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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



だいぶ経ってしまいましたけど、年末にあったインテル対マゼンベのトヨタカップ。まだ記憶に新しい熱戦でしたね。

マゼンベってコンゴのチームなんですよね。コンゴというとコンゴ共和国とコンゴ民主共和国の二つがあるので、どっちだろうと思いましたが、コンゴ民の方ですね。旧ザイール。

ザイールは、ブラックアフリカで最も強烈なところの一つです。モブツの独裁、その後の相次ぐクーデターなどの激動の歴史は言うに及びませんが、ハードコア系のバックパッカーだった自分には、ザイール川流域の猛烈な自然が思い浮かびます。
今ではどれほど注目があるのか分かりませんが、10年くらい前は、ザイール川とチベットのカイラスへの旅行は、バックパッカーにとって、聖地巡礼のような趣きがありました。私も激しく興味をかき立てられて、色んな本を読んだり、実際に行った旅行者の話を聞きまくったものです。こないだ、たまたまテレビでオナトラ(ザイール川を往来する巨大船)の映像がうつっていて、なんだか目頭が熱くなりました。

そして音楽。ザイールの音楽はリンガラ音楽とか言われますが、アフロ・キューバン・ジャズを現地化した音楽で、ジュジュなどと並んでアフリカで最も人気のある音楽の一つです。パパ・ウェンバはジャンルを超えて世界的に有名なので、聞いたことがある方も多いかと思います。
首都キンシャサといえば、アリとフォアマンの歴史的な試合ですが、あのときの「アリ・ブマイエ」もリンガラですね。「猪木ボンバイエ」はこれのパクリ・・・というかアリが猪木との試合の縁に寄贈したという。
同じタイミングにあったもう一つのキンシャサの奇蹟が、ファニア・オールスターズら当時の巨人たちが集結したアフリカ版ウッドストックのようなコンサート。まさにキューバンジャズとブラックアフリカの融合の祭典として知られる伝説のイベントです。
このへんの雰囲気はドキュメンタリー映画『モハメド・アリ かけがえのない日々』とか見るとよく伝わってきます。ちなみにファニア・オールスターズは、サザン・オールスターズの名前の由来でもありますね。
あとアリの映画といえば最近ではウィル・スミスの『アリ』もありましたね。さすがにマイケル・マン監督、米国にいたとき見ましたが、期待していたより面白かったと記憶してます。

1:30からのキンシャサのシーンが好きです。

龍馬伝でもおなじみLisa Gerrardの音楽、ディランとジミヘンの名曲「All Along The Watchtower」のカバー、Rケリーの「The World's Greatest」が心に残ります。

数あるジミヘンの名曲の中でも一番好きな曲の一つ。

話が大きく曲がりますが、アリとフォアマンの試合といえば、ジョージ・フォアマンは「フォアマン・グリル」というグリル製品をプロデュースして、世界的に大成功しています。米国のTarget(大型雑貨店)なんかに行くと、フォアマンの満面の笑顔が貼ってあるこの製品が必ずどこにでも置いてあって、うぉっフォアマン、ナイスな笑顔、とちょっと驚きます。

エプロンがかわいい。

そんなわけで、ザイール(コンゴ民)には結構思い入れがあります。カメルーンとともに、ぜひいずれ行ってみたい国の一つです。その前に一昨年前にポシャったセネガルとマリに行きたいところなんですが。いつの日になることやら。

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最近読んだ本。

■ 野口祐子 『デジタル時代の著作権』
歴史から現代の課題までおさえつつ、自らのポジションも示している。新書ながら、いや新書だからこそ制約なく書けるからか、なかなか読ませる。
それにしても野口先生はスタンフォードローに4年もいたんですね。レッシグの薫陶を受けたという。よほど優秀な人だからなんだろうけど、あそこにそんなに長くいられたというのは、とてもとてもうらやましいことです。

■ 桝田淳二 『国際弁護士』
内容が非常に具体的。事実づくめ(記録に近い)という印象も受けるが、とても参考になる。米国強制労働訴訟を担当していたというのも意外な面白さ。

■ 弐瓶勉 『シドニアの騎士』
漫画です。しかし漫画というか、もうアートを感じさせる作品です。
この著者の作品は、宇多田ヒカルも大好きという、『バイオメガ』他、いろいろ読んでいますが、なんというのか、人間のイマジネーションの限界のようなものを感じさせます。そのぐらい凄い作品と思います。もちろんエンターテイメントとしても滅茶苦茶面白いです。
ちなみにどの作品にも人間の言葉を話す熊が登場します。そのへんも宇多田ヒカルの琴線にひっかかるものがあるように感じずにはおれません。

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前回の記事と一緒に書こうと思ったのですが、長くなったので記事を分けました。

