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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



ちょっと前のことになりますが、佐藤優『国家の自縛』を読みました。前作『国家の罠』と同様、専門的知識と優れた知性を有する現役外交官による発信として、大変興味深いものでした。書き手のバックグラウンドを考えると色々な意味で注意が必要と思います。また、全ての箇所に同意するわけではありません。しかし、専門のロシアや宗教の見方など大変示唆に富んでいて勉強になります。何よりも、読み手を引き込むような、かえって警戒心を抱かせるほど巧みなプレゼンテーションは、まさに情報のプロならではものと思いました。

共感したのは、哲学や思想、歴史に関する理解を深めることを通じて現実の姿をとらえようとする姿勢です。著者は、ネオコンの思想的バックグラウンドを探求したり、北朝鮮を知るためには、まず金日成の発言録の全てに目を通し、その思想の中身や背景にある事情の理解に努めることなどを指摘しています(外務省の朝鮮問題専門家はその種の一次資料の研究やポイントの整理を積み重ねていることと個人的には推察しますが)。これは、ある国やイシューについての対応を考えるに当たって、一種の基礎研究を尽くすことの重要性を説いているのであり、僭越ながら、以前拙ブログで述べた「歴史を知ることの大切さ」の趣旨と通じるように思います。すでに記事で述べた通りですが、外交問題を考える上で、日々の短期的な動きを追うのみならず、歴史や思想といった中長期的な動きを決定する要因に注意を払い、基礎研究的な分析を突き詰めることは、実際にとるべき施策に直接の影響を及ぼすとは限らないので迂遠に見えますが、実は大変重要な意義を持っていると思います。

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「歴史の感覚」の記事で少し触れましたが、歴史や思想を知る上で大切なのは、歴史というテキストそのものを見ると同時に、その歴史を描いた者の意図や思想的背景を理解することと言われます。カーは「まず歴史家を研究するべきである」と述べましたが、それは歴史がその歴史を描いた者を支配する思想や意図を離れて存在することはできないものであり、何があったかというファクトを明らかにする科学的思考と同時に、歴史を描く者がそうしたファクトをどう選別し紡いでいくのか、どういった考えに立脚しているかを見ることこそ重要であるということを述べているのだと思います。

例えば、米国の歴史学について述べれば、「米国には封建制がなかった」「米国は生まれながらにしてロック的な自由主義の伝統を保持した」という説が通説的な見解としてしばしば言及されます。この説を唱えたのはルイス・ハーツという歴史学の泰斗であり、米国の固有の特質を明らかにした説得力のある主張として、今なお高く評価されています。

一方で、ハーツの説をそのまま理解するのみならず、彼が活躍した時代の風潮を知ることも重要と思います。ハーツのほか、ブアステインやホフスタッターら傑出した歴史家を輩出した50年代の米国の歴史学は、概して米国の同質性を強調することに重きを置く傾向があった(consensus historians)と言われます。しかし、それ以前のターナーやビアードといった前世代の歴史家たちは、米国の特質の連続性よりも、様々な勢力間の抗争と対立から生み出される動的で断続的な発展を強調しました。また、ハーツらの次世代として登場し、アナル学派的な社会経済史のアプローチを重視したウィリアムスなどの革新主義学派や、70年代半ばに登場し、欧州世界(大英帝国)からの延長としての植民地時代以来の米国像を見出しつつ、ロック的自由主義よりも共和主義の伝統の意義を強調したポーコックやベイリンらは、伝統的な歴史学と異なる新しい視角を提供しました。

米国に限らず、中国にせよ他の国にせよ、ある地域の理解を深めるためには、こうした思想や哲学のそれぞれの「中身」のみならず、それらがお互いにどういう関係にあるのかといった「歩み」を丹念に知ることも重要ではないかと思います。例えば、伝統的な共和主義の思想(人間の平等や多数決といった狭義の民主主義とは淵源も根幹の内容も異なるもの)を知ることは、現代の米国の保守主義者を理解する上でも参考になります。また、よくビジネス雑誌などで、「歴史から学ぶ」として、三国志や戦国時代や明治維新などを題材とし、一種のロマン主義的な「物語」としての歴史やその時代の人物の活躍を現代に当てはめる試みがありますが、それはそれで意味のあることとは思うものの、中国の「正史」の考えに立った歴史叙述や小説が基本的には「文学」である点には注意が必要ですし、より重要なのは、それぞれの歴史資料を書いた人々のねらいや社会背景といった、資料の背後にある真実を探る姿勢ではないかと思います。

