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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



なんだかアクセス数が上がってるな~と思ったらかんべえさんに晒されていた(4月20日)件。笑
久々に1000近いIPに達しました。もうだいぶ慣れたとはいえ、相変わらずの破壊力です。

そのかんべえさんもおっしゃっていましたが、先週、米国にいたとき以来の大親友、東海由紀子(通称ビビアン)さんがいよいよ参院選に出馬!
才色兼備は報道にあるとおりですが、情熱、志、人徳も申し分ない方です。ぜひ良い結果を出して欲しいと切に願います。
(ちなみにビビアンさんの旦那様は東海辰弥さん。日本アメフト史上に残る京大伝説のQB。一度ご飯を一緒させてもらいました。ひたすら感激の思い出でしたね。)

ところで、破壊力といえば、爆弾。
ということで、先日、爆弾との戦いを描く映画『ハート・ロッカー』を見ました(強引だなー笑)。

面白かったです。
まず驚かされるのは描写のリアリティ。撮影はヨルダンで行われれたとのことですが、本当にイラクにいるかのような臨場感。そして自爆テロの恐ろしさ(防ぐのは無理!)の徹底的な描写。
内容は、ビグロー監督に撮影を勧めたキャメロンも言ってますが、『プラトーン』を彷彿させるものでした。戦争を美化するものではありませんが(劇中主人公が流すハードロックの音楽はブッシュ政権批判で知られるMinistryのもの)、どこか、闘争や破壊といった人間のタナトス的欲望、英雄主義を肯定する空気があります。でも同時に、それをどこか突き放すような感覚もあります。
主人公は、傑出した能力と平凡な日常人の心性、マシーンのような無機質さとランダムな人間性(情熱や優しさ)、格好良さとダサさ、そんな矛盾と気まぐれを持ち合わせています。リアルな現代人らしくもある一方、『プラトーン』のエリアスやバーンズのように神話の戦士らしく見えるところもある。そんな姿が奇妙に魅力的でした。
それと、こんなイラクの現実を淡々とエンターテイメントとして描く作品もなかったですよね。『スリー・キングス』(1999)という作品もありましたが、これは湾岸戦争とイラク戦争の間の時期でした。これからマット・デイモンもやるようですし、いっときのベトナムもののように流行るのか・・・それはまあ、なさそうですね(笑)。

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前置きが長くなりました。本題。最近読んだ英語に関する本のご紹介です。

■ 寺澤盾 『英語の歴史』
英語の歴史を手軽に見渡せる本。
これまで私も何度も論じてきた語源(etymology)について、歴史に添って詳しい説明をしてくれます。文法や語彙の変化、ドイツ語やフランス語との類似性の理由など、かなり面白い。
情報の密度が高く、手軽なサイズのわりに読み応えがあります。

■ アーネスト・ウィークリー 『ことばのロマンス』
上記『英語の歴史』の著者である寺澤盾氏が影響を受けたという名著。ちなみに訳者(寺澤芳雄氏)は同氏の御尊父です。
膨大な量の単語の語源の歴史を説明しています。とにかく圧倒的な蓄積で読み応え抜群。ページをめくるごとに目から鱗です。

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ところで、英語の主要な語源の一つをなすのがラテン語です。

■ ①小林標 『ラテン語の世界』
■ ②大西英文 『はじめてのラテン語』
■ ③逸身喜一郎 『ラテン語のはなし』

①はラテン語の歴史、文法、文学などを包括的に説明した入門書。
英語の歴史をより深く知る手助けにもなります。上記二つの本と合わせて読むのにぴったりです。
たとえば、なぜ英語には同じ[k]の音をもつ「k」と「c」の二つが含まれているのか。
これは、
ギリシャ人(無声音のk(κ)と有声音のc(γ)をもっていた)
→エトルリア人(有声破裂音をもたなかったため、cが無声音[k]になった)
→ローマ人(無声音のkとcをもち、有声音のためcを変形したgをあらたに作った)
という流れで文字(ラテン・アルファベット)が受け継がれてきたことによるのですね。
こんな感じでアルファベットを見ていくと不思議に愛着もわいてくるものです(こないか?笑)。

