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やじゅんのページ/The World according to YAJUN



ブログを始めて2ヶ月が過ぎました。最初はどれほど続くものか見当もつかず、勢いで始めたようなものでしたが、やってみると書きたいことが沢山出てきて、最初は週2,3回の更新もできれば十分だろうと思っていたのが、ここのところほぼ毎日の更新が続き、自分でも驚いています。やればやるほど面白くなるんですよね。ただ、無理をしているつもりはないですが、自分としては、日々の時事の批評よりも、長い目で見て読むにたえるエッセイを、「量より質」という観点で書きたいと思っているので、最近はちょっとペースを落とした方がいいかなと思っています(過去の記事についてはバックナンバー一覧をご覧下さい)。

年頭の挨拶で述べましたが、私がブログのことを知ったのはつい最近(CBSのダン・ラザーのスキャンダルのとき)でした。ブログについての所感については年頭の記事の繰り返しになるので述べませんが、最近一つ面白いと思ったのは、日本で注目を集めるイシューがリアルな感触で伝わるようになったことです。米国にいても、日本のニュースはネット、新聞、テレビを通じて入ってきますが、それが一般社会においてどれほどのインパクトがあるのかについては、やはり日本にいるときと比べると感覚にズレがあって、案外分かりにくいものです。例えば、最近のNHK・朝日の衝突やクルド人難民の問題。他の人のブログを見れば、それが世間でどれほどの注目を集めていて、一般の人たちがどういう気持ちで見ているのか、ある程度の感触をつかむことができます。もちろんブログの情報に過大な期待をかけることはできませんが、複数の個人の見方を確認することで、ある程度の判断材料を得ることができるように思います。ありがたいことです。

(ちなみに、年頭のブログ所感にちょっと補足をしますと、私は大手メディアに所属する全てのジャーナリストに懐疑的な目を向けているわけではありません。私自身、新聞、テレビ、出版社に親しい友人はいますし、立派な活躍をしている方も沢山知っています。そういった方達は、これからも大手メディアにしか発揮できない強み(取材アクセス等)を通じて、価値のある報道を続けると思いますし、また、ブログ等の新しいメディアを通じたインタラクションを活用し、読者のニーズを察知したり自己の報道を検証することによって、自己の報道の質を高める方も出てくるかと思います(私はつい最近「小さな目で見る大きな世界」を見て知りましたが、毎日新聞の白戸圭一記者がfinalventさんと交わした論争などその例だと思います)。ただ、これまでの特権にあぐらをかいて、外からの批判に耳を傾けず、狭い世界に閉じこもってきた人たちにとっては厳しい時代になる、と述べたかったに過ぎません。誤解があったらいけないと思いましたので念のため。)

ところで、これから気分転換もかねて、ランキングのカテゴリーを「政治」から「海外ニュース」にスイッチしてみることにしました。しばらく「政治」というよりは、カーティス・フラーのライブの記事のような文化・生活面でのくだけた話題も多くなりそうだったので。実は、ブログランキングを始めた当初はこちらに登録していたのですが、最初のうちはランキングの仕組みも分からず、バナーもつけていなかったので、ほとんどランキング外の誰の目にもとまらない位置でうろうろしていました。今はランキングも多少アップしましたし、こちらのカテゴリーを見る人が興味を持つ話題が多くなりそうなので(ブログの内容に一番合ったカテゴリーに置くことがOUTのアップにつながると思いますし)、とりあえずものは試し、様子を見てみます(硬い話題が中心になってきたら、また「政治」に戻ると思います)。

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一ヶ月ほど前の話になりますが、米国国務省のウェブサイトに、中国の一人っ子政策を批判する文書が出てました。非人道的な政策であるとして厳しく非難しています。

調べてみたら、レーガン政権時からこうした批判は始まっていて、制裁的意味で、国連人口活動基金への援助の停止を行っていました(クリントン政権のときに援助が再開された)。中国は、米国からの批判もあって、農村を中心に政策を緩和しています。

面白いのは、これ、堕胎に対する米国人の倫理的価値観を反映したものなんですね。普通、人権外交というと、民主党が根強い歴史を持っている分野なのに、本件については、保守派の価値観から展開されていて、クリントン政権の対応に見られる通り、民主党の方がむしろ及び腰、というところがちょっと興味深かったです。

直感的には、米国の批判は内政干渉スレスレな気もしますが、ステートメントを出すだけなら実質的な意味はないし、援助の停止も実行国の主権の範囲内の行為としておさまる話なのでしょう(まあ、国内問題不介入原則違反だから国際法上違法という意見があったとしても、どうでもいい話ですが)。もっとも、私は中国の一人っ子政策の実態を知らないので何とも言えませんが、中国からすれば「大きなお世話だ」という感じではあるのでしょうね。

一方で、中国の専門家の話を聞くと、中国の都市部は日本同様、子供は少なくていいと考える夫婦が増えているため、あまり問題にはならなくなりつつある、という面もあるそうです。問題は農村部で、社会保障を充実させないと、老後を子供に頼らざるを得ない現状では、子沢山の状況を変えることは難しいかもしれないとか。特に女の子に関しては間引きの問題も依然あるそうです。

ともあれ、国務省の文書にある通り、一人っ子政策のつけがまわって、中国は世界的に見ても類を見ないほど深刻な高齢化に直面するのは、すでに多くの人に指摘されている通りですね。

