ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

対馬にて(4) 対馬観光と韓国

2009-05-22 20:55:29 | ときのまにまに
豊砲台より少し西に寄ったところに韓国展望所がある。韓国風の美しい建物で周囲の風景とアンバランスの美しさがある。ここは韓国に最も短距離に位置し、秋や冬には気象条件がよければ韓国が見えるという。建物の中には韓国の夜景の写真が飾られている。この日は西海岸を通って南に向かったが、何ヶ所か韓国が見えるという展望台があり、日本語と韓国語の案内板がある。この日には、異国の見える丘展望台から釜山市が幽かに見えたような気がする。

        

対馬と韓国とは地理的にも歴史的にも関係が深い。円高ウォン安の現在でも沢山の観光客が対馬に来ている。厳原港などでは韓国人が溢れているという感じさえする。この人たちが好んで韓国が見える展望所に立って韓国を見て、なんだかんだと大騒ぎをしている。何か不思議な気がする。韓国からわざわざ日本に来て韓国を遠く眺め、それが対馬観光の目玉となる。変な感じ。日本人観光客も釜山に行って対馬を遠望し、見えるとか見えないとか興奮するのだろうか。
幸い、わたしたちが韓国展望所を訪れたときは、ひっそりとしていた。実は、ここは「韓国が見える」というのがセールスポイントではない。この展望所の眼下に天然記念物ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が約3000本自生している。5月の上旬の2週間だけ、あたり一面雪が降ったような風景が見られるという。わたしたちはそこに飾られている写真を見てその壮観さを想像するだけであった。

        
        観光パンフレットからの借用

早咲きのあじさいがちらほらするあじさいロードを右に左に、南に向かって進む。対馬の山々、あるいは海の風景は今まで見たそれとかなり異なる。だいたい川が見られない。花子さんに対馬に川があるのかどうか尋ねると、「とてもいい質問です」とほめられた。対馬にも川はあるが、それもほんの2~3本だけで、その川の両側にだけがちょっとした平地になっており、そこで米作が行われているとのこと。対馬の食糧事情は昔から自給できるのはほんの3ヶ月分だけで、後は倭寇によって、壱岐や韓国に略奪に行くしかなかったとのこと。
そう言えば、司馬遼太郎の『壱岐・対馬の道』(172頁)にもこんな文章があった。
<対馬の山々は印象として山骨が硬い。樹木は多いに繁っているがその根が岩を抱いて浅いようにおもわれる。山としての保水力が少ないのではないか。地図をみても、川がすくない。川はみなするどく切れ込んだ谷をいそがしく流れていて川幅も小川程度でしかない。バスは山壁を舐めるようにして蛇行していたが、鶏知という集落に出たとき、にわかに視界がひろがった。「平野に出ましたね」。(中略) 対馬に生まれた子供はこの鶏知を見て平野とはこういうものだという概念をつくるのではないか。>
対馬の風景は、山と山とがそれぞれ独立していて連続性がない。しかも、それらの山々には裾野が見られない。淺茅湾で見られる無数の島々は、陸地で見られる山々とほとんど同じ形をしており、違いはそれが陸の上にあるか海上にあるかということで、独特の景色を生み出している。その秘密は、どうやら対馬はもともと大陸の続きで、朝鮮半島が対馬あたりまで張り出していたのであろう。それが水面が上昇することによって、島となった。その証拠がツシマヤマネコであるといわれている。ツシマには大陸系のヤマネコは生存しているが、日本列島に住むタヌキはいないという。

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