②と③は文法がメイン。
ラテン語(とギリシャ語)の言葉が大量に英語に流入したのは、ルネサンスの時代といわれます。
近代英語の相当大部分を作りだしたシェークスピアが、『ジュリアス・シーザー』で「It's all Greek to me.」(それはギリシャ語のようだ=まったく理解できないという意味)という表現を初めて使ったことに分かるとおり、16世紀の時点では、すでに英国人にとってある種のスノッブな「教養」として見なされるようになっていました(シェークスピアが、「small Latin, less Greek.(ラテン語はいまいち、ギリシャ語はもっとダメ)」と揶揄されたのは有名)。
そんな古語ですが、やはり古代の文芸を読めるというのはロマンがあるというか、真の教養としてみなされる雰囲気が欧米にはあります。
ちゃんと勉強するのはしんどいですが、とりあえず、このへんの本を読みつつ、英語や文学に現われるラテン語に注意して、軽い気持ちで親しむのもいいんじゃないかなと思います。

文学については、②の著者が執筆者の一人となっている『ラテン文学を学ぶ人のために』と柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』も参考になります。

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あと、勉強法の本では、多賀敏行『外交官の「うな重方式」英語勉強法』
法学教室344号(2009年5月号)の巻頭言で、交告尚文教授がとり上げているのを見て知りました。
現役外務省員が書いたエッセイ集的な本。語源を徹底的に掘り下げる姿勢が見てとれます。気軽な読み物として良いかもしれません。
ちなみに、この本では、通称「やまてい」という通称の英文法の学習書の古典が高く評価されています。
交告教授も高校生時代この本を使っていたそうで、多賀氏の指摘をふまえてあらためて読んだところ、当時気づかなかった価値を見出して感動する、みたいなことが書かれていました。
ということで、「やまてい」こと、山崎貞『新新英文解釈研究』。興味をもったので、私も試しに読んでみました。
・・・古い本だろうと内心疑ってかかっていたのですが、今見てもそのまま使えるようなクオリティ。
例文をまずあげて、そこから文法やイディオムに入るというスタイル。そのあとは大量の例文をざーっとあげているだけです。
前にエクセルを使って例文をまとめるという勉強法を紹介しましたが、このスタイルはそのやり方にぴったりはまります。
シンプルですが、こういうのが一番求められていることだと思うんですよね。個人的には。
今時あまり見当たらないタイプの本かもしれません。できればこういう形の教材のアップデート版を作って欲しいものです。

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以下は昔に読んだ本ですが、紹介したことがなかったのでついでに挙げておきます。

■ 斎藤兆史 『英語達人列伝』
取り上げられているのは、岡倉天心、斎藤秀三郎(斎藤秀雄の父)、鈴木大拙、幣原喜重郎、野口英世、斎藤博、岩崎民平、西脇順三郎(井筒俊彦の師)、白洲次郎。
錚々たるメンツです。しかも生まれついてのネイティブスピーカーではなく、日本での勉強で実力をつけたと言われる人々ばかり。何となく勇気づけられるというものです(まあ、こういう天才たちと比べても意味ないのでしょうが笑)。
岡倉天心が横山大観と一緒にボストンを歩いていたとき、「What sort of 'nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?」と侮辱されたのに対し、「We are Japanese gentlemen. But what kind of 'key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?」と切り返す。こんな芸当のできる日本人は今でもそういないでしょうね。

これらの本から分かるのは、日本にいても、できる英語の勉強はたくさんある、ということですね。以前、私も同じような趣旨のことを書いていました。がんばらないといけませんね。

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最後に、最近ずいぶんツイッターに慣れました。ほぼ毎日なにがしか書いてます。
そして、ついにトップページ右側に表示させることに成功!
ただ、デザインがちょっとポップすぎ(笑)。色はきれいですけど、丸字がね。。。あともう少し文字を小さくするか、長い幅で表示できればいいのですが・・・ツイートが途中で切れているので。わがままか(笑)。
まあ、gooブログが最初から対応していれば何の問題もないのですが。できればタイムラインを表示したいですし。検討してもらいたいものです。
ついでにレイアウトを色々いじってみました。ちょっと新鮮な感じで、新しい季節という風情、なかなかいい気分になりました。

ようやく暖かくなってきましたね。連休も間近。もうちょっとふんばりましょう。

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最近、NHKでマイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」というTV番組が始まりましたね。
ちょうどこの前、「コミュニタリアニズム」の記事でサンデルを紹介したところだったので、グッドタイミングと思いました。はやりの話題からはほど遠いこのHPにしてはめずらしい(笑)。

