面白いコラムがダイヤにアップされている。
執筆者は知り合いだし、内容に異論はないのだけど、
別アングルからシンプルに考えると違った側面も見えてくる。
ここでいう正社員というのは、終身雇用契約により正社員村の村民
となった労働者のことで、契約単位は“人生”である。
彼らは「企業の永続的な発展」という点で、企業とほぼ完全に利害が一致する。
一方の派遣社員は最長でも3年の契約期間であり、企業との利害は一致しない。
一致しないのに就労できているのは、彼らは“時給”というきわめて流動的な単位
で契約しているためだ。
人生と時給という観点から見れば、飲み会の意味合いも大きく変わってくる。
村民からすれば村の行事に出て親交を深めておくことはそれなりのメリットがあるが、
真っ先に雇用調整されることが確定している季節労働者にとっては、そんなものは
文字通りの時間のムダである。
これが「派遣社員は正社員との飲み会に参加したがらない」理由だ。
ついでに言うと、同じ村民であっても年齢によって損得は分かれる。
「この契約に人生を賭けるのは割に合わない」と判断した若手は3年で辞めるし、
そこまでいかなくても、飲み会のような村行事への参加に魅力を感じなくなるケース
は多い。
一方で、50代は「あと数年逃げ切れればいいや」と事なかれ主義に陥る傾向がある。
日本型雇用のもう一つの特徴である年功序列制度によって、舵を握るのは常に50代
であるから、日本型組織では尻に火がつくまで、なかなか抜本的な改革は進まない。
そういう意味では、まだまだ先の長い2、30代こそ、もっとも共同体と
利害が一致したグループと言えるかもしれない。
どっちにしろ、もう日本型雇用の果実なんて幻想なのだから、組織とはクールに
一線を引いている自立した大人の方が、個人的には好きである。
もちろん、好きで飲む分には大いに結構だ。
執筆者は知り合いだし、内容に異論はないのだけど、
別アングルからシンプルに考えると違った側面も見えてくる。
ここでいう正社員というのは、終身雇用契約により正社員村の村民
となった労働者のことで、契約単位は“人生”である。
彼らは「企業の永続的な発展」という点で、企業とほぼ完全に利害が一致する。
一方の派遣社員は最長でも3年の契約期間であり、企業との利害は一致しない。
一致しないのに就労できているのは、彼らは“時給”というきわめて流動的な単位
で契約しているためだ。
人生と時給という観点から見れば、飲み会の意味合いも大きく変わってくる。
村民からすれば村の行事に出て親交を深めておくことはそれなりのメリットがあるが、
真っ先に雇用調整されることが確定している季節労働者にとっては、そんなものは
文字通りの時間のムダである。
これが「派遣社員は正社員との飲み会に参加したがらない」理由だ。
ついでに言うと、同じ村民であっても年齢によって損得は分かれる。
「この契約に人生を賭けるのは割に合わない」と判断した若手は3年で辞めるし、
そこまでいかなくても、飲み会のような村行事への参加に魅力を感じなくなるケース
は多い。
一方で、50代は「あと数年逃げ切れればいいや」と事なかれ主義に陥る傾向がある。
日本型雇用のもう一つの特徴である年功序列制度によって、舵を握るのは常に50代
であるから、日本型組織では尻に火がつくまで、なかなか抜本的な改革は進まない。
そういう意味では、まだまだ先の長い2、30代こそ、もっとも共同体と
利害が一致したグループと言えるかもしれない。
どっちにしろ、もう日本型雇用の果実なんて幻想なのだから、組織とはクールに
一線を引いている自立した大人の方が、個人的には好きである。
もちろん、好きで飲む分には大いに結構だ。
「身分制」というよりもほんとうは
「奴隷制」というべきでしょう。
一刻もはやく流動化を望みます。
私は正社員だったので、当然参加しました。参加するのも仕事のうちですからね、正社員の。休日ゴルフだって仕事のうちです。
こういう正社員村によく所属していたなぁと今思うと恐ろしいものです。
だからこそ今の微妙なポジションなのでしょうけど、本人としては満足しているのでOK。
そんな考えの人が増えれば、流動化も進むかなと思っています。
雇用対策としては、デフレの克服と同時に、正規雇用と非正規雇用の壁のないシステムをつくることが求められている。政府は、デフレ克服と同時に、労働組合の連合と政府との「定期協議会」等の場で、オランダの例にみられるような正規・非正規の壁のない新たな労働スタイルの確立を提案する考えはないか。
上記質問に対する政府答弁書
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10400913024.html
これ一つとっても、完全な労組依存、積極的労働市場政策に舵を切りつつある諸外国とは全く逆の方向を向いていますね。
そう言えば新入社員の時、「資格の勉強があるので飲み会行きません」的なスタンスをとっていたら上司から叱責を受けたのを思い出しました。
私も昨年の新入社員の頃は歓迎会・送別会・忘年会・新年会・プロジェクトの打ち上げ等々、必ず参加していました。断るなんて考えもしなかったものです。
しかし、ある日ふと
・勤務時間外に
・会社の人と
・安くもないお金を払って
・仕事の話(先輩の過去の栄光など)を聞かされ
・反論すると「これだから新人は」と言われる
なんて、なんて無駄な行為だ!と思いました。
「会社の飲み会は村の行事」とは絶妙な喩えですね。
「イニシエーション」「洗脳」ともいえるかもしれません。
「その結果、日本半導体メーカーは、大規模なリストラを敢行した。日立で2万人、東芝で1万8800人、富士通で1万4600人、NECで4000 人・・・、などである。筆者の所属する日立では、半導体関係部門に対して、「40歳以上、課長職以上は、全員、退職してもらいたい」という早期退職勧告がなされた(「責任を取れ」というのが、勧告の理由だった)。」
シューシンコヨーの昭和の「正社員」でもこれだも
の。
今の派遣社員はもちろん,正社員がシューシンコヨーを信じてるとすれば,そっちの方が異常ですよ。
ある意味若手を洗脳するための一つの儀式のようなものなんでしょうけど、そもそも一生その組織にいれるかどうかもわからないのですから費用対効果の面で考えればマイナス面の方が大きいでしょうね。。
つまり、あの人は派遣社員でありながら、会社の文化にもよくそまってくれている。今後は一時的な関係ではなく継続的な関係をお願いしたいというのが、流動化のインセンティブなのではないでしょうか。もし城さんが流動化がなければ特定の世代が救われないではないかと考えているならば、必要なのは卵か鶏です。鶏が無理なら、卵が必要なのだと思いますよ。
経営者についても、昭和の人事制度の維持は低成長の時代で難しくても、社内の文化は昭和から続いているものを残したいと考えている方がおられると思います。受け継ぐべきものは大胆に受け継ぎ、受け継ぐものが難しいものは大胆に切り捨てるのがこれまでの日本人のやり方でもあると思うのですが。