・・・

ちなみに、これは間引きの問題とも絡む話ですが、中国人の孤児を養子として引き取る篤志家の米国人が最近多いそうです。

あまり知られていない米国の一面ですが、一般的に言って、養子に対する社会的な受け入れの度合いが非常に高いと見られます。子どものできない夫婦が養子をとることは、そう珍しいことでもないのです。

私の友達にも何人かいます。初めてそういう夫婦に会ったとき、彼らは「赤ちゃんができた。」と喜んでいたので、「へえ、いつ生まれたの?」と聞いたら、「生まれて数ヶ月だけど、うちにやってきたのはつい先日だよ。養子だから。」とフツーに言われ、聞いてはいけないことを聞いたのだろうか?と思ってドキッとしました。よくあることなので、全く意に介さないようです。【注】言うまでもなく、私が経験したのは一つのケースに過ぎません。中にはそれほどオープンではない親もいるかと思いますので、くれぐれも全ての米国人に当てはまるとは思わないで下さい。

そういう養子をとる中には、中国に限らず、他のアジア地域の途上国の孤児を引き取る人も結構います。例えば、アーミテージ国務副長官は黒人やベトナム人を含む数多くの孤児を養子として引き取って育てています。日本人の私の感覚からすると、立派だなあと思いながら、ちょっと違和感を覚えるところでもあります(その事情のバックグラウンドを知らないということもあるかもしれませんが)。欧州などではどうなんでしょうね。

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これまでの記事とそのコメント欄(これこれ)で、就任演説に対するとりあえずの印象を述べましたが、少し日を置いたところで、米国内における報道を中心に自分なりに簡潔にまとめたものを記すことにします(識者の見方の選別という意味での主観的判断はありますが、基本的に私自身の意見は入れていません)。

*全体的に、抽象的な理念の強調に重点がおかれており、具体的な政策の表明という面からみれば内容は乏しい。一方で、そもそも就任演説で政策の表明を行うことを期待するべきではなく、政策面については2月2日の一般教書演説を見てから判断するのが適当とする見方が一般的。介入主義を強める方針を明らかにしたものとする向きもあるが、演説から政策の方向性を読み取ることはできず、規定の路線の変更を示したとは言えないとする見方がどちらかと言えば主流。

*随所に宗教的なキーワードをちりばめさせており、宗教性はかなり強い。ただし、ケネディやリンカーン等の演説と比較してそれほど際立つものではないとの指摘もある。

*「自由」と「専制政治の終焉」が演説最大のテーマ。
-これらの強調はブッシュ大統領自身の強いこだわりと見られる。同時に、「America will not impose our own style of government on the unwilling. Our goal instead is to help others find their own voice, attain their own freedom, and make their own way. 」 「We will encourage reform in other governments by making clear that success in our relations will require the decent treatment of their own people.」 「And all the allies of the United States can know: we honor your friendship, we rely on your counsel, and we depend on your help. Division among free nations is a primary goal of freedom's enemies. The concerted effort of free nations to promote democracy is a prelude to our enemies' defeat.」 といった箇所は、国外の反応にかなり注意を払っていることを示唆している。

-米国においては、民主主義の普遍性は誰も反対できない絶対のレトリックと見なされ、この点そのものに疑義をはさむ者は、少なくとも表に出ている限りでは、保守・リベラルともに極めて少ない。批判の多くは、これまでブッシュ大統領が採ってきた政策と一致していない、理想主義外交は口だけであり(例えば、民主主義を広めると言いながら中国、ロシア、サウジアラビア、パキスタンはどうなのか)、実績が追いついてない、といったもの。

-自由と民主主義の普及の強調を、ウィルソン的ミッション外交(介入主義)と見て、懸念を有する伝統的保守主義者がいる一方、初期ブッシュ政権が掲げた「国益に基づく保守主義」の枠内に収まる限りの外交方針ととらえ(あるいはそうなるように希望していて)肯定的に見る保守主義者(穏健派・ネオコン含む)も多い(ブッシュ政権のキーパーソンの多くが基本的にリアリストであることは事実)。リベラルの中には、こうした国益に基づく理想主義を、いわば偽善的なものとして批判する者もいる。

-米国外においては、自由と民主主義の普及の強調が、根底に流れる宗教性とあいまって、「米国の傲慢」「世界を不安定化させる」として見られる傾向が強い。

*「terrorism」「terror」「Iraq」「Afghanistan」への言及がなかった点について種々の意見あり(例えば、ロバート・ノヴァクは、南北対立を明示的に指摘しなかったリンカーンの例を引きつつも、イラクへの言及がなかったことを「欠陥(defect)」ととらえている)。

*国際問題への言及にかなり傾斜しており、内政面への言及が少ない。

(私自身の個人的な印象に関しては、この記事のコメント欄を見て下さい。)

2月2日の一般教書演説を見たら、全部ひっくり返ったりして・・・(笑)。

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1月14日の記事で、トム・プレートというUCLAの教授が日本の津波支援を批判している記事(1月4日執筆)を紹介しましたが、つい先日、プレート教授が同じテーマについて内容をあらためて作成した記事(1月14日執筆)を見ました。

前にも述べた通り、元々の記事は、米国の要請に応じて資金だけを提供する日本の「小切手外交」や寄付金の少なさを批判していました。私は、これを日本の自衛隊の派遣やNGOの活動を調べず、湾岸戦争などを思い出しつつ、偏見と思いつきに基づいて作成した記事だと指摘しました。いずれ馬脚を現すだろうと思いましたが、案の定、新しい記事では苦しい言い訳に終始したようです。例えば、以下の通り述べています。

The Koizumi government should be proud of that historic policy departure(注:イラクへの自衛隊の派遣のこと), and now of its coordinated response to the tsunami crisis in South and Southeast Asia. ・・・ the Japanese response to this tragedy has been awesome.They’ve not just shoveled yen at the disaster but sent supplies-bearing military destroyers, air force cargo planes, medical teams, emergency grant aid of all kinds, disaster-relief units, DNA experts (for body identification) and rescue teams from civilian, police and military agencies.