「白熱」・・・までしているかはわかりませんが(笑)、とりあえず、サンデル先生は話がうまいです。感心した人も多いのではないかと思います。

米国では、質疑応答のスタイルで、聴衆とインタラクティブに授業を進める「ソクラテス方式」という手法がよく採用されています。
サンデルの講義は、入門的な授業の性格、人数の多さから、一般の講義スタイルに近いですが、それでもかなりインタラクティブに授業を展開しています。あれだけの人数を相手にこれだけたくみに実現するのはさすがです。ビジュアル教材の使い方や演劇的な話し方も効果的です。

もっとも、彼に限らず、米国人の先生は総じて話術のレベルが高いという印象があります。学生を退屈させる講義をするのは教師の能力不足、とみなされるような雰囲気が全体的にあるようです。
もっと言うと、講義に限らず、一般的に、話術の重要さが強く意識されているんですね。
話のうまさは、誰もが身につけるべき基本スキルとみなされている感覚があって、政治家はもちろん、ビジネスマン、学生みんな熱心に技術を磨きます。メソドロジーが確立しており、プレゼン、スピーチの授業や研修も多いです(私もいくつか受けたことがあります)。

留学したり、米国人と仕事をする機会があると、先方の話のうまさや押し出しの強さに圧倒される場面もあるかと思います。
人の話なんて内容よりもイメージというところは現実としてあって、たとえ内容の精緻さに劣っていても、そっちが優先されることなんて結構あるものですよね。
それもどうかとは思いながら、やはり一つの力ではあって、こういうところを日本ももう少し見習えないものかと、文化的背景もあるようですが、思ったりもします。

裁判を例にとっても、米国では、おおざっぱに言って、書面での資料提出以上に法廷の場でのプレゼンに重きを置かれる傾向があります。
まさに映画で見るようなドラマチックな法廷が展開されて、書類作成担当と法廷担当で分けて、後者は弁護士になる前は俳優をやっていた、なんてことも、実際にあるそうです。
その場の証言の心証でかなりの部分を決める、それをもって真実とする、ゲームのルールをそんな風に決めているわけですね。日本における書面の重視とは対照的です。
これも、どっちが正しいというものではなく、善し悪しがあって、いずれの側でも反省しているところでもあります。たまたま先日も裁判官の方とそんな話をしたところでした。

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ところでTV番組といえば、『龍馬伝』。面白いですね。

ストーリーや演出もさることながら、俳優の躍動感が素晴らしいと思います。

岩崎弥太郎を演じる香川照之が絶賛されてますが、私が目を離せなかったのは、吉田東洋を演じる田中泯。
『たそがれ清兵衛』に出てた方ですが、もともとはあの「暗黒舞踊」の土方巽の弟子にあたる舞踏家とのこと。顔も身体も所作もどこか違うというか、美しいんですよね。すごい存在感でした。物語の序盤で暗殺されてしまったのが残念でなりません。

そして武市半平太を演じる大森南朋。
前回の龍馬伝では、岡田以蔵(佐藤建)に暗殺を(黙示的な指示で)命じるようになり、いよいよ鬼の道を突き進み始めましたね。
実際に武市半平太の日記を見ても、ドラマと同様、直接的な証拠を残さないもので、非常に不気味です(最終的には以蔵の自白が決定的な証拠となってしまいますが)。
ちなみに、ドラマには描かれませんでしたが、岡田以蔵ら土佐藩士による暗殺は、実際には極めて陰惨なやり方で行われました。制裁や嗜虐趣味もあったのでしょうが、見せしめの意味も強かったのでしょう。
異常な人体破壊は、古今東西に通じるもので、その真の目的は、恐怖によって、生き残っている者の心を折ることにあります(前に、ユン・チアン『マオ』の書評でも書きましたが、毛沢東はそうした恐怖を政治的に利用した天才の一人)。暴力(テロ)の真の恐ろしさはここにあるのですね。
そして、京都におけるこんな凄惨な暴力の横行が、松平容保の京都守護職就任、新撰組の結成につながっていくわけですね。
話がそれました。大森南朋。この人は最近でこそ『ハゲタカ』の鷲津とか『タイガー&ドラゴン』の業界人とか、役柄は広いとはいえ都会的でクール、かっこいい役の人という印象ですが、私にとっては、『殺し屋1』(三池崇史2001)で、主人公であるド変態の殺し屋イチを演じた人。三池監督の持ち味が全開となったとんでもない作品でしたが、そのインパクトが強すぎて、最近の役柄の方が逆に新鮮です(笑)。

