以前から知り合いだった某大手企業の部長さんとお会いした際のこと。
ひとしきり不況のことなどを話した後、何か良いニュースはないですか?と聞くと
「定年まで五年を切りました」と笑顔で言われてしまった。
いや、業界全体という意味の質問だったのだけど……。
その時はやれやれという感じで聞き流したのだが、後から考えたら、これって実は凄いことなんじゃないか
と思えてきた。
だって、滅私奉公30年の末に大の男が辿りついた結論が「あと5年切ったぜ」である。
実際、早期退職募集というのははっきりいえば50代がターゲットで、もちろんトータルで考えれば
辞めたら損なんだけど、ちょこっと退職金を割り増すことで、こういったおじさんの
「あーもう早くエスケープしたいなあ」というリビドーを刺激するコストカット戦術である。
今でも盛んに募集しているということは、この時代であってもそういう屈折した感情は強いのだろう。
こういう管理職だと、きっと新人にはこう言うんだろう。
「あと30年て考えるからダメなんだ。既に半年経ったって考えるんだ」
確かプラトーンでこういう会話があった気がする。
そうか、やっぱりサラリーマンは戦争なんだろうな。
さしずめ繰り上げ除隊は早期退職か。
ところで、最近「さとり世代」なる造語が話題となった。無駄に頑張ったり夢を求めたりしない若者世代
のことらしい。
年功序列制度というのは、既に結果の見えたシステムなので、期待せずにほどほどに頑張ろうと考えるのは
とても合理的だ。
僕に言わせれば、むしろ団塊世代の方が悟ってる人が多い気がする。
「俺はもう多くは望まない。日々たんたんと生きられればいい」的な。
問題は、「多くは望まない」ということの中に、組織を改革するという要素も入ってしまっていることなのだけど。
大手と言われる日本企業で、そこそこには恵まれている人でさえ、僕は「あと○年」式の人しか見たことがない。
むしろ、それが普通なんだろう。そして自己啓発系の本やセミナーの中には、そういう“さとり”を勧めるものが
結構ある気がする。香山リカの本も、あれはそういった世代にさとり教本としてとらえられているのではないか。
そのうち、AERAかSPA!あたりで、「さとりを開いたバブル世代」特集が組まれると予想する。
ひとしきり不況のことなどを話した後、何か良いニュースはないですか?と聞くと
「定年まで五年を切りました」と笑顔で言われてしまった。
いや、業界全体という意味の質問だったのだけど……。
その時はやれやれという感じで聞き流したのだが、後から考えたら、これって実は凄いことなんじゃないか
と思えてきた。
だって、滅私奉公30年の末に大の男が辿りついた結論が「あと5年切ったぜ」である。
実際、早期退職募集というのははっきりいえば50代がターゲットで、もちろんトータルで考えれば
辞めたら損なんだけど、ちょこっと退職金を割り増すことで、こういったおじさんの
「あーもう早くエスケープしたいなあ」というリビドーを刺激するコストカット戦術である。
今でも盛んに募集しているということは、この時代であってもそういう屈折した感情は強いのだろう。
こういう管理職だと、きっと新人にはこう言うんだろう。
「あと30年て考えるからダメなんだ。既に半年経ったって考えるんだ」
確かプラトーンでこういう会話があった気がする。
そうか、やっぱりサラリーマンは戦争なんだろうな。
さしずめ繰り上げ除隊は早期退職か。
ところで、最近「さとり世代」なる造語が話題となった。無駄に頑張ったり夢を求めたりしない若者世代
のことらしい。
年功序列制度というのは、既に結果の見えたシステムなので、期待せずにほどほどに頑張ろうと考えるのは
とても合理的だ。
僕に言わせれば、むしろ団塊世代の方が悟ってる人が多い気がする。
「俺はもう多くは望まない。日々たんたんと生きられればいい」的な。
問題は、「多くは望まない」ということの中に、組織を改革するという要素も入ってしまっていることなのだけど。
大手と言われる日本企業で、そこそこには恵まれている人でさえ、僕は「あと○年」式の人しか見たことがない。
むしろ、それが普通なんだろう。そして自己啓発系の本やセミナーの中には、そういう“さとり”を勧めるものが
結構ある気がする。香山リカの本も、あれはそういった世代にさとり教本としてとらえられているのではないか。
そのうち、AERAかSPA!あたりで、「さとりを開いたバブル世代」特集が組まれると予想する。
さとりなどというものはぶち壊したくてしょうがないんですけど。
ただまあどう考えても定年まで会社が持たないと思ったんで退職金が貰えるうちに逃げたんですが。
外資に喰われた部隊は倒産の挙句、解雇で退職金ゼロ。救いの無い話ですよ。
早期退職の制度があるウチに逃げた方が得と思ってしまいますね。
戦場カメラマンだって戦争の悲惨さを誰かに伝える使命感を持って戦場に行きます。戦争とは悲惨なモノです。
なのに日本では大部分の学生はサラリーマンとなり戦場に駆り出され戦争をします。徴兵制などないのに、使命感もないのに、名誉や勲章も与えられないのに。
そして戦争の采配を振るうのは基地の指令室という安全な場所にいる司令官です。そして戦争に勝った場合に称賛されるのも司令官です。無数の兵隊は称賛されません。
戦争をやめるには司令官を打ち取るか兵隊を多く虐殺し司令官に負けを認めせるしかありません。
数多くの兵と司令官、天秤に乗せたときにどちらに傾くかは明確ではないでしょうか?
こう考えるのはその人の勝手だと思いますが、他人、とくにホリエモンのような企業家の足を引っ張るのはやめてほしいですね。
日本の就活は構造的矛盾を抱えすぎてる気がする。
「さとり系」とは上手いこと言うなぁとは思いますが、この表現が仏教的に正しいかと言えばそうでもありません。悟りの本質的な意味を考えれば、そこには当然「変化(諸行無常)を受け入れる」ということも含意されているはずですから。
さとりと言うにはちょっと違和感が・・・若年層の多くは艱難辛苦を押し殺して、安直に「悟ったふり」をして「心穏やかで冷静な自分」を演じているだけではないかと。
「悟り」と言うよりは、自分ではどうにもならない壁にぶつかった結果の「妥協」「諦め」でしょう。
今の状況が「悟り」であるなら、「自殺」=「即身成仏」と言い換えられるのだろうか・・・と考えてしまいました。
海の向こうには努力次第で年収が10倍も夢じゃない奴らが、いっぱいいるんですから。
日本の労働者は、努力して良くて現状維持くらい。それも難しくなっている。
俺だって努力して年収5000万もらえるなら、やりますって!
生まれてから一番衝撃を受けた言葉。
いや本当は皆悟ってなんかいないはず、でも自分に自信がないのか、あきらめなのか、「さとっているふり」をしているだけではないですか。