精神病院と聞いて、何が思い浮かぶだろうか。
具体的にイメージできる人は少ないだろう。かわって想像を補完してくれるのが、
映画や小説といったフィクションの世界であり、そしてそれらのほとんどは
完全な虚構である。
(正直言うと、僕の場合、真っ先に浮かんだのはドグラマグラだった…)
そういうベールの向こうにある世界を、ありのままに取り上げたのが本作だ。
映画『精神』公式サイト(リンク先、音声アリ)
そこは、びっくりするくらい普通の世界だった。
考えてみれば、当たり前の話だろう。同じ人間なのだから。
モザイクをはずすことで、見えてくるものもあるのだ。
彼らは自分の言葉で自身の経験と思いを語る。
時に明るく、時に重い。
そういった話を聞いているうちに、我々の暮らす世界と彼らの世界はつながっていて、
そしてその距離はそんなに遠くないことに気づく。
ベールとは何だったのだろう。
ベールの向こうにカメラを入れ、ありのままの場を撮影する手法は、前作の『選挙』と
同じだ。
時系列に沿った構成が組まれているわけでも、適時ナレーションが入るわけでもなく、
我々は監督自身の経験を追体験することになる。
それが、監督のいう“観察映画”というものだ。
ただ、編集は極力避けられているから、どう経験するかは見る側に任されている。
エンディングの意味について、質問しようと思っていたのだがやめた。
それは僕が考えれば済む話だ。
僕自身が本作を通じて経験したことを一つだけ上げれば。
それは、自分の中にも彼らと同じウェットな部分があり、
そしてそれを本能的に感じているからこそ、“タブー”として線を引こうと
していたのだと気づいたことだ。
各人がそれぞれの経験を得て欲しい映画である。
具体的にイメージできる人は少ないだろう。かわって想像を補完してくれるのが、
映画や小説といったフィクションの世界であり、そしてそれらのほとんどは
完全な虚構である。
(正直言うと、僕の場合、真っ先に浮かんだのはドグラマグラだった…)
そういうベールの向こうにある世界を、ありのままに取り上げたのが本作だ。
映画『精神』公式サイト(リンク先、音声アリ)
そこは、びっくりするくらい普通の世界だった。
考えてみれば、当たり前の話だろう。同じ人間なのだから。
モザイクをはずすことで、見えてくるものもあるのだ。
彼らは自分の言葉で自身の経験と思いを語る。
時に明るく、時に重い。
そういった話を聞いているうちに、我々の暮らす世界と彼らの世界はつながっていて、
そしてその距離はそんなに遠くないことに気づく。
ベールとは何だったのだろう。
ベールの向こうにカメラを入れ、ありのままの場を撮影する手法は、前作の『選挙』と
同じだ。
時系列に沿った構成が組まれているわけでも、適時ナレーションが入るわけでもなく、
我々は監督自身の経験を追体験することになる。
それが、監督のいう“観察映画”というものだ。
ただ、編集は極力避けられているから、どう経験するかは見る側に任されている。
エンディングの意味について、質問しようと思っていたのだがやめた。
それは僕が考えれば済む話だ。
僕自身が本作を通じて経験したことを一つだけ上げれば。
それは、自分の中にも彼らと同じウェットな部分があり、
そしてそれを本能的に感じているからこそ、“タブー”として線を引こうと
していたのだと気づいたことだ。
各人がそれぞれの経験を得て欲しい映画である。











私自身、喉の痛みで一年近く悩んだ末に抗うつ剤飲んだら速効で治った体験から精神的な療法ってあるんだなあ、と納得してます。でも、まだまだ世の中には精神病を詐病、仮病と思い込んでる人が多いんで大変ですね。
ストライクゾーンが狭くなっているというか。
日本の就業体質を鑑みれば、そこで不可なく耐えられる方が、ある種病的だと云えなくもないですが。
精神の正常異常のみならず、容姿の善し悪しまでが、社会的適応度として加味される。
そりゃ異常な社会になりますよね。
宮台真司さんが死刑制度について話していて、なるほどなと思ったのですが、死刑囚も共同体の一員であり、その人を排除することは共同体つまり私達の一部も傷つくのだという意見でした。
