もの忘れのためのちょっとしたメモ

要は備忘録のようなもの。

読みかけがいっぱい!

2014-11-26 15:28:36 | 読書

毎晩1時間半から2時間程度、布団の中で本を読むのが日課である。
ほんとうは1冊ずつ大事に読みたいのだが、積読本が溜まった状態ではそうもいかない。
またあれもこれも読みたいという気持ちもあり、数冊の本を並行して読んでいる。
昔は数冊の本を並行して読んでいると、頭の中で話がこんがらがることがよくあった。
慣れてみれば混乱はしなくなったが、読みかけの本がどんどん増えていくのが現在の悩み。

1.宮部みゆき『ソロモンの偽証 第Ⅱ部 決意(上巻)』新潮文庫
2.カミラ・レックバリ『説教師 エリカ&パトリック事件簿』集英社文庫
3.トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』新潮社
4.飯島虚心『葛飾北斎伝』岩波文庫
5.加藤郁乎『俳諧志(上巻)』岩波現代文庫
6.司馬遷『史記 2 書・表』ちくま学芸文庫
7.『バートン版千夜一夜物語 1』ちくま文庫

以上7冊が現在、読みかけになっている本なのだが、どこに共通点があるのか?
だいたいはここ1ヶ月ほどに読み始めたものだが、なかには長いお付き合いの本もある。
3については読み始めて数カ月経つが、短篇集なので1編ずつ、急がずに読み進めている。
少しずつ読んでいると言えば、6と7にいたっては読み始めたのは数年前である。
6も7については、面白くないわけではないのだがなぜか遅々として進まない理由は謎。

ちなみに、『史記』は全5巻で『千夜一夜物語』は全11巻である。
死ぬまでに読み終えられればと思っていたが、いまのペースだとちと難しい気がしてきている。
とりあえず、筑摩書房さんには決して文庫を切らさないようにお願いしておきたい。
ついでに、かつて18巻で挫折した『大菩薩峠』(ちくま文庫、全20巻)もお願いしておきたい。
いつかリベンジしたいと思っているので、ぜひともこちらも文庫を切らさないでほしい。

1冊も読み終えてないのに、読みかけ本だけが次々と増えていく恐怖……。
2~3日前から気になっている本があり、そろそろ我慢が切れそうな感じがしている。
ジェイミー・ドーラン/ピアーズ/ビゾニー
『ガガーリン 世界初の宇宙飛行士、伝説の裏側で』(河出書房新社)
1冊くらい増えたって、いまさらどうってことないんじゃねぇ……なんて。
我ながら読み終える気があるのかないのか、読みかけ本と疑問でいっぱい。

 

 


開店休業、再び……

2014-11-25 11:45:20 | 雑談

気づけば11月も残すところ1週間ほど。
年賀状のは販売に続いて、年末ジャンボの発売も始まった。
スーパーの棚にはクリスマス用品とお正月用品が並んでいる。
残すは12月ということで、世の中はどんどん年末ムードが盛り上がって来る季節。
気候もめっきり寒さを増し、東京でも本格的な冬の到来が遠くないように感じている。

子どものころはクリスマスもお正月もたのしかった。
12月になって、冬休み、クリスマス、正月が来ると思うだけで、心は踊ったものである。
ところが最近は、12月になると妙に心が暗くなるのはなぜなのか?
12月になると、年の終わり、新年の準備という気ぜわしさに、なんともお尻の据わりが悪くなる。
もっとも、大した準備があるわけでもなく、せいぜいが大掃除と年賀状くらいではあるのだが。

とはいえ、例年、12月が近づくとどんどん無気力になる自分がいるのはなぜなのか?
“寒いから”というのも、理由の一つにはなるかもしれないが、それではいい大人がみっともない。
まして極寒の地に住んでるわけでもないというのに、“バカじゃないの!”と怒られてしまう。
ではなぜなのか? “なんらかの季節性の病気だったりして”なんてこともちょっと考えてしまう。
というわけで、季節性無気力症候群な私は、今日も開店休業中……。


ただ今開店休業中

2014-11-14 12:19:27 | 読書

窓から外を見ると、なんとも見事な青空。
こんな空を日本晴れっていうんだろうなぁ。
自転車に乗って、どっか遠くに行きたいなぁ。
仕事したくねぇなぁ……、なんだかやる気でねぇなぁ。
やる気ないのは、今日に限ったことじゃないけどなぁ。
それにしても見事な秋晴れだよなぁ、一句詠んじゃおうかなぁ……う~ん、思いつかねぇ。

