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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



カワセミさんからお気に入りの音楽を紹介する企画を教えて頂きました。遅ればせながら、書いてみます。

■ Total volume of music files on my computer(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
50GB。
うち、ジャズが10GBを占めています。総ファイル数は約13,000でした。

■ Song playing right now(今聞いている曲)
ベートーヴェン 「エグモント序曲」(セル/ウィーン・フィル)

■ The last CD I bought(最後に買ったCD)
Chick Corea 『Past, Present and Futures』

■ Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
歌もさることながら、初めて聞いたときの情景が思い出され、切なくなるという意味で特別な曲を選びました。

#Bill Evans 「Waltz for Debby」
初めてCDで聞いたジャズ。
#YMO 「Rydeen」
幼少時に聞いて何か未来的なものを感じる。坂本龍一とパソコンに興味を持つ。
#サザンオールスターズ 「真夏の果実」
中学生時代、最も思い出に残る歌。
#Portishead 「Sour Times」
大学時代を思い出す。
#Lo Borges 「Equatorial」
留学時代を思い出す。

かんべえさんとカネシゲタカシさんはやられていましたっけ?kenboy3さんにもお聞きしたいですが、ブログがどこにいったのやら・・・。さくらさんは最近の音楽に通じているようですので、お聞きしてみたいですね。

ちなみに、一応このHPにも音楽アーカイブがあります。申し訳程度ですが(笑)。あとプロフィールにもちょっとだけ言及があります。

この企画、映画とか文学とか他の分野にも適用できるのではないでしょうか。そのうち勝手に映画について書いてみようと思います。雪斎さんはテレビ番組でも作ってくれそう(笑)。

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かんべえさんと雪斎さんが、日本人と米国人には本来的に共有する感覚があるという認識を強調されています。また、かんべえさんは、同時に中国人が日本人と一見似ているようで全く非なる存在であるという点を強調されています。

日米間に働く親和性は現実の一側面を説明しているとは思います。また、中国人と日本人の違いをよく認識することはとても大事だと思います。ただ、もしも、あまりにもその違いを強調し、日本は中国ではなく、むしろ英米と感覚を共有していると主張するとしたら、私はそうなのだろうか?と思います。

以下、日米「浪花節」に対する私なりの感想を述べてみます。

(本件「浪花節」については、かんべえさんは冗談交じりに軽いタッチで話をされたのだと思いますので、それをこんな風に堅苦しく取り上げるのは、我ながら、非常に野暮というか無粋な気がします。私の述べることなど、見識あるお二方には言わずもがな、おそらく織り込み済みのことなのでしょう。ただ、雪斎さんがかんべえさんの話を大きく発展されているのを見て、天の邪鬼的に、「いや、こういう考えもありますよ」と書かずにいられなくなりました。「そういう見方もあるものかね」程度の寛大な気持ちで一読頂ければ幸いです。)

・・・

1.日本人がおぼえる親近感
率直に言って、私は日本人が感じる米国に対する親しみは、伝統的思想や価値観から来ているのではなく、戦後の日本(文化)の「米国化」という側面が強いと思います。そこには、日本の思想の柔軟さ(厳しい言い方をすれば基軸のなさ)も影響していると思います。特に、戦後間もない頃、映画や野球に代表される米国の圧倒的な文明の繁栄を見た世代の米国に対する憧れ、それを手に入れようとする日本の努力が、日本の米国に対する親近感を生み出した面は否定できないと思います。

2.米国人側の見方
これはご承知の上で述べておられるのだと思いますが、「日本のことを米国に伝える努力の大切さ」(その1)(その2)で述べている通り、米国人は多様ですから、ひとくくりに日米の親近感を語ることはなかなか難しいと思います。少なくとも、日本人が米国人に対して抱いている親しみを、米国人の方が持っているかどうか。そうであれば大変結構なことですし、そうあって欲しいと私も思いますが、私にはそこまで言い切る自信はありません。