年末に、薮中三十二『国家の命運』を読みました。軽い感じの回顧録、というかエッセイに近いです。知識が増えたり勉強になったりするようなものではないですが、気軽に面白く読めます。

こういう立場の人は、変にかまえて固くするより、これくらいで良いんじゃないかと私なんかは思います。
組織のインサイダーが、部外者と比べて、知識や経験に関して圧倒的な優位に立つのは当然のことですよね。特に役所、それも外交みたいに原則「部外秘」で通していける世界はなおのことです。
ただ知識と経験というのは、その立場にいる人なら、誰であってもほとんど差は出ないもので、個人の個性で差が出るというものではあまりないんですよね。しいて言えば、どういう時期にその任にあったか、タイミングというか、運のようなものは影響します。ただ、自分しか知らない話は外には出せないという制約もかかりますね。
だから、こういう実務家のインサイダーで、それも高い地位にあった人の場合、細かい知識なんかで押すのではなくて、大きな視点や相場観を語るのがいいんだろうと思います。その場合、大事なのは思考の枠組みと説明のうまさですね。これはセンスなので、個人差が出ます。この本の著者は昔からプレゼン能力の高い方で、表現力が優れているということはいえると思います。

何にしても、組織を離れた人が一番高く売れるのは現場を離れた瞬間ですよね。そこから時間が経過してなお価値を保つのは、なかなかむずかしい。
それなりの地位にあった人が辞めたとき、回顧録を書くのは総決算、それで終わりというところがあって、そのあとの発信にはたいがい見るものはないものです。賞味期限の切れた過去の遺産の切り売り、自慢話に終わったりします。
特に、高い立場にある人に求められるのは、専門知識よりはバランス能力、常識人の感覚なので、なおのこと難しいですね。デカイ話ができるのはその立場にあったからこそとも言えます。地位や力を離れて大風呂敷をひろげても床屋談義に聞こえてしまう。むしろ、組織での地位は低くても、ひたすらにマニアックなことを追求した人の方が、あとあとまで付加価値を出せるものであったりします。

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高い地位にあった実務家と言えば、アフガニスタン・パキスタン担当特別代表の任にあったリチャード・ホルブルック氏が亡くなっていましたね。
米国というと、ポリティカル・アポインティーと公務員の地位の低さの印象が強いですが、国務省は別格で、優秀な人、学歴の高い人が行きます。ホルブルック氏やジョン・ネグロポンテ氏のように、プロパーの人でも相当なところまで出世します。最近まで、ウィリアム・ペリー元国防長官が日経新聞の「私の履歴書」を書いていましたが、その中に出てくるリビア朝鮮部長という人も好例です。この人は下記の東アジア太平洋局で長いこと要職を務めている東アジアのプロの人です。
(もっとも、国務省員といっても一概にいえなくて、日本のキャリア制と同じで、出世するかは入省時点のトラック次第。6個ぐらいあるトラックのうち一番出世するのは「political」。)
ホルブルック氏は、昔、東アジア太平洋担当国務次官補(Assistant Secretary of State for EAP Affairs)をしてましたが、このポストは日本の外交にとっては一番重要なポストですね。(そのまま対比はできませんが、国防総省(DOD)、ホワイトハウス(NSC)にも大体同じような部署とポストがあります。もちろん同様な意味で超重要です。)ホルブルック氏は、民主党系では、このポストにいた人の中で、たぶん一番有名な人の一人です。
ただ、以前にも書きましたが、米国の場合、ポストよりも人的要素が果たす割合が大きいです。このEAP国務次官補にしても、使えない人がくれば、相手にしてもしょうがないわけで、その場合担当のポストでなくても日本のために影響力を行使してくれる人に働きかけることになります。

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こんな天下国家な話はさておき、自分自身の卑近な立場に戻ると、組織の中で得られるものは大きいが、そこを離れて何かができるかというと難しいものです。もちろん組織で生き続ければいいんだし、何が良い悪いという問題でもない。ここは考え出すとよくわからなくなってきて、答えは出ません。ただ、問題意識は昔からずっと続いていて、このHPでも何度か触れてきました。これからも思うことがあったら書いていきたいと思います。

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最近読んだ本。

■ 木庭顕 『ローマ法案内』
これまで何度か言及してきた木庭氏の近著。これまで出してきた著書はいずれも1000ページを超え価格も1万円~3万円。凶器になるような重厚さ(笑)でしたが、今回は300ページ程度で価格も5500円。文章も平易で、ここまで一般向けに書いた本は初めてと思います。
冒頭から著者の巨大な歴史学、人文学の蓄積が炸裂します。あとでじっくり読もうと楽しみにしていましたが、ちょっとだけ読んだら面白すぎて止まらなくなりました。面白すぎて、もう序論(歴史的前提)の段階ですでに疲れているという(笑)。とりあえず今は時間がないので、ここから先は落ち着いたときの楽しみにとっておきます。