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「民主主義国家における外交」で述べましたが、そういった勉強をする上で、その道の専門家の知見を頼りにすること、あるいは自分にこだわりがあればその専門を突き詰めることは、非常に大切だと思います。

米国の歴史に戻ると、米国の姿について、その国の研究者の間でさえ様々な評価や分析が存在しますが、どの論が正しくてどの論が間違っているということは、なかなか一概に言うことはできないように思います。現実は多様ですし、見る視角や状況によってその評価は異なることがあります。異なる説が並存していることは、いずれも見逃すべきでない現実の一面を突いていることの裏返しということなのかもしれません。

こういった多面的な見方や、自己中心的な視点に陥るリスクを絶えず意識しつつ、他者の視点を通じて客観的な思考を模索することは、私は非常に重要なのではないかと思います。フランス人であるトクヴィルが短い滞在の中で的確に米国を描写したように、外にいる者だからこそ見出すことのできる現実の姿というものもあると思います(あるいは、この時点での米国がやはり欧州世界の延長にあったということも影響しているのかもしれませんが)。

日本自身の歩みを考える上でも、こういった視点は重要ではないかと思います。日本の歴史学においても、先人が積み重ねてきた思索の成果というものは驚くべきものがありますが、津田左右吉や内藤湖南のような碩学の間にも見解の相違があったように、様々な思考の可能性が存在しています。こうした知の営みを謙虚に受け継いで、夜郎自大的な考えに陥ることなく、絶えず試行錯誤を繰り返していくことが重要なのではないかと思います。

いつもながらの言い訳ですが(笑)、こんなことを言いながら、自分にそうしたことができていると言うつもりはまったくありません。こんな風にありたいなあ、と言いっ放しで、実践が伴っていません。平易な言葉で専門家ならではの知見を提供してくださる同時代の方々(マーケットに通暁されているぐっちーさんや馬車馬さん、米国史を研究されているオッカムさんなど)や偉大な先人の見解を見て、素人に過ぎない自分にはとてもこんな発信はできないなあと嘆息するばかりです。一生懸命、だけどマイペースで勉強するしかないなと思います。

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前編の続きです。>

■ 思い入れの深い映画5本(続き)

<邦画>

○『用心棒』(黒澤明1961)
あえて私が挙げるまでもない名作ですね。仲代達也のマフラーがいいです。

○『忘八武士道』(石井輝男1973)
丹波哲郎演じる虚無的なサムライ明日死能(あしたしのう)が見せる異次元空間的時代劇。血、裸、舞踏の石井輝男ワールドが炸裂する。

○『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦1979)
中学校の理科教師である沢田研二が自宅で原爆を製造し、日本政府(というか不死身の鬼刑事:菅原文太)と死闘を繰り広げる、日本映画史上最凶(?)のアクション映画。この映画と『魔界転生』のジュリーは最高にクール(狂)でした。

○『キッズ・リターン』(北野武1996)
青春の光は強い。それだけに影も濃い。安藤正信と金子賢、触れただけでこわれてしまいそうな少年たちの、命を燃やすかのような一瞬の輝き。オープニングの疾走感とラストの切なさが忘れられません。「俺たち、終わっちゃったのかな。」 「バカ、まだはじまってねえよ。」

○『Focus』(井坂聡1996)
この狂気は、素なのか、演技なのか。浅野忠信の持ち味が最大限に発揮された作品ではないかと思います。できたら前知識なしで見て下さい。

<アニメ映画>

○『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)
子どもの頃から「日曜洋画劇場」などで繰り返し繰り返し見た作品です。まさかこんなに昔の作品だったとは・・・。

○『機動戦士ガンダム(3部作+逆襲のシャア)』(1981-1982、1989)
お約束ですが、幼少期の人格形成に大きな影響を及ぼした作品です。映画版『伝説巨神イデオン』も色々な意味で衝撃でした。

○『幻魔大戦』(1983)
実はこれが初めて劇場で見た映画です(それもどうかと思いますが(笑))。同時上映が『バンデッドQ』で、大変濃厚な4時間でした(笑)。大友克弘のキャラクター、透過光を使ったオーラの描写、角川映画らしい英語の主題歌が思い出深いです。

○『カムイの剣』(1985)
パソコンゲームや原作者の運営するパソコン通信での掲示板などもあって、思い出深い作品です。主人公の声を当てたのは真田広之。宇崎竜童と林英哲の音楽も渋かったです。