日本研究家の中でさえ、リビジョニストのように日本の異質性を厳しいトーンで強調する人々がいます。伝統的なChrysanthemum Club(菊クラブ)タイプの親日家の中には、過剰なまでの日本文化への思い入れを語る人もいますが、そこにはサイードの言う「オリエンタリズム」的要素がないとは言えないと思います。

また、米国人がアジアを見る感覚は複雑であり、日本から見ると理解しにくい点にも注意が必要です。多くの米国人にとって、「アジア」と聞いて想起するイメージはまず中国です。教養のある米国人の中には、東洋思想に対する畏敬の念を抱く人が少なくありませんが、この「東洋」のイメージは、多くの場合中国を指します(キッシンジャーやラッセルといった西欧的価値観を代表する知性が、我々から見れば意外なほどに中国の思想に憧憬に近い感覚を持っていたことを想起して下さい)。華僑の活動などに着目して、中国人の合理的メンタリティはアジアの中では欧米に近いとする意見もあります。多くのアジア研究家が中核に置く地域は中国です。伝統的・歴史的意味において日本に親しみを持ち、物の見方の中軸に据える米国人は、あくまで一部にしか過ぎないところには注意が必要と思われます。

3.アジアとの近さ
米国に長く生活した私が感じたのは、なんだかんだ言っても、アジア人同士はうち解けあいやすいということです。容貌にとどまらず、細かい仕草や気配りの仕方に、不思議な共通点を見付けたりするものです。理屈を超えた居心地の良さ、シンパシーを感じることがあります。特にアジアに対してあまり興味を持っていない米国人が周りに多いと、その傾向は強まります。私の場合、留学中、韓国人や中国人、シンガポール人などといると、快適な状態に安穏としてしまうおそれを感じたので、アジアに関心のない「普通の」米国人にとけ込むために、意図的に「アジア人学生離れ」に努めたほどです。

古典的・伝統的な見方、つまり儒教文化などの共有には、私はそれなりの意義があると思います。近代化(そして上述の米国化)以後は状況が異なってくるとはいえ、こと伝統的な文化・思想を見れば、日本が多くのものを共有しているという意味で相対的に近いのは西欧よりも中国だったと思います(似たもの同士だからこそかえって反目を強めるという面もあったと思います)。

ただ、アジアの国の中でも、その親近感にまた程度の差があることも事実です。かんべえさんがおっしゃる通り、日本人と中国人には違う点が沢山ありますし、この違いを意識しなければ、無用の誤解が生じ、結果として、誰もそれを望んでいないにもかかわらず、関係が悪化するおそれがあります。大切なのは、同種であるという思いこみにとらわれ、その差異を見落としてしまうのは、現実から遊離して危険である、ということかと思います。

(この点に関連して、ちょっと違うというか、難しいのは、完全に米国人化したアジア人だと思います。私は、この人たちこそ、日本人と似ていてまったく非なる存在だと思います。彼らには、先に述べたアジア人特有の親しみを発見できません(私の留学時代のルームメイトの一人がそうでした)。同時に、不思議なほど過去の問題にセンシティブであったり、感情的なまでに反日的であったりします(「日本の歴史問題への米国からの視点」も参照下さい)。この話を反日デモに延長すると、一つの重要なポイントとして見えてくるのは、国外に在住する中国人活動家の影響力です。共産党に対して厳しい姿勢をとるのと同時に、極めて反日的である彼らが、今回のデモで果たした役割は、決して無視し得ません。また、過激な右翼活動家の動きが目立ったとは言え、デモ自体は上から結成されたものでも、組織的なものでもなく、自発的に発生した部分が大きいことは、見過ごしてはいけないと思います。)

・・・

これまでの拙い記事を読んできて下さった方はご存じかと思いますが、私は「親米的」な人間です。自由と民主主義という価値観(「米国を支える価値観」をご参照下さい)を日本と共有する米国は、日本にとって最重要なパートナーであると認識していますし、日本外交のリソースの大部分をこの関係の維持と発展に注ぐべきだと思います。日本と米国との関係は非常にうまくいっていると思いますし、それが続くことを願っています。しかし、現在の良好な状況を見て、日本人と米国人はウマが合うとか、それに引き替え中国人とはそりが合わないとか、日米のパートナーシップは中国につけいる隙がないほど成熟しており、中国を封じ込めることに心配はない、と考えることには、落とし穴があると思います。