自転車でどっかに出かけるのはさすがに無理だが、仕事をする気にもさらさらなれない。
そんなわけで先程より、仕事をしているふりをしつつ、今流行りの北欧ミステリーを読書中。
そこそこ一所懸命読んでいたのだが、どうしたことかさっぱり話が進まねぇ……。
自転車で言うなら、圧倒的な向かい風のなかでどんなにペダルを漕いでも進んでいる気がしないあの感じ。
なんとか流れに乗って読み進めようとするのだが、内容がさっぱり頭に入ってこねぇ。
気づいてみれば、行きつ戻りつ、同んなじ部分を何度も読んでいる始末。
恐るべし、北欧ミステリー!

私は翻訳ミステリー育ちなので、翻訳文体になじまないなんてことはない。
問題はもっと根本的なところにあるわけで、じつは登場人物の名前&地名がさっぱり覚えられない。
日本語には絶対無いようなタイミングで小さな「ツ」や「ヨ」が入ってくるのに慣れない。
そしてそこに、ちっちゃな「ア」とか「ウ」とか「エ」なんかが混じると一瞬目がと待ってしまうのだ。
音読しているわけではないが、頭の中ですんなり音にならないと、そのつどどんな発音になるか考えてしまうのだ。
これは思うに、ドストイエフスキーなどのロシア文学に感じたのと同じ読みづらさだ。
どうやら、日本語の発音と北欧の言葉の発音は、馴染みがあまり良くないらしい。
恐るべし、北欧ミステリー!

文章というか、地名や人名などは読みづらいというものの、幸いにして内容のほうはなかなか面白い。
北欧ミステリーはいま読んでいるものがはじめてでもないのだが、今回がいちばん読むのに苦労している気がする。
北欧と一言に言っても5カ国あるわけで、当たり前だが国が違えば言葉も変わるというもの。
言葉とはその国の文化の基本なわけで、他所の国の文化を知るのは翻訳小説を読むたのしみの一つである。
考えようで、翻訳小説を読む醍醐味を存分に堪能しているのだと考えれば、読みづらさにも腹は立たない。
ただ、仕事をサボって気楽に読書をたのしむつもりだったのだが、どうやらあまり気楽にならなかったことだけは確か。
“あ~あっ、‘仕事サボって’が悪かったのかなぁ、バチってあたるんだなぁ……”
なんて今度は窓の外、雲ひとつない秋晴れの空をぼーっと眺めつつ、やっぱり仕事をサボる私なのである。



魔界への招待? ~魅惑の古書収集~

2014-11-11 16:52:29 | 読書

今朝、近所にある例の池を眺めていたら、なんと亀(ニカメのほう)の姿を発見!
てっきり、もう冬眠したものとばかり思っていたのが、まだまだ元気に活動しているらしい。
いったいいつから冬眠に入るのか? とりあえず、もう少し観察が必要なそうだ。
以上、亀の観察日記(つづく)。

先日、神保町の三省堂本店で購入した、喜国雅彦『本棚探偵の冒険』(双葉文庫)を読み終えた。
基本的に、読書とか本をテーマにした本は大好きであり、古本や古本マニアの本も嫌いではない。
しかしふだんは意識してこの手の本は避けてきたのだが、つい手に取って、つい買っちゃって、つい読んでしまった。
率直な感想としては“とてもおもしろかった”。
じつは、いろいろ読みかけの本があるにもかかわらず、一気読みしてしまったほどである。

本のたのしみ方はいろいろあるだろうが、たしかに集めるというのもその一つである。
実際、私もそんな本の収集の道に踏み迷いそうになった時期があった。
そのころは、週末と言わず毎日のように古本屋を巡り、お目当ての作家の本を探し回っていたものである。
いまでは古本巡りもやめ、ふつうの読書家生活に戻ったが、そんなわけで古本マニアの気持ちもある程度はわかる。
しかしそれだけに、古本マニアの話を読むと、昔の気持ちがよみがえり、妙に心の平安を掻き乱されて困ってしまうのだ。

そんなわけで、本書を読んでいる間には身につまされるような気持ちを味わうこともしばしば。
とくに「ポケミス」についてのエピソードは、ポケミス全巻制覇を目指したことのある身としては涙をこらえきれなかった。
また本棚を自作したり、お気に入りの本に合わせて函を自作する著者の姿には正直、本好きとして感動を覚えた。
本棚の自作となると、作業場所の問題や日曜大工の技術の点でもハードルが高すぎて、とても実現しそうもない。
それでもハンドメイドというのはとっても羨ましいので、函づくりは真似して挑戦してみたいものだと考えている。

