ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

別府インマヌエル教会の今

2009-05-30 13:19:01 | ときのまにまに
延岡に行く途中、別府インターを出て別府の町に立ち寄った。別府には太平洋戦争まで聖公会の教会があった。戦時中、政府の宗教政策(一種の宗教弾圧であった)に従って、プロテスタント諸教派が統一され日本キリスト教団が成立した。そのとき、日本聖公会では合同に加わろうという合同派と非合同派とが激しく論争し、分裂し、一部は日本キリスト教団に参画した。そこまでは、どんなに激しい論戦があったとしても、それはそれなりに理解可能な範囲の出来事であったが、問題は敗戦後、日本聖公会が復興したとき、合同をめぐる論戦の後遺症として、合同した諸教会の復帰をめぐって、またもや、激しい論戦が繰り広げられた。その結果、あるいはその他の諸事情により、いくつかの教会は日本聖公会に復帰せず、そのまま日本キリスト教団にとどまった教会がある。別府インマヌエル教会はその残った教会で、現在では日本キリスト教団別府野口教会として教会活動は持続している。
その礼拝堂が今、どうなっているのか関心があり、訪れたかったのである。と言って、いきなり訪問するわけにもいかず、どうしようか思案していたし、第1現在の教会名や住所も分からないので、とにかく日本キリスト教団の別府教会に行けば何とかなるだろうと思って、別府教会に行くと、そこの牧師が関西学院神学部時代の友人で、30年ぶりの旧交を温めることが出来た。彼に昔聖公会であった教会がどうなっているのか尋ねると、直ぐ近くだから案内するということになり、別府野口教会を訪れた。そこの現在の牧師とわたしには共通の友人も多く、喜んで歓迎してくれた。

        

建物はほとんど昔のままで、北九州市の八幡聖オーガスチン教会のような造りになっており、とても美しい礼拝堂であった。ただ、残念ながら、礼拝の様式や礼拝堂の使い方が聖公会と違うので、かなり戸惑っている感じで、使いにくそうであった。いろいろ話を伺うと、「ここの信徒の中には洗礼を受けた教会名に別府インマヌエル教会という人々がおり、初めはどこの教会なのかと思った」とのこと、元聖公会の信徒たちは、高齢化しているが、信仰は維持されているとのこと。そのことを伺ってうれしく思った。しかし、この信徒たちの戦中、戦後の心の傷は癒されたのだろうか。合同だ、非合同だ、と言ってもそれは時代の流れの中での話であり、しかもそのほとんどは聖職主導の議論ではなかったのだろうか。日本聖公会としても、この人たちに対する「牧会的配慮」は尽くされたのだろうか考えさせられる。

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1 コメント

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古き合同問題 (元聖公会会員)
2009-06-03 17:21:33
聖公会にとって、合同問題は当時大変な苦悩の連続であったと聞きます。
私がかつて在籍した北関東教区川越キリスト教会も戦時中合同に賛成し日基教団に入っていました。日基教団時代の教会名は川越聖愛教会でした。戦後直ぐに聖公会に復帰しました。九州福岡には他にも日基教団に残った元聖公会の教会がありますよね。
福岡城東橋教会http://www.ne.jp/asahi/joutoubashi/wakaba/sub5.HTM