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龍馬を主人公にしたドラマや映画といえば、たくさんありますが、最近私が見たのが、『竜馬暗殺』(黒木和雄1974)。

原田芳雄が演じる猥雑なエネルギーに満ちた龍馬。さわやか福山龍馬とはかけ離れたイメージです(笑)。
石橋蓮司、中川梨絵らロマンポルノ俳優のアングラ的な妖しさ。
少年のようなあどけなさを残す松田優作、大久保利通を演じる田村亮。
ここには「龍馬伝」にはあり得ないような、濃さ、泥臭さ、切なさがあります。その青春の情景、時代の感覚、ATGのにおいにドキドキする。そんな作品でした。

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それにしても鳩山邦夫といい著名なビジネス・リーダーといい、龍馬に憧れる人は多いですよね。
司馬遼太郎や坂崎紫瀾が描いた、時代を動かす英雄としての龍馬はたしかに魅力的です。
ただ、実際龍馬はどんな人で、何を成し遂げたのか。そういうのを実証的・学問的にながめてみるのもたまには面白いかと思います。
研究書は山のように出ていますが、私が読んでみたのはこんな本。

■ 平尾道雄 『坂本龍馬海援隊始末記』
戦前に書かれた大変古い本ですが、龍馬研究の古典とも言える名著。下記の本でもよく引用されます。
著者は、龍馬関連文書をまとめた代表的人物。明治の坂崎紫瀾、大正の岩崎鏡川、昭和の平尾道雄と並べてあげられる。

■ 宮地佐一郎 『龍馬の手紙』
当たり前のことですが、歴史は資料から生まれます。この本はその資料の宝庫。
ここからどのような解釈が生まれ、物語が紡がれるのかと考えながら読むと、なかなかいい気分になります。ここにある手紙がそのまま『龍馬伝』に出てきたりするし、平井加尾のエピソードなどの元ネタも確認することができます。
(ちなみに平井加尾は何度か手紙に登場し、その中には二人はどういう関係だったのだろう?と思わせるものがある。一方で、龍馬は姉乙女への手紙で、千葉佐那を「かほかたち平井より少しよし」と述べて紹介している(笑)。)
手紙は色々なところで書かれているので、順を追って手紙を読んでいくだけで龍馬の旅の足跡をたどることもできます。
『ファインマンの手紙』もそうですが、手紙というのは、文面(と字の形?)から人間性が見えるものですね。龍馬の手紙には、ユーモアと思いやりが詰まっていて、これを見るだけで、たしかに魅力のある人だったのだろうと思わせます。

■ 松浦玲 ①『検証・龍馬伝説』 
■ 同 ②『坂本龍馬』
著者は横井小楠と勝海舟の研究者。そのためか①の時点では少し遠慮がある印象。しかし松本健一らとの論争を激しいタッチで書いている。これに対し②では腰を落ち着けて、バランスに配慮した本格的な評伝とした印象。①は刺激があるが②の方が安心して読める。
脱藩の意味、勝海舟との関係、薩長同盟とその後の境遇、船中八策(大政奉還)の「伝説」、また吉川英治や司馬遼太郎の書く「歴史」とは何か、といった主題化と、それに対するドライな目線の議論が面白い。

■ 飛鳥井雅道 『坂本龍馬』
古い本だが、なかなか面白い。
必ずしも龍馬の行動や視点を中心とすることなく、マクロな視点で、時代の中での龍馬の位置付けを描いている。史料を重視しながらも、文体に躍動感があり、文学的で読ませる。
ただ上記の松浦氏の視点よりは思い入れが感じられ、それもあってか上記①の本では批判されている部分もある。
この本の方でも松浦氏の本(『勝海舟』など)へのコメントがあり、合わせて読むと面白い。

■ 遠山茂樹 『明治維新』
日本近代史研究の古典。古い本ですが、しっかりした学術書としての通史で、注や参考文献も充実しています。
コンパクトに龍馬の果たした役割や性格を論じた部分があり、ポイントをつかんでいてなかなか参考になります。

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雪が降るような寒い日が続きましたが、ちょっとずつ暖かくなってきましたね。今週もがんばりましょう。