米国にとって日本はまだまだ重要なパートナー群の一人に過ぎません。米国人の中には日本に親近感をおぼえない人々も沢山います。だからこそ、日本は一生懸命努力をしないといけないのだと思います。また、日本人と中国人は似ているようでいて、多くの違いが存在します。日中関係は日本にとって重要な意義を持っています。だからこそ、日本人は中国人との歴史的なつながりを大切にし、共通点を見いだし、共に歩んでいく道を探すことが大切なのだと思います。

【雑談】
カワセミさん、「musical baton」を受け取りました。そのうち書きますね。ちなみに、米国の「浪花節」に結びつければ、私はLynyrd Skynyrdの歌などにその断片を感じますね。いびつだけど、あたたかい南部の風景というものでしょうか。

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安保理改革の行方に対する関心が高まっています。米国がG4の共同提案に賛成せず、日本が想定していた安保理拡大→常任理事国選定の二段階戦略が頓挫し、苦境にあります。

もともと米国は、日本の安保理入りには何の反対もないが、それが他の常任理事国候補国を巻き込むのであれば賛成はしない、というスタンスでした。この点については、昨年12月に、「国連安保理改革の難しさ」の記事で、このような様々な波及する要素があるから国連改革は難しいと述べていました。また、「多国間外交の難しさ」の記事で、それでもなおこの種のグループ外交はせざるを得ないという現実について述べました。

また、小泉首相はODA増額決定にも踏み切りました。「日本は常任理事国入りする資格があるのか?」と理をもって問いつめられるときに、最も苦しいツッコミの一つは、このODA比率です。これについては、3月に書いた「日本は援助大国か?(ODAの現状)」を読んで頂ければと思います。

ということで、以上3つのやじゅんの記事は、今現在関心が高まっている問題を既に見通していました。ささやかに自画自賛します(笑)。記事で押さえていた論点や考察は今でも有効だと思っています。自分としては、時事的な読み捨ての記事を書くつもりはないので、こういう風に時間がたってから読む価値が出るというのは、結構嬉しいものです。気が向いたときに他の過去の記事も読んで頂ければと思います。

ともあれ、安保理改革の行方は、非常に厳しい状態にあります。確かに、常任理事国候補国の利害関係を超えて、国連改革を大きな視点からとらえる米国の主張には理があります。国連を使えるものにするために、果たして安保理理事国をここまで大幅に拡大することが正しいと言えるのかどうか。日本(とその他の複数国)の常任理事国入りと引き替えに、国連の効率性が落ちることもあるかもしれません。しかし、日本としては、それでもなお日本が常任理事国になることで国連に裨益する部分は大きい、と言い切るしかないでしょう。そして、それに見合った責任を果たす努力をしていくしかありません(そういう意味で、当たり前のことではありますが、この問題の帰趨は、今後あるべき日本外交の姿に大きな影響を与える可能性があると思います)。

そもそも最初から本件が勝算が極めて低い問題であったことは、問題意識のある人であれば誰でも分かっていた話でした。しかし、「国連安保理改革の難しさ」で述べた通り、これほどまでに改革の機運が高まっているのは、何十年に一度とない貴重な機会です。小泉首相も外務省もリスクを織り込んだ上で勝負に出たのでしょう。私自身は、安保理常任理事国に入ることが日本にとっての至上命題と言い切るほどのことではないと思っていますが(「国連幻想」もご参照下さい)、ここまで来たらやるしかないと思います。頑張って欲しいものです。

しかし、米国はこれまで一貫して日本の常任理事国入りを支持してきたとは言え、ここまで具体的に明言してくれたのは異例のことだと思います。今の局面では、ありがた迷惑ではありますが、現在の日米関係の良好さを示す一例ではありますね。