○『天空の城ラピュタ』(1986)
説明の必要もない作品ですよね。音楽も大好きです。ラピュタが姿を現すシーンとラストのロボットの後姿が好きです。

■ 思い出深い俳優5人と出演作

<外国人>
○ゲイリー・クーパー 『モロッコ』『摩天楼』
まつげの長さとちょっと猫背でぬっとした容姿が、まさに古き良き粋なヤンキー。

○バート・ランカスター 『ヴェラクルス』『山猫』
名前から明らかな、貴族の血を反映した容貌。でも、ちょっと道をはずしたというか、ドス黒く汚れた貴族。そこがいい。

○マーロン・ブランド 『欲望という名の電車』『波止場』
若い頃のエネルギーみなぎり暴走感がいいです。デブになってからはどうでもいいな(笑)。しかし若い(『暴力脱獄』などの)頃のポール・ニューマンは本当にブランドとかぶりますね。本人は反発したそうですが。

○クリストファー・ウォーケン 『ディア・ハンター』『デッドゾーン』
知的で、病的な中に、青白くまがまがしい炎を宿したような俳優です。全然ハリウッドらしくないですね。

○ロバート・カーライル 『トレインスポッティング』『フェイス』
英国人。出演作はほとんど見てますが、しぐさの一つ一つにいいようもない味があり、何も起こらなくても全く見飽きません。すごいと思います。

<日本人>
○三船敏郎 『七人の侍』『羅生門』
やはり日本が誇る大スターですね。

○勝新太郎 『座頭市』『御用牙』
公私ともにスケールでかい(笑)。ダーティ・ヒーローの代表ですね。

○千葉真一 『直撃!地獄拳・大逆転』『柳生一族の陰謀』
千葉ちゃんこそ日本の至宝。モノホンのアクション俳優です。

○松田優作 『蘇る金狼』『家族ゲーム』
夭逝が惜しまれますが、まさしく伝説の俳優ですね。走る、跳ぶ、撃つ。現実離れしたような豪快な立ち回りが本当に美しい。

○浅野忠信 『Helpless』『バタアシ金魚』
得体の知れない雰囲気は右に出る者がいません。透明のようでいて、芯の通った存在感。魅力的です。

#こんなことを書いていると淀川さんみたいに見られそうですが、断っておくと私は衆道とは無縁です。念のため。

■ バカ映画5本
必ずしも悪い意味ではなく、その空気を読めない独走ぶりに得体の知れぬ神秘性を感じさせる作品たちです。

○『汚れた英雄』(角川春樹1982)
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった角川春樹氏が初メガホンをとった作品。おそらく氏の鶴の一声で決まったであろう「だいたいこんな感じ」理念が先行し、中身がついていかなかった空回り感に満ちています。数少ない見どころはオープニングと黒光りする草刈民雄の肉体でしょうか。

○『エリミネーターズ』(ピーター・マヌージアン1986)
中学生の妄想が具現化したかのようなセンス・オブ・ワンダーSF映画。ガンタンクの失敗作のようなサイボーグとナイスバディの女科学者が巨悪に戦いを挑みます。忍者も登場します。新宿あたりにある安売りビデオが積んであるワゴンで『デルタ・フォース』などと一緒に発見できると思いますので、興味のある方は探してみて下さい。

○『北斗の拳』(トニー・ランデル1992)
ユリアを鷲尾いさ子が演じていることは知っていても、リュウケンをマルコム・マクダウェルが演じていることに気づいた人は少ないでしょう・・・というトリビアを空しくさせるほどのトホホぶり。しかし、『RED SHADOW/赤影』『ハットリくん』『デビルマン』『キャシャーン』など昨今の少年漫画の実写映画化ブームを契機に、再び脚光を浴びることもあるかも・・・ってそんなわけないだろ!(おおむね失敗しているところも共通しているようですが・・・もっと昔なら、『ドカベン』や『ドーベルマン刑事』など面白い作品もあるんですけど。)

○『シベリア超特急』(水野晴郎1996)
あまりにも有名なのでコメントは控えます・・・が、水野晴郎は『落陽』でも山下奉文を演じていて、クリント・イーストウッドの声は山田康雄みたいなレギュラー感が勝手に創出されてますけど、いいのかなあ?