日本の支援(とイラクへの自衛隊派遣)は「すごい(awesome)」と述べています。前の論調とはえらい違いです。しかし、全体としては、小切手外交の呪縛はまだある、というラインを何とかキープしようとしています。もっとも、自分の主張を短期間に撤回するのは誰にとっても難しいことですし、認めるべきところはちゃんと認めて記事を書き直しているだけでも、まともな人なのだろうと思います。

いずれにしても、日本がちゃんとしたことをやればちゃんと評価されるし、事実誤認に基づいてバイアスがかかった批判があったとしても、ネット時代ではすぐにつぶされるということだと思います。ブログの所感についての記事でも述べましたけど、昔ならいい加減な記事を出しても、反論されることもなく、そのまま検証されずに免れたのでしょうが、今の時代、フェイクの意見はすぐにメッキがはげてしまうわけですね(他人事と思えないところもありますが・・・)。

この教授のことはよく知らないので、他にどんな記事を最近書いているのか調べたところ(私も何をやってるんだか・・・)、こんな記事を見つけました。その中にこんな箇所があります。

In fact, Asians mostly think the United States needs to keep a tighter watch over Japan than China. ・・・ Japanese Prime Minister Junichiro Koizumi, returning from North Korea on his second mission there, is often viewed as brilliant; but his nationalism more worries Asians than China's military buildup.

「多くのアジア人が、米国が、中国よりも日本に警戒の目を向けることを望んでいる」と述べています。そうなのかなあ?「Asians」というのはどのアジアの人のことを指しているのだろうか。まあ、この箇所のあとに「This may not be rational, much less fair; but it is a fact.」とも述べているので、何も日本が嫌いという理由でこういうことを言っているわけではないと思いますが、どうも思い込みが強いところがあるのかな、という印象が残りました。

・・・

この教授が適切な例かどうかはよく分かりませんが、米国のアジア専門家の中には日本とアジアとの微妙な関係(特に過去の問題)をやたら大げさに取り上げて、日本にとって挑発的(?)な文章を書く人が結構います。特にリベラルな人にその傾向が強く、西海岸に多く存在する印象があります。もちろんそういった人たちは一部に過ぎないのですが、アジアについて継続的に書く人は結構限られているので、その影響力は軽視できません。しかも、いわゆる高名な(それも日本からの留学生が多い)大学にもこういうスタイルの人は少なくないので、そういう人たちだけを見て、「米国の学界は日本をこう見ているのか」と思ってしまう日本人(や他のアジアの人)留学生も結構いるのではないかと思います(あくまで例えですが、日本に来る外国人留学生が、朝日新聞的な見方を日本の主流と見てしまうようなものでしょうか)。同じことは学者だけではなくて、ジャーナリストにも言えます。日本に関する記事はほとんど東京支局から発信されるので、もし東京支局長がバイアスのかかった人だと、その新聞全体の論調やクレディビリティと関係なく、書き手の主観にかなり依存した記事が掲載されてしまうわけです。こういうところにはもっと注意を払ってもいいんじゃないかと思います。

・・・

最後に、津波に関して一点付け加えると、米国の中には、津波支援の初動の段階で結成された米日豪印の四ヶ国コアリションが、今後の多国間外交において大きな意義を持つのではないか、という声もあります。例えば、ウォルター・ラッセル・ミードは「太平洋版NATO」の萌芽かもしれない、と述べています(こちらを参照下さい)。日本が直接関わる話でもありますし、なかなか興味深いところです。

【関連記事】
スマトラ沖の地震・津波
スマトラ沖の地震・津波(補足)
スマトラ沖の地震・津波(日本と米国の対応に関する所感)

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ここ数日の極寒が頂点に達して、昨日は大雪になりました。昨夜は、雪が積もる中、地元の「ブルース・アレイ」というジャズクラブにカーティス・フラー(Curtis Fuller)のライブを見に行きました。カーティス・フラーはJ.J.ジョンソンとならぶ有名なトロンボーン・プレイヤーです。ベニー・ゴルソンとトミー・フラナガンと競演した1958年の「ブルース・エット」というアルバムは古典的名盤として知られています。6人のメンバー全員が魅力的なパフォーマンスをしてくれましたが、特に「Minor Vamp」で、フラーがトランペット、サックスと競演するところが美しくて良かったです。

他にワシントンDCで見たライブについては、こちらの記事をご覧下さい。

ちなみに雑談スレッドはそのまま有効ですので、よろしければ引き続き書き込みどうぞ。

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お気づきになった方もおられるかと思いますが、1月17日に、ブログランキングのバナーをページの右上に付けました。今までは、左下のBookmarkの欄の見にくいところにひっそりと置いてあったのですが、この方が目立って良いですね。(注:このバナーをクリックすると、ブログランキング上で、より目立つ位置でこのブログが紹介されることになり、更なるアクセス数の増加につながる仕組みになっています。より多くの人に記事を見てもらうことにつながるので、気が向いたときにクリックをしていただけると嬉しいです。一日一回で十分だそうです。)

