風の樹人日記

写真付きで日記や趣味を書く

感傷的に今日も開けました。 「Don Quixote」も、それなりに、いろいろ逡巡しながら進んでいます。

2015年08月27日 | 日記

 自宅へのほんの短い導入歩行路。 そのわきのちょっとした空地の(夏水仙)が、めっぽう心に「潤い」を与えて呉れます。

        今年は、咲かないのだろうか?と思うほど、咲かないまま、夏の盛りを過ごしてしまいました。              

    (Don Quixote)のエスキースを描き続けながら、大きな画面100号の「Don Quixote夢想・2015」を併行して進めています。

                                  何しろ100号の大きさを纏める事は、自分の「今」が各所に顔を出してきて、むのたけじの言う<「楽しむために」「喜ぶために」生まれてきたのだ。>との思いが描き込むことが出来る画面には十分の大きさなのです。

   描いたり、消したり。   どんどん消し込んでいるうちに、物語が「閉じ込められて行く」その様を、この部分には残したいな。などと追って残して置くと、全体の「画面」が成立しなくなったり…。      あれれれ、こんなところに取が覗き始めました。 これも残したいなと。  

       ならば、この辺りに、何か面白い表情を描き込んでみようかな?などと。

 傍で、その楽しみ方を見ていてくれる人があれば、頑張れるのにな。などと思ったり。 

    そう言えば、横尾忠則さんと描いていた時に、彼がふと「みていてくれる人の視線がエネルギーに成るな」と言ったことを想い起しました。   時には、「周辺にいる人の視線が「力」を与えて下さるのかも」と言うのが、贅沢な希望であったり。   気儘ですね。


Don Quixoteのエスキースです。

2015年08月26日 | 日記

 素っ頓狂な表情。

   毅然とした仕草。

                                   

                                                          さらに、何もかも包含した包容力。

 実際は、誰もが笑顔で、ややシニカルに捉えていたはずなのに、そんなことをものともしない「一徹さ」。

 100歳に成った「むのたけじさん」を新書版で今読んでいます。  誰もが必ず共感するものに気付く素敵な一冊です。     20年も以前になるでしょうね。(たいまつ)全集が全書として発刊されています。 今回の2冊よりも、骨のある「まさに書籍です」。


セミの鳴き声も、ほとんど聞かなくなってきました。  atelierの夏も終わろうとしています。

2015年08月25日 | 日記

 このブログを描き始めていますが、テレビは、台風の話ばかりが放映されています。

                   昨日は、午後になってatelierへ戸締りを確認したり、周辺の台風対策をチョットして帰ってきたのでした。

  勿論、100号に筆を入れてきたのですが、なんといっても、構えるほど時間が懸ります。

  部分を切り取ってupしてみました。               時間を懸けたとて好いものに成るとは限らない厄介な作業です。            でもね手を入れると当然変化が出て来るのですね。           

        その変化に触発されながら、何時もの技法を確認する感じで、何そうにも描き重ねているのです。                               今までの絵の匂いが、どこかへ飛んで行って止まったような「色調」が生まれて来て、これはこれで私には、「新鮮」な感じで気に入った部分もあちこちに…。                            すっかりDon Quixoteの、仮夢のような心境に、自分でもびっくりしている始末です。どんなものでしょうかね。    出口へのヒントに成るような誘導をよろしくお願いします。     ご覧頂いたみなさん!


Vol.44「西脇市子供芸術祭」の作品展。  作品抜粋。

2015年08月24日 | 日記

  子どもの絵は「子供の生活そのもの」です。

                     はや、44年が経ったのですね。  学校教育の中で進める「表現・図画工作・美術」は、基本的には、「表現と鑑賞を通して、豊かな人としての情操をつちかう」と歌われています。

   家庭での子どもの暮らしを通しての表現は、学齢に関係なく、いろんなヒントを自分で採りいれたり、   思いのままに「描く」行為の中に、子供の思いが盛り込まれていくのです。        「絵」を教える。と考えている人が多い中で、家庭では、教わるのではなく、「独りでに学んでいくこと」が焦点に成るのです。

      形も、色も、思うように描けない中で、子どもたちが「群れて」お互いが影響しあうことにこそ、大きな意味を持っているのです。         言葉を変えると、教えることで、本来の自分と思えないようなものが生まれることは無い、家庭で描く作品の素敵さは、常に発見があるのです。     自分が「学んで、工夫を繰り返すことを繰り返しているうちに、考える」と言う大変な作業を自在に身につけていく凄さのある世界なのです。   そんな「場」。    子どもの心の居場所がどれほど大切かということに気付く展覧会が、西脇市では44回も続いているのです。          普通の生活の中にこそ、学ぶべきことが「複合的」に、子どもたちを育てていくことの大切さが、基本に成るこの展覧会の持つ、大きな意味なのです。   発達段階をきっちり身に着けていくことの大切さは、周辺にいる大人たちが、読めることが大切でもあるのです。

           

                           

 


エスキースから始まって、いよいよ画肌を手入して、着彩を始めました。

2015年08月23日 | 日記

    21日分の追記です。画室で、一夜を明かしたエスキース・構成です。                                        

          

 いよいよ色を入れ始めると、最初から「考え込んでしまい」ます。

                          

       午前中に、シルバー人材センターの方にあらかた整理して頂きました。私の「癖」も十分解って頂いているものですから、散かった「紙片」のようなものも、大切に残して頂いています。               お昼になって、昼食にてるちゃんも一緒に出掛けました。

                     今日はここまでです。8月21日の夕刻です。                                              教室のmemberがちょっと覗いてくれました。

     教室からアトリエまでは10kあるのです。