○『鬼畜大宴会』(熊切和嘉1997)
この作品を最後まで正視できる人は何人いるのでしょうか。あまりのアレぶりに、かえって製作者に対する猛烈な好奇心がわきました。

『ドカベン』『パンツの穴』『恐怖のヤっちゃん』『卒業旅行~ニッポンから来ました』などのちょっと昔の日本映画にも言葉にできない異様な味を感じました。クセになりそう(私だけ?)。

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音楽バトンTV番組バトンに続いて、雪斎さんからいただいた「映画バトン」、遅ればせながら試みます。
雪斎さんに倣ってカテゴリーを勝手に増やした結果、長くなってしまったので、二回に分けることにします。

■ 最近見た映画
○『春の雪』(行定勲2005)
原作ファンでしょうか、観客に年配の方も多かったです。ちょっと長すぎのような。原作を読んだ人でないとつらいかも。大正時代の風景や雪が降る場面の映像は美しいです(カメラマンは『恋々風塵』などホウ・シャオシェンの映画を担当していた人とか)。

■ 思い入れの深い映画5本
作品の面白さもさることながら、鑑賞した当時の個人的な事情もあって思い出深いものを選びました。

<外国映画(英語圏)>

○『街の灯』(チャールズ・チャップリン1931)
「You...」
チャップリン扮する乞食と盲目の美少女との触れ合いを描いた悲しい喜劇です。映画史上屈指の、美しくも残酷なラストは、サイレントだからこそ生まれた奇跡のような感動を与えてくれます。チャップリンの映画でもう一つ選ぶとしたら『殺人狂時代』ですね。

○『アラビアのロレンス』(デビッド・リーン1962)
「Nothing is written! I shall be at Aqaba!」
言わずと知れたLawrence of Arabiaの活躍を描くスペクタクル。スケールといい音楽といいオープニングといい、まさに映画の醍醐味に満ちた大作です。主人公のみならず、脇を固めるアレック・ギネス、オマー・シャリフ、アンソニー・クインが滅茶苦茶カッコイイ。(というか、主人公はちょっとアレな人なんですよね。それがまた面白いんですが。ピーター・オトゥールは『将軍たちの夜』でもやはりアブナイ人だった(笑)。)

○『時計じかけのオレンジ』(スタンリー・キューブリック1972)
「Being the adventures of a young man whose principal interests are rape, ultra-violence and Beethoven.」
レイプと超暴力とベートーベンに魅せられたアレックスの冒険譚。キューブリックの映画はどれも激しく素晴らしいと思いますが、選ぶとしたらこれですね。この作品が魅力的に見えるのが人間の業の深さでしょうか。

○『狼たちの午後』(シドニー・ルメット1976)
「The Dog Day Afternoon」
実話を元に、アル・パチーノとジョン・カザールが起こす銀行強盗騒ぎを描いたアメリカン・ニューシネマの名作。米国の影をユーモアを交えて浮き彫りにします。個人的な事情もあって思い出深い作品です。アル・パチーノは『ゴッドファーザー』と『スカーフェイス』で定着したギャングのイメージが強いですが、個人的にはこの映画や『哀しみの街かど』、『セルピコ』、『スケアクロウ』といったニューシネマの頃の青白く線の細い若者の役が好きです。

○『タクシードライバー』(マーチン・スコセッシ1976)
「You talkin' to me? 」
ジョージ・ウォレス狙撃事件を元に、米国のダークサイドを描ききった傑作。この頃のデニーロの活躍は、本作のトラヴィス役をはじめ、一つの時代を代表するほどのものでしたね。

(番外)
○『フェリスはある朝突然に』(ジョン・ヒューズ1986)
「You're still here?」
数ある青春映画の中で「米国若者事情」で触れた『ブレックファスト・クラブ』とともに、心に残る珠玉の一本です。高校生の「突然」の一日をさわやかに描き、青春の胸の高鳴りがグッときます。ラスト、エンドロールがもう終わるかなー、というところで・・・いい意味で「やられた」気分になります。

<外国映画(非英語圏)>

○『処女の泉』(スウェーデン:イングマール・ベルイマン1960)
中世の北欧を舞台とした、娘を殺された父親の復讐の物語。静謐で美しい画像、マックス・フォン・シドーの異様な存在感、『ヨブ記』を思い起こさせる宗教性の強いストーリーが強い印象を残します。

○『エル・トポ』(メキシコ:アレハンドロ・ホドロフスキー1969)
異次元世界のような荒野でガンマンが様々な敵と死闘を繰り広げ、ハーレム状態になり、地底でフリークスと出会い・・・とまったく説明不能な作品ですが、一度見れば忘れられない衝撃を与えます。ジョン・レノンが版権を買ったことでも有名です。

