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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



<先に「その1」をお読み下さい。>

前回の「1985年」からの続きとして、まず現在と80年代の「気分」の違いについて思うところを述べてみます。

もし80年代は明るくて、今は暗い時代だとしたら、それは経済の状況の違いによるところが大きいと考えるのが素直な推測かと思います。ただ、そうは言っても、今の経済がそれほどダメなのかといえば、ファンダメンタルを見れば必ずしもそうとは言えないでしょうし、インフラの整備など生活資本の蓄積など考えれば、今の時代の方がずっと「豊か」であるということに疑問はない気はします。

この点、ひねりのない話かもしれませんが、やはり失うものがなくひたすら突き進んでいく元気さと、すでに獲得した成果を守らなければならないという消極的なスタンスとの違いが大きいのかな、と思います。

・・・

私は70年代生まれの若輩者ですから、日本の高度成長とバブル期の高揚を身をもって体験したとは言えません(バブルは断片的にはあります)が、映画や漫画、例えば『課長島耕作』を見ると、その雰囲気を見取ることができます。

この漫画の連載開始は1983年だそうですが、連載当初の主人公は、どちらかと言えば冴えないサラリーマンで、70年代の高度成長を若手戦力として支えながら、学生運動後の脱力もあってか、どこかシラけた雰囲気の漂う、平凡な「団塊の世代」の人でした。給湯室での女性社員の会話を盗聴するよう上司に命令され、「何でオレが」とぼやきつつ、忠実に命令を実行する情けないエピソードに象徴されるような、大組織の一員の悲哀とどこか滑稽でのどかな雰囲気が、読者に何気ない共感をおぼえさせます。ところが、ご存知の通り、島ちゃんは徐々に頭角を現し始め、女性たちの助けを借りながら(というか大部分このおかげ)、スーパーサラリーマンに成長していきます。こまごまとした身辺の悲哀とのどかさの代わりに、激しい自己実現と競争が主題を占めるようになります(女性関係も深化(笑)する)。これは著者も予測していなかった展開だったそうです。この島耕作のエリートサラリーマン化は、日本経済の発展と国際化の波に期せずして押し上げられていったものであり、まさに上り調子の80年代という時代の要請であったような気がします。

(ちょうどこの頃、ハリウッドでも『ウォール街』や『摩天楼は薔薇色に』といったビジネス界のサクセス・ストーリー物が流行していました。)

この元気に突き進んでいく姿は、確か『課長島耕作』では、主人公の会社である「ハツシバ」がハリウッドの映画産業の買収を成功させるところで終わります。ロックフェラー・センター、CBS、コロンビア・ピクチャーの買収を思わせる日本の輝きを体現するかのようなエピソードで閉じますが、92年から連載が始まった続編の『部長島耕作』では、せっかく買収した映画会社を売却するエピソードから始まります。バブル崩壊後、ひたすら何かを獲得する「攻め」の時代から、獲得した成果を死守する「守り」の時代に移ったかのような印象を読者に与えます。

・・・

本当は、落ちるところまで落ちれば、「これ以上は悪くならない、良くなるしかない」という前向きさが出てくるはずなのでしょう。敗戦後、焼け野原となった日本でも、全てを失ったからこそ、「前に進むしかない、明日が今日より悪いことはあり得ない」という精神が生まれたのだと思います。

ところが、例えば今の日本には、いくら景気が悪くなっても、なお膨大な金融資産が残っています。また、人口成長の停滞、高齢化社会を思うと、低成長時代を考えざるを得ないという現実があります。守るものがあり、今以上に飛躍することも考えにくいだけに、「これ以上失いたくない」という後ろ向きなマインドに陥るのではないかと思います。ということは、いくら経済が良くなっても、こうしたある種の閉塞感や暗さからは抜け出せないのかもしれません。また、こういったマインドセットも馬鹿にできないもので、インフレ期待が実際のインフレ率の上昇につながるように、心理的効果が実体経済に影響を与えることは理論的にあり得ます。いっそ、焼け野原からの復興から始めた方がよほど気分は前向きになるのかもしれません(冗談です)。

