ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 04/17

2017-04-19 10:25:37 | ツイッター
お早うございます。主の平和。午前礼拝に行く。牧師の声が小さすぎて式文も聖歌も説教もほとんど聞き取れない。ここに聖公会の礼拝の生命線があるのに。神学校でもっと発声練習をしなければならないだろう。昼食は大勢であった。帰宅後、今時の若者の人生観・結婚観に大きな疑問。約1時間昼寝(OTB)。夕食後、山崎豊子の「女の勲章」(後編)見て11時半に就寝。6時起床。体温:36.3、血圧(148:77、91)、体調・血圧が高い、チュン、チュン

52 芳賀 道子さん、松沢 直樹さん、他50人
コメント

齋藤篤 牧師の発声練習、とても大事ですね!カトリックではそのような授業があるとも聞いています。

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

糸原 由美子 おおむね牧師がたはお声がいいですよね。歌mo

村田 多鶴子 おはようございます~♪
確かに上の血圧が高いです(昨日もそうでした)ね。どうぞ、お大事になさって下さいませ。
ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

糸原 由美子 歌もうまい、声に張りがあるし、わりあい高い。

藤木 冨士子 こんにちは。

石田 聖実 南山大学の掲示板で「司牧のための音声学」という科目を見ました。

文屋 善明
4月17日 6:22 ·

お目覚めの花。「さぁ、復活節だ。今週はどんな週になるのだろう。孫息子は友だちと指宿に旅行する」。(今朝の花は昨日の祭壇花(百合)の花心の部分の拡大、豪華だ!)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

42 豊田滋さん、Izumi Naraさん、他40人

文屋 善明
4月17日 6:48 ·

2017 日々の聖句 4月17日(月)
主はこう言われる。倒れて、起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか。(エレミヤ8:4)
イエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17)
私の黙想:
倒れて、起き上がれない者は大勢いる。離れて、立ち帰らない者も沢山いる。従って、今日の聖句は現実を無視している。いや、無視しているのではない。5節では、その現実を述べている。「どうして、この民エルサレムは背く者となりいつまでも背いているのか。偽りに固執して立ち帰ることを拒む」。つまり、神を信じない世界はその通りだという。神がいない世界では、倒れた者を起き上がらせる者もいないし、離れた者を立ち帰らせる者もいない。この言葉の中に、神自身の叫びが聞こえる。そこに倒れている者、正道から外れている者がいるのに、誰も助けないのか。現実をよく見ていると、お互いがお互いに心を開いて話し合っていない(6節〜8節)。預言者はいないのか、祭司はいないのか。司祭はいないのか、執事はいないのか。それじゃ仕方がない、私はサマリア人を立ち上がらせて彼らを救おう。

21 Izumi Naraさん、松井 理直さん、他19人

文屋 善明
4月17日 6:54 ·

今日の名言:@lemoncyder
捧げ物を用意して、それを自慢するなら、おまえは、おまえの捧げ物といっしょに地獄墜ちだ。(ヴィトゲンシュタインのメモ)
<一言>この哲学者のことは名前以外何も知らない。しかし、厳しい言葉だ。「神への捧げ物を自慢する」。これの意味する事柄は広い。ただ教会への「献金」だけが問題じゃない。所有物、能力、学歴、その他全部を含む生き方全体に及ぶ。それらはすべて、戴いたものであり、同時に捧げ物だ。

18 Izumi Naraさん、Mizota Michael Satoshiさん、他16人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
4月17日 7:44 ·

5年前のローズンゲン
5年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2012年4月17日 · 福岡県 宗像市 ·
losungenj 2012.04.17(tue)
わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。(Eze11:19)
パウロの手紙:キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(2Cor5:17)
私の黙想:
バビロニア捕囚という民族存亡の危機を乗り越えて形成される新しいイスラエル共同体は捕囚以前とは全く異なったものでなければならない。
新しい共同体を形成するものは「一つの心」であり「新しい霊」である。当然そこでは「古い共同体」を維持・回復しようとする勢力と「新しい共同体」の形成・復活を目指す勢力との戦いがある。ここに復活信仰への萌しが見られる。
3.11以後、私たちは新しい共同体を目指して「古い日本を維持・回復しようとする勢力」とが激しく戦っている。

7 文屋 知明さん、川染 三郎さん、他5人

文屋 善明
4月17日 8:13 ·

現代文イミタチオ・クリスチ
第19章 穏やかな生活への4つの道
キリスト:
愛する者よ、穏やかで自由な生き方に至る4つの道を教えてあげよう。
まず第1に、常に君の意志よりも他人の意志を尊重しなさい。
第2に、常に多くを求めず、与えられているだけで満足しなさい。
第3に、いかなる状況においても高い地位を求めず、全ての人に仕えることを求めなさい。
第4に、常に神の御心の実現を願いなさい。
そうすれば君は穏やかで自由に生きることができる。(2:19:1~6)
修道者:
主なる神よ、お勧めの言葉を感謝いたします。これらは非常に簡潔ですが、その意味と内容は完璧で大いに役立ちます。これらの言葉を実践すれば、簡単には誘惑されないでしょう。少しでも私が不安になり困ったことになったときにも、この教えによってあるべき道から外れていることに気づかせてくれることでしょう。(2:19:7~10)

