東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

【ヴィチェンツァ、ミラノ他】天正遣欧少年使節がたどったイタリア

2017年10月07日 | 展覧会(西洋美術)
遥かなるルネサンス
天正遣欧少年使節がたどったイタリア
2017年9月21日〜12月3日
東京富士美術館
 
 
 
   引き続き、第7章以降の印象に残る出品作について記載する。
 
 
 
第7章   パドヴァ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ
 
 
   世界地図および都市景観にかかる書籍が並ぶ一画。
 
   最初の近代地図として知られるアブラハム・オルテリウス(1527-98)の『世界の舞台』(アントウェルペン刊)、そしてゲオルグ・ブラウン(1541-1622)とフランツ・ホーヘンベルフ(1540頃-90頃)による『世界の諸都市』第1巻(ケルン刊)である。
 
   これらは、パドヴァ訪問の際、少年使節が贈呈されたと考えられている書籍である。
 
   後者の『世界の諸都市』は全6巻からなるが、1585年時点では3巻まで刊行されていたらしい。
 
 
 
    ヴィチェンツァでは、少年使節は1585年3月に落成したばかりのオリンピコ劇場に招かれる。パッラーディオ(1508-80)が設計したオリンピコ劇場である。
 
    本展では、死去したパッラーディオを引き継いで完成させたスカモッツィ(1548-1616)によるオリンピコ劇場の舞台背景画(遠近法を用いた舞台背景)の習作3点(各会場1点ずつ)などが展示される。
 
    オリンピコ劇場のロビーには、少年使節4人を描いたモノクロームのフレスコ画がある。
    16世紀後半のヴィチェンツァの画家(アレッサンドロ・マガンツァに帰属)により、1596年頃に制作されたとのこと。
    シアタールームで上映の展覧会紹介映像のなかではそのフレスコ画が登場する。
    会場内でも、写真パネルを用意して欲しかったなあ。
 
 
 
 
第8章   ゴンザーガ家の宮廷
 

神戸会場のみ
1585年8月2日付《伊東マンショからヴィチェンツォ・ゴンザーガ公子に宛てた書状》
マントヴァ国立公文書館
 
   ゴンザーガ家の宮廷とは、マントヴァ。ここでも、少年使節は手厚く歓待された(テ宮殿への宿泊、余興の花火鑑賞など)。その感謝状が展示される。
 
   本状は日本語で書かれているが、同公文書館にはあわせて、別紙に記された同時代のイタリア語訳も保管されているとのこと。
 
 
 
 
第9章   ミラノ
 
 
東京会場のみ
ウルバーノ・モンテ
《天正遣欧少年使節の4人の少年達とディエゴ・デ・メスキータ神父の肖像》
1585-87年
素描のある手稿
アンブロジアーナ図書館、ミラノ
 
 
    本展の真の目玉作品であろう。
 
   モンテ家の歴史を、ミラノで起きた重要な出来事を織り交ぜながら著した全4巻からなる膨大な手稿本。
 
   第4巻目は、1585-87年の出来事が記されていて、少年使節のミラノ訪問が登場する。しかも、著者自身が水彩で描いた5枚の挿絵(4人の少年使節および付添いの神父の肖像)付きである。
 
   本展では、4頁を公開。各頁に一人ずつ、4人の少年使節の肖像が描かれている頁である。
 
    この肖像が本人と似ていることは決してないだろうけれども、本展ではこんな感じで、多用されている。
 
 
 
 
    
   本展はミラノで終わる。8月2日、ミラノを発った少年使節は、8月8日、ジェノヴァからスペインに向かって出港する。翌1586年4月、リスボンを出港、帰路につく。1590年7月、長崎に帰着。1591年3月、京都・聚楽第にて豊臣秀吉と謁見。その後の4人は、司祭となり長崎で病死、司祭となり亡命先マカオで病死、司祭となり殉教、会を脱会。
 
 
 
 
   若桑みどり氏の著作『クアトロ・ラガッツイ』(集英社刊)を久しぶりに取り出した。単行本で2段組の550頁。そのボリュームには怯むが、一旦読み始めたら止まらない。非常に面白い。今は、集英社文庫(上下巻)で販売されているようだ。
 
(終わり)


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