(話がずれますが、80年代の「元気さ」について言うと、経済面のみならず、そこには何が起こるか分からないような、あやしいワクワク感も存在することも一つの魅力だったように思います。前回はなぜかパソコンゲームの話が大きな割合を占めてしまいましたが、海のものとも山のものとも知れないあやしげな世界には、詐欺まがいの汚さや倫理の逸脱も横行する一方、だからこそ先が読めないデュオニソス的混沌の魅力があります。時を経て、その世界が洗練・成熟・調和したとき、それは大きく見ればとても良いことのはずなのですが、この混沌の中にある不思議な高揚感も失わざるを得ないのかなと思います。これは音楽、映画、芸能、漫画など他の分野にも当てはまるような気がします。)

・・・

当たり前のことかもしれませんが、物質的な繁栄やそれを測る経済の指標の高さは、人間の「幸せ」の必要条件ではあっても、十分条件ではないのでしょう。古代から人間の知を導いてきた哲学、宗教、政治思想の一つの目的は、人間の生と死とは何かという問いに答えることだったと思うのですが、それはいくら理性によって突き詰めても、答えが出るものではありませんでした。理性や科学は、人為的なルールに沿って世界を記述することに貢献しましたが、(カントやヴィトゲンシュタインが明らかにしたように)経験や論理を超えた絶対的な概念(神、魂、永遠の真理、世界の意味など)に対しては、結局のところ無力でした。それでもなお答えを求めざるを得ない人間に、文明化された現代の社会に一見そぐわないような、信仰、道徳、ナショナリズムといった神秘的な物語が必要とされるのかと思いますが、それは(ジェームズらの言う)プラグマティックな意味で、自然な要請という気もします。NEETとか物質的に満ちた生活の中で生きる意味を見失うのが現代人の病のように言われますが、それは貧困の中で生存そのものに迷いなく目的を見出す人々や、キリスト教の世界で生きることに疑問を持たなかった人達には無縁の問題だったという意味で、確かに現代文明的なのでしょう。

(ただ、だからと言って、もう私たちがかつての高揚感を味わうことができないとか、どこかでゴールが終わるような終末論的な発想に陥ることもないんじゃないかとは思います。あくまで卑近な一例ですが、私は米国に住んでいて、日本にはない豊かさや幸せというものを実感しました。部屋の広さとかゆったり感とか生活の利便という単純なところなんですけど、こういう何らかのゴールのような、あらたに目指すべきものがはっきりすれば、気持ちは明るくなるのかもしれません。それが経済成長率である必要はないでしょう。そういうビジョンを示すのも政治の重要な仕事のような気がします。)

話が思いのほか長く、しかもまとまりなくなりました(笑)。次回は、補足的に時代を振り返ることの意味についての雑感を述べます。

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かんべえさんの『1985年』が書店にお目見えしたようです。この書名、ベルトルッチの『1900年』を彷彿させて、カッコイイですね(オーウェルの『1984年』の方が似てますが、私は『1900年』が好きなので・・・)。
1985年当時、私はまだ幼い子どもでしたが、なぜかこの年のことは色々覚えていて、奇妙な思い入れがあります。かんべえさんの著述とかぶるところもありますが、異なる世代からの個人的な体験として、雑談がてら述べてみます。一部、数年のブレがあるところもありますが、ご容赦下さい。

