自宅へのほんの短い導入歩行路。 そのわきのちょっとした空地の(夏水仙)が、めっぽう心に「潤い」を与えて呉れます。
今年は、咲かないのだろうか?と思うほど、咲かないまま、夏の盛りを過ごしてしまいました。
(Don Quixote)のエスキースを描き続けながら、大きな画面100号の「Don Quixote夢想・2015」を併行して進めています。
何しろ100号の大きさを纏める事は、自分の「今」が各所に顔を出してきて、むのたけじの言う<「楽しむために」「喜ぶために」生まれてきたのだ。>との思いが描き込むことが出来る画面には十分の大きさなのです。
描いたり、消したり。 どんどん消し込んでいるうちに、物語が「閉じ込められて行く」その様を、この部分には残したいな。などと追って残して置くと、全体の「画面」が成立しなくなったり…。 あれれれ、こんなところに取が覗き始めました。 これも残したいなと。
ならば、この辺りに、何か面白い表情を描き込んでみようかな?などと。
傍で、その楽しみ方を見ていてくれる人があれば、頑張れるのにな。などと思ったり。
そう言えば、横尾忠則さんと描いていた時に、彼がふと「みていてくれる人の視線がエネルギーに成るな」と言ったことを想い起しました。 時には、「周辺にいる人の視線が「力」を与えて下さるのかも」と言うのが、贅沢な希望であったり。 気儘ですね。