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『孟子』巻二梁惠王章句下 第十一節

2016-03-26 10:53:14 | 漢文解読
                       第十一節
齊の宣王が孟子と離宮の雪宮で会見した。王は言った、
「賢者にもこのような離宮を持つ楽しみがあるのだろうか。」
孟子は答えて言った、
「ございます。しかし人は自分がそのような楽しみを得られませんと、それは上に立つ者が悪いのだと言って君を非難します。自分が楽しみを得られないからと言って君主を非難するのは、もちろん間違っております。しかし上に立つ者が民と楽しみを共にしないのも間違いでございます。君主が民の楽しむ姿を見て共に楽しめば、民も亦た君主の楽しむ姿を見て共に楽しみます。民が患いに悩んでいる姿を見て、君主も共に患い悩めば、民も亦た君主が患い悩んでいる姿を見れば、共に患い悩みます。天下万民と共に楽しみ憂える、このようにして、天下の王者になれなかった者は、今までに一人もございません。昔、齊の景公が宰相の晏子にお尋ねになりました。『私は轉附山・朝儛山を観てから、海沿いに南下して、琅邪まで行きたいと思うのだが、私はどのような徳を修めれば、昔の聖王が民に受け入れられた巡遊に並ぶことが出来るのだろうか。』晏子はお答え申し上げました、『よいお尋ねでございます。天子が諸侯の國に御幸なさることを巡狩と言います。巡狩とは、諸侯が守っている領地を巡視するという意味でございます。諸侯が天子のもとへ参朝するのを述職と言います。述職とは、自分の職務を天子に報告することでございます。天子や諸侯は無意味に出歩かない、必ず王事に因るものでございます。領内を巡るにも、春には耕作の状態を巡視して、足らない農具が有れば補ってやり、秋には収穫の状態を巡視して、人手が足りなければ補ってやります。夏の時代の諺にも、我らの王の出游がなければ、わしらはどうして休めよう。我らの王の行楽がなければ、わしらはどうして助けを得られようとございます。このように天子が諸国を巡遊される姿は、一つ一つが諸侯の手本と為るのでございます。ところが今の王はそうではございません。多くのお供や兵士を連れて行き、行く先々で食料を徴発するので、民は腹が減っても食べられず、食料や荷物の運搬に駆り出されるので、疲れても休むこともできず、民は目を側てて互いに謗りあい、やがて悪事を働くようになります。こうして民を安らかに治めるという天命を放棄して、逆に民を虐げて、飲食の贅沢三昧は川の流れのように尽きることがなく、その流連荒亡の享楽ぶりは諸侯の悩みとなっております。川に舟を浮かべて流れるままに下って行き、楽しみのあまり帰るのを忘れてしまう、これを流と謂います。人に舟を曳かせて流れを遡って行き、楽しみのあまり帰るのを忘れてしまう、これを連と謂います。厭くことのない狩の楽しみに耽る、之を荒と謂います。酒におぼれて政を行わず國を喪う、これを亡と謂います。先王にはこのような流連の楽しみや、荒亡の行いはございませんでした。先王の行いと今のやり方とどちらを選ばれるかは、殿さまのお心次第でございます。』景公はこれを聞いてお喜びになり、国政改革を行うために、役人に命じて食糧の蓄えや民の生活を調査するように令を布告し、自らは宮廷を出て郊外に宿して、仁惠の政治を行い、始めて米蔵を開いて、食糧不足に困しむ民をお救いになられました。そして楽師を召して、私の為に君臣が共に喜べる音楽を作れと命じました。思うに今伝わる徴招・角招という曲がそれでありましょう。その歌詞に、君を畜するのを、どうしてとがめよう、とございますが、この君を畜するとは、君を好みするという意味でございます。」

齊宣王見孟子於雪宮。王曰、賢者亦有此樂乎。孟子對曰、有。人不得、則非其上矣。不得而非其上者、非也。為民上而不與民同樂者、亦非也。樂民之樂者、民亦樂其樂。憂民之憂者、民亦憂其憂。樂以天下、憂以天下。然而不王者、未之有也。昔者齊景公問於晏子曰、吾欲觀於轉附朝儛、遵海而南、放于琅邪。吾何脩而可以比於先王觀也。晏子對曰、善哉問也。天子適諸侯曰巡狩。巡狩者巡所守也。諸侯朝於天子曰述職。述職者述所職也。無非事者。春省耕而補不足、秋省斂而助不給。夏諺曰、吾王不遊、吾何以休。吾王不豫、吾何以助。一遊一豫、為諸侯度。今也不然。師行而糧食。飢者弗食、勞者弗息。睊睊胥讒、民乃作慝。方命虐民、飲食若流、流連荒亡、為諸侯憂。從流下而忘反謂之流。從流上而忘反謂之連。從獸無厭謂之荒。樂酒無厭謂之亡。先王無流連之樂荒亡之行。惟君所行也。景公說、大戒於國、出舍於郊。於是始興發補不足。召大師曰、為我作君臣相說之樂。蓋徴招角招是也。其詩曰、畜君何尤。畜君者、好君也。