■ 映画
1985年は、家族の影響もあって、ちょうど色々な映画を見始めた頃でした。「ゴールデン洋画劇場」中心でしたが、兄と一緒に映画館に行ったり、ビデオレンタルが普及し始めた頃ということもあって、ずいぶん見ました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ベストキッド』、『グーニーズ』、『インディ・ジョーンズ』、『グレムリン』、『ターミネーター』、『ファースト・ミッション』、『スパルタンX』、『プロジェクトA』、『ポリスストーリー』、『ネバーエンディングストーリー』、『ビバリーヒルズ・コップ』、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、『フライトナイト』、『フットルース』、『ゴーストバスターズ』、『ビーバップ・ハイスクール』、『パンツの穴』、『風の谷のナウシカ』、『SF新世紀レンズマン』、『カムイの剣』、『マッドマックス3サンダードーム』、『未来世紀ブラジル』、『ポリスアカデミー』、『刑事ジョン・ブック』、『ランボー2』、『ロッキー4』(冷戦を反映してます)・・・などなど、今こうして並べると笑ってしまうほど「80年代的」というか、タイトルを聞くだけでワクワクするような作品であふれています。勝手な印象を言えば、「ハリウッド、角川、ジャッキー」という感じでしょうか(笑)。

■ 音楽
ベストテンなどテレビ番組のヒットチャートを通じて聞いていました。アイドル歌手全盛の時代で、チェッカーズ、中森明菜、おニャン子などが人気でした。後に述べるパソコンとの関連もあって、坂本龍一や細野晴臣も聞く機会がありました。洋楽にはまだ目覚めていませんでしたが、兄の影響で、Culture Club、Sting、マドンナなど、メロディアスなポップス系が耳に入ってきました。異国情緒(今振り返るとニューウェーブ色が強かった)を感じさせるLPのジャケットとともに印象が残っています。

■ 漫画
少年ジャンプの黄金時代で、『キン肉マン』『北斗の拳』『ドラゴンボール』の大黒柱に、脇を支える『奇面組』『キャッツアイ』、『ブラックエンジェルス』、『ウイングマン』、『シェイプアップ乱』、『風魔の小次郎』、『コブラ』などキラ星のように輝く個性的なラインアップに子供心がくすぐられまくっていました。この頃のジャンプの新連載漫画は、ちょっとでも人気が出ないとあっという間に20話で打ち切られて、「これが大人の世界なんだなあ」とシビアな現実に子どもながら震撼していました。打ち切られ漫画の中にも『魔少年ビーティー』のように秀逸な作品があって、残念な思いをすることもしばしばあったものです。ただ、この残酷なまでのサバイバルの緊張感が凝縮したようなクオリティを生み出したのもまた事実だったのでしょう。

■ テレビ
TV番組バトンでちょっと述べましたが、『太陽にほえろ』、『俺たちひょうきん族』(『8時だよ全員集合』が終了してこちらに移行)、『欽ドン』(イモ欽トリオが大好きでした)、『山河燃ゆ』、『スケバン刑事』、『ダンバイン』、『クイズなるほどゼミナール』など見ていた頃と思います。『金妻』を見るには幼すぎましたが、『毎度おさわがせします』は見ました(笑)。

■ スポーツ
阪神優勝、甲子園のKK、相撲の千代の富士など、ヒーローが沢山いたように思います。個人的には、広島や5大関などちょっとメインストリームから外れたところが好きでした。