本書を読み終えたとき、“つくづく収集の世界に入らなくてよかったぁ”という気持ちになった。
そんなホッとした気持ちの裏で、どこか“あちらの世界”へのほのかな憧れを覚えた、そんな自分がとても嫌。
とはいえ、とても面白く読んだので、もう少し続きが読みたい気分……。
さっそく近所の本屋でシリーズ第3作『本棚探偵の生還』を購入、第2作『本棚探偵の生還』もネットで注文してしまった。
私ったら、古書収集の魅力に抵抗し続けることができるのかしら? なんだかとっても不安……。


冬来たりなば……

2014-11-07 14:42:51 | 読書

11月7日は立冬だそうで、暦の上では今日から冬なのだそうだ。
外を見ると抜けるような青空で、天気予報によれば東京の最高気温は21度なのだとか。
気温や天気を見る限りは、さっぱり冬のような感じがしない。
近所にある銀杏の木も色づき始めたばかりで、見ごろを迎えるにはもう少し時間がかかりそう。
本格的な冬を実感するのはもう少し先になりそうだ。

近所のお菓子屋さんでは、クリスマスケーキの予約を始めていたし、スーパーではお節の予約が始まっていた。
世の中のすべてが歩みを急いでいるような気がして、冬が始まっているのは暦の上だけのことではないらしい。
私も“まだ11月にじゃないか……”という気持ちがする反面、年末に向けてのなんとなく気ぜわしさを感じている。
ところで、先日のこのブログでも書いたが11月に入って現在まで、今ひとつ体の調子が良くない。
ネットで調べたところ「秋バテ」のようなのだが、立冬を迎えたいま「冬バテ」と呼び方を変えるべきなのだろうか?

考えてみれば今年もあと2カ月を切ってしまったわけで、そろそろ今年やり残したことが気になって来るのも仕方がない。
とくに気になるのは、積読状態でワインのようにじっくりと熟成状態になっている本たちのことである。
なんと言っても長年の積読本が溜まりに溜まっており、2カ月足らずで読み切れるわけがない。
それでもこの時期になると“少しでも早くこの積読本を読みきらねば!!”という強い焦燥感に襲われるのである。
そしてダメだとわかっていても、年末に向けてジタバタしてしまうということを、毎年のように繰り返してきた。

今年もご多分にもれず、2~3日前あたりからおしりの穴がムズムズしてきたような気がしている。
これは積読本を消化したいという焦りの予兆であり、症状が進むと直に手当たりしだいに本を読み始めることになる。
とはいえ1度に読める本は1冊なわけで、結局は何冊もの読みかけと忸怩たる思いを抱え正月を迎えることとなる。
もっとも十数年も繰り返た今となっては、考えようによって年末から正月にかけての年中行事のようなものでもある。
他人から見れば“なんて学習しない愚かな人なんだろう”と見えることだろうが、大きなお世話だ。

年末と言えば、もうすぐ各社からミステリなど、さまざまなジャンルの年間ベストテンが発表になる。
それらのランキングをチェックしては、“あれも読んでない、これも読んでない”と慌てふためくのも恒例のこと。
ここで面倒なのは、しばしば“読んでない=買ってない→すぐに買わないと!”となることで、また積読本が増えてしまう。
というわけで私の読書カレンダーでは、「読書の秋」につづいては「積読の冬」がやってくる。
「積雪」は春には溶けるだろう、しかし我が「積読」は春も夏も秋が過ぎても失くならず、冬にまた積もるのである。


携帯とスマホと私

2014-11-05 14:01:38 | 雑談

いまさらなのだが、スマホが気になっている。
気にはなっているのだが、しかし、どうしても踏み出すことができない。
なぜならば、スマホでなにをして良いかわからないから……。
メールもネットも電話もカメラも、だって、携帯に全部ついてるじゃないのと思ってしまうのだ。
それはそれとして、ためしに自分がスマホを使っている姿をとりあえず想像してみる。

う~ん、しばらく真剣に考えてみたのだが、悲しいかな、なにも頭に浮かんでこない。
例えば電車に乗ったとき、ネットや動画を見たりしている姿をよく見かける。
しかし私は“電車タイムは読書タイム”というのが鉄則で、しかも電車というのは読書がとても捗る空間の一つでもある。
”電子書籍は?”という意見もあろうが、電書は専用の端末を使っているので小さな画面で読む気にはなれない。
“では音楽を聴いたら”と言われるかもしれないが、はっきり言って、音楽は読書の邪魔というのが個人的な見解である。

