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やじゅんのページ/The World according to YAJUN




年末に受けたインタビュー
の記事が元旦に出ていました。
前の雑誌掲載のときと同様、内容はさておき、写真うつりが良かったので満足しました(笑)。
しかし、何よりうれしかったのは、自分より先に友人が見つけてくれて、わざわざもってきてくれたこと。さらにそれを別の友人がわざわざコピーまでして色んな人に見せてくれたこと。なんか、ちょっとジーンときましたね。

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年末バラバラと見た本です。

■ 滝井繁男 『最高裁判所は変わったか』
著者は2006年に退官した元最高裁判事。
判事になる前は大阪空港公害訴訟に携わったことで知られる弁護士。過払金返還請求での個別意見でも有名な方です。
前に紹介した伊藤正己氏(『裁判官と学者の間』)や下記の矢口元長官の回顧録のような軽めの本と違って、専門的な議論が多く、重厚です。
弁護士から任官した判事の経験談は少ないようで(他には色川幸太郎氏と大野正男氏の著作がある)、任官の経緯や最高裁調査官(最高裁判事を補佐するベテラン裁判官(裁判所法57条)。将来の最高裁判事候補となるトップクラスの判事がなる。)との関係、個別意見や大法廷への遠慮など率直な感慨が参考になりました。

■ 矢口洪一 『最高裁判所とともに』
第11代最高裁長官の自伝。
著者は、裁判官を務めたのはわずか8年、そのキャリアのほとんどを最高裁事務総局で過ごし、「ミスター司法行政」の異名をとった異色の最高裁長官。180センチの長身でスポーツ万能だったという。
司法機関を行政機関化したと言われたり、毀誉褒貶ありますが、日本の司法のあり方に多大な影響を与えた人物であるのは確かです。
陪審制への思い入れが有名で、その思いがこの本でも述べられています。。竹崎博允判事(当時。現最高裁長官。)、山室惠判事(当時)らを米国に派遣して調査させています(山室判事のレポートは陪審制を否定的に評価しており、そのため大いに不興をかったとか)。
司法行政に精通し、簡易裁判所の統廃合などの大改革を成し遂げた豪腕だけに、壮大な計画を手がけようとする意志も強かったのでしょうか。このような取り組みがその後の裁判員制度の導入に大きな影響を与えたといわれます。
本の前半は日経に連載した「私の履歴書」、後半は三ヶ月章氏らとの鼎談。三ヶ月氏の陪審制批判が非常に先鋭で、挑みかかるような迫力が伝わってきます。

■ 中尾巧 『検事はその時』
大阪高検検事長による体験的エッセイ集。
TVドラマの『HERO』で出てくるようなエピソードを簡潔にまとめたような趣。
簡潔でちょっと物足りないですが、技術的な話に徹している点が逆にめずらしくて参考になるのかも。

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そういや、小澤征爾さん、食道ガンで休養とのこと。
3年くらい前、食事をしていたら、すぐ隣の席に座られてびっくりしたことがあります。まったく敷居の高くないカジュアルな店だったのですが。イタリア人かフランス人の風情の人たちとにぎやかに食べてました。ちょうど帯状疱疹で休んでいたときで、眼帯をしてましたね。
もう74歳とのことですが、あんな風にいつまでも現役でいられたら素敵だなあと、憧れます。まだまだ元気な姿を見せて欲しいものです。

私も、いつまでも前を向いて生きていけるようにがんばろうと、昨日、『龍馬伝』を見たこともあり、あらためて思いました。OPも福山もかっこいいですね。単純だ。まあ、能力や身の程はおいといて、自然体で。

(補足)
前回のトルコですが、外務省HPを見たら日米カラーはそんなになかったですね。
前にシリアとレバノンのことを書いたときも触れましたが、なんでも日米と政局にもってくる報道の傾向は、スピンとまでは言わないまでも、どうなんだろう、もうちょっと視野を高くして欲しいように個人的には思います(と、さりげなく責任転嫁)。
トルコは10年前に一度行ったきり。とても面白いところです。また行きたいと強く思う国の一つです。

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だいぶ過ぎてしまいましたが、新年、あけましておめでとうございます。

2010年。
子どものころ、核の炎に包まれると聞いた199X年が過ぎ、ドラえもんが作られる21世紀に入り、ディスカバリー号が宇宙に旅出る2001年をパスし、今年とうとう、そのディスカバリー号をレオーノフ号が追う2010年になりました。

