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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)の合意によって決められた普天間航空基地の移設問題の解決方法が、ようやく日米間で合意を見ました。これによって、長年にわたり日米間のトゲとなっていた米軍再編問題が、解決に向かって大きく前進することが期待されます。元々普天間基地の返還は、日米とも現在の政権が発足する前に決定されていた事項であり、米軍のトランスフォーメーションとは文脈の異なる問題でした。しかし、結果として、普天間をクリアしなければ米国の安全保障のトップ・プライオリティであるトランスフォーメーションが進まない状態となり、事態を前進させない日本側に対する米国の不満は、「最高の関係」にあると言われてきた日米関係に影を落としてきました。

「2+2」を目の前に控えた今回の交渉では、来日したローレス国防副次官やヒル国防総省日本部長が沖縄の関係者と直接接触するなど、米国の気合にはちょっと前のめりなくらい並々ならぬものがあったようです。ラムズフェルド国防長官の訪日が実現しなかったことが、事務方の必死な思いを強めたのかもしれません。報道によれば、事務レベルでの調整と政治的判断の複雑な絡み合い、普天間返還合意以来の防衛庁と外務省の相互不信、小泉首相と旧橋本派との関係、強力な政治的リーダーシップの不在、防衛庁次官の個性、地元の反対運動と着工をめぐる利権など、様々な利害の衝突があり、厳しい状況にあったようですが、粘り強い交渉の末、日米が妥協点を見出せたことは、小泉政権の大きな成果と言えると思います。もちろん、移設が実現するかどうかはまだ分からず、日本にとっては本当の試練が待っているのでしょうが。

米軍再編は、日本国内では関心が低いようですが、安全保障問題としては最重要のイシューの一つです。再編によって、機動的な軍の運用を目指す米国は、日本をより効率的な前線基地として利用できるようになり、ミサイル防衛の情報共有や共同研究、相互運用性の向上を通じて、自衛隊と米軍の「一体化」も進む(とはいえ、法的・技術的な障害から、実際のところどこまで「共同作戦」ができるかは疑問ですが-日本はbilateral(二国間協力作戦)はやるが、joint(統合作戦)はやらない(イラク多国籍軍における自衛隊のように「指揮」下には入らないが「統制」下には入る)というのが基本的な整理だと思います)という意味で、日本の防衛のあり方にも大きな影響を及ぼす問題です。日本特有の伝統的な安保アレルギー的な反発が予想されて然るべきですが、これまでのところ、専守防衛の観点からの批判は不思議と少ないようです。やはり基地の負担軽減が現実的な収穫として重視されているからでしょうか。

それにしても、最後の段階で米国が日本側の主張に合わせて妥協してくれたのには率直に驚きました。もっとも、最後の日米両サイドの提案の違いは、米国にとってはかなり細かい次元の話ですから、国防長官はおおまかなラインだけ了解して最終的な許可を出したのかもしれません。本件は、世界規模の米軍再編の中では一部を占める問題に過ぎませんし(日本だけがなかなか再編が進まないという事情はありますが)、米国内のメディアの取り上げもほとんどありません。むしろ、米国においては、国内基地の閉鎖が地域住民の雇用に与える影響が主要な関心事項であり、自らの選挙区の基地が閉鎖される議員は猛反対しています(前回の大統領選に民主党候補として出馬したリーバーマン上院議員はその急先鋒です)。ある意味で、日本国内と同様、再編そのものに対する一般的な関心はそれほど高くないのでしょう。

#なお、日本との交渉を担当する高官としてローレス国防副次官とヒル国防総省日本部長がしばしばメディアに登場しています。二人ともランクとしては官庁の局幹部相当になりますが、ローレス国防副次官はCIA工作員出身のアジア専門家で(主な担当は韓国)、政治任命に当たるハイレベルの官僚のため、官僚と言っても日本と比べると政治的リソースは大きいと言えます。ヒル部長はマンスフィールド・プログラムで防衛庁で一年勤務した経験がある日本語堪能ないわゆる「ジャパン・ハンド」です。本件のような高度に政治的な問題については、決定は相当高いレベルで行われるため、事務レベルでの人的なファクターが左右する余地は限られていると思いますが、テクニカルなイシューであることも事実ですから、事務的な情報の上げ方一つが結果を左右することもありえますし、その意味で現場での裁量も大きく、重要な役割を担っているとは言えるでしょう。

