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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



すっかりまた間隔があいてしまいました。このところの猛暑でバテ気味ですが、元気にやっています。

最近は学生の人たちと話す機会が多かったです。ちょっと疲れましたが、私は基本的に自分と異なる世代の人と話すのが好きな方なので、これはこれで楽しい経験でした。一言で印象を言えば、思ったよりは、自分が学生だった頃と感覚はそう違わないのかな、ということです。私が学生だった時分は携帯電話もインターネットもようやく普及しだした頃で、情報の流通具合は今とは格段の違いがありました。これだけお手軽に情報が入手できる時代、どんな若者が育つのだろう、若くしてものすごい知識と思索を身につけた人たちになるんじゃないか、まさにアンファン・テリブル、後世畏るべし、なんて思ってましたけど、意外とそんなに世代の格差は感じませんでしたね。なんだかほっとしました。

まあ、考えてみれば、いくら情報が入手しやすくなったとはいっても、興味のない人はそもそも情報を探そうともしないわけですから、みんながみんな単純に頭が良くなるというものでもないんでしょう。それに、やはり時間は有限なわけで、ネットやスピーディーな情報ばかりに飛びついて時間を費やし、本を読むとか真面目に授業を受けるとか一見遠回りで時間がかかりそうだけど、実は長い目で見るとしっかり身に付くものに割く時間がなくなっている、なんてこともあるのかもしれません。ただ、まあ情報難民というか、昔なら内向的で友達付き合いも少なくて、世間の動きをキャッチできなくなる危険もあったように思うのですが、そういう人が減ってきている、ということくらい言えるかもしれませんね。新聞やテレビ以外にも色んな形で、低コストで情報を得られるようになって、基本的に良いことだろうと素朴に思います。

学生の人を見ていると、あー、こういう人は評価されるだろうなあ、とか、この人はこのへんをどうにかすればいいだろうになあ、とか思います。自分のことは棚に上げての話ですが(笑)、思うのは、まず最低限の知識はどうしても必要なんでしょうね。若い頃はポテンシャルが重要であって知識なんてどうでもよい、むしろ丸暗記が連想されて、自分で考えたものではないとか言われて有害ですらある、とかよく言われる気がしますけど、私は暗記自体は悪いことではないと思います。まず基本的な知識がないと、自分で考えることすらできないんじゃないかと思うんですね。

本当に重要なのは知識の多寡ではなくて、その物事をどうとらえるかといったセンスとか、他の物事と関連づける能力といった、バランス感覚とかアンテナの張り方なんですけど、基本がないとそれが変な方向で定まってしまうものです。ファクトとか基本的な知識は、沢山入手しても、それを自分なりのストーリーに組み立てるのには時間もかかるし苦労するから、特に若い頃はそうですが、他の人(特に特定分野の専門家ではなく、「評論家」や「思想家」みたいな一般論・抽象論であらゆる事象を語るタイプの人)が作ったストーリーに飛びつきがちになるのではないかと思います。その方が楽ですからね。ただ、学生の頃に得られる知識や経験なんて知れたものなのに、こういう特定の人の問題意識に染まってしまうと、その観点からしか物事をとらえられないようになり、変にねじくれたような思索や斜に構えた見方をするようになってしまいます。そうなると、以降の情報の入手・消化の仕方が定まってしまいますから、どんどんそっちの方向で頭が固まっていきます。もったいないことですよね。

面倒なことですが、オープンなマインドで、謙虚に情報を入手し続けること、自分なりの視点を作りながらも、それをいったん壊してまた再考することをおそれないこと、そういうスタンスが大事なんだろうと思います。これは若い頃に限らない話なんでしょうけど、特に学生のときが重要なんじゃないでしょうか。

ともあれ、学生の人たちを見て、色んなことが勉強できて、未来に無限の可能性があって、なんだかうらやましく思いました。あと、やっぱり携帯とかメールで手軽にコミュニケーションできるというのはいいことですね。私が大学生だった頃は友達に連絡するには自宅の電話にかけなければならない時代でしたから、異性との距離を縮めるにも今よりずっとハードルが高かったわけです(笑)。こういう意味でもアンファン・テリブルですね。と、おっさんくさい感傷で失礼します。

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