■ パソコン
当時、家にはFM-NEW 7という富士通のパソコンがあり、コンピュータゲームに熱中し始めた頃でした。「ゲーセン」も流行っていましたが、まだまだ「不良のたまり場」的な薄暗い不健康なイメージがつきまとって、敷居が高いところでした。
『信長の野望』や『三国志』(両方とも一番最初のバージョン)をはじめとするシミュレーション、『ポートピア連続殺人事件』や『スターアーサー伝説』などのアドベンチャーゲームをよくやりました。
こうしたゲームが中心になったのは、当時のパソコンがアクションゲーム(当時は「リアルタイムゲーム」と呼んでいた)向きではなかったためです。ただ、85年は『テグザー』や『ハイドライド』といった希有な成功例がちょうど出始めた年でした。両方とも、わずか1MB程度のフロッピーディスクの容量制限の中で、よくもあのような高度のゲーム性を実現したものです。圧縮技術のないソフトハウスはディスク8枚組だの10枚組だのという常軌を逸した商品も発売していましたが・・・。
ディスクと言えば、5インチディスクドライブを買った頃で、それまではゲーム一つ始めるのに30分や1時間かけてカセットテープ(!)を読み込むという、今ではちょっと考えられない時代でした。当然セーブもできません。エラーが出たり、ゲーム中に読み込みを始めると、泣きそうになったものです。
この当時のPCゲーム全般に言えるのは、ゲームを「楽しむ」こと以前に、「家の機械でこんなことができるのがスゴイ」とか「何かよくわからんけど、色んなことができそうだ」という雰囲気を面白がる感覚が先行していたことのように思います。BASICを中心とするプログラミングが流行ったのもそれと関係しているように思います。『マイコンBASICマガジン』が有名で、自分でプログラミングしたゲームの投稿もしました。
そのためか、メーカーサイドとしても、ゲームのエンターテイメント性よりは、「こんなもん作ってみました」的な実験性に重きを置き、市場が成熟していないこともあって、非常に荒削りというか、異様なゲームを大量に出してきた印象があります。個人的には、この時代の、ある意味やりたい放題とも言える、いい加減な熱気がなつかしく、勢いで生産された星の数ほどあるキワモノのようなゲームたちに、失われた野性のような荒々しい魅力を感じます。ユーザーが置き去りにされ、クリエイター側が主導権を握った結果、マーケティング志向を離れたある意味芸術的な作品が作られる環境があったのではないでしょうか(・・・言い過ぎでしょう(笑)が、作り手の意気(妖気?)が感じられるような手作り感があったのは確かです)。当時のゲームがどんなものであったかは、このページなどで見られます。
しかし、この猥雑なエネルギーがその後のコンピュータの急速な発展につながっていくわけですから、これはこれで非常に重要だったんでしょうね、たぶん。

■ 万博
85年は筑波万博の年でもあります。家族で行きました。大友克弘がデザインしたという風神・雷神など、ロボットものが多く、子ども心に楽しかった記憶があります。「象昆鳥」という巨大パビリオンにはいまだにトラウマ的な衝撃が残っています。

また、私はその当時東京の郊外に住んでいたのですが、家の周りにもまだまだ自然があって、夏になれば近くの川や原っぱでザリガニやバッタなどが取り放題という頃でもありました。

こまごま述べてしまいましたが、こういった大衆文化(?)の例や生活の様子をならべると見えてくる通り、私にとっての1985年のイメージは、奇妙な前向きさ、ちょっと軽薄な感じもするバカ明るさです。どの分野においても、何か未来に対する希望があふれていたような気がするのですが、どうなんでしょう。80年代後半のバブル突入前の高揚感、明るい未来に向けて迷いなく突き進む感覚があったのでしょうか。

こんな雑談で終わろうと思ったら、この時代の明るさと比べると、現在の閉塞感や暗さはどうしたものか、あるいは過去の記憶というものは美化されがちで、私の思ったことなど郷愁に過ぎないのではないかとか、ヘンなことを考えたりもしました。ということで、意図しないことだったのですが、このへんについて思いつくことを次回述べてみたいと思います。

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8月13日に幕張に行き、野外ロックイベント「サマーソニック2005」を見てきました。思ったより気温が上がらず、雨も降らず(多少降ったときもありましたが、そのときは室内の公演を見ていました)、快適に楽しむことができました。

私が見たアーチストは以下の通りです(公演の一部分しか見られなかったものも含む)。

Rooster
ORANGE RANGE
Interpol
電気GROOVEとスチャダラパー
Def Tech
The Roots
Ian Brown
DURAN DURAN
Nine Inch Nails

どれも良かったですが、やはりThe Roots、Ian Brown、DURAN DURANといったベテラン勢が古くからのリスナーとしては嬉しかったです。いずれも80年代の代表曲を惜しげもなく披露してくれて、ファンのツボをおさえてくれました。