ちなみに、このバナーはstandpointさんからのご助言にしたがってつけました。gooの有料(といっても最初の3ヶ月は無料)サービスに加入し、悪戦苦闘してHTMLをいじった末、夜中の3時にようやく取り付けが終了しました。疲れた・・・。

苦労のかいあってか、バナーを取り付けた翌日に、いきなりブログランキングの「政治」カテゴリーでベスト10にランキングインし、びっくりしました(22日時点で8位)。おかげで、ランキングからこのブログにたどり着いて頂く方がずいぶん増えたようです。standpointさん、アドバイス本当にどうもありがとうございます。

ところで、有料サービスに入ったことで、アクセス解析も使えるようになりました。これはどうやってこのサイトにたどり着いたかとか、どのページが人気あるかなど分かって、なかなか興味深いですね。色々考えさせられます。例えば、初めてアクセス解析を確認した18日には、「東アジア共同体 反対」とか「東アジア共同体 について」というキーワードで検索している方がずいぶんいました。マイナーかと思ってたら、結構注目を集めている話なんですね。あ、ちなみにどういう人がここを訪れているか、というのは全然分かりませんから、安心してください(笑)。

有料サービスに入ったついでに、HTMLを色々いじって、ページの構成を変えてみました。Profile、Category、Bookmark、Searchが右側に移ったのが分かると思います。ページの幅も広げてみました。自分で言うのも何ですが、だいぶすっきりしましたね。満足。

満足ついでに、この記事をBBS的な「雑談スレッド」にしてみたいと思います(たけくまメモカネシゲタカシさんのブログのやり方を真似しています)。普段リード・オンリーの方も、記事とまったく関連がないけど雑談がしたいとか、私に聞いてみたいことがあるとか、自分はこう思うとか、ブログに対する提案とか、励ましの言葉とか、ご飯がうまかったとか、どんな話でも良いので、よろしかったら気の向くままにコメント欄に書き込んで下さい。私としても、せっかくのブログですから一方通行よりも相互の交流があった方が楽しいし、勉強にもなります。BBSだけ作って何もコメントがなかったら恥ずかしいので、この手のブログ・身辺雑記系の記事を書いたついでに試してみることにしました。

いずれにしても、ようやく一人前のことができるようになって、真人間、いや真ブロガーに近づいてきた気がします。これで後顧の憂いなく(?)書くことができますので、これからもよろしくお願いします。

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昨日のブッシュ新政権の記事に引き続いて就任式についてちょっとだけコメントしてみます。

邦字紙を見てもポイントは既に色々指摘されていますが、「自由(freedom, liberty)」をやたら強調してましたね。歴史に残る大統領になろうとする意志の現れでしょうか。内政面ではかねてよりの持論である「オーナーシップ社会」の主張が目を引きました(社会保障改革がこれから目玉の政策課題になる点については、米国における医療事情の記事で少し触れました)。

それから、リンカーンへの言及も興味深かったです。これも、もしかしたら歴史の評価を意識していることの現れかな、と思いました。リンカーンは、今でこそ誰もが認める米国史上最も偉大な大統領の一人ですが、在任当時は、分裂した南部はもちろんのこと、その強権的なリーダーシップのために、連邦議会、自分の配下の軍隊などに多くの政敵を作り、夥しい批判を浴びた政治家です。ほとんど民主主義を踏みにじるような危ない橋を渡りながらも信念を貫き、結果的には国を救った英雄になりました。私の勝手な印象ですが、もしかしたらブッシュ大統領も、自分の信念を貫けばあとは歴史が評価する、と思っているのかも知れません。

ところで、過去の就任演説(このサイトで見られます)を見ると、驚くほど「神」に言及した演説が多いですね。例えば、このリンカーンの演説とかすごいです(まあ、リンカーンはもともと演説の中で聖書を引用することが多い人ですけど)。最近の人でも、共和党の人だけではなくて、トルーマンやジョンソン、ケネディも思ったより強く言及していて、これもまたある意味米国らしいなと思いました。

まあ、しかし、4年に一度のこととは言え、一国の元首の就任演説がこれほどまでに世界的に注目を集めて、一字一句の含みまで精査されるのも米国ならではの話だと思います。つくづく特別な地位を占める国なんだなと実感させられるところでもあります。

次に注目されるのは2月2日の一般教書演説(State of the Union address)ですね。

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(写真はアーミテージ国務副長官(出典:米国国務省ウェブサイト))

再選を果たしたブッシュ大統領は本日(1月20日)に就任式を行いました。私もちょっと様子を見に行こうかと思ったのですが、寒さと出不精のため、おとなしく家でテレビ中継を見ました。それにしても壮大なお祭りで、ワシントンDCにいるせいかもしれませんが、米国人でこれを見ていない人はいないのではないかと錯覚するほどです。

就任式と言えば話にのぼるのがハリソン第9代大統領。Wikipediaの説明によれば、「彼はコートを着用せずほぼ二時間の、アメリカ史上で最長の就任演説を行った。この演説中に彼は風邪を引き、それを肺炎へこじらせ一ヶ月後に他界した。彼は在職中に死ぬ初の大統領。ハリソンの任期は合計31日で最短である。」・・・いや、笑ってはいけません。多分、ものすごく真面目な人だったのでしょう。勇敢な軍人だったそうなので、からだに自信もあったのかもしれません。今の時期のワシントンDCの寒さは筆舌に尽くしがたいものがあります。私が同じことをしたら肺炎を待たずに凍死しますね。