齊の宣王、孟子を雪宮に見る。王曰く、「賢者も亦た此の樂しみ有るか。」孟子對えて曰く、「有り。人得ざれば、則ち其の上を非る。得ずして其の上を非る者は、非なり。民の上と為りて、民と樂を同じくせざる者も、亦た非なり。民の樂しみを樂しむ者は、民も亦た其の樂しみを樂しむ。民の憂いを憂うる者は、民も亦た其の憂いを憂う。樂しむに天下を以てし、憂うるに天下を以てす。然り而して王たらざる者は、未だ之れ有らざるなり。昔者、齊の景公、晏子に問いて曰く、『吾、轉附朝儛を觀し、海に遵(したがう)いて南し、琅邪に放(いたる)らんと欲す。吾何を脩めて以て先王の觀に比す可きや。』晏子對えて曰く、『善きかな問いや。天子、諸侯に適くを巡狩と曰う。巡狩とは、守る所を巡るなり。諸侯、天子に朝するを述職と曰う。述職とは、職とする所を述ぶるなり。事に非ざる者無し。春は耕すを省みて足らざるを補い、秋は斂(おさめる)むるを省みて給(たる)らざるを助く。夏の諺に曰う、吾王遊ばずんば、吾何を以て休せん。吾王豫せずんば、吾何を以て助からん、と。一遊一豫、諸侯の度と為らん。今や然らず。師行きて糧食す。飢うる者は食わず、勞する者は息わず。睊睊(ケン・ケン)として胥(「相」の意)い讒り、民乃ち慝を作す。命を方(はなつ)ち民を虐げ、飲食流るるが若く、流連荒亡、諸侯の憂いと為る。流れに從いて下り、而して反るを忘る、之れを流と謂う。流れに從いて上り、而して反りを忘る、之を連と謂う。獸に從いて厭く無き、之を荒と謂う。酒を樂しみて厭く無き、之を亡と謂う。先王には流連の樂しみ、荒亡の行い無かりき。惟だ君の行う所のままなり。』景公說び、大いに國を戒め、出でて郊に舍す。是に於て始めて興發し不足を補う。大師を召して曰く、『我が為に君臣相說ぶの樂を作れ。』蓋し徴招・角招、是れなり。其の詩に曰く、『君を畜する何ぞ尤めん』君を畜すとは、君を好するなり。」

<語釈>
○「賢者亦有此樂乎」、趙注:雪宮は離宮の名なり、宮中に苑囿臺池の飾・禽獣の饒有り、王自ら此の楽しみを有つこと多し、故に問いて曰く、賢者も亦た此の楽しみ有るか、と。○「轉附朝儛」、趙注:轉附・朝儛は皆山の名なり、「遵」は「循」、「放」は「至」なり。○「春省耕而~。」趙注:春は耕を省みて耒耜の足らざるを問い、秋は斂を省みて其の力の給らざるを助く。耒・耜(ライ・シ)とは、共に農具のすきのこと、「斂」は“おさめる”と訓じて、刈り入れして収めること。春には農具を補助し、秋には人手を補助すること。○「豫」、趙注:「豫」も亦た「遊」なり。○「度」、法度、制度の意で、手本。○「糧食」、「糧」は兵士の食糧、「糧食」はここでは行った先々で食料を徴発する意。○「睊睊胥讒」、趙注:睊睊は目を側てて相視、更に相讒りて惡む。「胥」は「相」に同じ。○「方命」趙注は「方」を「放」とし放棄の意に解し、「命」を先王の命とするが、むしろ素直に天命と解する方がよいと思う。天命を放棄して、民を虐げるといこと。○「流連荒亡」、趙注:水に浮かびて下り、楽しみて反るを忘る、之を流と謂う、人徒をして舟船を引かせて上行せしめ、反るを忘れて以て樂しみを為す、之を連と謂う、羿(古の弓の名人)の田猟を好み、厭くこと極むる有る無く、以て其の身を亡ぼすが若し、故に之を荒と謂う、酒を楽しむこと厭くこと無し、殷紂の酒を以て國を喪う若し、故に之を亡と謂う。○「戒於國」、『正義』に云う、『晏子春秋』の謂う所、吏に命じて公掌の粟を計り、長幼貧氓の數を籍せしむ、是れなり。○「興發」、趙注:惠政を興し、倉廩を発し、以て貧下の足らざる者を振わす。○「徴招・角招」、趙注:其れ作る所の楽章の名。

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