Interpolは私の好きなインディー・レーベルであるマタドール・レコード系のアーチストで、米国に留学していた頃聴いていました。ライブで見るのは初めてだったのですが、予想以上に良かったです。ちなみにマタドールは、Yo La Tengo、Guided by Voices、Mogwai、Jon Spencer Blues Explosion、Arab Strapといった先鋭的なアーチストを多く輩出しているレーベルで、コーネリアスやピチカート・ファイブといった渋谷系(死語?)ミュージシャンもここから米国デビューしています。

フジロックに代表されるこの手の野外ロックフェスは、まとめて色んなアーチストを見られるので私は好きなのですが、全体的にオーディエンスに若年層が目立った印象を受けました。米国でこの手のイベントに行くと、公演するアーチストにもよりますが、おっさんおばさんが結構多くて驚いたものだったのですが、日本のこうしたイベントは若者向けというイメージが強いですね。どっちにしても、暑い中10時間も公演を見続けるのも体力的にしんどいことなので、私もそろそろ厳しいかもしれません(笑)。

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郵政民営化法案の採決に端を発した今回の解散・総選挙は本当に衝撃的でした。その後の小泉首相の発言や行動やそれをめぐる動きなど、不謹慎な言い方ですが、面白すぎて目が離せません(笑)。こんなに国民の関心を集め、盛り上がっている選挙もかつてなかったと思いますが、単なるエンターテイメントに終わらず、日本の政治が大きく変わるという意味で、非常に意味のある選挙なのではないかと思います。すでに沢山の方が考察をされていて、私が付け加えることもないのですが、ちょっと思ったところをメモしておこうと思います。

抽象的な話ですが、私は以前、米国と日本の政治風土を比較した「日本における保守とリベラル」の記事のコメント欄で要旨こんなことを述べていました。

・・・

いわゆる伝統的な日本(自民党)的政治家像は、党としての理念先にありきというよりも、個々の地元の利益先にありきで行動してきたように思います(中選挙区制がその原因の一つとも言われます)。自民党はこうした政治家が代表する様々なレベルでの利益を広い政策の幅ですくい取り、総花的・幕の内弁当的な政策が生まれ、哲学的な政策理念は後付け的に考案された面があった気がします(ここまで言うと極端かもしれませんが、ケースバイケースで政治家が行動し、結果論的にそれを正当化するための「政策理念」が創出されるようなイメージです)。包括的な政党目標が有力議員にとって便利な「容器」のような役割を果たし、常時与党状態になり、残されたマージナルな部分が他の小党によって代表される形になってしまった。これは、政権党であることが自民党のレーゾンデートルになったことと符号します。

私は日本の政治風土は、右と左という二つの理念の対峙が中心に据えられてきたというよりは、錯綜する多元的な利益が調整される形で動いてきたように思います。そうであれば、本来はそれぞれの利益を代表する党が出て、議論を闘わせ、有権者は自分の利益を一番代表してくれると考える党を選べば良いのですが、自民党が「何でもあり」のデパートみたいな政党になったことで、有権者に選択肢が提供されなくなってしまいました。結果、有権者は「党」よりも「人」で候補を選ぶようになり、90年代までの政治状況に至ったのではないかと思います(小選挙区制の導入は、この状態を改善する上で意義深いものであったと思います)。

・・・

今回の選挙は、郵政民営化という争点をはっきりさせ、それに対する考えを候補選びを通じて直接反映させることができる意味で、まさしく国民に政策の選択肢を与えたものと言えます。そして、自民党が分裂に近い状態になったことは、民意の違いが政党それぞれの違いにそのまま対応するという望ましい形に近づく一歩と言えます。この意味で、今回の選挙が日本の政治の大きな転換点となる可能性は十分にあると思います。結果論かもしれませんが、小泉首相の自民党の「ぶっこわし」はこうした政治状況を作り出す可能性を持っているという意味で、非常に意義深いと思います(本当のことを言えば、民主党も分裂しないといけない気がします)。

