醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  347号  白井一道

2017-03-19 12:08:58 | 随筆・小説

  獺祭!!!

侘輔 ノミちゃん、最近、山口の酒、「獺祭」が人気のようだね。
呑助 テレビ番組「カンブリア宮殿」で放送されたからね。
侘助 どんな内容の番組だったの。
呑助 中国山脈の山里の人口三〇〇人くらいの町にある酒蔵の酒が東京で売れまくっている。
侘助 本当なのかな。
呑助 本当らしいよ。東京下町にある地酒屋が仕入れるとすぎ売れて無くなってしまう。最近ではお客様一人に四合瓶一本しか売らないらしい。
侘助 へぇー。そんなに売れているんだ。どうしてまたそんなに売れるようになったのかな。
呑助 そこには聞くも涙、話すも涙の物語があるらしい。
侘助 へぇー、どんな物語があるの。
呑助 今の社長が跡を継いだとき、生産石数が七〇〇石、山口県内では四番目の生産石数の蔵、町の人口は三〇〇人、日本酒全体の生産量は長期低落傾向、右を向いても、左を向いても廃業以外に取る道はないような状況だったようだよ。
侘助 山口県の何という所にある酒蔵なの。
呑助 限界集落のような過疎地の町らしい。JR岩国駅から一~二時間に一本しか走らない岩徳線に乗ること四〇分、周防高森駅下車、車で山中に入ること約一五分。猛烈な過疎にあえぐ山村にあるらしい。山間の小さな集落にへばりついて長い歴史を生きてきた酒蔵らしい。
侘助 人口三〇〇人の町じゃ、酒を売るにも買ってくれる人がいないねぇ。
呑助 そうした逆境の中で売れて売れて売れぬく酒を造ったから評判になったらしい。
侘助 凄いことだね。
呑助 凄いですね。
侘助 今の社長が跡を継いだのは、いつごろのことなのかな。
呑助 一九八四年(昭和五九年)。この頃は焼酎ブームが吹き荒れていた。焼酎は少しぐらい飲んでも翌朝、頭がすっきりしている。日本酒は残る。こんな言葉をよく聞いたように覚えている。
侘助 確かにそうだな。第一次オイルショックが起きた年、昭和四八年(一九七三)が日本酒の生産量が最高だった。おおよそ九八〇万石だと言われている。それが現在は三分の一の三四〇万石のようだからね。
呑助 一石という言葉をよく聞くけど一石というのはどのぐらいの量を言うの。
侘助 一升瓶100本でおおよそ一石かな。
呑助 獺祭の酒蔵は、そうすると今から三〇年前、七〇〇石だったというから一升瓶で七万本の生産量だったんだ。それが今年は五万石の酒を生産するという話ですよ。
侘助 五万石か。一升瓶で五〇〇万本の酒が売れるようになったという訳だな。凄い。凄いね。
呑助 生産量が七〇倍以上に伸びたんですからね。人口三〇〇人の山間の過疎の町に十二階建の蔵を建てているそうですよ。パートを合わせると従業員が一〇〇名だそうですから、町の人ほぼ全員が獺祭を醸す旭酒造の従業員といってもいいぐらいですよ。
侘助 老人、子ども合わせて三〇〇人の町だからね。
呑助 そうですよ。社長は町のお殿様ですね。
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