愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

あなたは、イエスの例えの羊とやぎを分ける業の意味をご存知ですか?(マタイ25:31~46)

2016-03-29 22:45:31 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストは使徒たちに「邪悪で無精な奴隷」として裁かれる、奴隷とタラントの例えを教えられました。この「邪悪で無精な奴隷」イエスの命じられた神の王国の良いたよりを証しのために宣明することを怠っていますので、現在十分に見分けることができます(マタイ25:24~30)。イエスのこのタラントと奴隷の例えは、1世紀の使徒たちの時代から実に、20世紀の1914年以降の終わりの日に成就した内容です。イエスに祝福された「善良で忠実な奴隷」のもとに集う人たちは幸いです(マタイ25:21,23)。

 イエスはまだ使徒たちと共にオリーブ山上におられます。ご自分の臨在と事物の体制の終結のしるしに関する使徒たちの質問に答えて(マタイ24:3)、今イエスは一連の三つの例えのうち最後の例えで、弟子たちに教えられます。この例えの中で羊はご自分の右に選ばれ、やぎは左に置かれ、羊の義なる者は永遠の命に入りやぎは永遠の命の切断に入ることを説明されました。羊の義なる者はどのように、小さな者・油注がれた兄弟たちに仕えるのか、左におかれるやぎはどのようにその小さな者・油注がれた兄弟に仕えたのか、イエスはこれから生じる重要な真理を語られた内容が次の通りマタイの福音書に記されています。

 「「人の子(イエス)がその栄光のうちに到来し、またすべてのみ使いが彼と共に到来すると、そのとき彼(イエス)は自分の栄光の座に座ります。そして、すべての国の民が彼の前に集められ、彼は、羊飼いが羊をやぎから分けるように、人をひとりひとり分けます。そして彼は羊を自分の右に、やぎは自分の左に置くでしょう。

 それから王(イエス)は自分の右にいる者たちにこう言います。「さあ、わたしの父(エホバ)に祝福された者たちよ、世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい。わたし(イエス)が飢えると、あなた方は食べ物を与え、わたしが渇くと、飲む物を与えてくれたからです。わたしがよそからの者として来ると、あなた方は温かく迎え、裸でいると、衣を与えてくれました。わたしが病気になると、世話をし、獄にいると、わたしのところに来てくれました」。そのとき義なる者たち(羊)はこう答えるでしょう。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておらえるのを見て食べ物を差し上げたり、渇いておられるのを見て飲む物を差し上げたりしたでしょうか。いつわたしたちは、あなたがよそからの人であるのを見て衣を差し上げたりしたでしょうか。いつわたしたちは、あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか」。すると王(イエス)は答えて言うでしょう。「あなた方に真実に言いますが、これらわたしのうち最も小さな者の一人にしたのは、それだけわたしに対してしたのです」。

 ついで彼(イエス)は自分の左にいる者たち(やぎ)にこう言います。「のろわれた者たちよ、わたしから離れ、悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火(滅び)に入りなさい。わたしが飢えても、あなた方は食べる物を与えず、渇いても、飲む物を与えてくれなかったからです。わたしがよそからの者として来ても、あなた方は温かく迎えず、裸でいても、衣を与えてくれませんでした。病気であったり獄にいたりしても、世話をしてくれませんでした」。その時、彼らもこう答えるでしょう。「主よ、いつわたしたちは、あなたが飢え、渇き、よそからの人であり、裸であり、病気であり、あるいは獄におられるのを見て、あなたに仕えませんでしたか」。その時、彼(イエス)はこう答えるでしょう。「あなた方に真実に言いますが、これら最も小さな者の一人にしなかったのはそれだけわたし(イエス)に対してしなかったのです」。そして、これらの者(やぎ)は去って永遠の切断に入り義なる者たちは永遠の命に入りなさい」(マタイ25:31~46)。

 人間は、天の栄光のうちにあるみ使いたちを見ることができません。それでみ使いたちを伴った、人の子イエスキリストの到来も、人間の目に見えないに違いありません。イエスの神の王国政府の王の権能をおびて到来する時は、1914年に起きましたが、その目的は何でしょうか。イエスの重要な真理の預言は、世界中の人々がイエスの前に集められ、羊をご自分の右に、やぎを自分の左に置くのです。イエスは恵みを受けるご自分の右に選ばれた者・羊たちがどうなるかの根拠を説明し、「王国を受け継ぎなさい」と言われています。この例えの羊はイエス・キリストと共に天で支配をするのではなく、神の王国の地上の臣民になると言う意味で、神の王国を受け継ぎます。「世の基が置かれること」は、アダムとエバが、人類を受け戻す神エホバの備えから益を受けられる最初の子供たちを産んだときに生じました。