(余談ですが、政権発足以来の小泉首相の国民の信に直接の権力基盤を置くスタイルは、本当は議院内閣制の制度趣旨にマッチしていないような違和感をおぼえるときがあります。国民の直接投票で選ばれる大統領は、議院内閣制下の内閣総理大臣とは異なる正当性を持っており、このため立法府との関係も議院内閣制とは異なります。小泉首相が、党の代表というよりは人間・小泉として、自民党員の支持ではなく国民の人気に依りながら、最大与党の党首と行政の長を務めることは、結構裏技というか、トリッキーなやり方です。議院内閣制という総理大臣に(少なくとも制度上は)極めて強力な権限を与える統治機構において、こうした大統領的な正当性を持って政権運営ができる状態になっていることには、本来の制度の趣旨とズレが生じるような気がします。
ただ、現実の政治において原理原則が正確に維持されるものではありませんし、そもそもルールを侵しているわけでも何でもないわけですから、小泉首相のリーダーシップによって得られている成果がある以上、別段文句を言う筋合いの話でもないんだろうとは思います。
ちなみに、ウェストミンスターモデルや大統領制モデル、フランスのcohabitationなど様々な民主主義による統治モデルの比較については、Arend Lijphartの『Patterns of Democracy』(邦訳『民主主義対民主主義』(アレンド・レイプハルト))が網羅的かつ詳細な分析を行っており、参考になります。)

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<先に「その1」「その2」をご覧ください。>

前回、北朝鮮問題や他の外交問題を考える上で、中長期的な視点を持つことが重要であること、その理由の一つとして、ことアウトサイダーの立場からすれば、現状の細かい把握よりも、大きな視点から見た分析の方が価値があると思われる点について述べました。今回は、もう一つのポイントとして、民主主義国家における外交の特徴について述べてみたいと思います。

かつて、外交は一部のエリートによって独占されることが当然視されていました。民主主義以前の王政下の宮廷外交はもちろんですが、第二次大戦後においても、専門家による水面下の外交は当然認められるものとして扱われてきました。これは、一つには外交とは相手国との交渉であり、そのプロセスについての情報を共有することは相手国との信頼関係を損なう危険があること、また、古来より蓄積されてきた外交のプロトコールは複雑を極め、専門家でなければその整理や把握が困難であること(同時に担当する人間のバックグラウンドの連続性も相手国との信頼関係を築く上で重要な意味を持つこと)といった技術的な理由のほか、そもそも外交問題は語学、地域研究等、高度に専門的な要素を含み、サブスタンスの理解が素人にとって困難であること、といった実質的な理由にもよります。

前二者の理由については未だにその有効性は保たれていますし、今後も続くことになると思います。国際社会において、外交の「技術」に精通した専門家=官僚が職業外交官を務めることの主な理由はここにあります。しかし、最後の一点については、情報のグローバル化や経済問題を中心とする外交と内政とのリンケージの高まりに伴い、全面的に否定されることはないとは言え、もはや過去と同じような説得力は持ちえなくなってきています。つまり、現代においては、国益を大きく左右するような重要な外交問題について、政治的なリーダーシップと世論との調和なくして外交が有効に機能することはあり得ないということです。

この意味で、国民一人一人が、問題意識をもち、必要な情報を取得し、自分なりの思考を行うことは、最終的には大きな力になります。言い方を変えれば、力のある外交を展開するために不可欠な要素になると思います。本来国内問題であるはずの靖国参拝問題が現実には重要な外交案件になっていること、拉致問題をめぐって世論の動向が政府の対応に大きな影響を及ぼしていること、現在の韓国政府が国民の情緒的な動きに左右され、全体として見ると必ずしも合理的とは言えない行動をとっていることなどを見れば、分かりやすいかと思います。

この二つのポイントから、アウトサイダーである私たちが、外交という一見自分の生活と関係ないような、形而上の世界にも見える問題を真剣に考えることは、実はとても大切なのだと思います。