こうしてこの10年、20年をふりかえると、なんだか不思議な気分になりますよね。
映画の『2010年』、大々的に宣伝されていたのを子ども心によくおぼえてます(前にも書いたことがありますが、この頃の映画は本当にエンタメそのものというか、ワクワク感であふれてました・・・アニメだと『幻魔大戦』『カムイの剣』『クラッシャージョウ』『アリオン』『マクロス』『ナウシカ』『超人ロック』『レンズマン』とか・・・宇宙が熱かった。)。
たしかにあの頃を生きていた。しかしもう記憶の中にしか存在しない。紅白では永ちゃんが「時間よ止まれ」を歌ってましたが(実際この人はいつまでも若いですが)、過ぎ去った時は戻らない。ファウストの「時よ止まれ、おまえは美しい(Verweile doch, du bist so schoen.)」、本当に口に出したくなるような美しい台詞ですけど、これを言ったら負けですからね。
「おまえ」とか「刹那」と言われた、「いま」というこの瞬間も、こうしている間に過ぎていく。「あるのはこの瞬くとき」(哭きの竜)。そう思うと、なんだか切なくなりますね。10年後もまたこんな風に振り返ったりするんでしょう。そういや『平成30年』なんていう小説もあったな。信長や家康が総理か官房長官かなんかで、かなりアレな作品だった記憶があります。10年後はこれに言及・・・はないでしょうね。

時間の不可逆性。「時間の矢」とか言われますが、インドやイスラムの思想を見れば分かるように、これは必ずしも生得的な概念ではなくて(カントはアプリオリな直感と規定しますが)、ユダヤ教、キリスト教の終末思想の影響が大きいと言われますね。以下の本など色んなところでそう言われています。実際どこまでそう言えるかはともかく、西欧の近代思想全般に通じる強力な普遍性ゆえに、いまでは疑問の余地なく受容されたとはおそらくいえるのでしょうが。

■ 岡田英弘 『歴史とはなにか』

もっとも、我々は時間と空間を、独立して存在する客観的なものとして把握していますが、これはデカルトが基礎を作り、ニュートンとカントが確立した絶対空間と絶対時間に依拠しているのですよね。
この古典的な時空観に挑戦したのがハイデッガーやベルクソンで、その時間・存在論は今見てもとても興味深いと思いますが、前に認識論の話をしたときにも書きましたけど、今このテーマの最前線に立っているのはこういう哲学よりもむしろ科学なんでしょうね。
相対性理論がニュートン力学を根底からくつがえしたのは言うにおよばず、この数十年の、虚数時間、宇宙の無境界条件、超ひも理論。ホーキングやペンローズ、前も紹介した『エレガントな宇宙』など読むと、数学や量子力学という叡智によって、空間と時間という近代的思惟に抑圧された感覚が解放されるのが、まさに現代の自然哲学か神学を見るかのような気がして、素人の半知半解ながらむやみに興奮をおぼえます。ここは非常に関心のあるテーマなのですが、これ以上書くと長くなりそうなので次回に回します。

・・・
と、なにやら変な出だしになってしまいました。本題を書く気が失せてきますね(笑)。
がんばって続けると、とにかく、新年ですね。

昨年一年、あっという間に過ぎました。いろいろ考えたり学んだりはしたつもりですが、総じて大したことはしておらず、成長したという実感も大してありません。

ただ、一つ言えることがあるとしたら、前よりも自分のことが分かってきたような気がする、ということです。
それが今まで分かってなかったためなのか、それとも自分自身が変わったためなのか、よく分からないのですが、少なくとも、自分が何をしたいのか、これから何をすべきなのか、といったことが、自分にとって正直な形でクリアーになっているように感じます。

「正直」であるということは、大事なことだと思うんですね。個人的には。
自分にとってなにがしか原理めいたものを言えと言われたら、今は、「正直」あるいは「自然体」をあげたいですね。

そして、そこから導かれる基本方針が、

「無理をしない。我慢もしない。」
「来る人拒まず。去る人追わず。」

です。

こう書いてみると、なんか、ダメ人間のつぶやきみたいですね(笑)。
でも、これぐらいの目線というか、期待値の方が、自分みたいなヘタレには気が楽で、無理無理に追い込むよりかえっていい結果も生まれる気がするんですよね。

もちろん、「無理をしない」=「がんばらない」ということではありません。自己保存のためには一生懸命がんばらないといけません。特に私のような才能の乏しい人間ならなおさらのことです。それに、他者や社会との関係で責任や義務をともなう場合には、それを果たすのも当然のことですよね。

それはそれとしても、これからの時代、こんな醒めた目線があった方がいいのかもしれませんよね。熱気、高揚感、絶え間ない成長と自己実現、そんなイケイケが満ちた世界が続くようには思えないので。いろんな意味で。