それはそれとして、新政権が発足しました。日本にとって目を引く人事異動は東アジアを担当する外交チームです。

まず、一番重要な異動は、間違いなくアーミテージ国務副長官の退任です。元々予定通りの人事であり、何かの責任を取るためだとか不和があったからだとかという理由の異動ではありませんが、米国きっての知日派であるアーミテージ氏の退任は、正直言って日本にとってかなり残念なことです。アーミテージ氏は、日米関係の強化が自分のライフワークと言って憚らない大変な親日家で、日本から米国に訪問する要人のほとんどが必ず面会するキーパーソンです。海軍勤務中にベトナム戦争に参加した同氏は、その経験を契機にアジアとの関係構築に関心を持ち、国防総省を中心に東アジアに携わるキャリアを築いてきました。2000年に私人の立場から発表した日米同盟の強化に関する「アーミテージ・レポート」は日米関係に関わる者の間では知らない者はいないほど有名な文書です。また、同氏の平和憲法や拉致問題といった日本特有の事情に対する深い理解は、米国政権のスタンスを決める上で大きな役割を果たしたとも言われます。以前ご紹介した『Rise of the Vulcans』という本によれば、「マンスフィールド大使を除けば、過去30年間において、アーミテージほど日米関係に緊密に関わってきた者はいない。」と書かれています。政権を離れた後も、アーミテージ・アソシエイツというコンサルタント会社を経営する同氏は日米関係にとって重要な役割を果たし続けると思われます。(余談ですが、写真を見れば分かる通り、同氏は立派な体格をしていることでも有名です。同氏とブッシュ大統領のベンチプレスの語らいについては、「筋トレ」の記事をご覧下さい。)

アーミテージ氏の後任にはゼーリックUSTR(通商代表部)代表が就任します。同氏は政府の要職を歴任してきた経験豊富な実務家で、頭脳明晰な合理主義者として知られます。CSIS(ワシントンDCにある著名シンクタンク)の所長を勤めたこともあり、アカデミックな戦略家としての一面もあります。アジアとの関わりがアーミテージ氏と比べるとやや薄いところはありますが、ブッシュ政権の対東アジア外交に大きな変更がない限り、これまでの方針を如才なく継続するものと思います。

次に、NSC(国家安全保障会議)と国務省を見ると、朝鮮半島問題エキスパートの活躍が目立ちます。

まず、NSCでは、若手知日派の代表とされるマイケル・グリーン(日本滞在歴が豊富で、椎名素夫議員事務所で秘書をしたこともある)アジア上級部長の下に、ビクター・チャ・ジョージタウン大学教授がアジア部長(日本・朝鮮半島担当)としてつくことになりました。韓国系米国人であるチャ氏はまだ若いですが、北朝鮮問題について学界の注目を集める論文を発表しています。同氏の唱える「hawkish engagement」(強硬的関与政策)という理論は、対話と圧力のコンビネーションのうち後者に重きをおくスタイルで、個人的にはブッシュ政権と日本が現在採っているアプローチになじむものと思われます(ちなみに私は留学中に同氏の論文をよく参照させて頂きました)。

国務省においては、北朝鮮問題に関する六者会合でおなじみのジェームズ・ケリー国務次官補(東アジア大平洋担当)の後任にクリストファー・ヒル駐韓国大使がつきました。ケリー氏はもともと海軍時代から親交のあるアーミテージ氏の要請で就任した人ですから、退任は自然な流れに見えます。ほか、デビッド・ストローブ現日本部長も朝鮮半島問題のエキスパートです(一方で韓国部長のジェームズ・フォスターは日本専門家)。また、ネオコンの代表格で、北朝鮮に対し強硬なスタンスをとると言われるボルトン国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)(昨年10月に訪日しています)は近く退任する見通しであると報じられています。

これらの体制が、いわば「北朝鮮シフト」として機能し、ブッシュ外交が対北朝鮮外交を活発化させる兆しとなるのか、しばらく様子を見てみないと何とも言えませんが、北朝鮮問題解決の鍵を握る日米韓三国の協力の強化につながるだろう、という見方も有力です。

それにしても、海外に転出している政府関係者も含めると、共和党系アジア専門家の層の厚さには驚くべきものがあります。現政権のトップダウン型外交においては、大枠の政策はブッシュ大統領近辺のレベルで決定されるでしょうから、個別の人事異動が与える影響をそれほど強調する必要があるとは思いませんが、こうした知日派の政府の中枢における存在は、日本からの「声」を米国側に正確に伝える上で大きな意味を持つと思います。もちろん民主党サイドにも日本専門家は沢山いますが、仮にケリー政権が発足してがらりと陣容が変わったとしたら、ちょっと苦労したかもしれません。

追記:民主党と言えば、1月17日付ワシントン・ポストに、リチャード・ホルブルック元国連大使(ケリー政権が発足した場合の有力な国務長官候補と目された)が書いた新政権の陣容に関する寄稿記事が掲載されていました。

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1月15日の「イラクと中東和平」の記事に対して、Max Tさんから大変貴重なコメントを頂きましたので、それに関して思うところを述べたいと思います。