・・・

以下は、外交問題の勉強の仕方あるいは心構えについての、私なりの個人的な考え方です。

私は、外交問題などについて、何が正しいとかどうあるべきとか述べることは、煎じ詰めると、答えはない、というか、ある程度必要な情報ときちんとした思考さえできていれば、正しいと見られる答えは、複数存在し得る話だと思っています。であれば、素人である私たちが少なくとも行うべきことは、最低限必要な基礎知識を持つこと(特に地域の事情、歴史、思想などについて)、論理的思考を持つこと(感情的にならず、一歩引いた冷静さが重要)、外の意見に対して開かれた柔軟なマインドを持ち、自由な討論を避けない(反省と検証から逃げない)ことと思います。結論部分の見解が異なっても、根っこのところで正しい考えができていれば、お互いの理を認め合うことはできますし、状況の変化によって、結論部分が変化することは当然あり得ると思います。

(このHPでは、私は意識的に日本や日本人が「こうすべきだ」という何か答えめいたものを述べないようにしています。私には、自分の考えに何か自信があって、それを発信するとか、それをもって読者の方を説得するというつもりが基本的にないからです。むしろ、一つの問いかけとして、このHPを訪れる方と一緒に考えていければと思っています。それは、何らかの「答え」よりも「思考のプロセス」自体こそが重要と思っているからです。)

そのために、古典など思想や歴史に関する優れた考察を読み、地域研究などの本物の専門家の意見を聞くこと、あるいは特定の分野について専門的な勉強を自分で深めることは、とても大切です。私がこのHPで、拙い文章ながらも、米国がどういう国なのか、歴史、社会、宗教、思想について自分なりに論じ、また古典の重要さを強調してきたのも、そうした問題意識に立ったものです(肝心の内容の貧しさには目をつぶって下さい(笑))。

また、自分自身の目で、ある国の様子を見て、その国の人々と接するといった経験は、ささやかなものであっても、貴重な知的アセットになると思います(あれだけ的確・詳細に米国を描写したトクヴィルでさえ、米国に滞在したのはわずか10ヶ月だったのです)。

そして、最も重要なのは、誠実さと真摯な気持ちを持ち続けることだと思います。勉強を始めて中途半端な知識を得ると、間違った思い込みや決めつけににとらわれることが、往々にしてあるものです。人間が一人の力で成し遂げられることなど限られています。まして、狭い専門領域に特化せず、幅の広い議論をするのであれば、その限界を認識する謙虚さを持つことはなおさら重要です。常に自分の考えに疑問を持ち、偉大な先人や専門家を含む他の人たちの意見を参考にしながら、安易に「答え」を出すことなく、考え続けること、それが重要ではないかと思います。オープンなマインドの大切さを強調したのはそういう意味です。

こういったことを成し遂げるのは、もしかしたら専門家や外交の当事者が事務的な作業を進めるよりも大変なことかもしれません。しかし、少なくとも自分自身を高める気持ちさえあれば、それで十分だと思いますし、誰にでもできることだと思います。私も、読者の方々からご意見をうかがいながら、自分のペースで勉強を続け、考えを深めていければと思っています。

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<先に「その1」をご覧下さい。>

北朝鮮問題を見る上で、また外交問題全般を考える上で、もう一つ重要なのは、歴史を知ること、言い換えれば、中長期的な視点を持つことです。

北朝鮮をめぐる交渉の大部分は、当然の事ですが、日本が関わる動きを含め水面下で行われており、ごく一部の当事者(有力な政治家・政府関係者の中でもおそらくほんの一握りの人達)を除けば、そのやりとりを知る由はありません。また、北朝鮮はご存じの通り、かなり奇怪な動きをする国です。おそらくその意思決定の中では、派閥間の権力抗争といった内政事情やその場の思いつきを含めた非合理的なアウトプットも大きな割合を占めています。こういった事情を考慮すると、いくら表に出ている動きを見ていても、そもそも本当に重要な情報が抜け落ちていることは大いにあり得ますし、また長期的に見れば意味のない事象も含まれることもままあります。したがって、刻一刻の動きに敏感に注意を向けることにあまり大した意味はなく、むしろ細かい事象に過度に注意をむければ、かえって大きな状況を見誤ることすらあると思います。