17 Izumi Naraさん、望月 克仁さん、他15人

文屋 善明
4月17日 8:28 ·

今日の「折々のことば」。村上龍という作家の作品、『限りなく透明に近いブルー』以来何も読んでいない。言葉遣いが非常に上手い作家だと思う。今日の言葉は「対話」について。私は大学院を卒業してすぐに日本クリスチャン・アカデミーに就職し11年間働いた。ここでの仕事は要するに「対話」ということで、運営委員長の松村克己先生は、古代プラトンの「アカデモスの森」をモデルにして説明しておられた。
そこでの前提は、異なった立場の人間でも「対話する」ことによって、相互理解が成立するということであった。が、現実はそんなに甘くはなかった。結局、ほとんど主な仕事は「ダイアログ」ではなく、「セミナー」の開催ということになってしまった。だから、今日の村上龍の言葉は身にしみて分かる。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1323052274438897&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

24 Izumi Naraさん、川染 三郎さん、他22人

文屋 善明
4月17日 16:36 ·

「昨日のFB 04/15」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 Izumi Naraさん、竹本 耕造さん、他11人

文屋 善明
4月17日 20:40 ·

イエスの復活を信じているという人の「復活」が、軽すぎるんですよ。復活ということは、先ず何よりも信じられないことなんですよ。だから、それを「信じる」という場合、矛盾を私が引き受けるということで、それ相応に重いことなんですよ。お前はバカだと言われても、それを引き受ける覚悟が必要なのです。

68 植村 光郎さん、中村 明さん、他66人
コメント

Mizota Michael Satoshi そうそう。軽いなら信じるのをやめればいいのにと。

文屋 善明 だから軽い牧師の説教を聞くと反吐が出そうになる。それなら信じられないという説教をすればいいのに。

Mizota Michael Satoshi w

齋藤篤 文屋先生、心から同意です!
昨日の説教は、「復活など、とうてい人間が受け入れるはずがない」という前提のもとに、「決してありえないこと」ととして、起きたミステリーなのだということを、力説してばかりでした。

Mizota Michael Satoshi 「あわわ!あわわ!」と言うばかりの位がちょうどいいのかも。。。まさに異言。。。

齋藤篤 そうそう!その域です!

Mizota Michael Satoshi その割には詳細に説明する牧師だらけ。。。「あわわわわ!」に無理やり追い込む説教がいいですね。。。

Mizota Michael Satoshi 軽い牧師の説教ほど救われますよ。ダラッと聞けばいいわけだから。重い牧師の詳細な説教を聞けば聞いたでわたしなんか「異議」だらけですからね、いちいち反論したくなりますからね。。。

文屋 善明 まぁ、イースターの日の説教は軽くてもいいですが。

Mizota Michael Satoshi w

Mizota Michael Satoshi 祝会の飯を重くするとか。。。

Mizota Michael Satoshi うーんうーんと、みんなが「うなりながら帰るような説教」とかはまずかろうと思うんですわね。。。。

福山 貴之 · 共通の友達6人
ドミノピザにしたらいいのでは?

福山 貴之 · 共通の友達6人
深いなあ

文屋 善明 その軽さの原因の一つは聖書の叙述にもあります。特に今年のマタイ福音書では復活したイエスが婦人たちの前に現れて「おはよう」と挨拶している。その部分を嬉しそうにくどくどとはなすと、それはテレビタレントと出会った人が、それを自慢たらしく話す、井戸端会議のようになる。

Mizota Michael Satoshi 「おはよう」の部分をギリシャ語で見てみたいですね。。。

山本 友美 文屋先生、イースターの写真、昨日これに掲載されていた八幡の写真、はばたく5月にいただいてもいいですか。とてもふんいきのある明るい写真です。よろしくお願いします。

文屋 善明 それは困ります。

中尾香鶴子 私は毎年毎年イエス様が復活されたことに驚いてます。

吉田 櫻井 啓子 イエスの復活に限らず、使徒信条の「体の復活、永遠の命を信じます」を初めて出た礼拝で聞いた時のドン引き感と衝撃は忘れられません。

三宅 善信 >文屋先生: おっしゃるように、「矛盾を私が引き受けるという覚悟」それが信仰心だと思います。そして、そういう私の覚悟する気持ちそのものも、実は「神様がすべて用意してくださった」と信じることも信仰心となると、宗教とは実に「入れ子構造」になっているものだと思います。

文屋 善明 その通りですね。

三宅 善信 >文屋先生: ありがとうございます。私は、国際会議に出席するため、さきほどアムステルダムに着きました。大阪の真冬並みです。
 先生も今後ともご尊身をご自愛ください(ご自愛されなかった方がイエス様ということになるのですが、先生は生身の人間ですから…)ませ。 三宅拝

文屋 善明 旅の安全をお祈りします。
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