日本は許容性を少なからず失っているように思います。雇用に置き換えれば、それが例えば非正規であったり、女性だったりするのかもしれません。本来多様性は最大のリスク回避のはずなんですがね。
しかしここで紹介される映画はいつも面白そうですね。城さんの紹介するチャーリーズエンジェルも読んでみたい気がしなくもないけど。
これは背後にある、ある種の感覚があり、これが作用するからである。これは受験においても作用しており、各大学の卒業生、特に有名大学卒業生にある。極端なはなし、それらの大学卒業生以外を精神病患者をみるように見ると言うことである。この意識は興味深いものがあるが、簡単ではない。
知人が言うには医者が商売の為に、うつ病と膠原病を増やしたと話しているが本当かしらん。欝病になっても、給料が保障されているという条項をはずせば、かなり少なくなると私は見ている。食事をさせなければ少なくなると見ている。
精神病にかかった人はその昔は狐がついたとか、狸が化かしたとか、怨霊がついたとか、生霊がついたとこ、死霊がついたとかいったはずで、その理解の仕方をすると、いろいろ見えてくるのではと私は思う。
やはり気が違うがいいか。
精神の病と言う感覚は西洋近代精神の感覚で、人格が一定であると言う前提から出てくるのではないか。聞くところによると西洋で酔っ払って性を失う人は信用されない。酒が弱いと言うことは言い訳にならない。弱いなら酒を飲まないという姿勢を維持することが当然で其れができないから、だめとなるそうである。
この理屈は日本人に通用するか。中川氏への評価は日本と欧米では多分異なる。
精神病は酔っ払った状態もしくは狐がついたと考えてみると、どのような狐がついたと見ることができる。逆に言うと狐がついていない状態が正常(?)となる。つまり否定状態が正常としてみることができる。したがっていろいろな狐がいるわけだから、その狐を追い払った状態が、正常(?)となる。
狐がついた状態と言うことを知らないで話すと、さほどおかしくないが狐がついたと見ると、まったく別なものに見える。其れは見る人のほうに依存するだけで、見られるほうは変わらない。
世間で株でもうけると言う狐につかれた人は幾らでもおり、その時の状態をきちんと知る人は少ない。素の状態が精神病と考えれば、その手の人でない人はきわめて少ない。
さしずめ東国原知事にはどのような狐がついているか見ものである。狐だから何もできないかもしれない。
狐がついていなければ、何かはできるだろう。
なんていうか、シネコンのおかげでこういう映画が日の目を見なくなったなぁと思うのです。昔、私の地元にあった映画館は1000円ちょっとで何本も映画が見れたんですけどね。子供のアニメも3本くらい上映したり。
最近でもレスラーって映画を見に行ったんですが、兵庫・大阪で2ヵ所しか上映してませんでした。金獅子章とったすごくいい映画なんですけどねぇ…
村社会や流され易い国民性はやはり今もってやはり健在ですね。
http://blog.livedoor.jp/ksytkak/archives/415877.html
精神障害者は怖い人たちではない。普通の人のほうがずっと怖い。
小さなころに母親がふと同じことを言っていました。
そのころは良く分かりませんでしたが、30まじかの今となって、その意味がよくわかります。
どう考えても完全に逝っちゃってる人がメンタルクリニックに行かない。(笑)完全に逝っちゃってる人の周囲の人がメンタルクリニックに行く。この事実を踏まえて世の中を考えないと行けませんね。(苦笑)
皆様の税金で、「患者様」を取り込み儲けさせてもらってます。
経営者からみればはっきりいって、慢性患者は「銀行の預金」といっしょです。
もちろん、「世襲」で「事業」は続けさせてもらいますよ。
そのためにボンクラ私立医大は存続させまーす。
世間の皆様には、「こわくて、キチガイのいるところ」と煙幕をはって、こういう「おいしい事実」を覆い隠しましょう。