#ちなみに、実務レベルでの米国のアジア専門家には、軍人やCIA出身が多いことに気づきますが、これはこれらの組織の人事はきっちりしたローテーションが組まれていて、ある人が一旦あるコースにつくと、同じ地域に関わる勤務を繰り返すパターンが多いからです。在日米軍経験者の多くは「アーミテージ一家」として「ジャパン・ハンド」の中核を形成していますし、CIA出身者としては、中国大使・台湾事務所長・韓国大使などを歴任したジェームズ・リリーが大物「チャイナ・ハンド」として有名です(リリーもローレスも工作員時代にCIA所長だったブッシュ元大統領と親しくなったと言われています)。

<次回は、この話に続ける形で、ブッシュ政権の近況について思うところを述べます。>

【補足】
文章の最後のパラを一部変更しました(11月29日)。

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「民主主義国家における外交」記事に対して、HacheさんやM.N.生さんから興味深いコメントを頂きました。頂いたコメントを参考にしながら、現代における民主的な外交の意義について思うところを補足的に述べてみたいと思います。

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インターネットによってもたらされた情報化の発展は驚くべきものです。私のような者が、ネットという公的空間にテキストを載せ、それを世界中の人に見せることができるということは、ほんの10年前には考えられないことでした。海外旅行そのものが珍しかった70年代頃までは、小田実、石川好、本田勝一、梅棹忠夫、石毛直道といった、ある意味選ばれた人々の紀行文が、数少ない異国体験記として珍重され、それが日本全体の外国像の形成に大きな影響を与えましたが、今では、海外旅行や留学がより一般的になったことにネットの発展が加わり、かつてないほど多種多様な情報が世に出るようになっています。私のような凡人ですらたかだか4年の米国滞在経験を書き、こうして発信することができます。

外交問題について言えば、例えばイラクだのボスニア・ヘルツェゴビナだのと言っても、多くの日本人にとってはそれがどこにあるのかも検討がつかないような、まるで別世界の話だったのではないでしょうか。それが今は、子どもでも私の親の世代の方でも、ネットの検索一つで地理や歴史の基礎的な情報を探り当てることができます。財政、道路、郵政等の専門的な問題についても、かつては専門家でなければ把握しきれない難解さのために、密教化した世界が生まれ、誰にも口が挟めなかった事情がありました(それが官公庁という巨大なシンクタンクの権力基盤でもありました)。しかし、昨今の郵政改革をめぐるネット上の議論を見ても分かる通り、今や一般人でも比較的容易に必要な情報を入手し、高いレベルで独自の考察を行うことができます。

最近の情報化の進歩によって、プロ=実務家をしのぐ知見を持つ有識者が出てきていることもあり得ると思います。これまでもブログ・身辺雑記で述べてきましたが、特に公開情報によって問題点が尽きるようなイシューについては、情報収集のコストの低下によって、かつて特権階級的立場にあった学者やメディアや政府関係者と国民が同じ土俵で議論することができる方向に向かっていると思います。

この意味で、現在の情報化が生み出す利便には大きな意味があり、国民一人一人が必要な情報を入手し、正しい判断をする上で大きな貢献をしていると思います。同時に、現代においては、政治問題、特に外交のようにかつては一部のエリートに独占されることが当然視されていたフィールドにおいても、国民一人一人が果たす役割が大きくなっていると言えると思います。

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一方で、こうした情報化をめぐる状況は手放しで喜べるものではなく、ある種の問題もはらんでいます。

まず、世論の重みが増していることが指摘できると思います。かつてならリーダーや有識者が跳ね返すことができた一般人の言論が、ネットを通じた発信や議論のレベルの向上により、逆らえない強みを持つようになりました。これは基本的には望ましいことなのでしょうが、ときには多数の意見が社会全体にとって望ましくないこともあります。外交で言えば、交渉を担当している当事者でなければ知りえない事情もあります。問題によっては、国民を代表するリーダー・政府の判断に一任せざるを得ないときもあるでしょう。

また、あまりに多くの情報が転がっていることが、一つの思い込みの激しさを招く危険があります。ネットにはあらゆる種類のオピニオンが氾濫していますが、人間たるもの、それをバランスよく見るよりも、自分にとって都合の良い情報のみを選別しがちです。結果として、似た意見を持つ者同士が共鳴し、意見が極端になったり、連帯感が排他性を生むこともあり得ます。また、分かりやすさや手軽で即時的な効果が重視され、かつての古典に匹敵するような論の厚みが敬遠されてくる可能性もあると思います。

