 

第2章   解体新書の時代~未知との遭遇~


   1773年7月、平賀源内が鉱山開発のため秋田藩に招かれる。
   源内が江戸に戻った後、1773年12月、直武は藩主佐竹曙山の命により、江戸へ派遣される。
   直武は源内との交流を通じて『解体新書』の挿絵を描くことに抜擢される。
   1774年8月、『解体新書』が刊行される。
   直武が江戸に出てから『解体新書』の刊行まで、わずか8ヶ月である。


   本章では、『解体新書』の直武作の扉絵ページ、元とした書籍の扉絵ページ(これが秋田藩が保有していた書籍だという。ただし、直武がいた時代にあったかは不明とのこと)のほか、『解体新書』関連資料、西洋から輸入された書物類やその図版の模写作品、西洋美術の影響を受けて作られた浮絵・眼鏡絵・泥絵各1点など、ダイジェスト的に展示される。


   私的注目作品は、《ファン・ロイエン筆花鳥図模写》。

   オランダ画家ファン・ロイエンの静物画を模写した作品だが、おそらく拡大模写であろう、でかい。

 原画は、8代将軍・吉宗の命により、1726年に輸入された5点の西洋画のうち、江戸本所の五百羅漢寺に下賜された花鳥画2点のうちの1点だという。現存しないらしい。模写作品には「W.Van Royen 1725」のサインが写されている。

   オランダ静物画の緻密な油彩描写を日本画法で再現すると、ずいぶん離れたイメージになってしまうところが面白い。


《ファン・ロイエン筆花鳥図模写》
石川大浪・孟高筆
1796年
232.8×107.0cm
秋田県立近代美術館

 

第3章   大陸からのニューウェーブ~江戸と秋田の南蘋派~


   直武の江戸滞在時に流行っていた南蘋(なんぴん)派の作品が展示。

 

第4章   秋田蘭画の軌跡


   本展のメイン章。
   小田野直武、佐竹曙山、佐竹義躬、田代忠国ら、秋田蘭画の画家たちの作品がずらっと並ぶ。


小田野直武の作品

重文《不忍池図》秋田県立近代美術館
《日本風景図》三重・照源寺
《鷹図》個人蔵
《児童愛犬図》秋田市立千秋美術館
ほか

   「風に飛ばされた一片の羽が細い枝に引っかかり」「足元には糞も確認できる」「高雅な品格をもった優品」。

 

佐竹曙山の作品

重文《松に唐鳥図》個人蔵
《蝦蟇仙人図》個人蔵
《燕子花にナイフ図》秋田市立千秋美術館
《岩に牡丹図》個人蔵
ほか


   二人の写生帖も興味深い。


   小田野直武《蓮図》神戸市立博物館と佐竹曙山《紅蓮図》秋田市立千秋美術館は、本展のトップバッターとして、入場してすぐのところで登場済である。

 

第5章   秋田蘭画の行方


    直武に学んだと考えられている司馬江漢の作品や《貼交風屛風》など。

   《貼交風屛風》は、南蘋風、土佐派風、琳派風、銅版画風などの作品、さらに直武の《児童愛犬図》の部分模写を寄せ集め貼り合わせたもので、面白い。

   最後に、直武の所持品と伝えられる西洋銅版画《リスボン地震図》を観る。リスボン地震が起こったのは、1755年、直武6歳頃のことである。



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