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『孟子』巻第六藤文公章句下 五十二節

2017-05-15 10:04:09 | 四書解読
五十二節

孟子の弟子の陳代が言った、
「先生が諸侯に面会を求めないのは、どうもお心が狭いように思われます。もし一度でも先生にお会いになれば、その諸侯は大きくは天下の王に、そこまでいかなくても覇業をなしとげることぐらいはできるでしょう。それに昔の書物にも、『わずか一尺を曲げて八尺を真直ぐにする。』乃ち小をすてて、大を活かせ、とありますが、先生もそうなさるのがよろしいかと存じます。」
孟子は言った、
「昔、齊の景公が狩をしたとき、狩場の役人を旗で招き寄せた。しかし役人は狩場の役人を呼ぶときは皮の帽子で呼ぶのが決まりであったので行かなかった。景公は怒ってその役人を殺そうとした。孔子はその話を聞いて、その役人を称えて、『志士は義を守る為ならば、たとえ殺されて溝や谷間に棄てられることも覚悟しているし、勇士は勇義の為ならその首を失うことも覚悟している。』と述べているが、孔子は役人のどのような態度を称えているのか。礼に適った正式な招き方で無ければ応じないという態度に感心しているのだ。狩場役人でさえ正式な招きで無ければ往かないのに、私が招かれもしないのに面会を求めるとしたら、それはどういうことになるのか。その上、一尺を曲げて八尺を真直ぐにするなどと言うのは、利益があるからの言葉だ。もし利益を優先して考えるなら、八尺を曲げて一尺を真直ぐにするのも、それが利益になるのならそうやってもよいことになるではないか。昔、晉の趙簡子が名御者の王良に幸臣の嬖奚を乗せて狩をするように命じたことがあった。ところが一日狩りをして一羽の獲物も獲られなかった。嬖奚は戻ってきて、『王良は天下一のへたくそな御者です。』と報告した。ある者がその話を王良に告げたので、王良は趙簡子に、もう一度やらせてください、と願い出て、嬖奚を無理やり承知させた。すると今度は朝のうちだけで十羽の獲物が取れた。嬖奚は戻って、『王良は天下一の優れた御者です。』と報告した。そこで趙簡子は嬖奚に、『それでは彼をお前の御者にしてやろう。』と言って、このことを王良に告げた。王良は承知せず、『私は王良の為に法に則り模範的に車を御しましたら、王良は一羽の獲物も取れませんでした。法を無視してただひたすら獲物を求めて車を走らせたら、朝のうちに十羽も取れました。『詩経』にも、法に違わずに車を御せば、放つ矢も弓勢鋭く必ず中る、とあります。私は法に従って車を走らせて、一羽も取れないような小人と一緒に乗ることに慣れていませんので、お断りします。』と言ったそうだ。御者ですら未熟な射手におもねることを恥とした。おもねることにより、獲物が山のように取れたとしても、そういうことはしないものだ。それなのに私に道を曲げてまで諸侯に從えと進めるとは、なんということだ。ましてお前は間違っているぞ。自分を曲げた者が、どうして他人を直くすることなど出来ようか。」

陳代曰、不見諸侯、宜若小然。今一見之、大則以王、小則以霸。且志曰、枉尺而直尋。宜若可為也。孟子曰、昔齊景公田。招虞人以旌。不至。將殺之。志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元。孔子奚取焉。取非其招不往也。如不待其招而往何哉。且夫枉尺而直尋者、以利言也。如以利、則枉尋直尺而利、亦可為與。昔者趙簡子使王良與嬖奚乘。終日而不獲一禽。嬖奚反命曰、天下之賤工也。或以告王良。良曰、請復之。彊而後可。一朝而獲十禽。嬖奚反命曰、天下之良工也。簡子曰、我使掌與女乘。謂王良。良不可。曰、吾為之範我馳驅、終日不獲一。為之詭遇、一朝而獲十。詩云、不失其馳、舍矢如破。我不貫與小人乘。請辭。御者且羞與射者比。比而得禽獸雖若丘陵、弗為也。如枉道而從彼何也。且子過矣。枉己者、未有能直人者也。

陳代曰く、「諸侯を見ざるは、宜(ほとんど)ど小なるが若く然り。今、一たび之を見ば、大は則ち以て王たらしめ、小は則ち以て霸たらしめん。且つ志に曰く、『尺を枉げて尋を直くす。』宜ど為す可きが若し。」孟子曰く、「昔、齊の景公田す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。『志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず。』孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。其の招きを待たずして往くが如きは何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言うなり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直くして利あらば、亦た為す可きか。昔者、趙簡子、王良をして嬖奚と乘らしむ。終日にして一禽をも獲ず。嬖奚反命して曰く、『天下の賤工なり。』或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、『請う之を復びせん。』彊いて後に可く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚反命して曰く、『天下の良工なり。』簡子曰く、『我、女と乘ることを掌らしめん。』王良に謂う。良可かず。曰く、『吾、之が為に我が馳驅を範すれば、終日一をも獲ず。之が為に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり。詩に云う、其の馳することを失わざれば、矢を舍ちて破るが如し、と。我、小人と乘ることを貫わず。請う辭せん。』御者すら且つ射る者と比するを羞づ。比して禽獸を獲ること丘陵の若しと雖も、為さざるなり。道を枉げて彼に從うが如きは何ぞや。且つ子過てり。己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者有らざるなり。」

<語釈>
○「枉尺而直尋」、「尋」は八尺。この句、日本の“小を殺して大を活かす”と同じような意味。○「宜」、安井息軒云う、王引之云う、「宜」は「殆」なり。○「招虞人以旌。不至」、趙注:虞人は苑囿を守るの吏なり、之を招くに、當に皮冠を以てすべし。○「志士~喪其元」、この句は孔子の言葉である、高注:志士は義を守る者なり、君子固より窮するあり、故に常に死して棺椁無く、溝壑に没するも恨まざるを念う、勇士は義勇の者なり、「元」は首なり、義を以てすれば、則ち首を喪うも顧みず。○「詩」、高注:詩は小雅の車攻篇なり、御者、其の馳驅の法を失わずんば、則ち射る者、必ず之を中つ。

<解説>
弟子の陳代が孟子に少し融通を聞かせることを求めたのに対して、孟子は、それは己を曲げるものだ、と述べて諫めている。それが誤りかどうかは時と場合とに由るだろう。物事を円滑に進める為には己を曲げることが必要な時もある。ただ孟子が言いたいのは、為政者たる者は少しの妥協もなく己を厳しく律することが必要であると言うことであろう。
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