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先週、さいたま芸術劇場でバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴いてきました。

CD(リヒターガーディナー)では何度も聴いてきましたが、やはり生は違うもんだな、と感慨深かったです。

以前にも書きましたが、この音楽は本当に美しい。米国にいたとき聖書勉強会に参加しながら、「え、私?人格神はパスかなあ。どっちかというと日本教?」というKYな発言をするほど神のおそれを知らない私でも、中世の人々が神を感じたのもわからないでもないと、うっすら思うほどです。

こんな名曲について、私のようなド素人がどうこう言う余地はないのですが、一つ言えば、音楽を通して、西欧の歴史、思想が見えてくるところ。これはとても面白いですね。

たとえば、この受難曲の重要な部分をなす「コラール」。
コラールは、ラテン語のグレゴリオ聖歌を聖歌隊が歌うというカトリックの高踏的なスタイルと対照的に、礼拝に来た人たちがみんなでドイツ語で歌うという、平俗なスタイルによる賛美歌です。
バッハはルター派プロテスタントでしたが、ご存じのとおり、プロテスタントは、司祭だけが神の意思を民衆に伝えるというカトリックの考えを否定し、個人それぞれが神に直面することを唱道しました。だからラテン語の聖書をドイツ語にする必要があったように、受難節に歌う歌も、ラテン語からドイツ語にする必要があったわけです。
(ちなみにプロテスタントだったバッハがなぜカトリックのスタイルである「通作ミサ曲」を作ったのかは、バッハをめぐる様々な謎の一つとされています。)
そして、その旋律の多くは、当時の世俗歌謡からとられました。たとえばマタイ受難曲で最も有名な「ああ血と傷にまみれし御首」というコラールの旋律は、実は「わが心は千々に乱れ」という恋の歌からとったものなんですね。
そんな流行歌のようなものを、宗教曲、しかも受難曲に用いていいのか、と思うかもしれません。しかし、こういう世俗曲を使ったからこそ、一般庶民であるプロテスタントの人々にも親しみやすく、すぐに歌えたということがあったわけです。
それにルター(自身も36曲のコラールを作詞し、リュートを奏でる音楽家だった)は、良い音楽であれば宗教歌でも世俗歌でも神は喜ぶ、と考えていたそうです。
荘厳な大伽藍のような宗教曲の旋律が、言ってみれば流行のラブソングからとられている。その背景にはこんな歴史的・宗教的事情がある。ちょっとワクワクする話と思いませんか。

かつて、『ジーザス・クライスト・スーパースター』という、ロック音楽をつかってキリストの生涯を描くという、一見するとあり得ないようなミュージカル映画(ノーマン・ジュイソン監督1973)がありましたが、こういう事情を考えると、それもまあ分からんでもない、と思ったりもしますね。
また、これも以前にも書きましたが、現代の米国のキリスト教では、クリスチャン・ロックとか、儀礼や宣教にポップソングを取り入れることもあります(ペンテコステ派に多い)。物議をかもすことはあるとはいえ、これも何となく通じるものを感じます。

映画といえば、キリストの受難(the Passion)を聖書に「忠実に」映像化した作品が、メル・ギブソンの『パッション(The Passion of the Christ)』(2004)でしたよね。
色々物議をかもしたことは記憶に新しいと思いますが、まあ、とにかく痛々しい映画でしたね。
メル・ギブソンは保守的なカトリックで、自らの強烈な信念に基づいて作ったそうですが、イエスに対する血まみれの虐待、悪魔の化身の蛇の描写、やたらリアルな最後の復活、どれもインパクトがあり過ぎて、ほとんどホラー映画一歩手前(笑)。私は結構楽しめましたけど、一緒に見た人は気分が悪くなったという記憶があります(笑)。