○『アポロンの地獄』(イタリア:ピエル・パオロ・パゾリーニ1969)
「オイディプス王」ですが、冒頭と最後の現代への橋渡しが面白いです。パゾリーニの映画は、もしかしたらただの変態が撮っただけかと思いますが、なぜか異様な芸術性を感じてしまいます。それにしても、ヤコペッティのモンドもの、マカロニ・ウエスタン、アルジェントやフルチなどの流血系ホラーを見ると、エログロと芸術を両立させるイタリア人の感性には驚かされるばかりです(笑)。

○『ニュー・シネマ・パラダイス』(イタリア:ジュゼッペ・トルナトーレ1989)
と思うと、イタリア人はこういう映画も作るので油断できません(笑)。映画を愛する少年と技師の物語です。見た当時、学生でしたが、ズルイ映画だと思いながら泣けました。

○『アンダーグラウンド』(ユーゴスラビア:エミール・クストリッツァ1995)
旧ユーゴ独立を題材にした一種のファンタジーです。普段見慣れた映画の規格を逸脱したような、不思議な余韻の残る映画です。

(番外)
○『シティ・オブ・ゴッド』(ブラジル:フェルナンド・メイレレス2002)
最近の映画の中から一本。ファベーラ(貧民街)の少年たちの凄惨な日常を描いた、ブラジルのパワー全開の社会派エンターテイメントです。ちなみに音楽も有名な名作『黒いオルフェ』は実はフランス映画なんですよね。

<外国映画(アジア映画)>

○『ゴッド・ギャンブラー』(バリー・ウォン1989)
香港の猥雑なエネルギーが凝縮したかのような快(怪?)作です。チョウ・ユンファの汚れぶりを含め、豪華キャストの暴走ぶりが痛快です。何となく昔の日本映画の無茶苦茶ぶりを彷彿させます。

○『覇王別姫』(チェン・カイコー1993)
京劇と中国の現代史をテーマに、壮大な時代の流れとその中で生きる人のはかなさを描いた大作です。その内容に丁関根など共産党幹部が激怒したと言われ、国内では当初公開が禁じられました。自殺したレスリー・チャンの姿が切ない。

○『恋する惑星』(ウォン・カーウァイ1994)
ウォン・カーウァイの映画はそれほど好きではないのですが(物語がどうというよりは、ミュージックビデオのように雰囲気を楽しむのでしょうね)、この映画は、フェイ・ウォンの「夢中人」(オリジナルはクランベリーズの「Dreams」)を聞くたび、香港への旅行など、見た当時(学生時代)の思い出が蘇る切ない作品です。

○『鬼が来た!』(チアン・ウェン2000)
日本の敗戦直前の中国の農村を舞台に、村民と日本兵との交流と戦争の不条理を描いた作品です。壮絶なストーリーと最後(カラーに切り替わる瞬間)まで根底に流れる不思議なユーモア。140分の時間を感じさせない優れたエンターテイメントでもあります。

○『ブラザーフッド』(カン・ジェギュ2004)
朝鮮戦争を題材にした韓国版『プライベート・ライアン』ですが、個人的にはこっちの方が面白いです。「ここまでやるか」というほどの自らの歴史に容赦ない凄惨な描写。過酷な状況の中で変わることのない兄弟の愛。ちょっとくどいですが、私は泣かされました。韓国人からよく勧められる映画の一つです。

<後編に続く。>

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先週、「さくら一派の会」(仮称)が催され、かんべえさん、雪斎さん、さくらさん、ぐっちーさん、副会長さん、雪斎さんのお友達とステーキを食べました。いつもながら多種多様なテーマについて興味深いお話をうかがい、頭もお腹もいっぱいになりました。特にかんべえさんと雪斎さんがすでにおっしゃられていますが、ぐっちーさんのマンデル先生の話は面白かったです。マンデル教授といえば、国際経済をかじった者であれば誰しも「マンデル・フレミングモデル」を思い起こす大家ですが、国際経済がご専門というだけあって、カナダ生まれ、MITとLSEで学び、シカゴ大学とコロンビア大学で教鞭をとり、趣味はイタリアの古城修復という真の国際人であるやに聞いていたものの、中国などアジアへの造詣も深かったとは驚きでした(中国政府のアドバイザーもしてるとのことですね)。しかもギャンブルも強いというケインズを彷彿させる実践ぶり。恐れ入りました。

