詩編129編には、邪悪な者たちは長い間詩編作者に敵意を示して来ましたが、詩編作者に打ち勝つことがなかったことが記されていました(詩編129:1,2)。神エホバはご自分の民を保護し、祝福を与えてくださるのを知ると、希望に堅く立つことができるのではないでしょうか。今日紹介する詩編130編には、「ひたすらエホバを待ち望め。エホバのもとには愛ある親切がある」と記されています(詩編130:7)。神エホバには不完全な私たちに「真の許し」を与えてくださるからです(詩編130:4)。神エホバは私たちを惜しみなく許してくださる神なのです(コロサイ3:13)。
詩編130編には、下記のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
登って行くときの歌。
「 エホバよ、わたしは深みから
あなたを呼び求めました。
2 エホバよ、わたしの声を聞いてください。
あなたの耳がわたしの嘆願の声に
注意深くあってくださいますように。
3 ヤハ(エホバ)よ、あなたの見つめるものが
とがであるなら、
エホバよいったいだれが立ち得るでしょうか。
4 あなたのもとには真の許しがあるからです。
それは、あなたが恐れられるためです。
5 わたしは望みを抱きました。エホバよ、
わたしの魂は望みを抱きました。
わたしはみ言葉を待ち望みました。
6 わたしの魂はエホバを待ち望みました。
見張りの者が朝を、
朝の来るのを見張るのに勝って。
7 イスラエルはひたすらエホバを待ち望め。
エホバのもとには愛ある親切があるからだ。
しかも、そのもとには受け戻しが
豊かにある。
8 神ご自身がイスラエルをその
すべてのとがから
請け戻してくださる」(詩編130:1~8)。
上の聖句には、清い神エホバが私たち人間のとがを見つめるなら、私たちは不完全なので立ち得ることができない、と記されています(詩編130:3)。しかし、私たちはみ言葉を学び、古い人格を脱ぎ捨て、神エホバの思いを活動させ力において新しい人格を身に着けることができるようになるのです(エフェソス4:20~24)。神エホバに依り頼むなら、神エホバの愛ある親切は豊かに祝福をしてくださるのです(詩編13:7.箴言3:5,6)。神エホバを待ち望むことは、人間が希求する、公正と義が宿る社会となるのです(ペテロ第二¥3:10~13)。
桜咲き カメラで狙う 道辺かな 今日の一句
道辺に咲いている「ソメイヨシノ桜」