(ちなみに、これまでのところ日本はよくやっていると思います。例えば、一次案が米国からダメ出しされた直後、すかさず拒否権凍結の二次案を提出したのには、率直に「スゴイな」と思いました。フランスを味方に引き込んだのも、これまで行われてきた水面下の努力が実ったのでしょう。日本は従来、隠すことなく正論を打ち出す王道的外交を基本的に展開してきました。それはそれで立派で意味のあることだと思いますが、裏を返せば不器用で、細かい駆け引きが苦手な印象もあります。その中で、今目に見える限りでは、ずいぶん色んな戦術を駆使しているようで、なかなか頼もしく見えます。こういう駆け引きは、他国との信頼関係を損なったりするトリックまがいなものではありませんし、引き続き驚くような策を出して欲しいと思います。)

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しかし、最近暑いですね。これから梅雨ということで、湿気も上がって苦しい日々が続きそうです。クール・ビズは結構なことですが、ポロシャツ・ジーンズ解禁にしてもらえればずいぶん楽になるんだろうけどなあ、と思うこの頃です。

久しぶりに、アクセス数の報告をします。更新頻度が減ったので、だいぶ落ちるだろうなと思っていましたが、大体IP400~500くらいで安定しています。かつて700台で安定していた頃と比べるとちょっとさびしいですが、これだけスローペースになっても読んで下さる500人の方は、私の拙い文章を丁寧に読んで下さっているのだと思います。それはそれでとても嬉しいことです。

ちなみに、5月9日にかんべえさんに言及してもらったときに一時的に800くらいに上がりましたが、それ以降の最高記録は6月14日のIP603でした。6月10日には久しぶりにgooランキング100位にランクインしましたが(IPは584)、昔はIP475でランキング75位だったことを思うと、ブロゴスフィアはいまだに拡大を続けているのかなあ、と思いました。

このブログも開始してからいつの間にか半年強が経過しました。早いものです。ずいぶん色々なことを書いてきたつもりですが、まだ当分ネタ切れはなさそうです。これからもお付き合いお願いします。

あまり活用してもらったことがないのですが、一応このエントリを雑談スレッドとします。寄せられた質問やご挨拶には、基本的にすべて返答しますので、思いついたことを書き込んで頂ければ幸いです。「マジ暑いっすよねえ」くらいのお言葉でも構いませんので、お気軽にどうぞ。

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<先に(その1)をお読み下さい。>

以前、「日本のイメージの変質」で以下の通り述べました。

「日本に関心のある人は貴重な存在です。一部の限られた人が日本のイメージ形成に大きく影響を与える面もあります。こういう日本に関心のある識者を大切に扱って、積極的に正しい情報を流してあげることは重要だと思います。それは、ハウエル卿のような親日家だけではなく、ジャパン・バッシングをする人も例外ではありません。「Containing Japan(日本封じ込め)」を論じたジェームズ・ファローズなどにしても、少なくとも日本をウォッチしている意味では、無関心な人よりもよほどありがたい存在なのです。これを敵視するのではなく、誤解があればそれを解き、正確な情報を伝えるなどして、取り込むように対処することが重要だと思います。」

このように述べた背景には、(その1)で述べた事情があります。米国においては、ジャーナリストや国際政治学者といった専門家・知識人でさえ、日本のことだけを考えていれば良いというわけにはいかないので、日本については、想像以上に多くの人が情報不足の状態にあります。ブレジンスキーのような専門家でさえ、ことあるごとに「日本は核武装するかもしれない」というのは(私は講演でそう述べるのを聴いたことがあります)、日本の細かい内部事情までフォローする余裕がないからだと思います。

そういうわけで、日本のことを知らない米国人に日本のことを教えてあげることには大きな意味があると思います。しかし、関心のない人を惹きつけるのは容易なことではありません。私は留学していた頃、日本のことをよく知らない学生との交際を広げるように努めました(何も日本のためと言うわけではなく、どちらかと言えば、英語の学習や米国の実像の探求という利己的な理由からです)。その中で親友になった一人は、私と出会うまでは、日本語と言えば「英語化している日本語」の中で一番最後に挙げた単語しか知らないような男でした。そういう人が、私と親しくなったことをきっかけにして、日本語を勉強しようと思うほどになったのは、個人としても日本人としても大変嬉しいことでした。

