◇juri+cari◇

ネットで調べて、近所の本屋さんで買おう!!

井上荒野さん『切羽へ』

2008-07-25 12:30:04 | 読書
井上荒野さんの最新作『切羽へ』は、
廃墟が多く残る九州の離島に住む夫婦を主人公にした中編小説
2008年度上半期の直木賞を受賞した作品です。


九州の離島で暮らすセイと陽介の夫婦。
セイは、児童が6人しかいない島の小学校で養護教諭をし、陽介は画家をしている。

四月、セイの小学校に新任教諭として石和聡が赴任してくる
「実際、呼ばれてませんでしたよ」
こういって始業式に遅刻してきた石和に、
「冗談だとしても、面白くもなんともない」と同僚の月江は不信感を隠さない
そういう月江が―東京から月に1,2度島を訪れる―「本土さん」と不倫をしていることは、島の人であれば誰でも知っていることだ。

淡々と過ぎ行く島の日々

そんなある日
セイが知人の老女ハツエを訪ねると、ハツエの家が雨漏りしていた。
しかも、ハツエはすでに亡くなった夫をまるで生きているかのように話す。

動揺したセイは、偶然近くを通りかかった石和に雨漏りの修理を頼んでしまう


四季のうつろいとともに、人々のゆれる想いをつぶさに綴った作品
静かな文体とはうらはらに、とても濃厚な情感が漂う
本書中のことばで言えば「ああもう。むせかえるごたある」です。

読み始めてみると、文章は読みやすく、大きな事件も起きないので
すぐに読むことができる作品かと思いきや
数行読んでは意味を考え、数ページ読んではため息をつき―と
思いがけず読むのに時間がかかってしまいました。

そのため印象深いシーンは多く、ラストシーンも余韻に満ちているのですが、とりわけ印象深かった箇所を挙げるなら次の2箇所

まず、石和とセイが映画館跡に立って会話する場面です(129p)。

「ここが映画跡だと、教えようと思ったわけじゃないのよ。ここに来るのが、小さな頃は怖かった。そう言おうとしたんです。映写機が突然空中にあらわれて、恐ろしい景色を写しはじめるような気がしたの。鉱山の爆発とか、戦争とかそういうもので死んだ人たちとか……」
「今はもう怖くないんですか?」
「ええ」
「どうして?」
「そういうものがあらわれてもいい、と思うようになったから」

そして、セイと陽介が、亡き夫が生きているかのように話すハツエについて会話する場面(122p)。

「また亡くなった人のことば、生きてるごと話しとった。しっかりした口調で話すとばってん……」
訴願ね、と夫はしんみり頷いた。
「そいでも本人の頭の中では、死んだご亭主ともう一度暮らしとるだから、幸せなことかもしれんよ」
「そがん思うたほうがよかね」
「そうたい」

ここも、とても印象深かったです


ところで、井上荒野さんの作品では食べ物が効果的に用いられます。
前作『ベーコン』は食べ物とそれにまつわる人々を描いた短編集でした。
そして本作でも、食べ物が効果的に使用されています。

たとえばこのような場面(59p)―

めずらしく市場に出ていた豚肉の塊を切って炊き合わせたが、肉ばかり残されてしまった。昨日、夫はあまり食欲がなかった。
私は、さほど心配にはならない。数日前から、夫は再び、新しい絵を描き始めようとしているからだ。その期間夫は食べなくなる。
<中略>
実際、私はその期間、人間の男ではなく、野生の動物の世話をしているような気持ちになる。
昨日から雨が降り始めた。
台所の流しの排水溝に、ラードがとろんと溜まっていた。

この後、一行あけて

六月の島に降る雨は、蒸気のように細かくて、べたべたしている。

と続きます。

ここでは、せっかく料理を作ったのにほとんど食べてもらえない「空しさ」が、
入梅が近いじっとりとした空気や排水溝で光るラードの様子とあいまって、
いっそう強いものになっているように感じました。

この他にも、そうめんや東京の高層ホテルで食べるサラダやグリル、烏賊のしおからなど
食べ物が効果的に用いられているシーンが多くあります。
各所での描写の違いに注目すると、一層その場面の心情を深く理解できるように思いました。

他にも、「あんた」と「あなた」、島言葉と標準語など明確な使い分けがされていますので、そちらにも注目すると面白いです。


なお、この本の帯には「彼に惹かれてゆく、夫を愛しているのに―」と書かれていますが、
本作で描かれているのは、ありきたりな不倫よりも漠然として、
それでいてもっと濃厚な心情のように感じました。

帯だけを見て「不倫ものか」と手に取らなかった方も、安心してお読みください。

最新の画像もっと見る