では、交渉がclosedであることから、全てを専門家や当事者に任せて、私たちがこの問題を真剣に考える意味はないのかと言えば、もちろんそんなことはないと思います。一つには、専門家や事務方にひけをとらない分析を外部でなすことは十分可能だからです。また一つには、現代においては、国民一人一人が正しい問題意識と考え方を持つことが、外交の大きなリソースになるからです。

・・・

まず、一つ目のポイントですが、ここで重要な意味を持ってくるのは、この問題がどのような経緯をたどってきたのか、またそもそも朝鮮半島はどのような歴史をたどっってきたのか、日本はどのような関わりを持ってきたのかといった、大きな視点から見た分析です。

仕事や学業において何か提言を書くとき、私たちは往々にして、現状の分析、論点整理、それを踏まえての提言、といったフォーマットに終始しがちです。それはもちろん大切なことですし、必要なことです。しかし、ただ単に一つの時代の断面を切る形で現状を整理するだけでは、必ずしも十分ではありません。今現在整理している状態に至るまでのこれまでの経緯の連続性について、注意を払って払い過ぎることはありません。その分析を深める上で、歴史を知ること、また歴史とつながりを持ってきた思想を知ることは、極めて重要です。

拉致と核の問題について言えば、私は10~20年にわたる北朝鮮をめぐる動きの変化を見ることが非常に重要と思います。94年枠組み合意からの経緯を見ることはもちろんですが(その連続性を否定することに現在の米国政権は強いこだわりを持ちますが、その態度に最近変化が見えることには注意を要します)、例えば、北朝鮮が拉致を認め、日本に謝罪し、被害者を送り返すということは10年前には想像もできない事態でした。六者協議の成立も、小渕首相が98年に提唱したときには実現の見込みは極めて薄い話でした。(その状況の変化の主要因は間違いなく中国の変化です。かつて似たような枠組みとして存在した四者協議と比べれば、その成立背景や意義がまったく異なる点を考えても、興味深いと思います。)このような状況の推移を念頭に置いた上で現状を見るのと、そういった経緯を無視してまっさらな状態で現状を見るのとでは、その見え方に違いが出てくることは十分あり得ます。同様に、韓国の歴史、国民のメンタリティの変化、韓国と北朝鮮との関係の推移を見ることも、この問題を見る上で大きな示唆を与えてくれます。そもそも朝鮮半島がどういった歴史をたどり、どのような社会が生まれ、人々がどのような考え方をするのかを知ることもまた意義深いと思います。

こうした大きな流れを見通して日本のとるべき道を考えることは、政府や専門家にとっても非常に困難なことです。それは、現実の日々一刻の交渉に携わる人々が必ずしもアドバンテージを持っているわけではなく、私たちのような素人や在野の研究者も、これまで公開されてきた知的プロダクトに基づいて、付加価値のある判断を下せる部分だと思います。

情報の閉鎖性と中長期的な視野から見ることの意義は、実は北朝鮮のみならず、多くの外交問題にも通じます。特に、一般的に言って、安全保障の問題は、その問題の特殊性から、どうしても狭い専門家同士のネットワークで閉じてしまうところがあります(これに対して、経済問題については、基本的には市場原理というオープンなフィールドで物事が動くため、マーケットの動きを追う専門家の知見が政府関係者を上回ることなどままありますし、政府内においても、業を主管する経済官庁の知見が外務省を引っ張ることもあり得ます)。そのため、素人が具体論に踏み込むことには限界があります。しかし、その問題を取り巻く歴史的な積み重ねや、関係する社会の思想を知ることは、努力次第で誰にでもできることですし、また専門家にとっても、気付かぬ視点を与えてくれる上で大変ありがたいことなのだと思います。

<次回は民主主義国家における外交について述べます。>

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