他にも政治やらプロレスやら色々な話題に及びましたが、会合の所期の目的は阪神優勝を祝うことだったようなので(リーグ優勝を目撃したのが初めてだったので、私は実はどちらかといえばロッテを応援していましたが、それを言える雰囲気ではありませんでした(笑))、野球も話題になりました。かねがねブログを通じて知っておりましたが、副会長さんの野球に対する思い入れには感銘を受けました。あと、ぐっちーさんが中日にプロ入りした川又米利に投げ(て打たれ)たことがあるというのも衝撃でした(言ってよかったですか?)。

今更という感じですが、日本シリーズ、ロッテは強かったですね。私は半年前まで米国に住んでいたので気づかなかったのですが、今のロッテのユニフォームってカッコイイですよね。ユニフォームのデザインがいいとチームは強くなるんじゃないでしょうか(笑)。やはりマリーンズ創設時のようなピンクの文字が光った浮ついたデザインでは迫力がないものです。巨人も西武も私がピンとくるのは80年代の強かった頃のユニフォームです。中学生のときに「外国人選手が打つかは名前で分かる」理論を思いついたものですが、「チームが強いかはユニフォームで分かる」という仮説もできそうです。

しかし、日本シリーズは、どちらが勝つにせよ、7戦までいってほしいというのが私の願いですので、4タテは残念でした。90年の西武-巨人以来かな?と思ったら、2002年巨人-西武もそうだったんですね(90年のシリーズは西武の無法な強さがかえって面白かったですが)。思い深いシリーズは、83年西武-巨人、86年西武-広島、89年巨人-近鉄、91年西武-広島、92年西武-ヤクルト、93年ヤクルト-西武、いずれも4勝3敗ですね。(もちろん85年阪神-西武もいいですよ(笑)。昨年と一昨年は米国にいたため残念ながら断片的にしか見ませんでした。)86年は史上初のシリーズ引き分けを生んだ山本浩二の東尾からの右方向への一撃と工藤のサヨナラヒットと秋山のバック転、89年は加藤哲対駒田、91年は佐々岡、92年は岡林・・・とこのあたりのシリーズは、主役級が故障もなく出揃ってそれぞれが持ち味を発揮して面白かったですね(93年はシーズン中盤まで奇跡の防御率0点台を維持した伊藤智仁がリタイアしたのが残念でしたが)。

大リーグのシリーズの方は結局あまり見なかったのですが、井口は安定していい仕事しているようですね。イチローがめずらしくインパクトの弱いシーズンだったようですが、日本人選手の活躍が当たり前になってきたからというところもあるのでしょうね。それにしても突破口を開いた野茂の偉大さは強調してもし過ぎることはないと思います。近鉄時代にあれだけ投げながら、大リーグでも同じぐらいのペースを維持して活躍を続けてしまうタフさ、紛れもなく球史に残る大投手ですね。

・・・

さて、前置きが長くなりましたが、以前、日米の野球交流に関する英文のエッセイを掲載しましたが、このエッセイを書いた当時、米国人の友達から結構な反響があり、ある米国の機関で講演を頼まれました。野球に関する雑談で述べた通り、私は古くからの野球ファンですが、専門家ではありませんし、最近の事情には疎かったので、「いいのかな?」と思ったのですが、「ま、いいか」と軽く引き受けました。

ところが、元から興味がある人が集まったこともあり、なかなか盛り上がって苦労しました。特に質疑応答のセッションでは、意表を突く質問を次々にされて、日本のことをよく知らない米国人の日本野球、あるいは日本に対する見方の一端が分かり、興味深いと思いながら悩まされました。私の回答は拙いものでしたが、以下、質疑応答の一部をメモしておくことにします。

・・・

(問)日本人は個人主義を厭い、チームワークや儀礼を大切にする傾向があるやに聞くが、野球においてそういった面は見られるか。

(答)必ずしも良い例ではないが、犠打の多さ(一回表無死において初球から送りバントする川相選手や平野選手に言及)、記録達成に対するサポート(長崎対田尾の首位打者争い、バースやローズへの四球責めに言及)、風変わりな伝統の固守(80年代初頭は、開始のサイレンがなっているうちは開幕戦の初球を打ってはいけなかった)などは大リーグには見られず、日本人独特の感性によるところがあるかもしれない。一方で、最近の日本野球は大リーグのスタイルに近づいている印象もある。

