名誉毀損―表現の自由をめぐる攻防 (岩波新書)山田 隆司岩波書店このアイテムの詳細を見る |
名誉毀損とメディアの関係について明快に説く一冊だ。
21世紀に入り、名誉毀損による賠償額が高額化し、それは結果的にメディアの萎縮を
もたらしている。戦後、どのような判決が積み重なって判例を形作ってきたのか。
また言論国家アメリカでは、どのようにして言論の自由とプライバシーのバランスを
とっているのか。
法律本というと門外漢には分かりにくいという印象があるが、本書はとても読みやすく
事例だけでも面白い良書だ。
ところで、メディア相手の訴訟が増えた理由とは何だろう。
直接的な理由は、「勝てるようになったこと」であるのは間違いない。
ターニングポイントとなったのは、2001年に某女優が『女性自身』相手に起こした
名誉毀損訴訟だ。
ではなぜ勝てるようになったのか。本書は、立法府と司法の間の政治的なつながり
について示唆する。具体的に言うと、メディアを萎縮させるような何らかの意図が、
彼らの間に存在したのではないか、という推測だ。
そんなまさかと思う人も多いだろうが、最近の主なメディア案件を見ても、その傾向
は強く感じられる。特に雑誌が徹底してやられている印象だ。
原告 被告 賠償額
06年 広末涼子 週刊現代 440万円
07年 谷垣禎一 文春 330万円
08年 JASRAC ダイヤモンド 550万円
09年 日本相撲協会他 週刊現代 4290万円
この辺は個人的にも気になっていて、いろいろな人に聞いているのだが、いくつか
見方があるようだ。
・10年ほど前、司法自体が関係するスキャンダルの報道をきっかけに、
雑誌が目の敵にされるようになった。
・裁判員制度を巡る協定などに非協力的な雑誌協会へのプレッシャー
ちなみに、僕の知人で本書収録ケースにも登場する記者は、最初の見方をとっている。
本書の提言は、原告が公人であれば「名誉毀損であるという立証責任」を負わせ、
メディア側に「現実的悪意の有無」を求めるというもの。
たとえば「森さんに検挙歴がある!」とどこかが書いたとして、訴えるということは
自分で自分の検挙歴の有無を照会しないといけないわけだ。
(+「嘘と知っていてネタにした」という点も立証しないとダメ)
こうなるとよほどのことが無い以上、メディア相手の訴訟なんて出来なくなるわけ
で、表現の自由は守られる。
メディアは神様ではないので、司法という歯止めは必要だ。
ただ、それによって社会が喪失するものも存在するわけで、重要なのは両者の
バランスである。
人材の流動性が低く組織を超えた人の移動が少ない場合、高い評価を受ける人は固定化され、それ以外の人は常に低い評価を受けることになります。心理学では、いくら努力してもよい結果が得られないと、人は無気力になると考えられています。
彼女は中労委での研修で、「労働委員会にあっせんを申し入れてくるのはあっち側の労働組合ばっかりなんで、やる気になりません。」
というようなことを口走ったそうです。あっち側の組合てのは労連系ってこと。
そんなとこが労働者の身になって働いてくれるわけがない。「会社の言うことを聞いたほうがいい」といってもみ消してくれるだけです。
もみ消してくれるから、会社から高給保証されてるわけですね。
ゼンセンがそうなんだから、ほかは推して知るべしでしょう。
司法のスキャンダル報道への報復が原因というのは・・・これは邪推ですよ。
私はマスコミ側を擁護する気にはなれません。
この本の著者が主張することは、マスコミに「表現の自由」を免罪符に名誉毀損をする特権を認めることにつながります。私は、マスコミが求めるこのような「表現の自由」は再販制度とか記者クラブとかと同じ種類の特権ではないかと思います。
それに「公人」というのは何を指すのでしょうか。大臣や国会議員はいいとして、芸能人やキャスター、学者や作家も社会に影響力をもつ人ですが、「公人」として私生活を暴かれ、名誉を毀損されるようなことを認めていいのか疑問です。
表現の自由が重要なのはその通りでも、他人の名誉を毀損するような表現まで委縮しないでするというのはどうなのでしょう。
刑法230-2を類推する解釈によれば「公益目的」と「真実性」(信用できる情報を根拠にしていることで足ります)が必要になりますが、そういう要件すら満たさない言論が名誉権よりも優先するとは思えません。
賠償額が低すぎると名誉毀損報道については司法的解決が図れなくなります。名誉毀損は人権侵害ですから、司法的解決が無意味な状態というのはまずいでしょう。
私は、立証責任を転換させてマスコミの特権を強化するようなこの本の著者の立場に与しません。