思いつくまま、カメラはどうか? とも考えてみたが、写真については撮るのも見るのも興味がない。
携帯のカメラにしても、考えてみれば1度も使ったことがなく、デジカメも持ってはいるがまったく使いこなせていない。
また、子どものころにファミコンに乗り遅れたときから、一貫してゲームのたぐいにもまるで興味がない。
ゲームに興味がなくても、“便利なアプリがさまざまあるよ”という話はよく聞くものの、今ひとつ決定打にかける。
そもそも現状にあまり不便を感じないせいか、いくら便利だと言われても使ってみないことには今ひとつピンとこない。

そんなこんな考えた結果、唯一、魅力的だと思いついたのが自転車用のナビアプリ。
地図を見れば良いとは言うものの、はじめての場所に行くときには、やはりナビがあれば心強さが違う。
とはいえ、ナビアプリのためだけにスマホをはじめるというのには無理がある。
第一、ほしいものがあるいは使う場面が自転車ナビだけであるならば、専用機種のほうがより便利であるに違いない。
やっぱりどうしても、スマホを使っている自分の姿を想像することができないのだ。

ところで、携帯電話の調子が悪くなったのはほぼ1年ほど前のこと。
だましだまし使っていたのだが、とうとう液晶画面がさっぱり見えなくなってしまい、いよいよ寿命となってしまった。
修理か機種変更が必要なわけだが、“これはスマホに変える絶好のチャンス”と思ったものの、やっぱり迷ってしまう。
とりあえずお店の人にスマホについて聞いてみる……はい、携帯でおねがいします。
なにに使うとか、どれほど便利かなんて魅力は、所詮、料金(お金)の威力の前ではまるで無力に砕けさったのであった。

楽天が格安スマホを販売するとかいうニュースを目にしたのは、そんな出来事があった数日後のこと。
“えっ、格安?”というわけで、さっそくホームページをのぞいて見てみると“あっ、安い!”と少しびっくり。
“これなら、憧れのスマホが使えるんじゃないの?”と思う一方“でも、携帯を変えたばっかだし……”。
というわけで、私の心は風邪に吹かれた木の葉のように、またしても揺れに揺れてしまうのであった。
出てくるものと言えばため息ばかり……思いもかけず“物思いにふける秋”を過ごしているのである。



連休は「刑事コロンボ」三昧

2014-11-04 09:52:20 | 雑談

なんだか体調がしっくりこず、何も手につかない状態が続いている。
この3連休もお出かけの予定だったのだが、体調も気分も優れず外出は見合わせてしまった。
この状態がゴールデンウィークのことならば「五月病」、夏の終わりや秋のはじめなら「夏バテ」と呼ぶことだろう。
では、秋も終わりに近づいた現在、この状況を言い表すのに良い言葉はないものだろうか?
風邪? インフルエンザ? 体も心も倦怠感でいっぱいなのは確かだが、でもそんなに本格的に具合が悪いというわけではない。
さっそくネットで検索してみたところ、「夏バテ」ならぬ「秋バテ」という言葉があるのだそうだ。
気温の変化などが影響により、自律神経性の乱れに起因して起こるさまざまな症状のことをいうのだそうだ(ウィキペディア調べ)。
なるほど「秋バテ」というものがあるのなら、「春バテ」「冬バテ」なんてものももあるのかしら……?
と思って再度検索をしてみたところ、どちらの呼び名もあるとのこと、なんだか“やれやれ”といった気分。

さて、「秋バテ」にやられまくっていたこの3連休(現在も)だが、ヤル気の起きない日をダラダラ過ごす定番と言えば、やっぱりテレビ鑑賞。
AXNミステリーで“刑事コロンボ 全69話一挙放送”というのをやっていたので、延々と観続けていた。
子どものころから観ているお馴染みのシリーズでもあり、ほぼすべての作品は1度くらいは目にしており内容を覚えている話も少なくない。
とは言うものの、何度観かえしても面白いと思えるところは、さすが名作との誉高いシリーズというところ。
3日間で15時間から20時間近くは観ていたのではないかと思うのだが、正確にどのくらいの時間で何話くらい観たのかはわからない。
どの作品も同じように面白いものと思い込んでいたが、まとめて観ると自分なりに作品の出来不出来の評価や好き嫌いの差があることもわかり、これまた興味深かった。
「刑事コロンボ」と言えば、なにを置いてもコロンボ警部のあの捉えどころのないキャラクターがもっとも有名なところ。
しかしよく観ていると、時に熱い正義感を覗かせる場面などもあり“こんな一面もあったんだなぁ”と改めて感心した次第。
何度観返しても新しい発見がある、これもこのシリーズが長く愛される所以なのかもしれない。