これは余談になりますが、日本に関心のない人に日本のことを話すには、何かとっかかりがあれば便利です。この点、『ラスト・サムライ』『ロスト・イン・トランスレーション』『キル・ビル』のヒットや『ガンダム』がテレビでやっていたこと(「日米の性描写の比較」を参照)はありがたいものでした。また、私は米国人と比べると髪が長くてくせ毛だったので(注:日本では普通の長さです・・・米国人のおしゃれについては近くお話します)、友達から「コイズミのようだ」と言われました。小泉首相のルックスは「パンクのようでクールだ」と彼らは思っており、お世辞で言っているつもりのようでしたが、やや困惑しました。「日本のイメージの変質」で挙げた小泉首相のキャラ立ちも、話のとっかかりとして重宝するという一例ですが、ありがた迷惑のところもありますね。

ともあれ、米国において日本のことを取り上げてもらって、存在感を示すというのは重要なことだと思います。大変なことですが、海外で活躍する日本人が増えていることですし、最近の前向きな日本のイメージの創出やポップカルチャー人気などをうまく活用して、地道に努力していくしかないのかなと思います。

ただ、一点補足すれば、何より大きな役割を果たすのは、やはり国と国との関係でしょう。「日本は米国にとって頼れる友人である」というイメージが浸透することが、本当の意味での対日理解を深めることに貢献するはずです。それは一朝一夕にしてできるものではありません。「日米同盟の維持」でも述べましたが、絶え間ない努力が必要だと思います。米国にとって揺るぎない友人としての立場をキープしているのは、世界でも英国ただ一国だと思いますが、その状態に至るには長い歴史の積み重ねがあったのです。イラクの自衛隊派遣が決定されたとき、苦しんでいた米国は、党派を超えて感謝の声を寄せました。ブッシュ大統領がことあるごとに「日本は立派な国だ。コイズミが好きだ。」と言ってくれるのは、日本のことをよく知らない人たちに日本の存在を想起させる上で、大変ありがたいことです。現在日米関係は非常に良好と評価されますが、それを大切に維持し育てていくことが何より重要だと思います。

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「米国における日本の存在感」「日本のイメージの変質」の記事とコメント欄で触れましたが、米国で日本の正確なイメージを伝えるのは、思ったよりも大変なことです。なぜなら、日本に関心を持っている米国人は限られており、米国の一般人の多くは正直言って日本のことをよく知らないからです。上記記事のコメント欄での(@A@)さんのように、日本のことは正確に理解されているのだろうかと疑念を抱くのは、無理からぬところでもあります。

例えば、留学中にこんなことがありました。ある授業で、先生が「核兵器を持っている国は米国以外だとどこでしょう?」と質問しました。一番前にいる生徒がすぐに手を挙げました。彼の答えはこうでした。「日本!」・・・一応、大学院の授業です。この授業は理系の人向けなので、おそらく国際関係を専門にしている学生ではないと思いますが、一般レベルでの日本に対する理解はこの程度なのか、とちょっとがっかりしたものです。

しかし、ある程度致し方ない面もあるかと思います。米国から見れば、日本という遠い極東の島国は、グローバルなビジョンの中の一角に過ぎません。国際関係やアジア地域を勉強したことのない普通の米国人に「アジアと言えばどこを知ってる?」と聞けば、十中八九「中国」と答えるはずです。ジョークなのか本当の話なのか知りませんが、「世界で一番有名な日本人は?」というアンケートの一位は「ブルース・リー」、二位は「トヨタ」だったそうです。日本が中国の一部であると思っている米国人もいます(別に悪気も他意もなく、単に関心がないので無知なだけです)。

また、近年、日本に対する関心が落ちているのも気になります。かつて、日本の経済力は畏怖の対象となり、日本研究が一つのブームになりました。しかし、日本経済の停滞以来、元々下地にあった「アジアの大国と言えば中国」という認識が強まり、それは中国の経済発展と共に膨らんできている印象があります。日本のポップカルチャー人気はありますが、米国全体において日本のイメージを押し上げるほど強いものかは分かりません。