さらに、ナショナリズムの力が一層強まる可能性も指摘できると思います。ベネディクト・アンダーソンは近代的ナショナリズムの発展の一つの原因としてコミュニケーション技術(印刷・出版)の発達を指摘しましたが、昨今の情報化と世論の重みの増加が、国民の共同体意識に影響を与える可能性はあると思います(同時にコミュニケーションのグローバル化がボーダーレス化を促す面もありますが)。ナショナリズム自体は、アンダーソンが「共同体への無私の愛と連帯」としての本質を説明しているように、決してネガティブなものではないと考えられるのですが、それが「他者の否定」という思想につながるとき問題が生じます。戦後の教条的な左翼のように反国家的思想からナショナリズム自体を否定するのは愚かなことですが、自らの共同体を絶対視し、他に対する優位を主張する発想も、そもそもフィクションであるはずの政治的共同体に振り回されている危険性があると思います。

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では、情報化社会の便益を最大化するために、具体的にどのような態度で臨むべきでしょうか。この点については、「民主主義国家における外交」ですでに私見を述べましたが、せっかくの機会ですので、重複する部分もありますが、あらためて述べてみたいと思います。

まず、ある特定の分野について「専門」と言えるような理解を深めることが大切だと思います。仕事でも学問でも良いと思います。何か一つのことを深く知れば、自ずとその周辺からたぐって見えてくるものがありますし、様々な思考のツールを使って物事を論理的に考える力は、どの分野でも普遍的に必要とされるものです。細かい「知識」ももちろん大事ですが、先に述べた通り、単なる「知識」を入手することはさほど難しいものではありません。それよりも、その背景にある事情や思想やそれぞれの事実の連なりといった、なかなかはっきりと見えてこない本質や構造を理解し、それを自分なりに消化する思考のプロセスの力を強くすることが大事だと思います。その際には、ある分野についての専門家(特に学者)の知見、特に長きにわたって重きをなしてきた古典を謙虚に(同時に批判的に)理解し、常にオープンなマインドをもって、一つの思い込みにとらわれない柔軟なポジションをとることが望ましいと思います。

勉強はそれ自体楽しいものと思いますが、そうは言っても私たちには日々の生活がありますし、普段の仕事や学業をおろそかにすることはできません。ただ、何をするにせよ、自らが恃む専門的な知を深めることは、とても意味のあることだと思います。フーコーは、抽象的な理論や概括的な事実を知っている「普遍的な知識人」よりも、具体的な生活の場と直結する場から発信できる「特定領域の知識人」が現代においては求められると述べました。これは先に述べた通り、何よりも重要なのは、「思考」の強さと具体的な問題にひきつけることのできる能力であるということと通じていると思います。トリビア的な知識を増やすのではなく、日々の自らの課題に誠実に取り組んだ上で、その専門を超えた何かを探る努力を忘れないこと、それが大切なのだと思います。(例えば、ぐっちーさんのご専門は金融ですが、政治や社会問題についても鋭い分析をされています。現場を知る人だからこそ得られる思考力があらゆる分野に活かされているのだと思います。)

また、本や人からの話から得るものも大きいですが、同時に、自らが得た生身の体験を大切にすることも重要と思います。米国、中国、韓国などについて、一面的なイメージで結論を出すことは困難です。国家と社会との違い、社会全体と生身個人との違い、個人一人一人の違いを考えれば、単純に「米国(あるいは中国)はこうだ。」などと言い切ることが、いかに不適切なことか分かるでしょう(私たち日本人や日本が逆に同じことを言われたら、どう思うでしょうか)。国家や社会全体の動きをとらえることはもちろん大切ですが、それと同時に、その社会の中で生きる生身の人間のイメージを置き去りにしてはならないと思います。一人でもこれらの国に友達なり知人なりがいれば、あるいは短期間でも実際にその国を自分の目で見ることができれば、それはかけがえのないアセットになると思います。そして、オープンなマインドと重なるところではありますが、物事を自分あるいは日本の視点から見るのではなく、他者の視点も念頭において、冷静に相対的に考えることも大切ではないかと思います。

えらそうなことばかり言っているようですが、私も実践はさっぱりです(笑)。感情的になることも多々ありますし、自分には及ばないような知見を持った人たちを見て、自分の勉強不足を痛感します。率直に言って、学ぶことはできるけど自分が発信することは無理だなあ、と思います。この記事は自戒の意味も込めて書いています。やりたいことをやる、無理をせずやれるだけやる、そういう心構えで精進を続けていければいいんじゃないかと思っています。

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先日、「阪神優勝」について書いたところでしたが、調子に乗って野球ネタを続けます。

雪斎さんが日米の野球について書かれています。私も名曲「ミセス・ロビンソン」の中で突然「ジョー・ディマジオ♪」と出てくるところは、ちょっと不思議に思いながら気にせずに口ずさんで現在に至っていたのですが、なるほど、そういう意味だったのですね。『卒業』は米国の影の面を容赦なく描く「アメリカン・ニューシネマ」のはしりのような作品ですから、むべなるかなという感じです。