(問)日本の応援スタイルは特徴的であると聞く。特にclapper(拍子木)のようなもの(注:二つのメガホンが合わさった応援用具を指している-ちなみに、この道具に決まった名称はあるのでしょうか?)を利用しているのを見たことがあるが、あれは何か。

(答)日本の応援団の組織力は有名である。彼らは応援する球団のユニフォームを着て、選手の応援歌を熱心に演奏する。間断なく音楽を流し続けるところに大リーグと異なる特徴がある。拍子木は、その音楽のリズムに合わせて応援を行うために利用する。応援団のパフォーマンスと応援歌の演奏は、球場の一体感を盛り上げる上で効果的な演出だと思うが、大リーグのようにメリハリのきいた個人主義的な応援の方が望ましいのではないか、という意見も聞くことがある。(ここで、日本に滞在したことのある米国人から、そもそも拍子木は火事の見回りの際に使われた道具である、という野球の文脈とかけ離れた文化論的な説明が入り、拍子木も火事の見回りも頭にない米国人を混乱させた。)

(問)王貞治以外の日本人プレイヤーを知らないが、偉大な選手は他に誰がいるか。

(答)長嶋茂雄は国民的英雄として知られている。王がベーブ・ルースとすれば、長嶋はゲーリッグとディマジオを組み合わせたタイプの選手である、と評する人もいる。

(問)日本のプロ野球は外部からの参入者に対して閉鎖的であるやに聞くが、事実か(注:この時点ではライブドアの参入の拒否が決まって間もない頃だった)。

(答)読売新聞社などの対応には、変化に乏しかった球界の保守的な風土が現れていたように思う。しかし、楽天やソフトバンクが加わり、これから変革の気運が高まると見られる。

(問)日本にリトルリーグは存在するか。

(答)野球は日本の子供の間で最も人気の高いスポーツの一つであり、少年野球が発達している。高校野球は、日本の伝統行事と見られるほど日本人にとって馴染み深いものとなっている。一方で、最近はサッカーの人気の高まりがあり、野球人口が相対的に減少しているとの指摘もある。裾野からの選手育成については、米国の成熟には及ばないという意見もよく聞かれる。

・・・

この他にもやたら色々なことを聞かれ、疲れました。しかし、「そういう角度からくるか」と驚いたり感心したりして、楽しめました。皆さんならどう答えられるでしょうか。

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世間では組閣の話題で持ちきりですが、巷間伝えられること以上に私から付け加えることもないので、マイペースで記事を続けます・・・が、ちょっとだけ述べると、組閣直後に中国人の知人と話したら、やはり安部官房長官が最重要関心事項とのことでした。もちろん麻生外務大臣も重要視されていますが、これから様子見なのでしょう(実質的な意味があるかは分かりませんが、日中関係に関わりの深い二階経産大臣や額賀防衛庁長官の就任はおおむね好意的に見られているようです)。あとはポスト小泉が誰なのかに注意が向けられているというところでしょう。

さて、前回は普天間合意について、米側が最後に妥協してくれたのがちょっと意外だったと書きました。

気のせいかもしれませんが、何となく最近ラムズフェルド国防長官の存在感がかつてと比べると薄い気がします。例えばイラクについて言えば、ライス国務長官の議会での証言を見たブレジンスキーとウォルター・ラッセル・ミードが対談の中で、最近のイラクの政策は国務省が決めているようだ、と述べています。イラクと言えば国防総省、そしてラムズフェルドというイメージだった頃とは、ずいぶん状況が変わっているようです。

イラクは相変わらず苦しい状態ではありますが、憲法草案承認の国民投票を終えたのは大きな成果ではあります。最悪の結末はスンニ派が選挙に参加しないこと、次善の結末はスンニ派が参加して憲法が否決されること、最高の結末はスンニ派が参加して採択されることだったのですから、まずは上々の成果と言えますし、大がかりなテロもなかったのは何よりだったと思います。

(イラクへの自衛隊派遣を続けるかどうかは、難しいところです。各国が撤退を開始すれば日本も引き上げる良いきっかけになるというのも一つの考え方ではあります。C-130Hによる空輸やテロとの戦いという文脈ではインド洋の支援活動などはできるわけですから、陸自がいなければイラクの復興やテロとの戦いができないというわけではありません。しかし、サマワの安全が保たれている限り、派遣を続けるのも選択肢として十分あり得るとも思います。日米関係に与える意味はもちろんですが、長い目で見たイラクとの関わり方を考える上でも重要と思います。私は現地の事情を知らないので何とも言えませんが、正しい答えはない問題のように思います。その意味で、昨年12月の陸自の派遣延長の決断と同様、まさにリーダーの政治的判断が試されるところでしょう。)