留学やビジネスをしたことのある方は、そんなことはない、米国人には国際関係の教養があるし、日本のこともよく知っている、と反論されるかもしれません。しかし、「ブッシュのサポーターはどこに?」で述べた通り、多くの日本人が通常接する米国人たちは、国際的な感覚を持っている人たちであり、それは米国人全体の一部に過ぎません。日本びいきの人は確かにいます。そうした人たちと話すことは心地よいものです。しかし、それは米国人の中でも例外的な存在であることを忘れてはいけません。親日的な人たちとだけ交際し、それをもって米国人一般のイメージを作ることは危険です。

よく米国人は海外に関心がないとか、世界地図を見てもどこの国がどこなのか全く分からないほど無知であるとか揶揄されます。これは一面当たっているとは思います。しかし、だから米国人が日本のことを知らないのも無理はない、という単純な話ではありません。例えば、日本人で中東や東欧や南米やアフリカの地理を把握している人がどれほどいるでしょうか?一般的に言って、地図を見てすぐにピンとくるのは、やはりアジア地域でしょう。世界の地理や事情をどれほど理解しているかどうかは、結局のところ自分とどれだけ利害関係があるのかどうかに依るのです。日本にとって最重要の地域は米国とアジアだと私は理解していますが、米国にとっては、中東、中南米、中央アジアなどにアジアと同じかそれ以上に死活的な利益があるのです。また、中国の存在感は、近年の経済力の伸張という要素のみならず、歴史的背景から見ても、実は日本をしのぐものがある、と見た方が私は正確だと思います。このへんの認識のギャップには気を付けるべきだと思います。

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<先に(その1)(その2)をご覧下さい。>

前回二つの記事でこのテーマを終えるつもりでいましたが、興味深いコメントをいくつも頂きましたので、それに対するコメントという形で簡単な補足記事を書くことにします。「勉強になりました」「書くことと学ぶことの雑感」で述べた通り、こうした対話を通じて考えを深める機会を得ることがネットの一番の醍醐味と個人的には考えていますので、今後も差し障りのない範囲で、こうした形の記事を書いてみるのもいいかなと思います。決して手抜きではありません・・・正直言って、一から記事を書くより楽なのは確かですが(笑)。

・・・

まず、(その2)記事に対しては、HacheさんとM.N.生さんから、米国から見たイラク戦争に対する考え方について深甚なご指摘がありました。コメント欄に書いたお返事と重複してしまう部分がありますが、以下あらためて考えを述べます。

米国はこうあるべきだとか、間違っているとか考える前に、米国はどのような存在なのか、何をしているのか、どこに向かおうとするのかという、利害関係や感情を離れた、突き放した視点を持つことは、非常に大事だと思います。それを踏まえてはじめて、それでは日本はどうするべきなのか、世界はどうあるべきなのか、というテーマについて、地に足がついた議論ができるのではないかと思います。

M.N.生さんは、「イラク戦争をめぐる各国各者の認識ギャップ」「大量破壊兵器が見つからなかったからイラク戦争は大義が無かったという主張」について言及されています。私自身、日本の多くのメディアや知識人が、あたかもコンセンサスであるかのように「大義」の不在を説くのを見て驚いた覚えがあります。米国、特にワシントン周りでは、9/11以前から中東問題に目を向けており、大量破壊兵器疑惑なんてそもそも周辺の話に過ぎない、という人々は珍しくありません。その中には、M.N.生さんが指摘されている通り、フリードマンのような積極派もいれば、スコウクロフトら伝統的保守の立場から消極的なスタンスをとる人もおり、戦争や戦後統治、中東民主化計画に対する認識は様々です。もちろん、リベラル派を中心として、戦争そのものに疑義を唱える人たちもいます。しかし、その中には、イラク戦争後の中東の様子を見て、結果を見ればやはりこの戦争は一定の成果を上げたと評価せざるを得ないとする人たちもまた少なくありません(数ヶ月前、エコノミスト誌やリベラルな論調で知られるボストン・グローブ紙にこうしたリベラルの一種の「転向」を取り上げた記事がありました)。