日米の野球交流については、英文エッセイを書いたことがありますが、当時米国人に見せたら、結構ウケてました。「ベーブ・ルースやゲーリッグが日本に行っていたとは知らなかった。」といった素朴な嬉しい感想がある一方、「読売巨人軍にジャイアンツの名称とユニフォームのデザインを助言したレフティ・オドゥールについて書いてない。」という鋭いツッコミも受けました。野球をめぐるオタク気質にも日米には似ているところがあるようです(笑)。

エッセイに書きましたが、太平洋を越えて、日本と米国がともに野球という共通のスポーツを愛していることはなかなか得がたい事実のように思います。ちょうど100年前に日米間の相互の遠征・交流試合が始まり、戦時中の中断はありますが(戦時捕虜や収容所の日系人で野球を続けた人たちもいました)、戦後の占領期には米国が「戦略的に」慈善ツアーを活用して日米の和解に努めたように、野球は二国間の交流に少なからぬ貢献をしてきました。助っ人外国人の活躍、メジャーでの日本人選手の活躍はもとより、日本でプレーした後にメジャーでブレイクしたり(フィルダーやソリアーノ)、メジャーで一度活躍してから日本で再び返り咲いたりするケースが出たり(伊良部や新庄)、メジャーあるいは日本の野球を経験することなしに他方の国でデビューする選手も現れるなど(マック鈴木や多田野)、日米の野球交流は新しい形を生み出しつつ、さらなる深化を見せています。小泉首相とブッシュ大統領のキャッチボールなど(両首脳は始球式を数多くこなす点も共通しています)政治のレベルでも野球は両国をつなぐ架け橋として象徴的な役割を果たしています。

日米野球といえば、隔年で行われるプロの交流試合を昔は興奮して見ていました。当時は今のようにメジャーの試合を手軽に見られる時代ではなかったし、メジャーと日本野球はまるで違うという意識が強かったので、本場メジャーのプレーが見られる楽しみのみならず、「助っ人外国人だけで編成されているチーム」と全日本との異種格闘義戦のような面白さに、新鮮な興味をおぼえていたように思います。川口や槙原がメジャー相手に堂々としたピッチングを見せたのには、公式戦の好投とは違う次元の感動がありました。90年に初めて全日本が勝ち越したときには、はじめに3勝したとき、次の先発は山沖と聞いて、うーんと思ったのですが(笑)、その彼が史上初の勝ち越しを決める勝利投手となったのは、オリックス・ファンの私には嬉しい驚きでした。この時はシグペン、フランコ、レイノルズなどその後日本でプレーする選手が沢山来た年で、最終戦ではフィンリーとランディ・ジョンソン(この試合で初めて見ましたが、こんな投手とても打てっこないと思いました)がノーヒット・ノーラン・リレーをやってメジャーの「本気」を見せてくれました。くたびれたベテランではなく、現役あるいは若手有望株のメジャー選手が日本に来るのがそれほど例外的なことではなくなったのも大体この頃だったように思います。

そういえば、『ミスター・ベースボール』という日米合作の映画もありました。ドラゴンズの監督を演じた(高倉)健さんのめずらしいユニフォーム姿が見られます(ご自身は野球の経験はないらしいですが)。最後に主人公の元メジャー選手(トム・セレック)がバントするのには、オイオイと思いましたけど(笑)。私は手堅い犠打も全然悪いと思わない(巨人と西武が手がつけられないほど強かったときには川相と平野が不動の二番でした)のですが、イチローやビッグ&リトル松井らはそうした堅実さだけが日本野球の特色ではないことを、米国本土でまざまざと見せつけてくれているように思います。

まとまりはありませんが、こんなところで。日本シリーズとワールドシリーズ、両方とも盛り上がりそうですね(あ、その前に日米ともプレーオフか)。

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遅ればせながら、9月29日の阪神優勝について、軽い雑談です。

何だか阪神は「強いチーム」という時代になってしまったかのようですね。今頃野球を熱心に観戦している小中学生の人達には「阪神=強い球団」という、私を含め多くの野球ファンが持っているイメージとはおよそかけ離れた認識が刷り込まれているかもしれません。