コロンボ警部と言えば、閃きだけでなく容疑者にどこまでも食らいついて離さない粘着質ともいえる捜査手法が真骨頂。
ちなみにあのしつこさは犯罪捜査のときだけに発揮されるものなのか、それとも私生活でもあんなに粘着質なのか、長年疑問に思っている。
もし私生活からドラマのあんな感じだったとしたら、かなりはた迷惑な人であることは間違い無いだろう。
コロンボ警部と言えば「うちのかみさん」が決め台詞だが、あんな粘着質で面倒くさそうな人との生活に、奥さんは耐えられるものだろうか?
少なくとも私が奥さんであるならば、きっとあの粘着質には耐えられない。
おまけにあの小汚い服装や、ボロボロの車に耐えられるだろうか、やはり私には無理に違いない。
そんな訳で、私は昔からコロンボ警部の“奥さん偽装説”というのを密かに疑っておりドラマを観るたびに証拠探しをしている。
つまり、コロンボ警部はじつは独身で、容疑者を油断させるために奥さんがいるふりを続けているという画期的(?)な説である。
“能ある鷹は爪を隠す”を絵に描いたようなコロンボ警部のこと、このくらいの計略は朝飯前に違いないと思うのだがいかがだろうか。

ただし、この説に対する重要な反証は、昔NHKで観た「ミセス・コロンボ」というドラマの存在である。
あまりに昔のことなので詳しい内容は思い出せないが、それでもコロンボの奥さんにしては若すぎるような、洗練されすぎているような気がしたのは覚えている。
そのため、私が見たところあのミセス・コロンボは、別のコロンボの奥さんであることは間違いないのではないかと睨んでいる。
きっと、“コロンボ”という名前は日本の佐藤や鈴木ほどありふれた名前なのかもしれない……ってことはないか。
そんなこんなで、私の“奥さん偽装説”は現在もまったく揺ぐこと無く、今回も偽装の証拠に目を光らせていたのだが、目新しい発見はなかった。
たとえほんとうに奥さんがいるのだとしても、私生活でもあれほど粘着質だとすれば、家族には煙たがられ友達も少ないことは間違いない。
もっとも、コロンボ警部の言葉をすべて信じるなら、奥さんもけっこう強烈なキャラクターの持ち主であることが予想でき、やっぱりほんとうに仲が良いのかもしれない。
いろいろ考えられるところではあるが、いまのところコロンボ警部はけっこう寂しい私生活を送っているのではないかと、勝手に想像している。

また、あれほど事件を解決しながら、コロンボが警部から一向に出世しないのも大いに疑問に思うところである。
これも長年、私の頭を悩まし続けた疑問だったのだが、これについては最近一つの新設を見出すに至った、名付けて“コロンボ=杉下右京説”。
(とかなんとか言いながら、じつは「相棒」は観たことがないので、非常に中途半端な知識でこの文章を書いていることをお断りしておく)
ロサンゼルス市警察殺人課と自己紹介するコロンボ警部だが、じつは「特命係」(のような部署)だったというのがこの説の骨子である。
つまり「刑事コロンボ」は、“相棒のいない「相棒」”なのではないかと睨んでいるわけなのだ。
じつは、コロンボはロス市警の重大な秘密を握っており、辞めさせることもできないが出世もさせない万年警部という状態が続いている。
また、ロス市警としてはほんとうは事件も担当させたくないのだが、その推理力はやはり魅力であり単独で捜査をさせているのである。
そんな訳で、ロス市警としてはコロンボ警部が捜査を失敗すれば責任を押し付け辞めさせてしまう、犯人を逮捕すれば警察の手柄という一石二鳥になるというわけ。
じつは、コロンボ警部は私生活では孤独であり、職場でも厳しい立場におかれた、じつにハードボイルドな裏設定のある人物だったなんてのはいかがでしょうかねぇ。
考えれば考えるほど謎めいた存在となっていくコロンボ警部なのだが、決して解決されることのないその謎の存在こそが、このドラマシリーズのいちばんの見所なのかもしれない。