本来、こうした様々な意見の並立は当たり前のことだと思います。重要なのは、各人が正確かつ十分な情報を持ち、論理的に考え、自由に討論することだと思います。感情によって事実認識を損なったり、他人の見方に耳をふさいで一つの考えに閉じこもったりすることは、何も生み出しません。誤った認識や決めつけの意見をふりまくことは勝手ですが、問題意識を持ち始めた人たちや前提となる知識をこれから得ようとする人たちに対しては、害悪にすらなります。

この点、米国においては、様々な機会においてレベルの高い議論が展開され、それが一般人にも効率的に伝わるようになっている点、率直に感心します。日本として大いに見習う点があると思います。メディアには、本当に視聴者や読者にとってためになる、ソリッドに本質をとらえた議論、意見、情報をもっと紹介してもらいたいと思います(メディアに求めたい役割については、そのうち卑見を述べてみたいと思います)。

Hacheさんは、昨今の日本外交について、「日本なりに相当、独自の努力はしているにもかかわらず、残念ながら目に見える結果がでて」おらず、「通常の外交だけでも非常に骨が折れるのが現実」と述べておられます。実際にどこまで政府が努力しているか分からないところもありますし、いつも「もっと頑張れ」と発破をかけたい気持ちもありますが、外交が地味に見えるから、成果が見えないからという理由だけで政府を批判する雰囲気は好ましくないと思います。派手さはなくとも、地道にやるべきことを追求することが外交の王道だと思います。歴史を見ても、国民の受けをねらう底の浅い外交はどこかで綻びがでるものです(この点、最近の韓国には不安をおぼえる面があります)。

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いつも貴重な指摘をして下さるみたび玉以外日記さんからは、米国の主張する論拠への疑問テロの原因が欧米を中心とする先進国の搾取構造にあるというご指摘を頂きました。

みたび玉以外日記さんのような懐疑的な視点を持つことは非常に重要だと思います。米国の情報について言えば、政府やその利害関係者の情報は鵜呑みにはできないのは当然ですし、そうでないにしても、米国人の見方に過ぎないというしばりは、常に念頭に置くべきだと思います。

一つだけ、テロの原因について、意見を述べます。欧米の「勝ちすぎ」について言えば、後発国であったアジアが発展をとげた一方、石油などの天然資源に恵まれた中東がなぜ同様の発展を実現できないのか、そこに問いを投げることはできないでしょうか。

中東の発展を妨げている一因が、既得権益の保持を超えて国を導くことのできる指導者の不在にあることは否定できないと思います。アルカイダのような国際テロネットワークの活動は、パレスチナの自爆テロなどと違って、膨大な資金源を確保していることにより可能となっています。彼らは資本主義の恩恵をあずかり、それなりの富の蓄積、少なくともそれを実現する能力を得ています。資力を蓄えた貴族階級が、貴重な資源を自国の発展のために使わず、現状の維持や非生産的な殺戮のために浪費していることに、私は違和感をおぼえます。

また、テロリストの信奉する思想は、決してイスラム本流の思想ではありません。テロ活動が派手に見えるからと言って、それが中東の人々の多数の支持を得ているかのように見ることは正しくありません。

もちろん植民地時代、冷戦から続く欧米の恣意的な関与にも責任はあります。しかし、それを言えば、より重い責任を負っているのは米国よりも英国やソ連のはずです。また、いずれにしてもこれから考えなくてはならないことは、中東の人々の幸せをどう実現するかであり(それが物質的繁栄や近代化と密接な関係があることは確かでしょう)、そのために各国や世界はこれから何ができるのか、ということだと思います。

この問題には色々な外在的・内在的原因が絡んでおり、一口に言い表すことはできません。しかし、中東の人々自身が問題を解決するのを助けるために、日本を含む先進国は経済援助を行ってきました。この考え自体に間違いはないと思いますし、その有効性を高める努力を引き続き行うべきだと私は思っています。少なくとも、テロリストに対して私はシンパシーを感じません。

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