「米軍が撤退し、内戦が起これば、悲惨な目に合うのはイラク人自身であり、混乱したイラクの害を受けるのは周辺イスラム諸国自身であるという認識に立ち戻るために、やはり米軍は撤退を時期を定めてコミットするしかない。その時期尚早な撤退は内戦を引き起こす可能性があるが、そのリスクもイラク人自身が負うしかない。」

30日の選挙の実施を含めた政治プロセスは、既に多くの専門家や関係者に論じられている通り、「イラク人による政府」を作るという意味で、極めて重要な意義を有しています。その最も重要なポイントは、イラク人を代表する政府を築くことによって、全ての武装勢力が「反米勢力」から「反イラク政府勢力」に転換する点です。イラク国民の様々な利害関係を反映できる政治システムが確立すれば、イラクの政府に対するイラク人の不満や反発は、制度の枠組みの中で解決すべき問題として処理できるのです。この重要性は、イスラム専門家である池内恵氏が早くから指摘してきましたし、最近では日経新聞でイマニュエル・ウォーラーステインが整理した形で述べていました(なんで今頃突然ウォーラーステイン?と思いつつ読みましたが、しっかりした正論を分かりやすく述べていました)。

この点、おそらく私もMaxさんも基本的には同じ認識に立っているのですが、結論部分はちょっと違います。米軍の撤退論は、保守・リベラル問わず色々なところから出ていますが、私は、早期撤退はなかなか難しいのではないかと思っています。少なくとも一連の政治プロセスが終了する(と予定されている)本年12月末までは困難ではないかと思います(このプロセスについては「イラク国民議会選挙に関する雑感」記事をご覧下さい)。

(撤退論の根拠は、伝統的保守主義者(Paleo-conservative)の孤立主義から民主党リベラルの現政権のアプローチに対する批判まで様々ですが、具体的な論文については、例えば、「Iraq: Winning the Unwinnable War」(James Dobbins, Foreign Affairs, January/February 2005)、「A Time for Leaving 」(William R. Polk, The American Conservative, January 17, 2005)を参照して下さい。)

その理由の第一は、上に述べた「イラク人による政府」を確立するためには、その「正統性の確保」が何よりも重要だからです。実際のところ、想定している通り進むのどうか全く分かりませんが、正統性を確立するプロセスが終了するのは、憲法の制定と正式な政府の樹立が実現する時点です。それまでに混乱がおさまれば米軍も撤退できるでしょうが、おそらく少なくとも政治プロセスの完成まではそうならないでしょう。この混乱を果たしてイラクの国軍と警察だけで抑えられるものでしょうか。

理由の第二は、第一と重なり合いますが、Maxさんご指摘の通り、イラクにおける民主主義の理念の脆弱さです。この点は、私も「イラク国民議会選挙に関する雑感」記事で指摘していましたが、イラクで本当の民主主義が機能するにはまだまだ時間がかかります。宗教上の対立のみならず、亡命イラク人と国内に残ったイラク人との間の確執もありますし、制度があっても現実がそれにマッチするかどうかにはまだまだ注意を払う必要があります。だからこそ、米国のプレゼンスを初めとする外部の助けが必要なのではないでしょうか。TAL(暫定基本法)だって米国がいたからできたのであって、イラク人だけでは作成できなかったはずです。

理由の第三は、米国の責任です。米国シンパの私でさえ、この戦争の発端を正当化できるのかどうかには疑問があります。イラク国民にしてみれば、サダム・フセインが駆逐されるのはもちろん望外の喜びであったのでしょうが、今これほどの混乱が起きることを知っていれば、果たして米国にイラク侵攻をしてもらうことを望んだのかどうか。さらに、今の混乱の責任は大部分は同情する余地のないテロリストにあると思いますが(自衛隊のイラク派遣に関する記事をご覧下さい)、米国の戦後処理のミスにも相当責められるところがあると思います(この点も既に多くの人によって分析がされていますが、酒井啓子氏の『イラク-戦争と占領』(岩波新書)がまとまっています)。アフガニスタンとは何もかも条件が違うので比べることができませんが、イラクとアフガニスタンを比べると、戦後処理の結果が非常に対照的です。米国の失政は非常に残念なことです。今の状態で、イラク人に内戦のリスクを全て負わせることはフェアではなく、米国は今の混乱を収拾するために全力を尽くす道義的義務があるはずです。

もちろん、早期撤退と期限の区切りというアイディアは、米国が楽をしたいという理由のみならず、むしろこれらの理由からなされているのだとも言えます。米軍が撤退すればイラク政府の正統性の確保が早まる可能性はあるし、イラク人に民主主義の本質を学ばせるには傷だらけになりながらも自分がリスクを負う必要がある。したがって、米国が責任をとるための手段として、撤退のオプションを採る(但し穏健派は、国軍・警察の訓練も含めてイラクへの支援は続ける、つまりアプローチを変える)という主張です。私は専門家ではないので、この辺の判断はできませんが、どうなんでしょう。公開情報を見る限りでの素人の直感としては、イラク人だけで今のイラクを治めるのは難しいのではないでしょうか。また、米国が退いたときに、イラク人が「米国は引っかき回すだけ引っかき回して、置き去りにしやがった」などと憤慨するリスクも心配です。