もっとも、こんなこと言いながら、無常観や虚無に突っ走ることもなくて、俗物だからでしょう、私の場合、幸運なことに、ほうっておいてもそこそこ現実的な規律が働くようです。
そもそも他者や社会との関わりを離れて「自然体」を規定することなどできず、その意味ではすでに歯止めがかかっている話なんでしょうね。
実際、こんなこといいながら、箱根駅伝を見たら、命を燃やすって素晴らしい、おし、俺もがんばろう、と思った。よく言われますが、本当に雑だ。
たぶん一年後にはまた考えが変わっているので、あまり気にしないでください。

ともかくも、私は、いつも無理も我慢もせず、かまえることなく、自然体でいるということです。ですので、2010年も、どうか気楽に絡んでください。私の方からもそうさせていただきます。

・・・
ところで、どうでもいい話なんですが、

「日米同盟深化が最重要」外相がトルコで外交演説
岡田外相は4日夕(日本時間4日深夜)、訪問先のトルコ外務省で同国外交官らを前に、日本の外交政策に関する演説を行った。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で悪化した日米関係の立て直しを念頭に、「日米同盟の深化」を最重要課題と強調した。
外相は日米同盟について、「日本外交の基軸であることは政権交代によっても変わらない。60年にわたって極めて大きな役割を果たしてきた」と評価したうえで、「さらに30年、50年と持続可能なものに深めていくことが重要だ」と表明した。
普天間問題については「在日米軍基地のあり方を巡って厳しいやりとりが行われている」として、結論を先送りした日本政府に米側が強く反発していることを率直に認める一方、交渉に関しては、日米同盟の深化を前提とする考えを示した。
東アジア共同体創設を視野に入れた「アジア外交の推進」は第2の課題に位置づけ、日米同盟を最優先する立場も鮮明にした。
これに先立ち、岡田外相は4日午後(日本時間4日夜)のダウトオール外相との会談でも、「私の仕事の半分は日米関係が占めている」と説明した。会談では日トルコ両国が、アフガニスタン復興支援やイランの核開発問題の平和的解決に向け協力することでも一致した。
(2010年1月5日01時14分 読売新聞)

言ってることはもっともだと思いますが、こんなことをトルコの人に言ってどうするんでしょうね。
「私の仕事の半分は日米関係が占めている」とか言われたって、フーンって感じですよね。

あと、ちょっと前のことになりますが、

「日米中は正三角形の間柄」山岡氏が米公使に
民主党の山岡賢次国会対策委員長は17日、国会内で米国のズムワルト駐日公使と会談し、日米中の3国関係について、「それぞれ同じように良好な関係を結んでいくということで、正三角形の間柄だと考えている」と述べ、日米関係と日中関係は「等距離」だとの考えを示した。
沖縄の米軍普天間飛行場移設問題については「日米関係(の問題)はそのほかにもたくさんある。普天間問題は一時棚上げしよう」と語った。
(2009年12月17日21時43分 読売新聞)

これも、わざわざズムワルトさんに言う話なんですかね。
中国の人に言えば喜ぶでしょうけど、米国相手には挑発しているようなものですね。そういうつもりなんでしょうか。
まあ、国対委員長が何を言っても政府とは関係ないといえば、それで終わる話ではありますが。

両方に共通するのは、自分の考えは誰に対しても同じように言えば良いと思っているような、そんな印象を受けることなんですね。
たしかに岡田外相は悩みまくっている心境と自らの信念を正直に述べたのだろうし、山岡委員長も自分の理念を率直に語ったのでしょう。
でも、わざわざ相手に向かって「他の仕事の方が大事」みたいな言い方しなくてもいいと思いますけどね。腹を割って話したんだ、ということなら、終わったあと外に言う必要もないわけで。ちゃんと相手を見て話しているのかな、と思います。これも政治だ外交だという話ではなくて、常識的な目線で気になりました。
あるいは、東アジア共同体との比較といい、なんか内向きのメッセージな感じもしますね。そういうことを考えると、経緯を知らない私の雑感はナイーブかもしれません。でもそうだとしたら、それはそれで、国内事情のために外交を利用するのもどうかと思ったりもしますね。

これに限らず、大見得を切ったり、なにか難しいことをするのではなくて、当たり前のことを淡々と確実にこなしていくことが、まずは一番大切だと思うんですけどね。特に政府の場合。

私自身も、今年一年、まずはやるべきことをちゃんとこなしたいと思います。

だいぶふらふらしましたが、意外と、最後はまとまった。よかった(笑)。

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そんなわけで、およそ新年の挨拶らしからぬ適当さですが、よろしくお願いします。
皆様にとってよい一年になりますように。

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