 が王イエスの恵みを受ける理由は、上の聖句に示されている通り、最も小さな者の一人とは、イエス・キリストと共に天の神の王国政府を構成する油注がれた兄弟・14万4千人の兄弟の地上に残っている兄弟たちです。イエスによれば、彼らに善を行う羊の義なる者は、イエスに善をおこなうことと同じなのです。それで羊の義なる者たちは永遠の命に入ります。一方やぎとして左に選ばれる人たちは、「永遠の火」、つまり永遠の命の切断に入るのです。それは最も小さな者の一人、つまり油注がれた地上に残っている兄弟に仕えず、不満・不服を述べているからです。それはイエス・キリストに善を行なわなかったことを意味しているのです。

 それで、この邪悪な事物の体制が大患難で終りを迎える直前に、羊の義なる者たちは永遠の命へやぎの不義なる者たちは、永遠の命の切断に入るのです。あなたはとしてイエスの右に選ばれる人であれば幸いです。この選びはこれから生じるのです。

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      孫到着の 終着駅は 春の宵 今日の一句

                           王国会館の「生け花」

 

 

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赤のガーベラとリンゴの木の枝で休むシジュウガラ

2016-03-29 02:23:24 | 四季折々の花々

 赤のガーベラの花を頂き玄関に活けました。

 温室で育てられたガーベラと思いますが、

 ガーベラの花は華やかな雰囲気を醸し出しています。

 花図鑑では花期は4月~10月です。

 用途は切り花、花壇、鉢植えです。

 花言葉は「神秘」と紹介されています。

 今日は赤のガーベラとリンゴの木の枝で休むシジュウガラを紹介致します。

                        玄関に活けた「ガーベラ」

               裏の畑のリンゴの木の枝で休む「シジュウガラ」

 

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み言葉を日々黙想し学び、適用する人はすべて成功する♪(詩編1:1~4)

2016-03-29 00:25:14 | 神の言葉・聖書

 聖書の詩編は、読む私たちに大きな希望や歓びや力を与え、信仰を培う上で大きな助けになります。

 今日もマタイの福音書の続きを紹介する予定でしたが、

 時間の都合で続編は明日にさせて頂き、今日は聖書の詩編1篇1節から4節を紹介致します。

 神エホバの祝福を得て、人生が爽やかにになり、与える人に成長し、成功する人と、

 もみ殻のように風に流される人生になる人の違いは何かをご理解くだされば嬉しく存じます。

 詩編1編1節~4節には次のように保証言葉が記されています。

 幸いなるかな邪悪な者の計り事に歩ます、

      罪人の道に立たず、

      あざける者の座に座らなかった人は。

  かえって、その人の喜びはエホバの律法にあり、

      その律法を昼も夜も小声で読む

  そして、は必ず水の流れのほとりに植えられたのようになり、

      それはその季節に実を与え

      そのは枯れることがない。

      彼の行うことはすべて成功する。

  邪悪な者はそうではない。

      むしろ、風の吹き払うもみがらのようだ」(詩編1:1~4)

 上の詩編に記されているエホバの律法とは、神エホバの霊感を受けて書き記されたみ言葉の聖書全体を意味しています(テモテ第二3:16)。昼も夜も小声で読むとは、毎日み言葉を黙想しながら読むことを意味しています。つまり、神エホバのご意志は何か、み言葉は自分とどのような関係があるか、教えをどのように日々適用することができるか、等々を熟考しながら読むことを意味しているのです。

 「水」生きているみ言葉を表わしています。水の流れの木は、義の大木、つまり義なる人を表わしています。神エホバのご意志を学び守り行う人は、真理のみ言葉を与えることができるように成長します。さらに、川の流れのほとりの木は、豊かな緑の葉を茂らせ爽やかさを提供できるように、「義なる人」も謙遜にしかも温和な霊をもって、他の人を爽やかにすることができます(マタイ11:28~30も参照)。エホバのご意志を守り行う義なる人は、エホバの祝福によって「すべて成功する」ことが保証されています。エホバのご意志を行う人たちは、敬虔な専心のうちに歩むゆえに「義の宿る」楽園に招き入れられ。各自の賜物を存分に発揮することができるようになります(ペテロ第二3:10~13.啓示21:4)。エホバのみ言葉は、確かに人生を平安と義に満ち溢れるようにし、快い道、命の道を歩めるようにしてくださるのです(イザヤ48:17,18.箴言3:17,18)。

 反対に邪悪な者は、風の吹き払うもみ殻のような人生になるのです。ですから、だれもが「すべて成功する」と保証されている、エホバの道を歩まれることを願われるのではないでしょうか。生きていて力を及ぼす神エホバのみ言葉を日々黙想しながら学び、適用することが肝要なのです(ヘブライ4:12)。

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      甘き香の カサブランカの 見事なり 今日の一句