そして、イラクが外からの助けを必要とする限り、日本も米国と一緒にイラクでのプレゼンスを継続し、さらに国連や他の国々の関与も拡大させる努力を続けるべきである、というのが私の意見です。ただし、米国(特に国防総省)が過去の失策を検証し、より改善されたイラクへの関与を実現させる必要があることは言うまでもありません。

もっと言えば、こうした外からの関与の必要性は、実はイラクに限らない中東地域全体に当てはまるのかもしれません。米国の「大中東構想」も発想の立脚点はそこにあるのだと思います。イラクは混乱し、イラク人の反米感情は高まっていますが、宗教界を含め大部分のイラク人が「民主主義の確立」を肯定的に受け止めていることは事実です。オックスフォード・リサーチ・センターによるイラクにおける世論調査(2004年2月)(PDF)によれば、9割近いイラク人が「イラクで今必要なのは民主主義」と答えています。ニューヨーク・タイムズの保守派コラムニストであるデビッド・ブルックスは、中東で三つの選挙(アフガニスタン、PLO、イラク)が行われることの意義は強調し過ぎることはない、と繰り返し述べています。民主主義がそもそも中東やイスラムの世界になじむのか、という議論を超えて、新しい歴史が展開しようとしているような気配がします(もっとも、どれほどの意味があるのか分からないほど定かならぬ気配ですし、先の道の険しさを想像すると暗澹たるものがありますが・・・)。

最後に、イラクは大変です。先が見えません。楽観的になれる要素はほとんどないように見えます。しかし、一つ私が救いを見いだすとすれば、それはイラク人のアイデンティティです。オスマン・トルコ時代に三つに分割された統治領域を、列強の都合にあわせた縫合の上に作られたイラクは、国家として統合するのが難しい、とよく言われますが、一方で、苦難の歴史の中で得た団結をもとに、イラク人はアイデンティティを確立しつつある、とも聞きます。また、亡命イラク人は、みな外国でそれなりに安定した生活を送ってきた人たちであり、今の危険なイラクにあえて帰る必要はないのですが、多くの人々が、命の危険をかえりみず、国のために帰っていきます。もちろん、これは単なるきれい事ではなく、その動機は世俗的・山師的な野心が大部分を占めるのでしょうが、根っこに国に対する強い思いがなければ、決してできることではないでしょう。その気迫と国を思う心は、今のイラクを立ちいかせていく上で、最も重要な要素かもしれません。

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今日から国務長官に指名されたライス大統領補佐官の上院外交委員会による承認審議が始まりました。バイデン、ケリー、オバマら大物議員が次々にコンディを質問責めにし、それが一日中えんえん続きます。全てTVでその様子が生中継されます。これは厳しい。見ているだけでもしんどいですね。

さて、先週、バックパック旅行のせせこましい四方山話を4回にわたってお届けしましたが(「旅行」カテゴリーをご参照下さい)、最後の「その4」のコメント欄で、realitalesさんから鋭い質問を頂きました。非常に面白いご指摘でしたので、独立した記事を書いてお答えすることにします。

■ 「現地の言葉があまりわからないで長旅をしても、第一印象以上に得ることは少ないのでは?」

これは個人個人の経験にかかる問題なので、一概に言えませんが、私の経験から答えれば「ノー」です。いわゆる英語以外の「現地の言葉」が分からなくても、それなりにディープな体験はできると思います。

まず、英語が公用語とされている国は思ったより多いものです。米英などはもちろんですけど、インドやパキスタン、アフリカの国々など、旧大英帝国植民地ですね。

もっとも、realitalesさんが念頭においているのは英語が通じないところですよね。確かに、例えばイランでは、宿泊施設や交通機関の関係者など旅行者との接点が多いところを除けば、ほとんど英語が通じません。それでは現地の人と交わることはないのか。そんなことはないと思います。まず、英語のできる人は町の中に数人くらいはいるものです。そして、こういう人たちは機会さえあれば英語を話したくて仕方ないと考えており、通りで困っている動きを見せると、向こうから近寄ってきて、話しかけてくれます。特にイランのように旅行者の少ない国だと、好奇心旺盛な彼らは接点を持ちたいと思っていることが多いので、こういう親切な人と交わると、比較的スムーズにご飯を一緒に食べるとか、その人の家に招待されるとか、英語のできない他の人も一緒に交流するといった展開になります。また、日本で働いたことがあり、英語どころか日本語ができる人もたまにいます。私はイランからトルコに行くときに偶然会ったイラン人旅行者二人と、二週間ばかり行動をともにして中東をまわりました。一人は日本語が達者で、日本に帰った後も何度か国際電話をしてきたりおみやげを送ってきたりしてくれました。日本に行ったことのある人で私が会ったことのある人たちは、みな極めて親日的で、本当に親切にしてくれます。これは、イランのみならず東南アジアなどでも体験したことです。

確かに、外国語を話す人たちはある意味特殊な人たちですし、中にはこちらをだまそうという悪意を持っている輩もいる点には注意も必要ですが(詳しくは次の質問への答えを参照して下さい)、一方、現地語ができれば交流がしやすいかと言えば、皮肉にもそうでない面もあります。例えば私はスペイン語が多少できますが、中南米に行くと、彼らは旅行者に対して、当然スペイン語ができるものとして話しかけてくるのです。できない素振りを見せても、なぜか問答無用にスペイン語を続けます。スペイン語ができても当たり前のような顔をして、向こうは感心もしません(まあ、ある意味気楽というか、自然な雰囲気で会話ができるのですが)。中南米旅行中には、アジアであったような良い意味でのハプニングは、偶然だとは思いますが、あまりありませんでした。