考えてみると、ホークスもまたすっかり「強いチーム」としてのイメージが定着していますが、これもまた、南海からダイエーになった頃が一番記憶に残っている私のような世代には隔世の感があります。当時のダイエーは本当に弱かった。ドラフト指名された元木に思い切り顔をしかめられたくらいですから(笑)。根本監督が就任し、ものすごい金を投入して松永や秋山やミッチェルやらを入団させ、かつて広岡監督が強権的なトレード、世代交代、玄米(笑)によって急激に西武を強くしたような大胆な改革を実行したわけですが、その効果が出るのは思ったより時間がかかったものの(このとき獲得したベテランで優勝時に活躍した選手はわずかでした)、やはりこの頃のテコ入れが契機になって地盤が固められていった気がします。

ちょうど話が出ましたが、自分の印象で「強い」チームはどこかと聞かれれば、当たり前の話かもしれませんが、西武ライオンズと答えます。何と言っても、82年から92年までの10年間、西武は文字通り「常勝軍団」でした。たまにペナントあるいは日本一を逃すことがあっても、実力的にはナンバー1であることは明らかでした。もちろん、93年以降もずっと強くて、優勝もしているわけですが、92年まで(特に80年代後半)の強さには、何か別格というか、「横綱」的なものがあった気がします(だからこそ、それを破った唯一のチーム、阪神タイガースは伝説になったんですよね)。

ちなみに、こんな風に言うのは別に私が西武ファンだからというわけではありません(笑)。ただ、私はスポーツなど勝負事に関しては、「強い者は美しい」というニーチェ主義者(?)なので、黄金時代の西武には惹きつけられました。三本柱や篠塚やクロマティが全盛だった頃の巨人も好きでした。無節操なミーハーだと言われそうですが、一方で、強いくせに地味で不人気なところにも妙に惹かれて、広島と阪急が大好きでした(私が見た中で最高と思える投手は大野豊です)。阪急がオリックスになって、イチロー人気で脚光を浴びるようになると、かえってちょっと白けたものです。もちろんイチローは素晴らしい選手です(私は彼を高校時代(投手)、入団直前(茶髪のロン毛だった)、ウェスタンリーグ(一年目から篠塚ばりの打撃センスと称えられ、ジュニアオールスターでMVPになった)から注目していました)し、オリックスもバランスのとれた好チームになったのですが(それでも個人的には松永、門田、石嶺、ブーマー、藤井、防御率5点台(笑)といういびつでおっさんくさい(笑)ブルーサンダー路線の方が好きだった)、メディアのアイドル的扱いに天の邪鬼的に反発したんですね。まあそれもいい思い出です。

振り返ってみると、野球をめぐる風景もずいぶん様変わりした感があります。私が学生の頃は、部活で野球をやっていようがいまいが、クラスで話すネタといえば、とりあえず野球あるいは相撲でした。スポーツ選手のスターと言えば何より野球選手でした。土地柄もあるのでしょうが、大体私の周りにいた連中の構図は決まっていて、巨人、アンチ巨人、パ・リーグファン(ロッテファンが多いが(笑)、おおむね中立的)に分かれます。西武と巨人の一方的な強さ(KK含む)、88年の「10/19ダブルヘッダー」(この時代のパ・リーグに代表される「野武士」的野球の魅力-そういえばロッテの小川博投手、まさに豪快な選手だったのに残念です)、外国人選手の華やかさ(スケール感、乱闘(笑)-当時はクロマティやロバート・ホワイティングの本に書かれたように球界における「ガイジン差別」も一つの大きなネタでした)、ファミスタ、「ペナント」と称された妙なカードゲーム(私の学校だけ?)、他にも色々ありますが、こんなところが良く印象に残っています。今は、何よりもメジャーのイメージがダントツで強いでしょうし、助っ人外国人の重みもだいぶ変わった(差別や乱闘もそれほど話題になりません)し、西武と巨人がいつも勝つ時代では全くないし、荒々しかったチームと選手の雰囲気も「蛮風」が薄れて都会的・洗練された感じになり(阪急・近鉄→オリックス、南海→ソフトバンク、IT楽天)、ゲームなどのタイアップ系がどうなってるかは皆目検討もつきません(かつての「ベストプレープロ野球」のようなシミュレーション系が人気なんでしょうか)。そもそも野球だけでなくサッカーなど他のスポーツの話題の方が多くなっていることもあるでしょう。

(昨今の野球の様変わりについては、英文エッセイも書いたことがあるので、興味のある方はご一覧下さい。「神様、仏様、バース様」の英訳など珍しいのではないかと思います(直訳してもインパクト強し(笑))。)

何だか、また「時代を見る目」の話っぽくなってきましたが、これも結局私自身の感慨というか、自分自身の変化に左右されているだけの話かもしれません。まあ、そんな大層な話は、楽しければどうでもいいことですな。日本に帰ってきてから初めての日本シリーズ、楽しく観戦しようと思います。

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