脱線しましたが、そんなマタイ受難曲に込められた意味に興味がある人には、こんな本が参考になると思います。

■ 礒山雅 『マタイ受難曲』
この本は、受難曲の歴史からマタイの一曲一曲の解釈まで、非常に詳細な説明をしてくれています。
例をあげると、最初の一曲。
いきなりキリストがゴルゴダの丘に向かうところから始まるのですが(この構成自体が当時としては革命的だった)、そのキリストの姿が花婿にたとえられます。ボロボロになって死に向かう人がなんで花婿?と思うでしょう。
これは旧約聖書の「雅歌」に受難の予定を見るというルター派の解釈に基づくものなんですね。
雅歌(the Song of Songs)はソロモン王の作と言われるのですが(これに対し詩編(Psalms)はダビデ王の作とされる)、その内容は恋の歌、花嫁・花婿の歌です。そして、キリストをソロモン王と同一視する考え方から、キリストの姿をソロモン王の歌のごとく花婿にたとえる、という発想につながるのですね。
(これに限らず、マタイの福音書は、他の福音書と比べ、旧約聖書との接点を強調するユダヤ的な傾向が強いです。それは成立当時、他のユダヤ教宗派(ファリサイ派)への対抗のため、キリストがユダヤ教の正当な後継者であることを主張する必要があったからといわれます。)
このほか、マタイ受難曲といいながら、ルカの福音書の影響が見られる部分もありますが(マグダラのマリアの扱いなど)、それは四つの福音書を調和的に解釈する当時の神学の考え方が影響しているとか、巨大な建造物のような音楽の構築性と聖書とのシンクロ、場面ごとの和音や調に込められた意味など、音楽的にも歴史・思想的にもうならせるような話の宝庫です。

ほか関連して印象に残ったもの。

■ 杉山好 『聖書の音楽家バッハ ~マタイ受難曲に秘められた現代へのメッセージ』
独立した短い論文を集めたもの。気楽に読める。
抽象的・理念的な議論から、「30」小節の意味が三位一体の「3」と十戒の「10」の積であるとか、G調はGott(神)やGeist(御霊)の象徴表現であるとか、通奏低音の変化からstation(キリストがゴルゴダの丘に至るまでの道(「嘆きの道」)を13分割して聖書の重要な場面に対応するポイントにしたもの。私もエルサレムを訪れたとき回りました。)を読み取るといった具体的な話まで、これもとにかく色んなことが書いてあります。
著者はバッハの全声楽作品やシュヴァイツァーの名著『バッハ』の訳者。上記『マタイ受難曲』の著者の礒山氏は本著者の東大時代のゼミ生だったとのことです。

■ 吉田秀和 『私の好きな曲』
「ロ短調ミサ曲」の解説の中でマタイ評が出ています。
ミサ曲ロ短調とマタイ受難曲を二つの「西洋音楽の歴史を通じて創造された最高の音の建造物」としながら、マタイについては、「こんなすごい曲は一生にそう何回もきかなくてもよいと考えている」とのこと。著者ならではのコメント。
これに限らず魅力的な評論が詰まった本です。お勧めです。

あと最近始まったNHKの『schola 坂本龍一 音楽の学校』
ちょうど取り上げているテーマがバッハ。ゲスト講師はこのHPでも何度か言及している岡田暁生氏。たしかにこういう番組にぴったりの人選な感じですね。
こういうのは、基本的な内容であっても、これだけのビッグネームが、限られた時間の中で、何を選び、それをどう取り上げ、表現するか、時折思いつきで発する言葉を含め、そんなのを見るだけで興味深いものです(要するにミーハーということでもありますが笑)。
フランスのコレージュ・ド・フランス(様々な学問領域の最高の権威が一般人に開放して講義を行う、一種の市民大学)を思わせるようなこんな番組、ぜひもっとやって欲しいものです。

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ついでに最近読んだ中で印象深かった本。

■ 井筒俊彦 『読むと書く』
比較的短めの論文・エッセイ集。
テーマは多岐にわたる。『イスラム思想史』『意識と本質』と主題が重なる部分も多いが、合わせて読むことで、より深い理解の手助けとなる。
一つ一つの論考は一応独立しているので、拾い読みもできる。大著では疲れる人のとっかかりにもいいかもしれない。

■ 長谷部恭男 『憲法入門』
この著者らしいクールというかドライな語り口。
文献解題が面白い。憲法制定権力の否定が話題を呼んだが、それ以外も色々面白いところがある。
入門書というのはその人のトータルな問題意識が現われるもの。構成一つをとってみても趣深い。

■ 大村敦志 『学術としての民法1』 『学術としての民法2』
20世紀フランス民法の発展から現代の日本法を読み解く試み。
法学の理論がいかに歴史と思想に関わるものであるかが伝わる。こういう著者の問題意識が個人的には好き。

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さて、ようやく春らしく暖かくなってきましたね。私も含め、花粉症に悩まされる方も多いと思いますが、がんばっていきましょう。

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