ただ、イラク問題が政権に深刻な影を落としていることは事実です。

最近のブッシュ政権は支持率が40%を切り、明るいニュースもなく、苦しい状況にあります。特に、チェイニー副大統領、ディレイ下院院内総務、フリスト上院院内総務、ローブ大統領顧問、リビー副大統領補佐官といった「ブッシュ帝国」を支えてきた共和党の実力者たちが、ことごとくスキャンダルの疑惑に見舞われているのは、大きなダメージでしょう。ラムズフェルド国防長官は今のところ無傷ですが、チェイニーはじめ共和党の大物とは近い関係にありますし、昨今の暗いムードの中でなかなか目立った動きを見せられないように見えます。これらの保守政治家たちとはタイプが異なるライス国務長官が相対的に評価を上げ、イラクでの国務省のイニシアチブを見ても分かる通り、力を増しているようでもあります(次回大統領選挙への出馬を見据えて副大統領に昇格するというもありました)。

しかも、つい最近、オコーナー最高裁判事の後任となるはずだったマイアーズ大統領法律顧問の指名も撤回されました。前にも書いた通り、最高裁の人事は米国においては最重要のトピックの一つであり、ほとんど毎日この問題はメディアをにぎわせてきました。マイアーズ氏の指名は、その無名さと最重要の争点である中絶の違憲性に対する判断の不明確さから、味方であるはずの保守派から激しい批判を浴びてきたのですが、その厳しい状況に配慮しての撤回のようです。(この記事の草稿を書いたあと、サミュエル・アリト第3巡回区連邦控訴裁判所判事が指名されたとのニュースを見ました。アリト判事はスカリア最高裁判事の弟子で、あだ名は「Scalito」とか(笑)。マイアーズ氏と違って中絶反対のスタンスが明確なため、保守派から支持を得られる見込みのようです。)

一方で、ここ数ヶ月の間進められたブッシュ政権のインドの原子力開発への協力姿勢が波紋を呼んでいます。あれだけPSIなどを打ち出して大がかりに不拡散をかかげてきた米国が、なぜここにきてNPT体制の正統性を脅かすインドに融和的な姿勢をとるのか。NPTに入らない国が技術支援を受けることに問題はないのか。原子力供給国グループ(NSG)との関係はどうなるのか。法改正が必要とされるため、国内でも議会の反発は必至とされます。また、ベネズエラのチャベス大統領がアルゼンチンとの原子力協力を発表するなど、原子力政策に力を入れ始めたようですが、石油価格の高騰の一因を作り出していると見られるなど不穏な動きを見せるチャベス大統領と米国の折り合いは悪く、米国からの反発が予想されます。この点、イランへの対応と比較しても、米国の今回のやり方がダブル・スタンダード的であると批判されることはあり得るでしょう。基本的には中国に対する牽制を含めた戦略的な提携強化の一環なのでしょうが、どうなんでしょうか。どうも色々なリスクを計算して計画的に進めるというよりは、ちょっと雑なところがあるように感じます(この件に限らず米国の提案にはアバウトなものが結構多いのですが)。

うがった見方かもしれませんが、ブッシュ政権、それを支える共和党の有力者、国防総省(の一部分でしょうが)の影響力の低下がある中で、ハードライナーである国防総省や保守主義者よりも、エネルギー省や国務省(核不拡散に積極的だったボルトンに代わってロバート・ジョセフが軍縮不拡散担当国務次官となっていることも関係しているとのもあります)を活用して新しい打つ手を探しているように見えなくもありません。他の国も例外ではありませんが、大局的な合理性よりも組織の力学から政策が生まれることは往々にしてあるものです。特にリーダーシップが適切な形で発揮できない(人気取りなどに走る)ときには尚更で、それまでさほど政策に口を出さなかったけど、予算を豊富に持っている部署が政権の期待にこたえるべくちょっと強引なプロポーザルを出してしまう、ということはあり得る話だと思います(一般的な話であって、今回がどうとは分かりませんが)。

大雑把でとりとめもない話ですが、最近の米国政治について思うところを書いてみました。とりあえず、2006年の中間選挙までにどこまで共和党が暗いムードを払拭できるか注目されますね。しかし、何にしても、元気のない米国の姿を見るのは個人的には忍びないです。日本あるいは世界全体に悪い影響が及ばないことを祈るばかりです。

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