結論を言えば、面白いハプニングに出会えるかどうかは、必ずしも現地の言葉ができるかどうかにかかっているわけではなく、訪れる国や地域、運とタイミングによる面も大きいかと思います。

■ 「旅行先で近寄ってくる人間には善意の人と悪意の人がいますが、どうやって区別をつけましたか?わたしは人の善意を警戒しすぎて、なんか失礼なことしちゃったかなぁと後悔したことが結構ありました。」

これは面白い質問ですね。確かに、ここはバックパック旅行で一番考えさせられるところだと思います。

こちらに近寄ってくる人たちの中に、旅行中こちらをだまそうとする悪意の連中がいることは間違いありません。それをどう見極めるか。それは、悪意のある連中の目的を考えれば良いのです。私の経験では、彼らの目的はカネかカラダに尽きます。つまり、こちらの金品を奪うか、あるいはホモ(女性には痴漢)かです。金品の輩は、旅行業やリキシャーなど明らかにこちらと金銭の取引が絡む人たちに加え、まわりくどい話し方をするため分かりにくい連中もいますが、最終的には、やれ絨毯に興味ないかだの、店に来ないかだのという話に必ずなります。また、ホモの輩は、必ずどこかでこちらの体に怪しい視線を向けたり、ももをなでてきたりします。その見分けの段階に到るまでは、決して向こうの誘いにのってはいけません。(注:私はゲイの人に偏見はありません。友達もいますし、むしろ、優しくてお洒落で清潔感のある人が多い、という印象を持っています(のちのち取り上げる予定ですが、「Queer Eye for the Straight Guy」という人気テレビ番組には、そんなクールで魅力的(?)なゲイの人たちが登場します)。ただ、残念ながら、私にその趣味がないので、無理にこちらに迫ってくる人が迷惑なだけなのです。)

また、相手がカネを求めてくるタイプかどうかは、こちらに接してくる状況によってもかなり判別がつきます。旅行者がやってくるエリアには当然そういう輩は集まってますし、逆に列車の中や旅行者が少ないストリート上や公園などで偶然会う人がそういったプロ詐欺師である可能性は低いと思います。

それから、その国がどれほど観光ズレしているかも重要な目安になります。北部インドの観光ゴールデン・ルートでは、山のような詐欺師に会うことを覚悟しなければなりません。警戒アンテナを最大限にするべきです。一方、同じインドでも、それほど観光ずれしていない南部や、また、旅行者がほとんどいないため、通りで止まってれば好奇心旺盛な現地の人たちが群がってきて囲まれてしまう(危害を加える気はない)イランのようなところでは、ほとんどプロ詐欺師はいませんので(ホモはいますが)、警戒度をゆるめて良いと思います。

最後に、外見で人を判断するのはあまり気持ちのいいことではありませんが、相手の顔・服装・雰囲気も決定的に重要です。途上国に行くと、「貧すれば鈍する」という言葉を嫌というほど実感します。やはりお金があって余裕のある人は、身なりがしっかりしていて、顔立ちも優雅なもので、こういう人の中に悪意のある人はあまりいません(先の基準で言えば、カネもカラダも求めるインセンティブがないから、悪意を持つ必然性がないのです)。逆に、品のない人には最大限の注意を払ってください(もちろんその中にはいい人もいますが、警戒度を普段より高める必要がある、という意味です)。

■ 「カメラや旅行記で記録はどれくらいしてましたか?長旅だと記録もめんどくさくなりませんか?」

私が長期旅行した頃は、デジカメも普及しておらず、写真にうるさいわけでもなかったので、全て安物カメラで撮影してました。最近は、デジカメで撮影して、それをCDに焼いてくれるサービスが安宿やインターネットカフェにあるそうです。昨年ブラジルを旅行したときもいくつかそんな店を見つけました。

記録は全てノート帳に日記形式でつけました。夜などヒマな時間も多いので、面倒くさがることなく、むしろ楽しみにしてつけていました。

ノート帳も荷物としてバカにならないので、必要最小限しか持っていきませんでした(30枚A4ノート3冊)。一つみみっちい話をすると、インドの列車の中で会ったある日本人旅行者と、宿泊費を折半するため安宿のツインの部屋にチェックインしたときがあったのですが、この人は前の町で忘れ物をしたとかで私がいない間に勝手にチェックアウトしてしまいました。それはそれでまあいいんですけど、この人はあろうことか、私の日記帳の最後のページの方に、チェックアウトする事情を大きな字でボールペンで書き残していったのです。日記帳のページがどれだけ持つかが死活的な問題だったので、これには頭に来ました(器の小さい話ですみません)。大体、人のノートを勝手に開けるのも今考えると失礼だと思うんだが。今なら、PDAや小型ノートパソコンで記録を取るのも便利かもしれないですね。ただ、パソコンみたいな貴重品を持ってバックパック旅行はあまりしたくないですよね。いずれにしても日記はぜひつけた方が良いと思います。今でも使い込んだ3冊のノートは大事にとってあります。

とりあえず今回はこの辺で。次回は「旅行中に出くわすホモについて」・・・と言ってもいつ書くかは未定ですが。ネタは沢山あるので、リクエストがあれば書いてみます。また、バックパック旅行について他に質問等ある方もお気軽にコメント下さい。

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