                            玄関の「カサブランカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

    

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アイリスとラッパ水仙

2016-03-28 01:17:07 | 四季折々の花々

 近くの柿畑の端に、早くも爽やかなアイリスが綺麗に咲いていました。

 アイリスは日本人にとって馴染み深い花です。

 花図鑑では花期は5月~6月です。

 用途は切り花、花壇です。

 花言葉は「恋のメロディー」と紹介されています。

 今日はアイリスとラッパ水仙を紹介致します。

                  近くの柿畑の端に咲いている「アイリス」

                    春の日を浴びている「ラッパ水仙」

 

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あなたは、イエスがタラントの例えで「邪悪で無精な奴隷」を明らかにされたのをご存知ですか?

2016-03-28 00:50:47 | 神の言葉・聖書

 イエス・キリストはオリーブ山で弟子たちがイエスの臨在と事物の体制の終わりのしるしについて尋ねたことに、詳しく答えを与えられました。その話の中の連続して語られる三つの例え、最初の例えは「賢い処女」と「愚かな処女」の例えでした(マタイ25:1~13)。二番目の例えは3人の奴隷とタラント例えです。昨日は主人から5タラントと2タラント委ねられた、それぞれの奴隷が忠実に働き、主人、つまり神の王国政府の王として任命されているイエスに、その二人の奴隷が「よくやった、善良で忠実な奴隷よ!・・・わたしはあなたを任命して多くのものをつかさどらせる」と、称賛と報いの言葉を約束されました(マタイ25:1423)。このイエスの教えは1世紀の使徒たちに始まり、20世紀に成就することまで含まれていました。このイエスの例えの中の一タラントを委ねられた奴隷は、地面を掘り委ねられた一タラントを隠しましたが、その奴隷は主人、つまりからイエス・キリストからどのような評価を受けるのでしょうか。そのことがマタイの福音書に次のように記されていますので紹介致します。この無精な奴隷は現在誰を表わすのかを識別される方々は幸いです。

 「「最後に、一タラントを受けていた者が進み出て言いました。「ご主人様、わたしは、あなたが手厳しい方で、まかなかった所で刈り取り、あおり分けなかった所で集めることを知っておりました。それでわたしは怖くなり、行って、あなたの一タラントを地中に隠しておきました。さあ、これはあなた様のものです」。主人は答えて言いました、「邪悪で無精な奴隷よ、わたしが自分まかなっか所で刈り取り、あおり分けなかった所で集めることを知っていたというのか。それならあなたは、わたしの銀子を銀行家に預けておくべきだった。そうすればわたしは、到着してすぐに、自分のものを利息と一緒に受け取っていただろうに。

 「「だから、彼からその一タラントを取り上げて、十タラントを持っている者に与えよ。すべて持っている者にはさらに与えられ、その者は満ち溢れるようになるのである。しかし、持っていない者は、その持っているものまで取り上げられるのである。それで、この何の役にも立たない奴隷を外の闇に投げ出しなさい。そこで彼は泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするであろう」(マタイ25:24~30)。

 上のマタイの福音書に記されている通り、一タラントを受け地中に隠していた奴隷は、主人であるイエス・キリストに的外れの不満を述べています。この無精で横柄な奴隷は、主人のイエスキ・リストから「邪悪で無精な奴隷よ」と糾弾されています。この奴隷はイエスが模範を示して手本を残された、神の王国の良いたよりを宣明し、弟子を作ることによって、世界中で働くことを故意に拒みました(マタイ24:14.;28:19,20.ルカ4:43;8:1.ペテロ第一2:21)。そのため主人であるイエス・キリストが、「邪悪で無精な奴隷よ」と糾弾されたのも、もっともなことです。加えてその邪悪で無精な奴隷に裁きを宣告されました。その奴隷は一タラントを取り上げられ、外の闇に投げ出すように命じられました。そこで邪悪で無精な奴隷は泣き悲しんだり、歯ぎしりしたりして、悲嘆にくれます。現在、この邪悪な奴隷級の人々は、外に投げ出される、つまり霊的な喜びの一切を奪い去られた状態にあるです。

 これは、イエス・キリストの追随者・弟子のクリスチャンを自任する人すべてにとって厳粛な教訓となっています。もしそのような人々が神の王国政府の王である主人・イエス・キリストから称賛の言葉と報いを得たいと思うなら、また外の闇と最終的な滅びに投げ込まれたくないなら、イエスが弟子たちに命じられた通り、神の王国の良いたよりを宣明する業を忠実に行って、天の神の王国政府の主人持ち物を増やすために働かなければなりません。この点で日々努力をされている方々は幸いな人です。

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        アイリスを 一茎摘みし 老婦人 今日の一句

                        王国会館入口の「活け花」

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