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遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

更新の少ない怠惰なHPですが、年頭所感めいたものは、毎年なにがしか書いてきました。振り返って読んでみると、我ながら時間の流れが感じられて、何とも感慨深いですね。

年末年始はのんびりゴロゴロしてテレビなど見てました。
箱根駅伝を見ると、なんというか、命を燃やしているなーという印象を受けて、俺も燃えないと!という気分になったりしますね。単純だ。というか、同じことを去年書いてましたね。意外にブレないな。いや、単に進歩がないだけか。
まあ、私なんかがあんな風に燃えても、すぐに真っ白に燃え尽きそうです。そんなこともあって、実写版『あしたのジョー』に注目しています。私、この作品が大好きなんですよね。一番好きな漫画を5個挙げろと言われたら絶対に入れますね。大好きな台詞、場面を見ると、今でも胸が熱くなります。

永遠の名場面。特に4:00より後。

そんな原作を愛する身としては、どんな作品でも期待にこたえてくれることはないだろうと思ってしまいますが、せっかくの機会、若い人たちにも『あしたのジョー』への興味がもたれるといいな、なんて勝手に思ったりしています。今の時代、もうあのドヤ街とか、ファンタジーにしか見えないんでしょうね。CGでつくっても不思議じゃないし。

それにしても何となく感じるのは、どうも全体的に世間は元気がないということですね。ここ数年来からの感覚で、今に始まったことではありませんが、どうも毎年、下り坂になっている印象を受けます。
年始にテレビの特番などを見て、ワイワイしていると、音楽にせよドラマにせよ、10年前、20年前の記憶がよみがえるんですよね。
そこでいつも思うのは、なんか昔っていい時代だったような、という感覚。自分自身がもっと若かったとか、過去の記憶の美化とかあると思いますけど、なんなんですかね、あのギラギラした感じは・・・。
(かつて、「1985年その1」「その2」という記事でも書きました。いただいたコメント欄とか見ると、とてもなつかしくて、しかも今読んでもためになったりして、鼻血が出そうですね(笑)。)。
インターネットもアウトレットもなく、ずっと不便だった時代だったはずなのに、昂揚した感覚があったように思うのです。人それぞれなんでしょうが、少なくとも自分の周りでは、そういう気分の人は多いみたいですね。
私は、基本的に未来は明るいと考えるたちの人間で(短期的には悲観的に、長期的には楽観的に、という座右の銘(?)があります)、進歩というものが本当に規定できるのかは分かりませんが、少なくとも、かなりの多数の人が得るであろう効用は高くなる、あるいはその機会が増えるもんだろうとは思っています。でも、どうも最近は、そういう気分になりにくいですね。

たぶん今の時代一番求められているのは、「未来はもっと楽しいはずだ」と思う<気分>なんだろうと思うんですよね。
今が苦しい、というのは、人間、大した問題ではない。ここが正念場だと思えば、結構なレベルまで耐えられるものです。でも希望を失うのはつらい。現状物質的に充足していても、なお自ら命を絶つ人がいるのも、希望がないのがつらいからでしょう。
そして、こういう<気分>を作る上で、重要な役割を果たすのは、文化であったり経済であったりするのでしょうが、最もがんばらないといけないのは、おそらく政治なんだろうと思います。
明るい未来を見せる。別にそれは高度経済成長じゃなくてもいいと思うのです。低成長の時代ならば、成長率に代わる何かを見せる。それを伝えるのが<言葉>であり<制度設計>なんだろうと思います。
私はどちらかというと自生的秩序に共感をおぼえる人間なので、政府に分配の機能以上に多くは期待しない(むしろ余計なことをしないで欲しい)、というのが基本的な立場なのですが、そういう考え方をもつ人の生き方を含めて、様々な生のあり方を実現できる環境をつくることは、公の役割だと思いますし、また、生きる意味を独力では見出だせない人にとって、なにがしかのよすがを提供することも(ここには最大限の警戒を払う必要はありますが)政治の仕事と思うんですよね。
今の政治を支えている人たちを見ると、なんだかそういう意志を感じないですね。よくわかりませんが、たぶん今まで真剣に考えてきたこともなかったんですかね。

と、いつにも増してまとまりなくダラダラしゃべりました。
実はこのあと本題に入るはずだったのですが、すでにずいぶんな量になってしまったので、次回に回すことにして、とりあえず今日は挨拶までにします。
個人的には、今年は勝負の年です。まずは考えるより行動。そして次のステージに移行して、できればジョーのように、燃えるような一年にしてみたいものです。といって、燃え尽きては困るので、そこは適度に、無理ないペースで。そうなると、もはや「燃えている」とはいえない気もしますが、気持ちが大事ということですね(?)。
ということで、今年もよろしくお願いいたします。

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